大名墓

久留米藩有馬家

久留米藩 210000石 (外様)
梅林寺(福岡県久留米市京町)
福岡市と北九州市の2大都市の陰に隠れて少々地味な存在になりがちではあるが、福岡県南部の中心都市・久留米は、江戸時代においては筑後国の3分の2を領有した大藩、有馬家21万石の城下町であった。
1620年丹波国福知山8万石の領主から大幅な加増によって久留米の地に転封となった有馬家は、そもそもは室町幕府の守護職を務めた赤松氏の庶流で、摂津国有馬郡の地頭に任命された頃から有馬姓を名乗ったようである。関西の奥座敷として有馬温泉で名高い「有馬」である。藩祖・有馬豊氏公は当初は豊臣秀吉に仕えたものの関が原の合戦以後、東軍方として大阪冬・夏の陣の活躍により徳川氏に対する信任を得ることに成功、大幅な加増を勝ち取ったのである。
さて有馬家の菩提寺・梅林寺は居城・篠山城の南西1kmほどのところに所在している。ちょうどJR久留米駅の裏手である。
臨済宗妙心寺派の禅寺で山門を潜ると独特のピンと張り詰めたような雰囲気に満ちている。市の中心部の往来の激しい場所にありながら境内は静寂に包まれ別世界である。梅林寺の名の由来は藩祖・豊氏公の父・則頼公の法号「梅林院」に因んだもので、そもそもは久留米入部に際して故地・福知山の瑞巌寺を移したものだそうである。
山門を潜り右折すると正面に妻壁が美しい庫裏、左手に本堂の大屋根が見える。禅寺特有の清々しい建築群である。また本堂の南正面には扉や柱の細部に至るまで羅漢彫刻で埋め尽くされた平唐門が異彩を放っている。大藩の菩提寺とはいえ、これほど風格のある寺はなかなか目にかかれるものではない。個人的な感想を云わせてもらえば、九州に所在する寺院の中で随一の雰囲気を持つ寺だと思う。
ところで藩主の墓所は本堂の西脇から通じる裏山にある。上下2段に造成された墓所内には霊廟5棟をはじめ藩主、一族の墓塔が林立している。参道正面の下段にある入母屋造の霊廟は家祖・則頼公とその夫人たちを、その東にある宝形造の霊廟は藩祖・豊氏公と2代・忠頼公、5代頼旨公を祀っている。上段には3棟の霊廟があるが、藩祖夫妻と2代・忠頼公の位牌廟で下段の建物と比較して少し簡素なものである。また歴代藩主の墓塔は三層塔形式を基本とし、玉垣でこれを囲む。3代・頼利公、4代・頼元公、6代・則維公、7代・頼憧公、8代・頼貴公、9代・頼徳公、10代・頼永公の7基の墓塔が様々な方角を向いて並んでいる。ただ近頃、上段の藩主墓域に一般墓地が浸蝕しつつあり、この名寺らしからぬ仕業が残念でならない。
藩政時代における有馬氏の治世については、筑紫次郎の異名を持つ大河・筑後川の氾濫により必ずしも穏やかな日々ばかりであったわけではないようである。しかし歴代の藩主たちが眠る裏山から眺める筑後川は今や穏やかな姿に変わり、全てを流し去ってくれるようである。   (07.4.21記)