大名墓

豊後森藩久留島家

森藩 12500石 (外様)
安楽寺(大分県玖珠郡玖珠町)
大分県下の玖珠郡、日田郡、速見郡の一部を領有した豊後森藩の城下はひっそりとした山中にある。
小藩であり、かつ廃藩後の城下も大きく発展することがなかったゆえか、現在ではすっかり忘れられたような存在であるが、町の中心部には重厚な町家が数軒残り、かつて陣屋があった場所には当時の茶室の遺構である栖鳳楼や庭園、三嶋神社が往時の風情そのままに残されており、とても素敵な町である。
そもそも藩主・久留島家は伊予国来島の領主であったが、関が原の合戦において西軍に与していたため改易されることとなった。しかし当時の当主・長親公の夫人が広島の大大名・福島政則の養女であった縁から、かろうじて豊後国森の地において立藩を許され、以後幕末まで続くこととなった。
藩主菩提寺である安楽寺は町の中心部にひっそりとある。小藩ゆえに菩提寺といえども決して大寺ではなく、また小さな町ではあるけれどもやはり中心市街地にあるため周囲が宅地として浸蝕され、若干風情には欠けるようだ。
南面する山門を潜ると正面に唐破風屋根の玄関を構えた本堂がある。本堂の西脇から裏手に回ると、玉垣で全体を囲った藩主墓所がある。広さは200坪程度もあろうか、玉垣に沿って歴代藩主の墓塔が四周に立ち並んでいるが、大名の墓所らしからぬ実にささやかなものである。
墓所には12代を数えた藩主のうち第4代・通政公、第12代・通靖公を除く歴代の当主、夫人、子息等の墓塔が祀られている。墓塔自体も藩主のものと言えども規模は小さく、箱型墓塔が主体の石高に相応しい質素なものである。
実に分相応な墓所ともいえるが大名墓としては少しばかり寂しい気もする。         (07.4.14記)