音楽の授業に使えるネタ

       『歌集』の歌に秘められた謎

   〜歌の作られた背景には、意外なエピソードがあったり、
       歌詞に深い意味があったりしますね。時には、そんなことも子どもに話してみても
          おもしろいと思います〜

   

                                                


○『大きな古時計』のもともとの歌詞と続きの歌の秘密

 平井堅のヒットにより、この曲が外国の曲であることを知った人も多いのではないかと思います。またテレビでも、この曲の元の歌詞が「百年いつも〜」ではなく「90年間休まずに」だったことを紹介していましたので、それも有名な話なのかもしれません。
 実はこの曲、事実をもとに作られた曲なんだそうです。その事実とはこうです。
 ある日、この曲を作ったアメリカの作曲家、ヘンリー・クレイ・ワークは、イギリスのホテルに泊まりました。そのホテルのロビーに、止まったままの古時計が置かれていました。疑問に思った、ワークはホテルの主人に聞いてみると、その古時計にまつわる話をしてくれました。
「あの時計は、もともとそのホテルを経営していたジェンキンズ兄弟ものでした。お兄さんの生まれた日に購入され、ホテルのロビーにずっと置かれ正確に時を刻んでいたそうです。しかし、弟さんがある日病気で亡くなってしまいます。すると、今まで正確に時を刻んでいた時計が、急に遅れるようになったのです。そして、お兄さんも、弟の死から1年ほどたった頃、後を追うかのように亡くなってしまいます。すると、不思議なことに、時計は動かなくなったそうです。そして、さらに不思議なことに、翌日、その時計が指している11:05を見て、みんなはさらにビックリします。それは、まさにお兄さんが亡くなったその時刻だったのです。」
 その話を聞いたワークは、一夜でこの曲を書き上げたといいます。英語の歌詞では1番から「でも止まってしまって動かなくなった おじいさんが亡くなってから」とおじいさんの死が出てきますが、日本の歌詞では、3番までおじいさんの死はでてきませんね。そして『90年』が『100年』になったのは、保富康午さんが詩をつける際、なるべく原曲どおりにしようとしましたが、90年では語呂が悪いということで100年にしたそうです。
 ちなみに、アメリカにはこの『大きな古時計』の続編の曲があります。アメリカでもほとんど知られていない曲だそうですが、この歌詞の中で、古時計は、「ガラクタ屋に持ち込まれて、歯車のひとつひとつまでばらされる」ことになっています。なんだか、悲しいですね。


○『ドナドナ』に秘められた謎

 「かわいい子牛が荷馬車に乗せられて市場に売られていく」切ないドナドナの歌詞ですが、この曲を作ったのは、ユダヤ人だったのは、ご存知の方もいると思います。そう、そして、この曲が書かれたのも、1938年から1942年の間ごろと言われています。ユダヤ人がナチスドイツの迫害を受け、収容所に送られて大量虐殺にあった時期に作られた曲なのです。
 そう考えると、歌詞の意味にこめられた秘密があると考えることも難しくないですね。「かわいい子牛、売られていくよ、悲しそうな瞳で、見ているよ」は、『子牛』ではなく、捕えられ収容所に連れて行かれる『ユダヤ人』であると考えられています。
 この曲が有名になったのは、ジョーン・バエズがアメリカで歌ってヒットしてからです。その後、ベトナム戦争反対運動とともに、歌われていくことになります。日本でも、フォークソングブームの中で歌われましたが、みんなの歌で放送されてから、子どもたちの歌として定着していきます。ただ、教科書に載るようになってからは、最後の歌詞が「ドナドナドナドナ はかない命・・・」と安井かずみさんによって訳された歌詞が、「ドナドナドナドナ 荷馬車がゆれる」に変更されています。


○『ロンドン橋』は、けっこう恐ろしい歌だった

 ロンドン橋、実は、本当に結構落ちる橋だったそうです。テムズ川にかかるロンドン橋は、川幅300メートルもある部分にかけられた橋。当然、技術的にも大変で、何度も何度も落ちた記録が残っています。原曲は、粘土と木で作った橋から、石、鋼と鉄・・・と材料が進化していきます。
 しかし、恐ろしいのは、落ちるからではなく、かつてのイギリスには、生け贄を捧げる儀式がありました。ロンドン橋にも、人柱として生け贄を捧げたとか・・・。それも、最初は死刑囚などが捧げられたのが、それでも落ちるので、一般市民の中から無作為に選ばれたという説も・・・。そういえばこの曲、アーチゲームをして、その間を通る子を捕まえますよね。あれって、人柱を選ぶ儀式から来ているのでは、と考えると恐ろしいですよね。


○『フニクリ・フニクラ』は登山電車のCMソングだった

 ナポリの民謡として知られるこの曲ですが、もともと民謡ではなく、CMソングだったのです。イタリアには、火山がたくさんあります。有名なポンペイの遺跡は、火山によて多くの人々が埋め尽くされてしまった遺跡ですが、そこを観光スポットとして開発しようと登山電車を作ります。『フニクリ・フニクリ』というのは登山電車の愛称。しかし、当初は、あまりに急勾配を登っていく電車に恐れをなして、あまりお客さんを集めることができなかったそうです。そこで、登場したのがこのCMソング。この曲が人気を博し、登山電車もポピュラーなものになっていったそうです。「行こう、行こう、火の山へ・・・」なるほど、CMソングといわれれば、そうだと思いますね。「登山電車ができたので、だれでも、登れる・・・」そのままですね。


○『聖者の行進』はお葬式の歌だった

 この曲が歌い継がれたアメリカのニューオリンズは、ジャズの起源ともいえる町。黒人奴隷が多く連れてこられ黒人たちのよる音楽が、たくさん生まれました。そんな町では、葬式もバンドがでて、ジャズ葬が今でも行われているそうです。こうした歴史の中で、生まれてきたのが『聖者の行進』です。英語のSaintsには、「聖者」「聖人」のほかに、「死者」という意味もあります。この曲は、葬式に出すときに、演奏された曲だったそうです。
 ちなみに、お葬式になのに、こんなに華やかな曲という部分には、ニューオリンズの黒人奴隷の歴史を考えてみる必要がありますね。黒人たちにとって、つらく苦しい現世からの解放という意味があったのですね。


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