私のプロフィール


自己紹介

半導体関係の会社勤めです。ITのスキルを習得したいと思い初級シスアドの試験にチャ
レンジし、1年間勉強し、昨年4月資格取れました。趣味は、パソコン・音楽など。
このホームページは、ITの勉強のために始めましたが、ネットワークの設定、Webサイト
の立ち上げ、ホームページの作成など実戦で勉強することで会社のITシステム構築に大
いに役立っています。


私の音楽経歴

 中学生ころからラジオでクラシック音楽を聞いおり、学校の音楽の時間に聞いたバ
ッハの管弦楽組曲二番は特にすきでした。高校のときはステレオを買ってもらいレコー
ドを買ってきて聞いていましたがレコードを聞くだけでは満足できず、大学に入った
とき、音楽をやりたい思っていたところで、オーケストラの人に勧誘され、楽器をや
ったことが無い初心者でも良いと言われヴァイオリンをはじめた。それから毎日オー
ケストラの団室に行ってヴァイオリンを練習する日が続く。
 初舞台は1年後の春の定期演奏会の「ベートーベン田園」の2ndヴァイオリン。この
曲は3楽章の始まりの嵐のところが第二ヴァイオリンのスピッカットで始まる非常に難
しい場所で、そろってひけず苦労した思い出がある。その後、春秋の定期演奏会に、
先輩のヴァイオリンパートリーダーに練習で鍛えられ、シベリウス、チャイコフスキー
、ストラヴィンスキー、マーラーと次々に演奏体験する。北大オケの指揮者川越先生の
指導とその演奏体験が私の音楽の原点になったと思い貴重な体験をしたと思います。
 その後社会人になり、音楽仲間とアマチュアオーケストラを10年続ける。しかし週
1回の全体練習は、練習場所の確保、メンバー同士の都合調整、楽器の維持など持続す
るためのパワーがかなり必要で、その大変さも体験した。そのオーケストラのメンバー
であったヴァイオリンの先生が主催する弦楽合奏の活動に、現在もずっと継続して参加
している。仕事をしながら音楽の体験を味わうことができる場として貴重な機会です。


私の山経歴

 私が山歩きをするきっかけは、高校時代に山岳部に入ったことから始まる。私が小学
校から高校まで過ごしたのは、北海道の芦別市という炭鉱町です。父の生まれ故郷は秋
田県の八幡平ですが、父が三井鉱山のエンジニアであったことから、私の姉妹も北海道
で生まれ育ちました。高校時代は、北海道の秀峰といわれる芦別岳に何度も登ったもの
です。また、夏休みには、指導の先生と一緒にテントを持って、大雪山の美瑛岳から、
トムラウシ、白雲岳、黒岳を経由し旭岳迄4日かけて縦走登山をしたものです。その時に
山歩きの面白さを覚えて現在も時々山歩きを続けております。最近は、もっぱら高尾山
周辺の低山をハイキングしております。昨年は、父の故郷である秋田八幡平と秋田駒ヶ岳
に登ってきました。やはり寒い土地のほうが高山植物が多く生息して感激しました。
(2002.5.11)

栗岡先生
私の山歩きの師であり、元芦別高校山岳部顧問の栗岡圭一先生が昨年12月亡くなりました。
私は昭和41年から43年まで芦別高校で学びその間山岳部で先生の指導を受けました。先生
は授業で物理を教えておられ、部活動では山岳部の顧問をしておられました。先生の熱心
な指導で芦別高校山岳部は男子・女子とも毎年高体連で全道大会に出場しておりました。
5月の頃は、地区大会の事前調査で先生とコースの下見に何度も滝里の那英山(819.2M)を
歩きました。
先生は、いつも安全な登山を第一に考えられ、私たちは登山計画を作ることから教わりま
した。私が3年生の時、北空知の高校登山大会では芦別が当番高で那英山を中心に2日間の
登山を行い、全道大会で東大雪のウペペサンケ山(1834.6M)、夏休みで大雪山の武華岳(1758M)、
層雲峡から銀泉台〜赤岳〜黒岳〜旭岳〜勇駒別の縦走、全国大会で鳥取の大山遠征とすべ
て先生と一緒に山を歩き、思い返しますと充実した高校生活でした。
先生は、私たちが卒業した44年に函館の西高に転勤されました。先生の奥さんにいただい
たお手紙によりますと、高校の山岳部員は少なくて、一般の方々、山岳会の方々と一緒に
山歩きを続けられ、H14年3月には富士山に登られたとお聞きしました。その後体調をくず
され、闘病生活をなさっていたとのことです。亡くなる前にA級コーチ上級の資格に挑戦さ
れ試験に合格されたそうです。最後まで努力を続けられた先生の姿は私たちのお手本です。
本当に、素晴らしい先生に出会ったものだと感謝しております。(2003.5.3)


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