YUKKO FOREVER 私はアイドルの、岡田有希子さんが好きでした。 当時小学4年生だった私は お年玉で岡田有希子さんことユッコの アルバム「贈りもの」のカセットを買って 歌を聞いてました。 このベスト盤っぽいアルバムは どの曲もユッコらしく可愛い歌で デビュー曲の「ファーストデイト」が当時 一番好きでした。 特にアルバムの最後に入ってる 「BELIEVE IN YOU」の歌詞と歌が とても好きになりました。 もうね、まずこの歌詞 「この世の幸せを全部 ここに集めたような」という 胸が一杯になるような文字の並び。 私は基本ノリノリの曲が好きで バラードは、数える位しか好きな歌はないのに この曲はとても好きになっていた。 「あなたとまた逢う日まで〜」という歌詞も まるでユッコに会えたと錯覚させる歌詞。 そう思い込めるお花畑の頭の私。 なんと言っても聴いてると気持ちが 上の方にじわりじわりと上がっていく この不思議なリズム。 「これで最後じゃない」と言う期待感。 それが、ユッコがお亡くなりになった後に聞くと ますますそう思えてくる・・なんだこの歌は。 そう。小学生だった私はユッコが 「アイドルで3番目に好きでした。 1番は明菜ちゃん。2番が聖子ちゃん。 ユッコは3番めだったけど、50歳になった今の 私はユッコが一番です。 歌手活動をしていたユッコを テレビで観ていたのは 私が小学4年生から小学校6年生になる前 まででした。 「ザ・ベスト10」で「Summer Beach」を 歌ってたユッコは、ユッコの長いスカートの裾を 後ろに居たメンズ達が その裾を持って曲にのってました。 ユッコはその時、高校生で「試験の真っ只中。 英語、数学、国語だったけど、結果は聞かないで くださいとの事でした。」と曲が始まる前 ナレーションみたいなのがあって、 その後すぐに♪お〜 さまーびち〜♪って 歌っていたのを覚えてる。 この頃までのユッコの歌は好きだった。 どれもポップで可愛い曲でユッコに似合ってた。 当時のアイドル載ってた 「明星」や「平凡」。 いつ買ってもユッコが載っていた。 「悲しい予感」の新曲が出た時 カラーのページでユッコの写真と 歌詞と楽譜が載っていたね。 また、「禁じられたマリコ」のドラマでは ポルターガイストを起こす役で、目が光るのが 怖かったね。このドラマの内容はもうほぼ 覚えていないので、ストーリーよりも ユッコを観たいと言うだけだった。 私が覚えているのは、このドラマのシーンで ユッコが「Love Fair」の歌の衣装があったんだけど (上が首元にフリルが付いてて水色かな。 スカートはピンクだった気がした。 色はもしかして逆かな?) そのブラウスの端が少し見えてて、その上に 服を着ていたシーンがあったな。と。 子供心にも「歌の撮影がこの後あるから 中に服を着ているのかな?」と思った。 小学生の頃の私は、テレビが大好きだった。 友達と遊ぶのも楽しかったけど どちらかと言うと、テレビで歌を聴いたり 好きなアイドルのドラマを見るのが 一番楽しいと思っていた。 勉強が出来なくて、今と違って大人しかった 当時の私は、学校よりも家で「明星」を見るのが 好きな「ネクラ」な小学生だったのです。 なので、可愛いアイドルを見て 元気をもらっていたのです。 コンサートに行ってユッコちゃんを 自分の目で見てみたいけど 子供の自分には そんなお金もないし行動も 親の制限で出来ません。 せいぜい、ファンレターを書くか カセットテープを買う位。 それでも十分だった。 所が、小学6年生になると言う始業式の日。 ユッコがお亡くなりになったのを知りました。 あの日は、学校が終わった後 隣のMちゃんの家に遊びに行っていて 一緒に漫画を描いていた時だった。 Mちゃんが「みかりん!大変!大変! 今、お母さんから聞いたんだけど ユッコが亡くなったって! テレビで言ってるって!」と 言われた。 私は「ええ!うそ!」とビックリした。 「事務所のビルから飛び降りたって」 「えええ!うそ〜!」 その日は、一日中、テレビがニュースで ユッコの報道だった。 さらにその後、皆さんご存じのあの衝撃的な 写真。私も友達が買って、学校に持って来てて 見せてもらったよ。隣の席のH君にね。 しかも「貸してあげる」と言われたので 家に持ち帰って、一人暗くした部屋で見て 泣いた記憶がある。←やっぱりネクラだ。 もう子供の頃、そんな衝撃的な亡くなり方の 画像を見てしまい、目に焼き付てしまったので それ以降、ユッコが怖くなってしまった。 当時、オカルトブームだったのか 「夜のヒットスタジオ」に 亡くなったはずのユッコが映っていたとか 明菜ちゃんの「ジプシークィーン」の歌詞が ユッコの事を物語っているとか、 今となっては「なんだか話題作り?」と言えるけど 当時は私は子供だったので、本気にした。 ユッコは好きだったけど、なんだか 変わり果ててしまったユッコの姿を 「フライデー」で見て以来、曲も 全然聴けなくなりました。 そして、私だけじゃないと思うのだけど ユッコが亡くなってから数年経っても ユッコの初期の頃の歌は聴けるのに 後半の「悲しい予感」や「Love Fair」が 曲調や歌詞が聴けないのです。 もう怖いと言う印象。 どこかユッコの人生と重なっているような 歌詞にも(勝手に)思えたのが原因かも? でも、亡くなった本当の理由は分からないけどね。 でも、「くちびるネットワーク」は軽やかな曲調なので 大丈夫だった。やっぱりユッコは明るい歌を ずっと歌ってほしかった。 ネットが普及する前って ユッコの事をあまり公にする事が あまりなかった気がしません? テレビだって、「昭和の頃の歌」を 取り上げる番組は結構あったのに ユッコが歌うのをほぼ見た事がなかった。 でも、あれから40年くらい経って 時代が変わったのを私も感じました。 なんと!平成生まれのユッコを 知らない世代の人達が 「昭和の頃のアイドルの曲」を聴きだし ユッコの存在を知ったのです。 うわあああ!これは凄い。 最初、「昭和の曲が若者の間で 流行っている」と言ってるけど 話題作りでしょう?と思ってました。 勿論、一部の若者なんだろうけど、 「聖子ちゃんや明菜ちゃん」と言ってる人の 他に、あとは誰?と思ってました。 なんと!ユッコが上位の方に 上がってきたそうです。 SNSで色々見てみたら 「自〇したアイドル」と言うところから 見ていったら、素敵な人だったと知り ファンになったと言うメンズ。 あとは「お母さんが車で聴いてた音楽だった」など。 入り方は色々みたいだけど、 中には「ユッコちゃんはお母さんより 年上だった」と言う書き込みも見て 時間の流れを感じた50歳の私。 でも、この人達が!リアルタイムで ユッコがテレビで歌うのを 見た事がない人達なんだ!と 改めて思った。 でも、このヤングたちって、物心着いたことから SNSに慣れ親しんでる分、ユッコの事を ものすごく研究熱心に調べていたみたい。 私も、若者のインスタで、ユッコの ファンミーティングなどをやっているのも知ったし。 それも、「禁じられたマリコ」の台本なども そのミーティングで見せてもらえたと 画像出してるから どんなファンミーティング?と思ったら 一部関係者の人達もいるみたい。 すごいなあ。 今、こうやって公にユッコを語っている人達が 沢山いるのが凄い! あの「ユッコの事を公にしてはいけない」モード っぽい20年くらい前?では考えられないね。 ・・と言うか、私が最近色々検索してるから だけで、実際はそんな事ないのかもね。 なんだか私もユッコの事を 好きだった頃のモードが最近出てきて 自分、どうしたの?と思ってます。 |