宿命と運命について


私は子供を持たない人生を

歩くのだろう。

いつの頃からか

そう思うようになった。

自分の人生の計画に、

出産、子育てが入っていないのだろう。

これが私の宿命であり、人生なのだろう。

だけど、高齢で出産と言う話を聞くと

私でもまだ間に合うのか?と一瞬思った。

しかし、自分が子供を育てたいと言う

気持ちが伴っていないのに

そんな宿命があるはずはない。


もし、自分の中で「自分革命」でも起きて

人生を変えたい!と意識が強く働けば

可能なのだろう。

自分の宿命として、与えられた人生を


運命で切り開いた時

人は自由意思でなんでも出来ると

思うのかもしれない。


あるスピリチュアルの人のブログで

妙に納得した事があった。

そのブログの人の内容を

要点だけ集めると

★人は、与えられた宿命を

 生きるのがラクである。

★宿命に入っていない事は

 現実にならない。

★自分の宿命以上の力を発揮すると

 運命が切り開く。

要は、生まれる前から

今回はこんな人生プランで
(保険会社かよ)

決めてきた。大雑把なプラン。


それが宿命であると。

例えば私の場合、

子供を産まないプランだったとして

そのプラン(宿命)通りに生きるのが

計画通りだったとする。


所が、自分の中では

心の奥底から願ってもいないのに

出産をしたい!と急に思ったとした場合。


「自分の中で、その出産、そして

子育てをしている自分を

想像できるか?」と

言う事を問いかけます。


当然ながら、「NO」です。

自分が子供を育てたり

幼稚園の送り迎えやら

PTAやら、(お日様の下で日焼けを気にしながらの)

運動会、卒業式その他

ママ友との交流など。

私には想像が付きません。

その環境に身を置ける自分が

存在するのか?と疑問すら浮かぶ。

こういう場合、たいていは

向かないそうです。


「向かない=宿命には入っていない。」

なるほど。

これが「想像できる!」となれば

宿命に子育ての人生が

入っているそうですよ。

私、従兄にも「お前が子供を

あやしている姿って

昔っから想像つかない」って

言われました。


自分以外でも、他の人から見て

「なんか、違う」と
思われる事って

宿命にもちょっと通じる事が

あるんでしょうかね?


20代の頃

「みかりんは、40歳になっても

50歳になっても

ずっとそのままでいそう」と

言われた事がありました。

それは予言でも占いでもないのに

言い当てられました。

ある意味、
人から思われる事と

自分が思ってる事が

合致していると

宿命的な事って

強化されるんですかね?


さて。ここで私が

出産、子育てをしたいと思ったとします。

想像もつかないのだから

多分、この課題はないのでしょう。

しかし、「私も産んでみたい」と思った場合

宿命に逆らうわけですから

出産、子育てをするには

まさに「運命を切り開く」と言う事に

なりそうですね。


しかし、そうなるには

人の何倍も努力をしないと

無理だそうです。


この場合、行きたくない通院や

メンタル面がやられる思いをする

などでしょうか。

結局、人は努力をしないと

運命は開けないと言う事なんでしょうね。

はあ。それにしても

女性の一番の関心事「子育て」が

私があまり願っていないって。

少しは表面的にでも思ってみようよってね。



例えは違いますが

仕事の資格試験。


今まで遊び放題遊んで来た為

苦しんでおります。

今更数学が!?

物理の公式が!?と

悩んでおります。

この資格を取ろう!と思わなければ

宿命通り「働いている」だけで済めば

苦悩なき人生でした。

しかし。人は仕事出来ないと

人間関係もダメになるし

努力をしないと給料に反映されない。

私としては、勉強をして

少しは運命を変えたつもりです。

だって、普段使わない脳みそを

最大活用させているんですよ。これでも。

社会って、本当に世間様同様

シビアですよね。

でも、不思議と20年前の自分なら

無理だった試験も

私にしてはストレートな方なのです。

周りも最初は「どうした?」と言ってきて

ビックリしていたのです。

しかも、この頃は

「もうすぐ取れるよ」と言ってくれる声が

増えて来て、自分でも

出来そうな気がしてきたのです。

これは自分の努力も必要ですが

それを応援してくれる環境である事が

一番なのかな。と。

その環境を作ってくれる人達の

お蔭さまがないと、

自分の運命が開かない。


「こんな基礎から教えないと

ダメですか?」と思われた私でも

諦めずに教えくれた人達の存在。

自分を取り囲んでくれる

環境って大事ですね。

後は、運命を変えるには

自分の強い意識革命がある事が

大前提なのかなと。


そうなってくると、

どんな運についてでも

人との関わりが大事だなあと

思ってくるのです。


そこに自分の感謝の気持ちがないと

落ちるのも早いでしょうね。

常に謙虚な気持ちを持つ事が大事ですね。



漫画家になりたい!

野球選手になりたい!って

言う人達は

子供の頃から、ずっとその願いを

作文などに書いていたそうです。

周りも「そうなるんだろうな」と言う目で

見ていたんでしょうね。

そう言えば、私と出来の違う従妹は

子供の頃から、

「学校の先生になる!」って

言って英語教師になったな。

「すでにそうなる宿命の人」は

そうなる道を進んでいるのだ。

そして、その通りになる人は

宿命と言う所を通り越し

私からみたら
、自分で切り開いた?と

思える運命すらも

すでに「宿命」に入っていたのかも。


売れない歌手は

宿命までは歌手になると決まってても

「売れる」と言う所まで来るには

宿命として入ってないのかな。と。

余談ですが、最近「地下アイドル」と

言う活動をしている人のブログを

拝見して、ふと思いました。

周りの環境が良かったり

応援してくれるようなキャラに

さらになれれば

運命が開くのでは?と勝手に

思ってみてました。



どんな人の人生にも

与えられた課題があって

その課題をそのまま生きていくのが

一番、ラクな人生らしいです。

私の場合、死ぬまで働くか?

働いて自分の好きな事に

お金と時間を使う事でしょうか。

働くとは、「はたをラクにする」と言う

意味があるそうですね。

社会の為、がんばるわ。

もうすぐ45歳だし

今更自分の人生の

真逆にあるような事をしたいとも


思っていないので

このまま与えられた課題を

生きる事にしよう。



もう、人生も半分過ぎたし

向かい風のような所を

歩きたくないのです。

追い風のまま進める方が

自分がラク!




運命を切り開くのは

私にはパワー不足。

それと、44年生きると

自分との折り合いも出来る。


なので、自分の出来る宿命の中で

ちょっと頑張れば

「運命が変わった」と言う

その位の人生でいいかな、と

思ってます。


要は努力なしでは

人間関係も運命も何もかも

良くならないのですね。と言う話でした。