写真旅立ちの準備


お葬式で、DVDを流すので

「お父様の映っている写真を用意して欲しい」と

会場の男性から言われた。

最大25枚までOKとの事。

父はデジカメや、ビデオカメラで

撮影をするのが好きだった為

自分が映っている写真などは

あまりない。




ジジタンの部屋で、昔のアルバムを見たが

そこにあったのは、姫たち(孫)の写真ばかり。

私と姫たちと一緒に撮ったものは

ほとんどなく、仲良し親子ショットばかり。

後は、ジジタンの同窓会の集合写真、

旅行に行った母との写真、

現役時代の仕事メンバーとの写真。

ハッキリ言って、写真の枚数があまりない。

私は自分の大昔のアルバムを

引っ張り出してみる事にした。

その写真は、私が生まれた時からの

映っている古い黄色い写真。


まだ若い父と母と赤子の私。

ずっと見ていくと、幼稚園児くらいの私は

父の膝の上に乗って笑顔でいる。

この姿が本当にジジタンだったのか?と

目を疑うような、背中がピンと張った姿もある。

腹も出てなく、ちょっとカッコ見える。(今よりは。)

さらに見ていくと

父が作ってくれた雪だるまの胸に

「ミカ」と枝で置かれた文字。

その雪だるまの頭の上に

木の枝が刺さっている。

雪だるまの隣に6歳くらいの私が

一緒に映っている。

・・この、雪だるまの頭の枝は

もしかしたら髪の毛のつもりだったのか?

父、力作の雪だるま。

これを一人で作ったのか。と感心する。


そのまま見続けていくと


中学時代の私の写真。

この頃から家族との写真よりも

登山合宿や、立志式と言った

行事の写真を見つける。

友達たちと映っている
ダサい体操着姿の私。

だけど、父と母と弟みんな

仲良しだったからか

なんの心配もなく楽しい顔をしている。

友達らとの映っている写真を見て

本当に毎日楽しそうで幸せそうに見えた。

高校時代、お世話になった先生たちとの写真

文化祭、卒業式、その他モロモロ。

そして、成人式の写真には


私と父が2ショットで映っていた。

他にも、親戚の家族と

一緒に移っていた写真では

父と私は腕を組んでいた。

腕を組んできたのは私。

さらに、
父と私は2ショットで

また腕を組んでいる。


二十歳の頃の、真っ赤な口紅と

真っ赤な指先で、

ちょっとケバさがある私。

だけど、若いだけあって

ストレートのロングヘアーは

ツヤツヤしていた。

(このスタイルが時代を物語っている。)

父は、私が最近見ていたジジタンの姿ではなく

顔にコケテなくて、髪の毛もまだ沢山あったのを

つくづく思った。

私と父の2ショットの写真・・・その姿は

笑顔の私と、「お?」と言う顔をした父の表情。

私は涙が溢れてきた。

こんな事が普通に出来ていた自分が

動かぬ証拠として

しっかり残っていた。(←なんか、悪い事したみたい)

頑固で言う事を聞かない今のジジタンとは


大違い。(まあ、昔から頑固でしたけど。)

45歳の今の私では出来ない

「ジジタンと腕を組んでの写真」

これはかなり貴重になってきた。

この写真3枚を、葬儀の時に使ってもらおう。


私は、こういう機会でもないと

昔のアルバムなんて見る事もないと思った。

そして、生まれてからの写真を見て

色んな人と楽しく過ごしてきた。

その笑顔のベースには、いつも

両親の愛情があったから

何も不安もない笑顔だったのだと

今更気づいた。


そして、私が幼女の頃は

父が大好きで、夜勤で夜居なくなるのを


とても淋しがって

泣き泣き父の膝にしがみついていたのを

思い出した。

出掛けた後も、小さな窓から私は

泣きながら手を振っていたのは覚えている。

それなのに、40歳を過ぎた頃から

「ムカつく!キライ!」の一点張りだったのだ。

変わったのは私の方だったのだろうか。

だけど、父はどんな時も私を見捨てなかった。

ハチャメチャな私を最後は許した。

どんなに男の人にぶん投げられようと


家に置いてもらえた。

生活に困る事もなかった。

欲しいモノは何でも手に入った。

何度「出て行け!」と言われたか分からないが

最終的には、置いてくれた。

ジジタンが私を守ってくれたから

結婚出来なかったよ。

私は、昔のアルバムを見て

愛情を感じた。




早速、葬儀屋さんに

私とも映っている写真を頼んだ。

「わあ!パノラマ写真だ。

こういうのありましたよね」と懐かしく言われた。

古いアルバムは楽しい思い出と

嬉しい出来事でいっぱいだけど

今、現実はジジタンが亡くなったのだ。

そのメモリアルと言う事で

写真を探していたのだ。


だけど、自分の中で

ジジタンとの思い出を

上書き保存出来たと

思った。

そして、嬉しい事がもう一つ

(こんな状態で嬉しいと言うのも変だけど)

今日はジジタンが、旅支度をするのです。

体を拭いてもらって

着替えをする事が出来る日なのです。



葬儀屋さんの日付と

お坊さんの時間が

スムーズに決まったお蔭で

ジジタンは「枕経」をやってもらう事になった。

(お亡くなりになったら、最初に

拝んでもらう事を言うらしい)

これをしないと、旅支度が

出来ないとの事。


病院から搬送されて

アイスクーラーで冷やされたジジタンは

とても冷たくなっていた。

(私の方が冷たい女かも)

顔もコケて・・あ!
入歯をしなくなったせいか。

顔も私より小さくなって、髪の毛もないし

仏さまみたいな顔になってきてる。

口を開けて、「ビール飲ませろ!」と言いたげ。

これは分かる。オカルトパワーがなくても

言いたい事は、以心伝心のように伝わってくる。

北向きに置かれたジジタンは

頭の所に、水を綿棒に救って飲ませる事が

いつでも許されていた。


そして、旅支度をする今日は

専門の方が体を全部拭いてくれたので

外見がとても若々しくなったのです。


「おくりびと」って映画、覚えてます?

あれと同じでした。

納棺師さんが、ジジタンの全身を

綺麗にタオルで

拭いてくれるのですが

私ら身内と親族にも

さすがに全裸姿は見せないように

お雛様の段の後ろの金ぴかなやつ

ありますよね、あんな感じのを置かれました。

皆さんに見せていいシーンの時だけは

オープンになりました。

そして、「3名だけ一緒に体を拭けます」と言われた。

私と母と弟が出て行く。


両腕と、両足を拭く事が出来るとの事。

「ちゃんと指と指の間も拭くよう」に言われました。

冷たくなったジジタンの左足を

私は拭きました。


思ったより痩せこけて、骨しかない足。

冷たく、固く、血が通っていないその足を

私は一生懸命拭きました。

ジジタンのツメは、白くなっていました。


そして、「仕上がりました」と言われて

親戚がみんなでジジタンの棺桶前に集まる。

そこでみんなの第一声が

「わああ!綺麗」だった。

ジジタンはヒゲをここでも剃ってもらいました。

死化粧は、男性の人がすると女性に見える事もあり

しない方がいい場合もあるとの事。

ジジタンらしさを出す為、ノーメイクです。

だけど、入歯を入れてないため


頬がコケている所は、口の中に綿を詰めて

ほっぺたパンパンにしてもらったので

若くなったように見えました。

一番ビックリしたのは、着物姿のジジタン。

指を組み、ジュジュを持ったジジタンが

着物の白さで綺麗に光っているのです。

「おお〜仙人に見えるなあ。

生前言ってたように、仙人に見えるなあ」

叔父さんが言う。

「本当だ!仙人みたいだね」


そうなのです。ジジタンは

仕事を引退したら、山にこもって

俗世間を離れ、仙人になるのが夢だったのです。

そして、男の子の孫が生まれたら

「家来にする」と言っていました。

(家来になりたくないから

孫は女の子二人なのか?)


さて。私は、「これって馬子にも衣装で、

服が白くて綺麗だから

映えるんじゃない?」と言った。


すると、母が一言。

「これね、着物じゃないのよ。

綿で出来てるの」

え?綿なの?

綿を引きのばして、

体に貼り合わせたとの事。

一番下の着ている着物だけが服だと。

スゴイ!綿なのにピカピカしてるよ。


「作ってくれた人の

真心が反映されえてるんじゃない」と

母が言う。

わああ。本当にすごい。

しっかり足袋も履かせられて

杖を持てるように腰の辺りに添えられた。

「三途の川を渡る時に、お金を渡すので

この袋も置きますね」と言われた。

巾着を持たされ、ジジタンは白く輝いている。


さらに、「日差しが強い時の為に

この扇子も持って行ってもらいます」と。

私に「置いてください」と渡された。

なんと言う素晴らしいご縁。


ジュリ扇ではないが、

私が扇子を渡されるなんて。


私は、ジジタンの左腰に扇子を置いた。

今思うと、ジジタンは右利きなのだから

右側に置けば良かった。

旅支度の完了したジジタンは

病院から運ばれた時とは

まるで別人になっていた。

肌が黒くて、コケた頬はふっくら。

半空きだった口も閉じられ

キュッと上に上がっている。

義妹が「お父さん表情が変わったね」と言う。

うん。病人じゃないみたいだね。


寝ているみたい。

「良く見て!お父さんって寝ていても

眉間にシワ寄せていたでしょ?

それが今、ないよ!?

すごく穏やかな表情してるよ!」

義妹にそう言われて、私もハッとした。

そうなのです。

とても穏やかな顔をしている。

眉間のシワはどこへ行ったのだ?




ジジタンは、救急車で運ばれて

呼吸が苦しいと言っていた時が

一番ひどい時だったらしい。

死ぬ間際は、あまり苦しむ事もなく

スーと亡くなったと聞いたのです。

苦しみから解放された、穏やかな顔。

今、その顔をみんなで見守ってます。

・・・と書くといい感じだけど

実際は、納棺師さんが

顔の表情を整えてくれた事、

あとは、だんだん全身の筋肉も

緩んできたのではないか・・とも思うけど

穏やかに見えるジジタンの表情は

残された私達に

ちょっと明るい希望を持たせたのです。

だって本当にあの仙人の様な恰好って

似合いすぎていて

「じゃあ、ちょっと行ってくるわ」と

言っているように見えたから。

病人の恰好から

急に旅立ちスタイルになったから

一気に違う心境になったように

見えたのです。