私が泣いた話


「泣ける2ちゃん」の本をブックオフで買った。

前から気になってはいたのだが

分厚ので、なんとなく暇じゃないと読まないだろうな

と言った印象だった。

だけど、今年の春はコロナで制限される事もあり

時間が思ったよりあるので、200円で買って

この本を読んだ。


本の中身はご存じの通り、

素人が2ちゃんの掲示板に

書き込んだ内容の物語。

2002年頃の話しが大半。

2020年の今、見ると18年も前の物だけど

なんの違和感も感じない。

本の内容に時間差もないのは

「泣ける話」だからなのか?


近頃の私は「感動する心」に掛けていたのか

何かを感じたい FEEL SO GOOD!

休日にどこにも行けないと言うのも

ストレスで!なにか違う世界を見たいを

思っていた。

そこで手に取ったこの本は

一週間ががりで読んだのだが

3回泣きました。感動すると言うか

乾いた心に潤いを下さった感じですね。

話しの内容は悲しいモノが多いのだけど

涙を流す事で、自分もスッキリするのって

あると思う。

私が今回、一番泣いた話を

書きたいと思うのですが


長くなるけどいいですか?


はい。いいのですね。(勝手に!)

では書きます。



「もしも車が話せたら その3」と言うカテゴリーに

あった内容の話しです。

主役は人間ではなく、車。

語っているのも人間ではなく、車。

タイトルは
「さよなら、たっくん」

霊柩車さんと言うハンドネームの男性が

書いた物語です。

その主役の霊柩車さんの性別は男性。


しかもオッサン。

ドレスアップしたヤンキー車に

「仲間か」と思われた事にプチムカ。

霊柩車さんが今回着いたお葬式会場は

住宅街で、子供が沢山いる所だったそう。

そこで、霊柩車さんに声を掛ける三輪車発見。

その三輪車の性別は男の子。

(三輪車だから、年頃は子供って

ストレートに入って来るね)

霊柩車様に「おじさん、おじさん」と言い

霊柩車様が足元に居る三輪車に気づくと

「今日はおもちゃの出る出番はないから

早く片付けてもらいな」と言う。

三輪車君は「たっくんが出しっぱなしに

したから僕、お家に入れないの」と言う。


三輪車のご主人のたっくんは

どうやら二日前から姿が見えない。

三輪車は、たっくんと遊んでいたら

突然、たっくんが外に飛び出して

大きな音がした。

そして今日は、おばあちゃんやおじいちゃん

お友達も沢山来ているのに

たっくんが居ない。かくれんぼかな?と言う。

霊柩車さんは、たっくんのお母さんを見つけ

あの抱いている箱の中で

たっくんは寝ている事を伝えます。

三輪車君は「たっくんだ!

すごい!おじちゃん、

どうやって見つけたの?

やっぱりかくれんぼだったんだ。

たっくーん。見つけた!出ておいでよ。」と言う。

霊柩車様は、「たっくんを責任を持って預かるぞ」と言う。

三輪車君は、たっくんと一緒に自分も連れて言って欲しいと

頼むが、それは出来ないと言われる。

その変わり、霊柩車様は

「俺と一緒にクラクションを鳴らして


もらえないか?」と頼む。

三輪車君が「分かった。お見送りだね。

僕、たっくんが幼稚園に行く時

毎日やってるよ」と言う。

霊柩車と三輪車の空まで届くクラクション。

三輪車君の「たっくーん!早く帰って来てね。

大きくなってレーサーになったら

一緒に走る約束、忘れないでねー!」






・・・と、大雑把に内容を書きましたが

私はこのストーリーが作り物にしても

本気で泣きました。

子供目線の三輪車君の発言。


その一言一言が、まだ人の死を理解していない

純粋さに心を打たれてしまいました。

大人が「亡くなった事」を伝えても(見せても)

この世から去ったと言う解釈にはならず

「かくれんぼ」していると思っていた所。

お亡くなりになった写真を見ても

「み〜つけた!」と言う無邪気さ。

火葬に向かう事は理解できないけど

「お見送り」は分かっていて

クラクションを鳴らす行動。

さらに死を知らずに

「大きくなったらレーサーになる約束

忘れないでねー!」と言う所。

悲しみの濃いシーンに

一際目立って子供らしさ全開の

この三輪車君の姿に

物語であって、車の話しだとは思っていても


もう泣けてしまいました。


三輪車のご主人さまが

いなくなったら、きっと三輪車の気持ちは

こういう気分なんでしょうね。

三輪車が話ている事が

もう普通の「たっくんのお友達」としか

思えて仕方ない。

そして、霊柩車様は

「いい愛車を持ったな」とたっくんの

三輪車君の事を褒めた。

こういう視点で「人の死」を

見つめる事も出来るもんなんですね。

この物語を書いた霊柩車さんは

自分の書いた掲示板の投稿が

載っている事は、すでにチェック済みなのだろうか?

まあ、もう18年も前の本だからね。

私がこの本と出会ったのが

この頃だから。時間差はある。

だけど、今、このタイミングで読んで

心を打たれるのって意味があるのかな。

もっと早くこの内容に触れていても

世の中が平和で、あまり響かなかったかも


しれないしね。


私も、モノには心があるんじゃないか?と

思った事があります。

・・と言うか、いつもモノには

自分の思いが入っていて

大事にしているものはやっぱり

長持ちすると思う。


持ち物同志が会話をしたりするって

もしかしたらあるかもね。

この霊柩車様と三輪車君みたいに。


私も、「もしも車が話せたら」と言う事を

考えたら、きっと前の愛車のクロの事を

主役にして書くなあ。

今度書いてみようかな。

人間の思いを代行して

視点を変えて内容を書くのって

見える世界が変わりそうだね。




私も霊柩車さんの「さよなら、たっくん」みたいに

心に残る文章を書いてみたいです。