母へ告ぐ


「ああ、今日は待ちにまった病院の友の会だわ」

母は 
お出かけスタイルに身を包み

鼻歌を歌っている。なんとも ごきげんだ。

私は送り迎えをする。


私の母は、子宮ガンと乳ガンでした。

私が学生の時に子宮を取る手術をした。

あれから15年経過。一度 命を救われた其の病院で

今度は左胸を取る事になった。


なんで、母ばかりこんな思いをするのだろう?

母は、もともと陽気な人物である。

「あら。悪い所を取れば生きていけるのよ。先生に感謝ね」

母は仕事を辞め、入院生活が2週間ほど始まる。

「明日、手術よ〜!」電話の向こうの声は明るい。

「なんで、そんなに元気なのよ!」私は洗濯物をたたみながら言う。

「だって、これで健康人間になれるじゃない。それにね、

病室の友達、みんな明るくて楽しくて、人形作るの教えてもらったの」

まるで、お泊り会のようなノリ。これは母の強さなのか?


私は翌日、着替えを用意して母の病室に向かう。

母は病室仲間と、楽しく会話をしていた。

「お母さん、ああ!良かった!麻酔から覚めなかったらどうしようと

思ったよ!」と言った。「あらあら、そんなに大きくなって

泣く事ないでしょ!!死ぬワケじゃない手術だったんだからね!」

私は、これで2度も母の命を救ってくれた、其の病院に感謝した。

そして「あれ?お嬢さんなの?お母さんに似ていているね。」

と言う声がする。私が振り向く。

「同じ病院仲間です!ちなみに私もガンだったの。ハラ切迫グループ

だから、隣の病室にいるよ。」と笑顔で話しをしてくれた。

私は、母の人脈に驚く。「AさんとBさんは乳がん。CさんとDさんはは両胸よ。

Eさんは胃ガンで、退院が1ヶ月先だから、私らの方が先に退院なの」


・・この様な紹介になるのは 病院ならでは!だろう。

みんな陽気に話をする。私は何故、自分が泣いているのか分からなくなる。

この暮らし、いいよね〜!食事は出てくるし。心強い仲間はいるし!」

「こないだなんてね、お見舞いに来た人らを、私らが慰めたんだよ!」

「そうよ。だって、取れば治る早期発見ガンの、私らだもん」

私は、幸せだと思った。そして病気の人って悲観的になると

思っていたのに、母を始め、こんなに前向きな人らに出会えて嬉しかった。

「健康人間は、人と戦うかもしれないけど、私らは病気と戦っているから

人と争う必要ないの。だから、みんな仲間なんだよね!」

私は、そんな母の子供に生まれてきて、幸せです。

「ずっと、ここに居たいね〜。みんなで穏やかに暮らしたいね」

そんな母の願いは叶い、1ヵ月後、反対側の胸も手術をする事になった・・・。


反対側の手術の時も母は、また陽気な病院仲間を作った。

そして、母は
「あなた、一番元気そうだから、1日早いけど、退院していいよ」と

看護婦さんに言われたらしい。

「ああ〜!!みんな、次の検診の時に再会しようね」と

母は名残惜しく、病院を去った。


あれから1年が過ぎ、母は病人らしさの かけら もなく

毎日、趣味に温泉に出歩いております。

みかりんは、せめて今くらいしか

親孝行が出来ないので

「病院 友の会」の送り迎えをしてます。

病気と三回も戦って、バカな私の親にもなってくれて

ママ、ありがとね。


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