従兄のお見送り 父方の従兄(60)が、他界した。 私には父方の方には7人、 いとこがいるのだが 今回亡くなった従兄は、一番年上で 私達、いとこの間では 「きくちゃん」と呼ばれていた。 きくちゃんは、子供の頃から 大きくて、面倒見のいい お兄ちゃんみたいな 存在だった。 13年前、きくちゃんのお父さんが亡くなった時と 同じ場所での葬儀。 あの時は、東大震災があった年の4月だった。 私は、送迎バスで通った道路に咲く、 沢山の桜の木を見て 「なんで桜の色がこんなに白いんだろう」と 思ったものだった。 急な坂道をどこまでも登っていく火葬場。 今回の葬儀も同じ場所。 秋も深まり、紅葉がキレイになってる坂道。 会場から見ると、真正面に見える木の葉が 黄緑色と赤でキレイに映えてる。 私達の悲しみと真逆に。 きくちゃんは、お嫁さんと二人で暮らしていた。 この数年は、足腰が弱くなったお母さんと 三人で暮らす日もあった。 私にとってきくちゃんのお母さんは 叔母さんになります。 今回、きくちゃんのお葬式で 久々にお会いした叔母さんは 本当に誰かに寄り掛からないと ちゃんと歩けない感じで 杖を頼りにしながらも 今にも倒れそうに歩く。 その姿を、お通夜で見ていた従妹が 叔母さんを支えながらお線香を上げるのを 手伝っていたと聞いた。 そして、今日は従妹が来れないので (私とすれ違ってしまった!残念。) 私が叔母さんの介護役になった。 幸いにも火葬場では、車いすを用意して もらう事が出来たので、 私は車いすを引いたり 叔母さんが立ち上がるのを 手伝う事になった。 勿論、親戚たちも 一緒に手伝ってくれた。 88歳の叔母さん。 昔は、気品ある印象の 叔母様だったのだが・・今は 一瞬、誰か分からなかった。 普通に「おばあちゃん」になっていた。 風貌も変わってしまって 叔母さんと言われないと分からない印象。 老いや、足腰が悪いのもあると思うのだが テキパキと動く、背筋のピンとした 叔母さんの姿はなかった。 そして、私は叔母さんを支えて 一緒に歩くのだが 手を掴むと力一杯に握るので 「結構握力あるんだな」と思った。 だが、それは握力ではなく 全身の力を入れて歩いたり 立ち上がったりする時に、人は 一番力を使うと言うのを知った。 今回、告別式の会場に着くと 朝一番にきくちゃんの火葬が待っていた。 私の弟は、仕きくちゃんのお棺の前に居た。 「今から仕事なので、火葬には出れないけど 火葬前にきくちゃんの顔が見れて良かった。」と 言っていた。 弟は「昨日、なんだか そういえば、きくちゃん、元気かな? 子供の頃、良くバイクに乗せてもらったな」と ふと、思い出していたと言う。 それが虫の知らせだったのか 次の日「亡くなった」と聞かされて ビックリしたと言っていた。 でも、私にはきくちゃんに関しての 虫の知らせは何も起きなかった。 死に化粧をされたきくちゃんは 本当に寝ているようだった。 「きくちゃん、朝だよ。起きて!?」と 私も声を掛けてみたが きくちゃんが目を覚ます事はなかった。 今回のお葬式は、私らの親戚が多く その中でも、私が50歳で一番ヤング。 また、奥さん側の親族は4名。 (奥さんのご両親、奥さん、妹さん) 奥さんは、きくちゃんと雰囲気が似ている。 似たもの夫婦だった。 そして、たった一人、きくちゃんの 学生時代からの親友も来てくれた。 「長野県に今、住んでいて 名古屋に出掛けていた所、きくちゃんの 告別式を知って、急遽来た」との事。 だから「喪服じゃなくてすみません・・・」って。 ええ!そんな。反対方向なのに 東北まで来てくれて有難い。 そして、時間になり 告別式が始まった。 みんな椅子に座り、お坊さんのお経を聞く。 その後、棺桶の前でみんな きくちゃんを囲み、 話しかける事が出来る 最期のお別れの時間。 私は、叔母さんの手をしっかりと持ち 一緒に歩いた。 「痛みがなくなったよ、もう楽になったんだよ」 「きくちゃん、がんばったね」 「おい!きく!! なんで早く病院に行かなかったんだ! この馬鹿野郎!!」 「仕事の事ばかり考えるな!」 「ゆっくり休んでね」 みんな涙声で話しかける中、私は 何故か何もきくちゃんに 声を掛けられなかった。 そして、「書いてもらったお別れの メッセージカード」や、折り紙の鶴、 その他、葉っぱの付いた花を きくちゃんの周りにみんなで置くことになった。 5〜6本にまとめられた花を きくちゃんの体に添えておく。 そして、叔母さんが涙ながらに 「きく!私を一人にしないで! なんで私を一人にしたの? これからどうしたらいいの?」と 声を張り上げて言った。 涙ながらに、きくちゃんに言った。 「きくはいつも優しい子供だった。 いつもお母さんに美味しい物を 食べてもらいたいって買ってきてくれた。」 力一杯、私の手を握り 力強い声できくちゃんに話をする その叔母さんの手から 悲しみが伝わってきて、 私も涙ボロボロ。 「きく!きく!! なんで私より先に 居なくなるの!!」 叔母さんが一生懸命、きくちゃんを責めます。 私はもう、これ以上聞いているのが とてもつらいです。 私は叔母さんと、きくちゃんの頭の方に居ました。 その時、みんなが置いてくれた花が 風も吹いていないのに、きくちゃんの 右側の肩の付近で、1本だけ揺れた。 私が涙目でそう見えたのではなく 本当に1本、白い花が揺れた。 誰も棺桶を叩いたわけでも 揺らしたわけでもない。 さらに、奥さんも泣きながら 「どうして私を置いて先に 死んでしまったの!?」 と言った後、さらに きくちゃんの右腕付近の花が 5〜6本、先程よりも 大きく揺れたの。花だけ。 私は「きくちゃん、ちゃんと聞いてる。 ちゃんとここで見てる」と思った。 奥さんと、叔母さんが その後も泣きながら話しかけると さらに大きく花が揺れた。 そこで親戚が 「ごめんって、きくちゃん言ってるよ」と言った。 この親戚は別に視える人ではない。 ただ、きくちゃんだったらそう言うだろうなと 言ってくれたんだと思う。 「じゃあ、もう本当にこれから先 ずっとずっと見守ってね!」と 奥さんが言う。 私は叔母さんと、奥さんの二人の 悲しみの方に気持ちを持っていかれて きくちゃんが居なくなった悲しみも 勿論だけど、残さた側の思いが 胸に痛かった。 そして、後から聞いたのだけど 母も、この時 「花が、きくちゃんの顔の方をめがけて どんどんズレていったよね」と思ったそう。 私だけがそう見えていたワケでは なかったのだ。 やっぱり、きくちゃん 体の機能は失っても 魂はそこにいるんだね。 花を使って、答えてくれたんだね。 叔母さんが話しかける時と 奥さんが話しかけた時、 揺れたのちゃんと見たからね。 私も最期にきくちゃんの額を触った。 本当に冷たくなっていた。 そして、棺桶のフタを閉じる事になった。 「もしかしたら、本人が起きるかも しれませんので、釘は打ちませんからね」 そう葬儀屋さんが言った。 お棺の中には、きくちゃんが バイクに乗る時に使っていた手袋も 入っていた。 そうだね、この手袋を手にして 起き上がるかもしれないよね! そんな事はまずないけど。 でも、さっき、花が動いたからね! なにか奇跡が起こるかも! でも、そんな事はまず起こらない。 こうして私達は、白い箱に入ったきくちゃんを 見送る事になる。 これが現実。 誰もが受け入れたくない現実。 無言のきくちゃんは、そのまま 箱に入ったまま運ばれていく。 きくちゃんが起き上がらないから 私達も泣きながら、後ろをついていく。 着いた先は、火葬場。 火葬場はどこも無機質。 大きな壁かと思ったら そこは壁じゃなく、火葬場のドア。 銀色の壁のドア。この先は 生きた人間は入れない場所。 そして、横を見ると ジジタンが火葬された時と同じ おもちゃみたいなリモコンがあった。 昔なら「家族何人かに、火葬スタートの スイッチボタンを渡され、一斉に押すから 誰かスイッチを入れたか分からない」と 言ってたね。 今は、業者が全てするみたいだね。 このリモコンのうちの どれかが火葬のスイッチボタンなんだろう。 銀色のドアが開く。 お棺がそのまま真っすぐ運ばれて すぐに閉まった。その後は また無機質なドアがドーンと 構えてるだけ。 閉まるドアを見て「ああああ きくちゃん・・・」と言って 奥さんがまた泣いてしまった。 銀色の壁の前にいつまでも 居れないので、 私達は待合室に向かう。 私は叔母さんの車いすを引く。 ペダルがやたらと重く感じた。 重い足取りで、待合室に向かう。 「きくちゃああああん」 奥さんが歩きながら泣いている。 ・・・私は、奥さんになんの 慰めの言葉もかける事が出来なかった。 この時、私は火葬場の待合室で見た 紅葉の色の鮮やかさは 忘れられない。 なんでそんなに色づいているの!? |