前髪を作ってから


32歳と言う年令は、+10才寄りにする事も、−10才にする事も出来る

大変器用な年令である。


年上には「教えてください」姿勢で、年下には「教えてあげる」と言う立場を

保っていられるある意味
ちょっと得なお年頃なのだ。(・・・って書かせてください。)

だから、
「好きな方に転がってい〜よ」と言われているようなものなのだ。

私はこの心地よい自分の年令を、どこに生かそうか考えた。

+10才は遠慮したいので、−10才になりたい。じゃあどうしたい?

自分に問いかけた。すると、答えは「髪形」になった。

−10才の自分になりたい。


カットハウスMMに変身させてもらってから、早2ヶ月が過ぎた。

今は5分もあれば十分スタイリング出来るようになった。

ゆる巻きヘアーは今時風を表すシンボルである。

とりあえず、
「目指せ叶恭子さん」ではなくなった私。(←笑おう。)

すごく視力の悪いお客さん(ご年配 男性)に

「松田聖子ちゃんみたいだね〜」と褒められた事もあったが

(↑ここは思いっきり笑ってやってください。)

良く見てほしい。それは
髪形が(ロングでクルクル)だから

なんとなく聖子ちゃんみたいに見えただけの話だ。

なんて嬉しい誤解なのだ。あのお客さんの顔は一生忘れない。

(・・・こう書くんだから本当に聖子ちゃんに似てるわけではないのだよ。)

話はそれたが、今 私がお手本にしているのはアダルトな大人ではない。

アイドル聖子ちゃんでもなく、ゴージャス叶姉妹でもなく

自分よりも10歳も若い女の子なのだ。



人は大人になるまで、大人をお手本にし、そう背伸びをしていくものだが

ある程度大人になると、今度は
年下から学んでいくものである。

これは誰もが通る道かもしれないし、受け入れられるかどうかは

個人の意識度に寄って変わるのだ。

何故なら32歳と言う年令は、「出来上がってしまった自分」を

方向転換するには勇気がいるからである。

自分らの世代で止まっているからである。


「今更、こ〜ゆ〜格好できないよね。」

貴方はあの、ハーフパンツを見たとき、
「あ〜、絶対無理!」って

言わなかっただろうか。私は言った。だって本当に無理だもん。

好きなスタイルじゃないのもあったが

その格好を受け入れられる柔軟性が、自分になかったこと。

でも同じ32歳でも「全然OK!」派もいるのだ。

そう、この意識があればまだ時代に乗っていけるのだ。

私はハーフパンツは無理だが、せめて髪形だけでも

少し時代に乗ろう・・・と思った。その意識が今の私の前髪を作った。

時代に乗るとは、−10才になる自分。

−10才とは、お手本になるのは22歳。


馴染んだ前髪のお陰で「頑張れば20代後半」と言われた。

−10才のつもりだったのだが、−5才だったのだろうか。まあいいか。

前髪を今時風に斜めに流している事で、私は得をした事がある。

まず、表情が柔らかくみえるらしいので

多少、イラついても前ほど気づかれにくい。

(きつく見えないらしい。)


緩やかな巻き方が、穏やかな気分を持たせる
(日もある。)

「若くみえるね〜!」と言われる。

そして、
次はこの髪形にしてからの外部の変化である。

前髪の分け方に注意してみよう。

つむじから顔に向かって分け目を作るか

顔からつむじに向かって分け目を作るか?

(後者は昔の7:3に分けていた(トサカ付き)昔の私である。)

この前髪の分け方、そして前髪の量を

厚めにするか薄くしたいか?で、

自分と世代が同じくらいかどうかが分かると言う

判断基準を勝手に作った。


私はMMにカットしてもらい、スタイリングをしてもらうまで

雑誌を見ても、自分で上手くできなかった。

「MM!どうやったら前髪がフワってなるの〜!?

私がするとならないの〜!」と私は2度言った。

自分の髪はパーマをかけない限り

サイドの髪が横に流れるのは無理だと思っていた。

だから無難なロングのクルクル巻きで安心していた。

冒険が出来なかった。それはどこかで

「あ〜ゆ〜髪形は20代だから似合うんだよね」と

思っていたからだと思う。

よほどのショックがあったお陰

私は時代になんとか乗る事が出来た。

女32歳。この
ヤングでもなく、TOO アダルトでもない年令

私にとって、今までの自分でいた事を

ちょっと省みてみようと言う

警告だったのかもしれない。

新しいモノを受け入れる必要性が

他にもある事を知らせているのかもしれない。


そう思いながら、今日も鏡の前で

つむじから前髪を作り、柔らかさを出す為に

ピンクのスプレーを振る私が居るのです。