ごめんね、ジジタン。


シフトを替えてもらって、やっとジジタンを

病院に連れて行ける!と思っていた。

しかし、ジジタンは朝からソファーの上から

起き上がってこない。

母が「もう行こう。起きて」と

優しく言っても無駄。

一応行くつもりなのか、ヒゲを剃り始めた。

だけど、出発時間を1時間過ぎても

起き上がらないジジタンに

私は腹を立てた。

「もう、本当にいい加減にして!」

頑固なジジタンの態度に我慢も限界。

怒りをぶつけてしまった。

唯一キャンセル出来ない検査の予約の日。

この予約まで蹴られたら、

もう好きにしてくれ。

私は勢い余って、ジジタンの見えていない所で

力任せにスリッパを投げた。


母は、私の態度を見てオロオロ。

私のイライラMAXに対し、今度はジジタンが

「じゃあ、もう行かねえ!!」と

切れたらどうしよう?と思ったらしい。

所が、ジジタンは

仕方なく起き上がろうとした。

私もビックリした。

私はケンカになるかと思ったから。

ジジタンは一人で起き上がれず、

母の手に手を引いてもらった。

そして、私が愛車のシロに乗り込んで10分後

ジジタンは、ゆっくり母に支えられ

後部座席に倒れ込んだ。

小さくなったジジタンは、横になっている。

「美香、じゃあお願いね」

母が言う言葉に、返事もせずに

シロを走らせる私。

バックミラーでジジタンの弱った姿を

確認したら、起き上がっている。

なんだよ、元気なんじゃない。

こっちは病院に「何度も行こう」言っても

行かないジジタンの態度に

ムカついてるんだよ!


無言のままシロは走る。

BGMのスーパーユーロビートだけが

この車内で浮いている。

車を走らせる事10分、ジジタンは

ひたすら窓から見える風景を見ていた。

遠い目をしている。

ずっと、ソファーから動かなかったから

車に乗せられて、行き交う車を見るのも、

「あの店の魚はまずい」と文句を言っていた

スーパーを見るのも、中学校の前を通るのも


青々とした山を見るのも、

目に焼き付けている感じだった。




そして、病院到着。

先生に診てもらった結果

検査入院をまたもや拒否。

「呼吸困難になって苦しみますよ」と言われても

ガンとして動かない
その強い意思に

私はますますムカつく。


私の、
待ちに待ったこの病院に連れ込みDAYは

一体なんだったのじゃ〜〜!


私の時間を返せ!ボケ!

再び、ジジタンを愛車のシロに乗せ

帰宅。途中、弟がペンキ塗りをしたと言っていた、

倉庫の前を通った時、ジジタンが母に

「ちゃんと見たか?」と声を掛けた。


「見たよ。あの牛柄のでしょ?」

「そうだ。それならいい」と言った。

そして、横になったと思ったら

またムクと起きだし、外の風景を見ていた。

ずっと寝ている方が楽なはずなのに

とにかく景色を見ていたいようだった。


自宅に付き、ジジタンは再び

母に支えられ、車を降りた。

そう言えば病院に着いた時も

入口から車椅子で入っていたんだった。

あの時、病院のボランティアの人達は

親切にしてくれたな。

そして、母の手を貸してもらい

ゆっくりゆっくり歩くジジタン。

私は深いため息をつき、シロにロックをした。

玄関に行くと、ジジタンが座り込んで

はぁはぁ ぜぃぜぃしてる。

私と目が合うと、ジジタンは


両手を組み、「お願い」のポーズで

ギュッと目を瞑り、

「ありがとう、ありがとう」と

言いたげに、頭を3回下げた。


でも、私は検査入院にならなかった事が

面白くなかったので

靴を脱いで、ジジタンのその行為に

プイと顔を向けて

スタスタと歩いてしまった。

ここで検査入院すれば、苦しくないのに!

点滴打ってもらって、ちょっと休んだら

家に戻ってまたビール飲めるでしょ!?

今だって十分苦しいんでしょう!?

それとも何!?まだゆとりのある苦しみなの?

私はひたすら、ジジタンに

イライラするばかりだった。



そして、2日後、事態は急変する。

私が仕事から帰宅すると、弟が居た。

ソファーの上で「苦しい」と言うジジタン。

母が困り果てて、私の弟を呼んだと言う。

所が救急車呼ぶにも、「イヤだ」の一点張り。

私は「救急車を呼ぶ前に」で

検索を掛けたら、こういうケースの為の

相談窓口があったのを知った。

「#7119」に電話をすると、

救急車を呼んでいいかアドバイスをくれると言う。

「本人が行きたがらない」のですが

どうでしょう!?と聞ける。

早速電話を掛けたが、繋がらない。


今、コロナだからみんな掛けているのだろう。

待つ事5分後、運よく繋がった。

掛りつけの病院がある事、

水しか飲んでない事、

歩けない事、

全て「緊急性が高い」ので

本人が嫌がっても、反強制的に連れて行って

もらえるとの事。

助かった!!

私は窓口の女性に感謝を込めて挨拶をし

早速119に電話をした。

弟はその時、「父ちゃん、もう救急車呼んだから!」と

言った。

父はこの時、初めて首を縦に振った。

私は「これでやっと入院出来る」と胸をなで下した。

これでやっと・・・私も母も楽になる。

これでジジタンも苦しくない。

ジジタンもここが限界だったのだ。


そして、生まれて初めて119番に電話をした。

「消防ですか?救急車ですか?」と言う問いから

やりとりが始まった。

電話を掛けてきたのは誰か?

運ばれるのは誰か?

住所はどこか?

熱はあるか?

このやり取りだけで10分は過ぎていた。

普通、119番回したら

「分かりました!すぐ行きます!」じゃないのか?

私は思ったよりも、質問が多い事に

「早く家に来て〜」と心の奥で叫んでいる。

ようやく、

「救急車の音が聞こえて来たら

自宅前で合図してください」と言われ電話を切った。




救急車が自宅に着くと

私は「家です」と知らせる為に

外に出ていた為、ご近所さん達が

「どうしたの?」と家から出てきた。

「お騒がせしてしまい、申し訳ございません。

ガンを患っている父が、苦しがってまして

救急車を呼びました」と軽く説明。

救急隊が3人、自宅に入る。

そして、ここで家族構成を確認される。

ジジタンの他、みんな熱が何度かチェックされる。

ここでもまたやり取りがあり、

すぐにジジタンを運んで、病院に運ばれると言う流れには

ならない。

ジジタンに「苦しいですか?」と聞かれ

酸素マスクをされた。

掛りつけの病院に、電話をされ

受け入れが可能かどうか連絡をしてもらう。

「許可取れました」と言われ、

やっとジジタンは担架に乗せられる。

ジジタンの意思は関係なく

このまま病院に連れて行かれる。

この時、
ジジタンは涙を流していたと後から聞いた。

この涙は「もう終わった」と言う涙だったのか

それとも「これでもうラクになる」と言う涙だったのか。


「救急車に付き添って

乗れるのは、お一人様になります」と

言われ、母が付きそう事になった。

私は弟を乗せて、病院に行く事にした。

6月28日(日) PM 8:30頃

救急車に乗せてもらう事に成功した。

「これで入院したら、まず検査だろうね。

少し入院して帰されたら、元気になるのかな」と私。

「う〜ん。それでも復帰したら奇跡じゃね?

それでも生きていたら、介護施設じゃない?」と弟。



救急車の後を追いかけるように

シロを走らせる。

「くれぐれも、姉ちゃん、救急車と一緒になって

赤信号無視するなよ」と言われる。

分かっているよ。弟は飲んでいたくせに

こういう所はしっかりしている。

道路を走っていると、救急車が私らの後ろに居た。

あれ?私らの方が早い?

赤信号で止まると、ジジタンを乗せた救急車が

私のシロを追い越して行く。

信号で止まっていた通行人が

救急車を見て振り返っている。

あの救急車が自分の父親が乗っているなんて

振り返っている人達には分からない。

他人事として、「救急車だ」と思っているだけ。

私だってそうだもの。

裏道ルートを弟に教えられ

救急車よりも先に私らは病院に着いた。

ああ・・夜景は綺麗なのに。

いつもなら、こういう夜景は

夜遊びの時に見る光景なのに

今日は気分が違う。

沈んだ暗い心に、夜の明るさ。

眩しい。



まもなく救急車が着き

緊急の入り口から

ジジタンは病院に運ばれて行く。

酸素マスク姿の父を直視したくない。

看護師さんと話をしている母の所へ

私達が行く。

ここでも「コロナの影響で、

お一人様が引き添いになります」と言われる。

車でちょっと待ってて欲しいと言われ

弟と車に戻る。

その間、親戚のおじさんや

従兄に連絡を取る私と弟。

この綺麗な夜空を見て

暗い気分になっているなんて。



母から着信があり、

警備室の方から、入ってきて欲しいと言われる。

弟と二人で警備室の方から

病院に入る。

そこで看護師さんが

ジジタンが暴れている事を聞かされる。

あああああ〜〜。私はガッカリした。

そこまでして行きたくなかったのか。

すると「違いますよ!酸素が足りなくて

苦しくて暴れているんですよ」との事。

そうなの?

「姉ちゃん、良く考えて見ろ!


姉ちゃんだって、仮に鼻と口を塞がれたら

苦しいってバタバタ暴れね〜か!?」


そうか、そうだ。

「それで、大部屋はムリなので

個室で入院になります」との事。

しかも監視カメラの部屋が埋まっている為

お母様は付添でお願いしたいと。

もしかしたら、今夜だけじゃなく

長期で一緒に居てもらうかもしれないとの事。

はい。了解。

その後、今日担当してくれる先生も

私達の所に来てくれた。

50代くらいの優しい丸顔の先生だった。

これで私と弟は帰宅する事になった。




22:00帰宅。

救急車で運ばれた時間が

夢のようだったように

静まりかえっている自宅付近。

私は一人、家で、コンビニで買った

レンジで温めると

塊が溶けて、汁も出てくるソバを食べる。

なんか・・脂っこくて美味しくない。

そこで母から電話が来た。

「ジジタン、落ちつて寝ているって。」

それは良かった。

「それでね。明日尿漏れパットを買って

持ってきて欲しいの。・・で、そのオムツは

横にペタってくっつくタイプなんだけど、分かる?」

「良く分からんが、薬局の人に聞いて

買って持って行くね。」

そう言って電話が切れた。

明日は休み。これでゆっくり休める。。

ジジタンがやっと病院に行ってくれました。

親戚のおじさんが「28日の月曜日

必ず病院に行って入院したいって言え!」と

ケンカして言ってくれた事が

ちゃんと現実になりました。

これで今夜からゆっくり寝れる。




・・所が6月29日に日付が変わった頃

弟が「姉ちゃん!」と外から呼ぶ声。

なに?とドアを開けたら

「父ちゃんが危ないって!

母ちゃん、何度も姉ちゃんに電話してるのに

出ないからって。

ドアを叩いても、
ぶん殴ってもいいから

姉ちゃんを起こしてすぐに病院に来いっ
て」

私は、ゆっくりお風呂に入っていた為

電話に気づかなかった。

そして、すぐに着替えてスッピンのまま

再び愛車のシロで、弟と病院に向かう。

先ほどの道をまた走る。

「ちょっと・・なんかすご〜くイヤな予感がする」

「もしかして・・もう病院に着くころ、父ちゃん

亡くなっているんじゃないかな」

そこで弟の電話が鳴る。

母からの電話だった。

「あいよ。母ちゃん、

今、姉ちゃんと車で向かっているよ。

まだまだ着かないよ!

だって今、家の団地の坂の下

走っているんだもん」

母はガッカリして「じゃあ、急がないで来て」と言って

電話を切った。

「ねえ・・ちょっと危篤で・・今亡くなったとか?」

「・・・そうは思いたくないなあ」

弟と深いため息をつき

車内にふさわしくないダンスミュージックを聴き

再び夜景の広がる病院に着く。



指定された病室に向かう。

3階のナースステーションで

看護師さん達に挨拶をすると

熱を測られる。

ジジタンを診てくれた男性の先生と

その横に若い看護師さん二人が

ナースステーション内に居た。

そこで、赤くサイレンの様に点滅しているパソコンが

私の視界に入ってきた。

これって・・もしかして?

ちょっとイヤな予感。

私と弟の熱が大丈夫との事で、病室に入る。

「ピーポーピーポー」とサイレンのような

呼吸器の様な機械が鳴っている。

酸素マスクをしたジジタンが

左目を半空きにして、私と目が合った。

「ジジタン!落ち着いてるんだね。大丈夫?」と

私が聞く。ふと目の前には

心電図の様な一直線になった緑の線。

あれ?もしかして・・このサイレンって・・。


「もう、ジジタンは亡くなったんだよ」


え。亡くなった?


弟がすすり泣きをした。


「電話した時、まだ家の近くだったから

言わなかったの」

そして、先ほどジジタンを診てくれた先生が

現れ、「ピーポーピーポー」の

音を消した。病室が静まり返った。

私と弟が到着した時間を死亡時間にしましょうと。

「6月29日。午前1時3分に死亡が確認されました」

と先生が言った。

ジジタンを診てくれた先生は、前回に

別なガンの所で1度、診てもらった事のある先生だった。

とても親切で、いい先生だった。


私はまだジジタンが左目が半空きに

なっているので、生きてるようにしか見えなかった。


・・・・ジジタンが、死んだ・・・


二日前、病院に来た時入院するって言えば

こんなに早く死なないで済んだんじゃないのか。

私は、2日前、ジジタンに切れてしまった事を

悔やんだ。

そしてジジタンが
「ありがとう、ありがとう」と

目をすごくギュッとして頭を下げてくれたのに

無視してしまった自分を悔やんだ。

私は、なんて大人気がないのか。


母は言う。

「あのね、ジジタン、ありがとうの一言も

言わなかったよ!」


ええ!そうなの?

「看護師さんが、お母様、どうか

お父様の手を握ってくださいと言われて

もう死ぬんだな・・と思ったから

ちょっと!あんなに私に苦労させておいて

ありがとうの一言も言わないで

死ぬつもりなの!?」と言ってやったと。

私は「そうなんだ」と言った。

弟は「父ちゃん。こんなに小さくなって

可愛そうだああ」と言って泣いている。

母と私は涙が流れなかった。

あっという間過ぎて、夢を見ている様な

現実。

「先生がね、言ったの!

それはドラマだけで、実際に

ありがとうと言う人はあまり居ないですよ。

それにそんな気力ないですよって。」

私は「そうなんだ・・」とだけ言った。

そして、死亡届の書類と、

今日入院した金額の件、パジャマの件を

看護師さんが話をしてくれた。

これは本当に現実の事なのか。



看護師さんは

ジジタンを綺麗にする為に

顔の髭を剃ってくれると言う。

髭剃りをしてもらえるのが

若くて綺麗な看護師さんで

ジジタンも嬉しいだろう。

私は「エンゼルセット」と書かれたその道具を見て

「これが亡くなった人」に使われるものか・・と

初めて目にしたのだった。

ジジタンは相変わらず、左目は半空きのまま。

私と目が合っている。

ジジタン、ごめんね。

優しい言葉も掛けれなくてごめんね。

いつも話しかけてくれても

素っ気ない態度を取っていて

ごめんね。

「今日も帰り遅いのか?」

「また夜遊びに行くのか?」

いつも私の返事は

「うん。そう」のみ。

もっと目を合せてジジタンと

会話をしなかったのか。

しかし・・悲しんでいる時間はなかった。


今度はジジタンの件を

葬儀屋に電話をしないといけないとの事。

葬儀屋は24時間営業との事だったので

私は電話を掛けた。

「夜分、申し訳ございません

実は家の父が先ほど亡くなりまして」と淡々と

話す私に、弟が泣きながら

「姉ちゃん(ムカッ)営業口調」とボソと言った。

(母が)葬儀屋の会員である事、

会員の人の名前、

亡くなった人の名前、時間、死因。

「はい。では其の病院に2時15分に

お迎えに上がります」と言われた。

今度はこの件を、看護師さんたちに伝える。




2時15分、ジジタンのお迎えの車が

到着したとの事。

葬儀屋の男性が病室に来てくれた。

私達と、先生、看護師さんが頭を下げる。

ジジタンを葬儀屋さんの持ってきた

担架に乗せる。

エレベーターでみんなで降り

ジジタンは今度は葬儀屋さんの車に

乗せられた。

コロナの関係で、故人しか乗せれないとの事。

ジジタンを乗せた車が先に向かった。

私達、先生や看護師さんが深々と頭を下げて

車を見送った。

私達が顔を上げても、先生たちは

まだ頭を下げたままだった。


外は暗くて、真夜中。

こんな時にサンサンと晴れている昼間より

気分と同一化出来て良い。


ジジタンが先ほど亡くなった。

親の死に目に会えなかった。

私の最後の姿はジジタンに

大変失礼だった。

暗い夜道、母と弟と私を乗せたシロは

文句も言わず、ひたすら走ってくれた。

ジジタンを乗せた葬儀屋さんの車は

もう先に行きすぎて

見えない。


葬儀屋に着くと、お葬式やお通夜の

日についての話し合いになった。

お坊さんはどうするか

葬儀屋の会場の空いている日は

「1日、2日」「友引の日はお休みです」

そうだね。お葬式に友引は

来た人が引っ張って行かれるって言うもんね。

悲しむ時間もないまま

話しが進んでいく。

そして「今日、午前10時に詳しい話を

しに来てください」と言われる。

私たちが帰宅したのは

AM4:00

もう朝日が昇っている。

こんな時間に帰宅するなんて。

ディスコに行っても、

せいぜい遅くて3時だったぞ。

色んな事が一気にあり過ぎて

色んな感情が出てきたが

いちいち自分の感情を味わって

いられない。

とにかく、4時間だけでも寝よう。

目が覚めたら、今日の出来事が

全て夢でありますように!


ジジタンが、いつものように

ソファーで寝てますように。


そして、朝起きたら

ジジタンに
「こないだごめんね。

ありがとう!って言って

手を合わせてもらえて

嬉しかったよ」と伝えるのだ。

勿論、笑顔で。