今、思う。


「ツイテル〜ツイテル〜」と何事についても言っているうちに

本当に私はツイテルな〜って思うようになりました。

斉藤一人さん、どうもありがとう!いつか講演会に行きますからね。


思い起こせば、ノー天気に思われる私ですが、

こう見えても25〜27歳は(大殺界期だったのでしょか。)

落ち込んでみたり、周りに振り回されて

自分が求めている物が分からなかったんです。


一番のメインは、女友達の変化でしょうか。これは結婚を意味します。

女同士って、環境が変わってしまうと遠慮してしまう面がありませんか。

年賀状の交換だけになってしまったり、いつのまにか疎遠になって

「昔の友達」と言う過去の存在になってしまう。

もちろん、そうじゃない友達もいますけどね。

ただ、この様な環境に身を置いていた私としては

「幸せをつかんだ友達」みたいに見えて

独身で、のほほんとブラついている私って一体・・・。

とブルーになってみたりしました。

女って環境に影響される生き物なんですね。

気づいてました?

女の成長を語り合う事って、10代の少女時代から

スタートするんですよ。

例えば。「(生理に)なった? (彼氏と)やった? 結婚した?」

大まかに言うと、女の成長とはこんな具合でしょうか。

私、今31だけど、これがあと10年くらいしたら

きっと別な視点で考えられるようになるんだろうな。

話は脱線してますが、

好きな事をしているのが現実逃避みたいに

思ったこともありました。


だけど。斉藤一人さんの本や、気分が明るくなる本に出合えて

私は「何気ない日常に、沢山 いい事がある」と言う事に

やっと気づきました。

ツイテル〜。と言えるようになったのも

小さな出来事が多いけど、その数が増えると

心が満たされるんですね。

満たされた出来事で一杯になると

人生 楽しい!って心の底から思いました。

きっと、25〜7歳だった頃の私は

満たされていなかった部分を

見つけていたんでしょうね。

何気ない出来事に 喜びを見つけられなかったんですよね。

盲点でしたね。


今より、肌の調子だって良くて、

今より、基礎化粧品にお金かからなくて

今より、出会いがあって

今より、着れる服も「許容範囲内」だったのに。

何故、惜しい事をしたのか!それはただ一つ。

自分の心が、別な所に集中していたんです。


でも、今は。

風邪が治って、体調も良くなってツイテル!

30過ぎても、遊ぶ友達が沢山いる。

踊りにも行ける。カラオケも行ける。

好きな時間が持てる。

夢を見ていられる。ホームページに来てくれるお友達は

みんないい人ばかり。

好きな服着ていられる。

そうやってツイテル事を挙げていったら

「あの頃、どうして気分が沈むような事を

考えていたのだろう。

暇だったのかな」と思いました。


そして、心に潤いがあると

生き生きしていられるんですね。


肌の調子と、表情が顔に出るのが

女の務めだと思うので

日常の生活で楽しい事を探していた方が

美人にみえるよね。

ツイテル事を沢山みつけて

幸せだな〜って思える日常が有難いです。

そして、不思議な事に

ツイテルと思い込んでから

出会う人達、友人らを とてもいい人だと感じます。



いいエネルギーをもらって

感化されているんだなあ。ツイテルなあ。

斉藤一人さんの本に出会えて良かった。

何気ない日常で、みつけた本。

やっぱり幸せって、

何気ない日常でみつかるんだね。



ツイテル連鎖反応で

周りに振り回されず、いつか幸せな結婚でも

してみたいですね。