H先生お疲れ様の会



私が高校を卒業する日

副・担当だったH先生は、私達生徒と

生徒の数だけいる父兄の前で

「なごり雪」を歌ってくれた。

アカペラで歌ってくれた先生の歌は

特に女子の私達には

「去年よりも ずっと キレイになった」と

いうフレーズが先生の気持ちがこもっていて

胸に響いた。

その後、生徒一人一人を教壇の前に呼び

短い挨拶を交わし、私は一緒にH先生と

写真を撮ってもらった。

(しかし、その写真は撮れていなかった。)

母も「カッコいい先生だね。」と言っていた。

そうなのです。H先生は

エレキギターも上手くて、私らの部活

(今で言う軽音部)も担当でした。

部活でのH先生は、


生徒のエレキギターの弦を

張り替えてくれた。

バンド活動の為に音合わせをしてて

近所の住宅からクレームが来ても

私達を怒らなかった。


また、学校にあったドラムセットは、

4階の物置に置かれていて

放課後になると

みんなでドラムの太鼓などを

一人1個ずつ持って、

階段を下りてきた。

女子の私らはいつも軽いシンバルとか。

男の先輩たちは大きな太鼓だったりした。

1階の私達の「活動できる教室」で

そのドラムセットは組み立てられる。

終わったら、今度はまたみんなで

1個ずつドラムセットをばらした何かを

手に持ち、4階まで階段を上がる。

結構な階段の長さだったけど

それが当たり前だった。


夏休み、「次、使う人の為に片づけないで

このままにしておこう」と話がまとまった。

ドラムセットを1階の教室に置いていたら

その後、練習に誰も来なかったとの事で

H先生が私達の代わりに

怒られてしまった。

それでも、H先生は私達には

「いいんだよ、気にするな」と

笑顔で言ってくれてた。

私達は、文化祭の時が一番の

活躍の場だったので

その優しい先生のお陰で

ステージでの思い出が出来たのだった。


★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★


あれから31年が経ち、

H先生が退職されると言う。

「ギター部(軽音部)の人達メインで

お疲れ様の会」をしたいと

お誘いをもらった。

私達の部活は、バンド系の部活。

ギター部と言う名前はついてるけど

ボロンボロンの方のギターではなく

ギューンと心臓を突く方のエレキギターの方よ!

(・・と、言いながらも私はギターのコードも

良く分からないまま、3年間歌って終わった。)


私達ギター部の部員は

私らより1個上の

男子の先輩達が一番多かった。

当然、校内では目立っていて

私がその先輩たちと

仲良くしてもらってたもんだから

良く「ねえ、B-Tのコピーの先輩たちって

何時から?」と言われた!!

「おい!その前に私の所のバンド聴きに来て!

そこで踊ってて!!」と言ったわ。

さらに文化祭の写真を見せれば

「欲しい写真に名前書いてね」言ったら

30人位名前書いたもんね。

おっと、話は逸れた。

そして、当時B-Tのコピーバンドの

ボーカルだったK先輩が

居酒屋をやってまして、会場は

K先輩のお店です。

今回、ギター部顧問だったH先生を

すでに日にちを決めて呼んだとの事でした。

私もお声がけしてもらえたんです。


そして、「先生の会」に

久々に集まった顔ぶれは、

私の1個上の先輩が8割。

2個上のY先輩が一人と、後は私で

合計11名が先生の会に集まった。

ほぼ変わりなく分かったけど

2名ほど分からない先輩がいた。

遅れてきた私の為に

一人一人自己紹介をしてもらいました。

また、H先生は卒業生の私らと


一緒に座っていると、

同化して見えてました。

今回、集合写真を撮りましたが

誰が先生か分からない位

H先生は若返ってました。

BーTのコピーバンドのヴォーカルだった

K先輩は、H先生と交流があったんだなあ。

31年経って、私らが高校を卒業したのは

平成の時。それも一桁の頃。

時間は流れ、今は令和。

家庭を持っている人達が大半になりました。

あの当時の人達との再会。

H先生が、実際は私達と10歳くらいしか


変わりなかった事にもビックリした。

こうやって、お酒や揚げ物、お刺身、鍋を囲んで

昔話に花を咲かせていると

確かに私達、50歳前後なんだなあと思う。


ふと、ここで懐かしの「卒業アルバム」が

登場!!


何故、このタイミングで?みんなビックリ。

どうやらK先輩が用意してて

置いててくれたらしい。

順番にそのアルバムが回ってきます。

ちょっと女子チームの所で

アルバムが渋滞してます。

その間、私達は先生達と

どこで働いているのか、

どこに住んでるかなど

話をしていた。

懐かしい名前のあの人は

「行方不明」と言われたりする。

さて、私達の所にもそのアルバムが回ってきた。

私の1個上の人達の

当時の懐かしい顔ぶれを見る。

アルバムを開いて思った。

「あれ?これ本当に私らの1個上?

私らのじゃないのか?」って。

その位、1個くらいの歳の差では

大差がないのね。時代背景が。

はい、古いんですよ〜。えへへ。

今見ると、平成4年の卒業アルバムって

髪型も顔もみんな、今時の高校生と違う!

スポーツ系女子は、ショートカット。

それ以外は何故かロングヘアー。

男子は、ずっと見ていると

みんな短髪で爽やか系が多い。

今みたいに加工アプリもない時代に


この位、若さがあって女子も肌艶良いから

やっぱり天然の若さって貴重なんだわ!

と思った。(BBAの発言だ。)

一人一人のショットも良いけど

この歳になって

「わああ!いいなあ」と思ったのは

普通に授業を受けてるショットとか

部活をしている当たり前の日常。

「写真撮るよ〜」と言われて

ポーズしてるんじゃなく

何気ない日常の一コマみたいな

カメラ目線じゃないようなショット。

それがいいなあと本当に思った。


あんなに楽しい時間を

特に私は放課後、楽しい先輩たちと

過ごせたんだなあと思って来たら

本当に幸せなスクールライフだった。

(私、遠い目をする。)



あの学校と言う括りの中に居たから

許された事。

若いから、高校生だから、と

甘えていた事。

社会に出ていないから

世間も知らずに居れた事。

所が、
社会人になって

世間様の厳しさを

思い知らされるようになった事。

学生時代、目立っていた人は

社会人になったら有名になると

言う事はほぼなく、普通に働いている事。

(有名になったらアーティストだね。)

私は勉強しないで

赤点ばかりで補習に通う冬休みでした。

あと、隠れてバイト。

(↑バイト禁止の学校だったんです。)

それでも、許されたのは学生だったから。

社会に出てから、私なんか

生意気だから叩かれたもの。


みんなそうやって大人になるワケかも

しれないけど、今、振り返って

高校時代を思うと

「本当にパラダイス!!」

特に部活は歌って踊って

毎日音楽に囲まれて

ワイワイ賑やか。

あの生活が当たり前だと思ってた。

全てを受け止めてくれた先生の存在も。

私、この日はアルコールなしなのに

そんな卒業アルバムを見て、


時間の流れを感じたら

「心は一つ」!!

「気持ちはずっとみんな繋がっていた!」

そう思えて泣きたくなった。

青春時代の真っ只中に居て

悩みと言ったら、好きな人とか

趣味、友達関係、勉強くらいだったけど


そこで思い悩んだ思い出さえ

何事にも代えがたい。


絶対、お金を持ってる今の自分の方が

楽しく、自由も利いてる生活なのに。

お金も、自由も利かなかった

15〜7歳の生活だったけど

限られた中で、思いっきり楽しめた

あの自分も可愛く思えてきた。