ジジタン、フォーエバー


2020年、7月2日(木)

今日はジジタンの火葬と、お葬式の日。

AM10:00に会場に入る。

ジジタンの黒縁の写真は、喪主の弟が持つ。

母は位牌を持つ。

私はジジタンのお骨を入れる箱を持つ事になった。

椅子に座って、大きなスクリーンに映るジジタンを見る。

春、夏、秋、冬を表す背景が、時の流れなのか

ジジタンの時間は止まったまま。

静かに聴こえるBGMの音色は、

実は、会場スタッフが本当にエレクトーンを

弾いている音楽だった。

素敵な出演をありがとう。

お通夜の時のお坊さんが入ってきて

親戚一同は合掌する。


「礼拝」

と言われて、目を閉じたまま頭を下げる。

「お直りください」と言われ元の体制に戻る。

お坊さんのお経を読まれ、私達もその本を

渡される。相変わらずの二部合掌。

お経が終了すると、お坊さんが帰る。

この時、また合掌する。

私はここまでは平常心で大丈夫だったのだが

ここから先は、後から思い出して

文字を打つのがキツイ。


「最期のお別れです」と言われ

私達は棺桶に入ったジジタンの前に集まる。

用意された綺麗な花の山を

「皆さんで、好きなように置いてください」と言われる。

私はピンクの大きな百合を手にした。

親戚のおばさん達が、ジジタンの肩に花を置いた。

私はジジタンの左目がうっすらと開いているように

見えた。震える手で私は百合の花を

ジジタンの右耳の横に置いた。

「ジジタン・・・・・ごめんねぇ」

私が泣きながらそう言ったら


母が私を見て、涙目になり「バカ」と言った。

それを見た義妹くーちゃんが

「お義父さん、私もきかん坊だったから

ごめんなさい」と言って泣き出す。

そんな私達を見て、叔父さんが

「兄貴!天国で先に酒飲んで待ってろな!

俺もそのうちケンカしに行くからな!」と

泣きながら言っていた。


一番、ジジタンと言い合った人達だけが

泣きながら話しかけていた。


親戚たちがみんなでジジタンに

花を置いた。

「ジジタン、冷たくしてごめんね。

優しい言葉をかけれなくてごめんね。

ジジタンが守ってくれてたから

私は結婚出来なかったよ。」

私は泣き泣き言った。

私の横には
ちぇりが居た。

ちぇりと、妹のゆなは小さいので

ジジタンの姿が良く見えない。

手を伸ばして、一生懸命花を置こうとしている。


棺桶の横に、ちぇり達専用のお立ち台があったので

「ちぇり、これに乗って花置いて?」と言った。

すると、
ちぇりは泣きながら

「いやだ〜〜!!いやだ!!

じいちゃん、いやだああああああ!!」

と言って、その場から逃げようとした。

みんなに取り押さえられ、ちぇり

お立ち台に上げられ、泣き泣き

ジジタンに花を置いた。

ゆなも乗ってジジタンに花を置いた。

ゆなは、お姉ちゃんのちぇりが泣いても

泣かなかった。

口をギュっとして、じっとジジタンを見ていた。

私は「
ゆな、泣いてもいいんだよ」と言っても

ゆなは無言で首を横に振った。

棺桶に入ったジジタンは、

良い所に導いてくれるお地蔵様と一緒に

花に囲まれた。

昨日まで綺麗に見えた白の着物が

今日は、ちょっと光って見えない。

どうしたのだろう。花の方が華やかだからか。

これからジジタンは、みんなに見送られ

火葬に向かう事になる。



フロアの前には、霊柩車が止まっていた。

外は、昨日の大雨と違って清々しい青空。

風が頬を通り抜ける。

くーちゃんが

「お義父さんが通った風みたいだね」と言う。

そうだね。私もそう思ったよ。

大人4名に持ち上げられ、ジジタンの入った

棺桶が、霊柩車に運ばれる。

私達はマイクロバスで向かう事になる。

今はコロナの影響で、霊柩車も

ジジタンだけで、お連れ様は乗れませんとの事。

マイクロバスは、通常だと24人乗りだけど

コロナウィルス感染拡大予防との事で

12人乗りになった。

私は自分の車で何人か乗せて

霊柩車の後ろを走ってもいいと思ったが

「お骨」を持つ事になっている為

バスに乗る事になった。


窓際に座り、外の景色を見ると

いつもと変わらない見慣れた風景。

普通に買い物に来る道路。

晴れた空。平日の午前中。

ジジタンの入るお骨の箱を

隣の席に置き、私は出発を待つ。

やがて、お葬式会場の広い駐車場に

霊柩車の長いクラクションが

響き渡る。

葬儀屋さん達が深々と

頭を下げている。

まだ鳴り止まないクラクションの音。

悲しみを背負った音が胸に響く。

ああ・・・本当に火葬場に向かうんだな。

私達を乗せたバスも動き出した。


一週間前なら、何も変わらない日常。

一週間前なら、ジジタンが入院したら暫く私は

お見舞いに通うんだと思っていた。

そして、また元気になってビールを

朝から飲んで過ごすのだと思っていた。

所が、現実はこれからジジタンは

肉体が無くなる火葬。

仕方ないね。このままジジタンを

凍らせておくわけに

行かないし。

亡くなったんだから、焼かれるしかない。

みんな言っていたじゃない、

火葬する前までは泣いたり悲しむけど

骨になってしまったら、諦めつくって。


うん。確かにそうだった。

少なくても、ばあちゃんの時はそうだった。

骨になったら、もう肉体はないから

悲しみも薄れるのだろう。と思っていた。

そう思えた方がラクと思った。


火葬場に到着。

お骨を入れる箱を持ち、私もバスを降りる。

ロビーの前には、
火葬をする為に使う

銀色の台車がジジタンを待っていた。


私は、この台車の存在に

圧倒されてしまった。


なんて無機質なんでしょう。

熱に強そうな作りの台車ですね。

3分の2位は、棺桶を置くスペースで

残りの部分は、ボタン操作の場所。

このボタンを私は直視してしまった。

パッと見、UFOキャッチャーをするみたいな

明るい色使いのボタン数個。

それと、左右に動く針らしき物。

シンプルな作りに見えるけど


亡くなった人間を焼く、

重要な仕事をしてくれる車。

この台車の上に、棺桶に入ったジジタンは

置かれた。

スタッフが台車を動かした。

私達はその後を着いて歩く。

ロビーから、火葬の入り口はすぐだった。

銀色の
温かみもぬくもりも無さそうな

印象の大きなドアが目の前にある。

このドアが開くと、火葬が始まる。


これで本当に最期のお別れとの事で

私、母、弟家族がジジタンの棺桶の前に

集まる。

先ほど、泣きながら声を掛けたので

私も気が済み

「じゃあね。ジジタン。」と手を振った。

銀色のドアが、真ん中から二つに分かれた。

無機質な台車が、その中に入って行く。

それを見た
ちぇり

「じいちゃん、いやだああああああ!!」と泣いた。

ちぇりの鳴き声に

台車の動きが止まる事もなく

そのまま進み続けた。

その後、静かにドアが閉まった。


ジジタンは、本当に肉体がなくなってしまう。

ジジタンは、熱で焼かれてしまう。

さようなら、ジジタン。


そこから先は私達には

見る事は出来ない。



火葬の時間は約1時間半との事。

私達は待合室で待つ事になった。





待合室に向かうと、新幹線の見える景色と

綺麗な自然の山の色が

心を落ち着かせた。

広い窓一面に広がった(それこそパノラマ)

青い空を見たら、

ちょっと晴れた気分になってきた。

火葬される所から離れたら

ちぇりも泣きやんだ。

火葬場のあの雰囲気と、台車の

醸し出す雰囲気がダメだった。

だけど、場所が変わると

私も気分が変わった。




1時間半後、火葬終了の連絡が来た。

先ほどの台車の上に、

棺桶無しの、骨だけになったジジタンが居た。

箸を渡され、誰か一人、骨を取ったら

隣の人にその骨を一緒に持って

お骨入れに入れる事になった。

トップバッターは私と、
ちぇりになった。

ちぇり、はい。箸で掴んでね」と私が言うと

ちぇりは「うん」と言って

ジジタンの一番大きな足(くしぶし辺り)を

渡し合った。

そして、お骨箱に入れた。

真っ白い太い骨は、健康だった所らしい。

細く脆くなっている部分は弱っている所らしい。

足の方から骨を入れて行くらしい。


後は、順番に箸を回しあい

各自骨を取って、お骨箱に入れる。

3周回った所で、本当に砕けた骨だけになった。

その細かい骨をほうきとちりとりみたいなので

まとめて、お骨入れに入った。

スタッフの方が、最後に

「頭」の方の骨を置く説明をしてくれた。

「こちらは、本来だと、のど仏です。

のど仏の骨の形が横にしてみると

仏様の姿のように見える事から

そう呼ばれてります」と説明された。

「こちらは側頭骨です」

「こちらは左耳と頬の辺りですね」

白くなった薄い骨を見せられ

ジジタンの顔の位置を説明された。

お骨にジジタンの骨はまとめられた。

そして、お骨箱は白と黒の風呂敷で包まれ

私に渡された。

「意外と重いですよ」と言われた。

本当だ。先ほどはもう少し軽かったけど

骨が入ったから重くなったんだね。

私は、ジジタンの入った箱を両手で

抱きかかえ、バスに乗った。


そして、ここから先

私は不思議な感覚に包まれる事になる。


バスに乗って、再びお葬式会場に向かう。

梅雨時なのに、今日は本当にいい天気。

私はジジタンのお骨を、隣の席に置いた。

抱きかかえていた時、お骨に暖かさを感じた。

さっきまで冷たくなっていたジジタンが

温かくなってきた。

燃やされたからね・・・と言えばそれまでだけど。

なんだか、人のぬくもりを感じるのは

私がオカルト女だからだろうか。

さらに、バスが走りだして席が揺られると

どんどん、私はジジタンと二人で

どこか旅行にでも来て


バス(か、電車)に乗っている感覚になった。

しかも、
ジジタンは左の足を組んで

深緑色のシャツと、グレーのズボンを履き

メガネを掛けて、私の方を向いて寝ている。

そんなヴィジョンが頭に浮かんできたのです。

私は、お骨に入ったジジタンの

温かい体温らしきものを感じながら

ジジタン、私の隣で疲れて寝てると思った。

そして、私はこれからお葬式会場に

再びこのお骨を抱きかかえて

持ち歩くのだ。

もしかしたら、私の腕に包まれたくて

お骨を私に持たせたのかな?と思った。

もしそうなら、
来生、生まれ変わったら

私はもう一度女で生まれて

ジジタンが私の子供になって欲しいと思った。

私の子供として生まれたら

病院に行きたくない!とグズっても


強引に連れてる。

言う事を聞かない、もうどうしようもない

と、諦めなくてもいい。


ただ私は子育ても、(介護も)

出来ない女だろうから

ジジタンが私の子供として生まれてくるとしたら

かなりのチャレンジャーだね。


いつまでも夜遊びしてるかもしれなし。

まあ、「私の子供になりたい」と思ってもらわないと

無理な話ですけど。(笑)

その時、旦那になる人って誰?

男運悪いから(たぶん生まれ変わっても

あまり変わらないだろね私。)


旦那は居なくていいか!(笑)

そんな事を考えながら、まだこれから先も

因果応報は続くと思うと

また会えるね!と希望が持てるのです。

やがてバスがお葬式会場に到着。

私はまだ温かいジジタンのお骨を

しっかりと両手で抱きかかえた。




お葬式は、喪主の弟の挨拶も

堂々としていて

(でも、かなり手が震えていたと言った)

少ない睡眠時間で良くぞやり遂げでくれた。

そして、最後に「孫の
ちぇりゆなから

お手紙」と言うものを

式の中に入れてもらえた。

ちぇりゆな

マイクの前で手紙を読む。

「じいちゃん、いつも遊んでくれてありがとう。

じいちゃんは優しくて大好きでした。

畑で作った野菜も分けてくれたよね。

美味しかったよ。ありがとう」

泣かないで話せた
ちぇりの姿に

涙を見せなかった母ですら泣いた。

ゆなも「じいちゃん、いつも

あそんでくれて、ありがとう。

じいちゃんが、いちばん だいすきです」

小学生の二人の姿に

私も感動した。子供ながらにも

一生懸命人前で話をしてくれて有難かった。

そして、私や母たちには

「面倒なジジタン」と思う面が多かったのに

孫たちにとっては「優しいジジタン」として

存在していたので、ギャップはあるけど

いいじいちゃんで良かった。

・・「じいちゃんが一番大好き」って

ゆな、有難う。


私はジジタンが亡くなって

悲しい事よりも、後悔が多く残った。

子供の頃は大好きだったけど

いつのまにか、真逆の感情になってしまった。

後悔している事は

ジジタンに「ごめんね」と言えなかった事。

優しい言葉を掛けてあげれなかった事。



そして、踊る私をジジタンが見て


「何かに憑りつかれた怪しい踊りをする娘」と

言われた事じゃ〜〜!


もう、今更どうしようもないけど。

だけど、45年間愛情を有難う。

ジジタンが居たからこそ

成り立っていた事が沢山あったよ。

私はジジタンの娘で良かった。

どうもありがとう。

そして、昔ほどの大好きはないけど

ジジタン、好きだよ。




そして、本当に


ごめんね。