BOOWYを聴いてた


この頃の日記にも、散々書いたんですけど

私、BOOWYが好きで今でも聴いてます。

こないだBOOWY特集を観てから

私も1987年にタイムスリップ!

そして、2022年の今、スマホがあるお蔭で

40年以上前の事も知る事が出来て

今更ながら、色んな事を検索して

「そんな事があったの!知らなかった」と

言う感動を繰り返しながら、

毎晩ユーチューブなどを観てます。

そんなこんなで、私も昔を思い出したので

ちょっと書いて見ます。





当時 中学1年生だった私は

「マリオネット」を聴いて

すぐにファンになりましたよ。

中学生になって、BOOWYの曲に触れて

私の人生も転換期を迎えたのです。

今までのアイドルを聴いてた小学生とは違う。

一気に大人の曲を聴いてる気分。

周りにいる同級生は対等だけど

学校の先輩たちはとても大人に見える。

環境が変わったと共に、私も変わりました。


吹奏楽部の人達も、この曲をやっていて

バドミントン部だった私は、朝練で

校庭を走っていると聴こえてきて

朝からご機嫌でしたね。

また、中学生は感受性豊かな年齢であって

毎日が楽しいのと、いつでも新鮮でしたね。

文化祭の時に、3年生の先輩が

BOOWYのコピーバンドをしてたのも

衝撃的でした。わああ!!って。

「ホンキー トンキ― クレイジー」もやってくれて

同級生のお兄ちゃんがボーカルでしたが

そのお兄ちゃんの姿もカッコよく見えましたわ。

初めて聞く、ロックのギター、ベース、ドラム。

掛け声の「ヘイ ボーイ ヘイ ボーイ」が印象的でした。

なになに?こんな世界があるの?とバンドを見て思い

BOOWYにすごく興味を持ったのです。


13歳は、とにかく何でも輝いて見えてる!

1つか2つしか違わないのに、

天地ほどの差を感じる中学生。

バンドをしている姿自体、

違う世界の人に見えたのです。

一般の中学生が違う世界の人なら

本物のBOOWYは、もっと違う世界。

もう手の届かないバンド。

私は、生まれて初めての彼氏が中1で

中3の彼氏が出来ました。

その彼氏からBOOWYのLPレコード(←時代だね。)を

カセットにダビッてもらったり、

当時は「LAST GIGS」が出たら

「GIGS」はもう無くなるんだって。と言われた

そのLPもダビッてもらいましたね〜。

BOOWYのコピーバンドの

先輩たちとも仲良しだった彼から

バンドの様子を垣間見せてもらったり、

清く正しい男女交際を

致しておりました。

(はい。当然私、その当時は処女です。)

雑誌情報しか、BOOWYを知る事が術がなく

あとは、ひたすらダビングしてもらったカセットを聴いて

「彼がもうすぐ卒業しちゃう〜〜〜」と泣きながら

BOOWYの曲を聴きまくってました。


特に彼が好きだと言ってた「ファニー ボーイ」を聴いて。

当時、この彼にはBOOWYのアルバムを全部

カセットにダビングしてもらい

そのカセットを、今度は私が友達に貸す。

音源がどんどん「孫」になってく・・・そんな感じで

BOOWYの曲をみんなで聴いてました。

そもそもテレビに出てこないBOOWYは

当時の私には「アイドルがテレビに出てて

大人っぽいバンド系(影の人・・・と言ったら変だけど)は

テレビに出ないのだろうな。」と思ってました。

なので、BOOWYの歌う姿を見たのは

「GIGS」のビデオでじっくり拝見しました。

はい。このビデオもダビッてもらいましたが

今はないです。


それこそ、1986年の12月24日に

BOOWYが解散する事になったのを

知ったのは、年を明けてから。

1986年に、マリオネットが流行ってる頃に

BOOWYを知って、ファンになってすぐに解散。

情報源は「友達が本で読んだ」と言う事だけ。

ボーカルに氷室さんも、すでに結婚していたらしく

私がその事を知ったのは、中2だった。

同級生のメンズから「オレ、とくにファンじゃないけど

氷室さん結婚してたの知ってたよ」と言われた時

ショックだった。なんかね、歌っているイメージと

曲の印象しかなかったからね。

そういう私生活面って言うのは、あって当たり前だけど

当時、中学生の私には「ステージの上の氷室さん」って

いつでもどこでも「BOOWY」のイメージのままだったんだね。

でもまあ、私には2個上の彼氏も居たし。

現実は私は当時中学生だから、

どうでもいい事なんだけどね。


ただ、ティーンエイジのショックは

こういう所でも響くんだな・・と今になって思う。


本当にあの当時は、BOOWYに限らず

バンド系の情報を入手するには、「PATI PATI」や

「バンドやろうぜ!」みたいな雑誌を読むしかなくて。

そんな背伸びした雑誌を買えるようになると

自分も大人になった気分になってた。

だけど、もうBOOWYの歴史とか

曲の事などを読むページってなかった気がする。

でも、「BOOWY」の「LAST GIGS」

いわゆる解散ライブってのは

みんな知ってて、「来年の4月に二日間あるんだって〜」

「今度は氷室さんソロになるんだって〜」と

そんな感じだった。

私はお金もなければ、ライブに行けるような身分でもなく

・・と言うか、東京ドームでライブって

中学生の私らには規模が大きすぎて

ただ漠然。それよりも、今はBOOWYの昔のアルバムを

ひたすら聞きながら、彼がもうすぐ高校生になってしまう現状。

その悲しみは、BOOWYの「CLOUDY HEART」で

♪終わりは当たり前のように来るものだし♪の歌詞で

え〜んえ〜ん泣いていた。

別に別れたワケでもないけど、

もう学校で会えなくなるのと


一緒に自転車を引きながら歩いて帰る事が

出来なくなるのが悲しかったの。(←今では信じられん)

後からこの「CLOUDY HEART」の歌詞の意味が

氷室さんが上京してきて、1個年下の彼女が

高校を中退してまで着いてきてくれて

当時1万3千のアパート?に住んだのだが

ほとんど彼女に養ってもらい、その彼女が最後には

他の男性の所に行ってしまったと言う歌だったと

知った。この後の「MEMORY」が、続編と言われてたらしいね。

中学生の私とは、全然背景も状況も違うけど

♪あんな日はもう二度と来ない気がして♪と


言う所で、私は毎日ボロボロだったの。

氷室さんの歌詞も、実生活を元に

作られていたのを知ったのも、実は私は最近。

そんな理由は知る事もなく、中学生の私は

悲しいと言う所だけ、気分を重ねて泣いていた。

でも、私は彼にはそんな事言わなかったよ。

受験生だったしね。勉強で忙しいだろうから。

そして、月日は流れて、彼は高校生になり

私は中2になった。去年まで騒いでいたBOOWYは

解散しても、私らの間ではまだまだアルバムの曲が

熱く鳴り響いていた。

高校生になった彼は、BOOWYのコピーバンドを

していた友達らとも付き合いは続いていた。


そして、彼と会った時に

「コピーバンドの友人らが、BOOWYの

LAST GIGSチケット取れなかったけど

会場の外で聴いてたよ」と言う話を聞けた。

ええ!うそ!!東京まで行ったの??

私はそこで思ったのは

「さすが高校生」と言う事。

高校生になれば、東京まで行けるのか。と思った。

(47歳の今の私は、一人で新幹線に乗る事が


ないまま生きてきた女なので、改めてその行動力を

素晴らしいと思う。)

私が一番ビックリしたのは

「ライブが終わった後、BOOWYが

出てくるのを目撃出来たんだって。」

おお!!凄い!

所が凄いのはここじゃないのだ。

「チケット取れなくて、外でずっと聴いてました。と

言ったら、
まことさん(ドラム)が

笑顔で握手してくれたんだって。」と聞いた事。

ええええ!!うそ〜〜!!凄すぎる!!

「なんかね、みんなで仙台から来たんです」って

言ったらしいよ。って。

まことさんって、福島出身らしいよね。

だから余計、東北人の彼らに優しかった?と思ったけど

そんな事より、氷室さんとは握手出来なかったんか?

そこはスルーだったのだろうか?←

でも、今となって思うと、

彼の友達らだけが、そうされたワケじゃなく

沢山会場に入れなかった人達も居て、

「あ!!出てきた!」って

裏の出入り口みたいな所で?

待ち伏せしていた人達が

タイミング良く握手出来たのかも。

でも、彼の友達たちは、


いい思い出が出来て

良かったね。

・・・と、言う大昔の事を思い出したよ〜。

「輝き続けるBOOWY」をきっかけに。