バンドブームだった


私は「高校生になったら

バンドをしてみたい」と

思っていた。

中学3年生の時に、

ある男子高校の文化祭に行った時

彼らがバンドをしていて、

その姿に心を打たれたのもある。

最初から最後まで参戦していて

後半がすごい盛り上がって、楽しかったの。

女子高校生集団が、盛り上がっていて

その中に私と友人らも混ざって踊って、

全然知らない高校生バンドだったんだけど

ボーカルの人が、一生懸命観客を盛り上げてくれて

「はい、おぅ、れっつごー!このノリね。

さあ、ご一緒に!」

私らも釣られて

「はい、おぅ、れっつごー!」と言う。

「はい、おぅ、れっつごー!

ここね、この「おぅ」は

「ごぅ」でもいいんだよ」と言って、

その彼のノリと、リズムとキャラにやられた。

その体験をしたから、余計「私もやりたい!」と

思ったのね。


その男子校の文化祭。

2〜3曲歌い終ると、

次々と違うバンドが出てきた。

勿論BOOWYのコピーも

多かった時代だったけど

なんだか、みんなカッコよく見えた。

「バンドをやってる人」=イケてるメンズ!と言う図式。

ヴォーカルは歌が上手いし、

ギターは目立つし

いつも、ベースの人は

縁の下の力持ちって感じ。

ドラムの人は音程を大事にしている、

それがどのバンドも共通なのだろうな〜と

思って見ていた。

そして、そんな中 一人で・・・・

「バンド」とは違うカラーの人が

1曲、やろうとしている。

ギターを持って、

口元にはハーモニカが針金のような物で

くくりつけられてた。

スタンドマイクの前で、歌う演歌調の曲と

黒縁のメガネを掛けた、マジメな青少年の姿は

異様に見えた。・・と言うより
異質に思えた。

(後から、この彼は「長淵ファン」で、彼を真似ていたと

私が成人した後に知った。)


彼が歌う「巡恋歌」は

今までのノリノリの曲調とは違う「自分に世界を

どうぞ見てください」感が漂う。

曲を歌い終えたと思うと、

今度はハーモニカを

吹いている。

なんとも一人三役と言った所だろうか。

聴いた事のない曲だったし、

この「女子達よ!!男子校にようこそ

いらっしゃいませ!!」と言う文化祭で

何故に失恋ソングを選んだのか?

中学生の私は理解出来なかった。


何故なら、その当時は「ボーカル、ギター、

ベース、ドラム(後はキーボード)」と言うスタイルが

メインと思っていたからだと思う。

色んなバンドがあって、

当たり前なんだろうけれど

当時の私には「ちょっと違う?」と思えた。

だけど、スゴイ存在感があった。

バンドをしているイメージの人とは

真逆だったからね。

みんなダイエースプレーとかで

髪をおっ立てて、ちょっとカッコつけてた感じでしょ〜。

そんなバンドなどを見続けた、

よその学校の文化祭。

後の人生で、私がその「文化祭」の時に

バンドをしていた人達と出会ったりするなんて

この時は思わなかった。




その後、私は「バンドをしたい」理由で、

其の高校を受験し、なんとか合格。

この高校に入ると、
部活がバンド活動になるのよ。

いわゆる「軽音部」って言うやつでしょうか。

それが一番の魅力だったの。

入部と共に、バンドメンバーが出来るシステム。

そこで意気投合した同級生同志が

バンドチームになるの。

先輩たちとも過ごす楽しい学園生活が

15歳の私には待っていた。

もう、毎日が楽しくて、頭に花が咲いていたよ。

そこに集まる人達は、基本「同じ趣味」の仲間。

しかも、好きな音楽は多少違っても

みんな感化されて、何故か

「先輩たちのやってる曲」が

好きになったりする。

一番、音楽に敏感な世代だった事もあり

私らを取り囲む環境は、いつでも音楽紛れ。

CDやカセットは常備持参。


私は歌う役割だったけど、エレキギターも覚えたくて

友達のギターを触らせてもらったりしたよ。

ギターは6弦もあって、左手が一番端の方まで手が

伸びなかったり、左手のピックの位置がズレて

変な音したけど、アンプを通して音が出ると

すごく嬉しかったね。



そして、高校生活も半年も経つと

先輩たちの「友達」と言う人達と

私らも交流を持つようになれてね。

その人達もみんな楽器が出来たり

バンド好きな人達ばかりだった。

次々と、色んな人達とお友達になれたよ。

やっぱりみんな「類友」と言う事もあり

打ち解けるのも早くて、「友達100人すぐに

出来る!」と本当に思ったね。

「今度☆★※でライブするから」と

先輩たちに言われてば「はい!」と従い

繁華街まで行く。

「学校の友達呼んできて!」と言われれば

仲良しお弁当仲間をライブハウスに連れていく。

高校生で、放課後部活動しているだけだと思ったら

それは「バンドやりたて」の私らだけだったの。

男子の先輩たちは、巷でちょっと有名な人達だったので

普通にスタジオで練習とかしてるの。

電車に揺られて、知らない路地裏を歩いて

初めてそこに連れて行かれた時はぶっ飛んだ。

なに!?この世界!?

防音室みたいな、白い壁がボコボコしている空間に

ドラムセットがあり、アンプもある。

各自持ち込んだギターやベースで音を出す。

学校で、練習しているのと違うのよ。環境が。

だってそうよね、そこはスタジオだもの。

普通にギターをケースに入れて

背中に背負っている先輩たちの姿は

「BOOWY目指してます」そのモノ・・と私には見えた。

また、ある時は「◇◆◇◆でライブする」と言われ

いつもの様に、部活(バンドメンバー)で着いて行ったら

「あれ?前も居たよね」と女子高生に声を

掛けられた。隣で一緒に踊って仲良くなったりした。

そうやって他高の人とも仲良くなって、

どんどん「友達&音楽の輪」が大きくなっていった。

この年齢って、「趣味が同じ」とか

「好きなバンドが一緒」と言う一つの共通点だけで

すごく仲良くなれて、「仲間意識」もあるんだよね。

それが集団になれば「連帯感」まで出来上がって

最後には
「観客とバンドの一体感」が待っている。


そうそう、私らはバンド(部活内)で

彼氏や彼女になる人達が多かったんだけど

私の場合、校外にギター弾きの彼氏が出来たの。

(前、付き合った彼とは終わった。)

私は学校を出ないと、逢えない彼氏。

みんな同じ所でバンド&デート出来るし

その点は、羨ましかったな。

だってこの時代って、連絡取るのに

自宅に電話したり、掛けたりするんだからね〜!

親の目は気にしないといけないわ、

しかも私は親子電話じゃなかったから


自分の部屋に電話なくて、苦労した。

私、公衆電話好きだった。

彼氏に電話する為に、夜、自転車で

公衆電話に駆け込んだ事もあった。

だからね、同じ学校で毎日会える人って

連絡が途切れる不安も少なくて

いいなあと本当に思ったね。

だけど、本当に世の中狭くてね

色んな人と「友達の友達の友達」で

回り回って、みんな繋がったりしたの。

その一つに、私が校外のギターの彼氏出来た時

私がその高校の文化祭に行った時

彼や、彼の友達がバンドやってるのを

どうやら私は観てたみたいなの。

さらに、彼のバンドで「ドラム」を助っ人として

入っていたのが、私の高校の先輩だったりしてね。

だけど
、あの時異質ムードだった

「巡恋歌」の男子高生については

共通する人は居なかったな〜。



部活(バンド)の話ね。

「このバンド好きな人だけで

組もう!」と言って、

メンバー入れ替わったりする事もあり

「基本は、学年同志のバンドだけど

BUCK−TICKが好きな人だけが

集まるバンド組もう!」とかね。

基本は「学年ごとのバンド」をメインに

それぞれ好きな人同士、

好き勝手やりましょう!みたいな。

そこが自由で、許される環境だったんだろうね。

それはそうよね。だって高校生バンドだもん。




それでね、今回こうして色んな事を書いて

思い出した事があったの〜!私の

M先輩と言う(女性)の親友のYさん。

このYさんは、校外の人で

ご両親の仕事の都合で

群馬県と宮城県を行き来していた女性。

彼女と私は

(毎度お馴染み先輩の)ライブで出会っていたの。

私の隣に居て、タンバリン叩いて

「派手に踊ってる、派手な姉ちゃん」と

言う印象で良く覚えていたの。

そんな派手な姉ちゃん(と言っても一つしか

歳は変わらない。)から

突然、家に電話来たの!!


「え?誰?」って感じよ。

「私、こないだライブで隣で踊ってたYっていうの」と。

私がM先輩の後輩で、

「なんかさ、私と気が合いそうだから」って

言う理由で電話を掛けてきたと!!

なんじゃそりゃ!嬉しいぞ!?

今みたいに個人情報も

うるさくない時代だったしね。

それで、まともにしゃべった事もないのに

しかも、私にとってYさんは

好印象と言うよりは

「・・・ちょっとなあ」と言うタイプだった。

最初はね。派手だったし。

(←後から聞いたら

私も派手に見えてたらしい。笑い)

だけど、共通する人達の話しをして楽しかったの。

ノリノリでね、明るくていい人だった。

最初のイメージも崩れ、

ただ踊り狂う仲間になったよ。


それから暫くして

Yさんの家に遊びに行くことになったの。


聞けば、Yさんも群馬の高崎でバンドしてた女性で

ヴォーカルとキーボードだったんだって。

ここで、敏感な人はもうお気づきでしょうか!

「群馬の高崎市」と言えば!!

「BOOWY!!」ですよ!!

氷室さんたちの出身地ですよ〜〜!

さらに言うなら、「BUCK−TICK」は

BOOWYの後輩ですよね。


当時、私はその事はうっすらとは知っていたものの

Yさん自体が、また私らの周りにいるキャラとは

ちょっと違った感じで、お水っぽかったのよ。

(私が高校時代、「お水っぽい」と言われたのは

このYさんの影響か?)

17〜8歳にしては色気もある(ように見えた)Yさんが

「私ね、群馬にいたんだけど

BUCKーTICK(以下 BーT)の打ち上げで

メンバーと一緒にお酒飲んだ事あるよ〜」と

言ったのよ!!

ええ!?なにその世界!!よね。

きっとどこかの居酒屋で

打ち上げしていたB−Tの側で

Yさん(と、友達ら)も和気あいあいとして

一緒に飲んだだけなんだろうけど

当時、高校生だった私には衝撃的過ぎた。

あまりにも現実味がない世界の話だったし。


だけど、「群馬県出身」で「群馬にいた」から

まあ、本当の話なんだろうなと。


私は、バンド活動と言う名の部活に行って

私は「YさんのB−Tの話」をした。

なんだか、Yさんの親友M先輩はすでに

知ってた件で、「Yはね、積極的だからね。

そうそう。ディスコにも一人で行ける人だよ」と。

おお〜〜そうなんだ。よし、今度連れてってもらおう。

じゃなくて!!

令和の今のように、ネットが普及していたり

どんな事でも検索してすぐに情報が

入手できる時代じゃない時に

「B−Tと飲んだ」と言う話は、

雑誌情報よりも、有力で凄い!と思った。

だってこんな身近な人がね。

群馬県はアーティストが多いから

余計なのかな?それとも宮城県にいると

そんなきっかけや出会いはないのかな。と。

高校生の時は、行動範囲も狭いから

余計に「芸能人とお酒飲めるなんて

本当なの?嘘じゃなの?」とも思った。

やっぱり、遊んでる人は色んな話を

持ってて、楽しいよね。と思った。







当時、高校生だった私は

「バンドがしたい!」

「バンドが好き!」

「そこで歌ってみたい!そこで

踊ってみたい!」と強く思っていました。

そんな思いが通じて

私の知らない世界を教えてくれる人達が

沢山出来て、毎日がキラキラしてました。

まさに「青春の真っ只中!!」

私はきっと、校内1、学校生活を

楽しんでいたと思ってます。

まさか、30年近くも過ぎて

鮮明に高校時代を思い出せるなんて。

私もまだ脳みそ、大丈夫ですね!!


ああ。あの当時の「BANDに夢中」の人達

元気かな・・。

BOOWY観てたら、タイムスリップしてしまって

こんな内容のHPが出来上がりました。