思い出話。


人は、何かのきっかけに、当時の事を思い出す事がある。

それが、どんなに遠い記憶でも、自分にとって充実した時期なら

今でもリアルに思い出せる事があると思う。


布袋さんの「秘密」を読んでいたら、「バンド」の話で胸が熱くなりました。

BOOWY時代の事を読んでいたら

当時のアマチュアバンドの人達の顔が、沢山思い出してきたのです。

布袋さんの書いたバンドの話が、私の昔の記憶を甦らせる。



BOOWYは、私の学生時代に良く聴いた音楽でした。

もちろん、
私らの世代の「バンドブーム」では BOOWYは解散した後だったけど

「BOOWY」は、カッコいい!
と みんなが言っていて、

私達の世代に「バンドのコピーと言えば、BOOWY」と言う感じだった。

BOOWYの音楽だけは中学の頃からみんな持っていて、カセットをダビングしてもらい、

音が「孫」になっていても気にならなかった。

高校1〜2年の当時の私は、バンドをする部活に所属していた事もあり、

毎日が
楽しいお祭り騒ぎだった。

授業は上の空。「ね〜、早く部活に行きたいね!みんなで

音合わせしたいね」「うん。先輩達のBOOWYのコピー聴いた?文化祭の時は

フルメイクするって言ってるから、すごい楽しみだよね!」

「高校ってさ〜、
好きな男の人の存在と やってみたかったバンド活動の為にあるんだよね」と

休み時間になると、隣のクラスのWちゃんと、ベランダで話をしていた。

高校に入学すると、
私の成績は下がる一方。

いつも部活に燃えていた。

何故なら、その部活にはいつも音楽があり、笑顔があり、仲間が沢山いて

みんなで踊り狂う放課後だったから。




当時の私は、バンドをするのも、見るのも踊るのも好きで

「ライブ、土曜日あるけどチケット買わない?」と声をかけられれば

バンド関係(・・・って言うより、部活の友人)らの分まで買っておいた。

(一枚300円。これは、バンドをする人達のスタジオ代と言う事で、

バンドをする人に金が行くような仕組みになっていたよね)

当時 私らの間では男の先輩は、ほとんどBOOWYをコピーしていたし

当時の部活の先輩は、完全に布袋さんを目指していて、
ダイエースプレー

完全に髪の毛をおっ立てて、動作もギターをはじく指先も、布袋さんのコピーだった。

一方、ヴォーカルの先輩は、完全に氷室さんを目指していた。

そんな中で、女の先輩が「山下久美子」をコピーしていて、そこで初めて私は

久美ちゃんの「Rock Me Baby」を知る。そこから私は
久美ちゃんのモノマネに凝る。

成績がガタガタと落ちて、補習に通う冬休みだって、どうってことなかった。

帰宅時間が遅くたって平気だった。ギターやベースを貸してもらって、

家で一人で音を鳴らしているとすごく満足感に浸れた。

「外出、外泊、夜遊び禁止の令」が出て、親子喧嘩もしたけど

学校の先生や友達達は、私に優しかった。




「ライブの打ち上げ、楽しみだね!」「こないだ来ていた、先輩の友達、カッコいいよね〜

次回、会えるかな?」いつも、
バンドか男の話!暇だったのでしょうか。でも

同じ趣味と活動をしている同士と言うのは、必ず 

何処かのお披露目の場で会うようになっていた。

もっとも私らの場合、
ライブハウスより、学校の文化祭であることが多かったのだが。


友達関係も男女を問わず、「バンドやってる」とか 

「ライブに行くのが好き!」って言う人達が

次々と増えてきて。今で言う、合コンをした時も
(当時は「紹介」って言ったんですぅ)

集まった男子もバンドしていて、「ライブのビデオ」って言って、

自分らの活動を見せてもらったことがあった。

すると、私の先輩の友達がドラム叩いていたりしてビックリ。
「世の中狭いね〜!」と

あの当時、何人の人達と言い合ったことか。


このように布袋さんのBOOWYの内容を読んでいると、

当時 
私らも夢中になった出来事を思い出すんですよ。

もしかしたら、いや、もしかしなくても私達も高校の頃、

いつも放課後 楽器をならしたり、マイクを通して声を出してみた時に感じた、あの

感覚を 布袋さんように、共感していたのだと思う。


本当は布袋さんの本の感想を書きたかったのだけど

脱線してしまいました。次回、布袋さんの「秘密」についての

感想文にお付き合いくださいね。