あの世もこの世も一緒?


久々に「オカルト」の話をしてもいいでしょうか?

今、このHPを書いているのは2023年8月4日(金)です。

この真夏の蒸し暑い中、オカルトの話って

個人的には最高なのです。

しかも今日は「一粒万倍日」と言い

今日始めた事などは、

大きくなって返ってくる日らしいのです。

じゃあ、私は「eラーニング」の仕事の勉強を

しましすかね。今1年目なのでこれを継続すると

大きく仕事運として私に返ってきますからね。

おっと!何を私らしくない発言をしているのだ?

でも、不思議だけど、


仕事関係の勉強をしている時期って

人間関係で悩んだり、

これは「最悪な展開になる」と

思う事には無縁になれませんよね?

むしろ、試験対策にバッチリな環境になったり

するんです。これって、

後ろの人のお陰?(守護霊)でしょうか。

そうそう。書きたいのは、「オカルト話」なのです。

・・と行っても、上記の内容とは違うのです。

今回書きたい内容は!「あの世もこの世も

同じみたい」と言う話なんです。



先日、面白い本をお友達から貸してもらいまして。

しかも宮城県仙台市出身の元・警察官と言う

「坂東忠信さん」と言う人の本。

「あなたがここに転生してきた理由」と言う

タイトルなのですが、どうもこの本を読んでると

「あの世もこの世も同じみたい」と言う

印象を受けるのです。

この作家の坂東さんは、

刑事事件などで、仏様になってしまった人と

24時間過ごした話やら、死ぬ間際の人間を

仕事柄沢山見たとの事で、

その話を書いてるのですが、

どんどん惹かれていきます。

そして「人は死んだ後、どうなるんだろう」と

言う事を考えてきたそうです。

色々研究をした結果、

「魂の入れ物の体」を抜けて

魂だけの世界に行くと。

肉体があったからこその第5感を

(視覚、聴覚、嗅覚、感覚、触覚、あと

直感を入れると第六感になるのですね。)

感じられなくなるはずなのに

こういう部分、冴えるらしいです。

しかもこの世にいた時は、この肉体を

まとっているので、

自分と他の人の区別がありますね。

これがこの世に生きてる時には

実は便利みたいですよ。

肉体があると言う事は

自分と他人の区別があると言う事で

魂むき出しじゃないから

本心を見せないで済むそうなのです。


「本音と建前」を使い分けていても分からない。

本心は「面白くない」と思っているのに

笑顔でいると、他の人には

分かられなかったりしますよね。

(年齢を重ねると見抜けるけど。)

こういうのが、
魂だけの世界に行くと

全て本性モロバレになるそうです。


「騙そう!」と思って下心で近づいてくる人も

何も言わなくても、すぐに見抜けるそうです。

・・と言うより、
もう自分も他の人(魂)も

全てむき出しになってるので

分かりやすいらしいです。

敵意を持っている人には近寄らないし

そもそも自分が

そのような気持ちを持たなければ


いいですしね。

この世と一緒「類友のいる所」に集まり

好きなように過ごせて、楽しいらしいです。



あの世は

魂だけの世界だから、考えている事も分かるし

(バレルとも言う。)

繋がり合う世界で、毎日心地よい人達と一緒に

居たければ居れるし。一人になりたいなら

なれるし。自由自在。

本当にパラダイスなんだろうな、と。



だって良く言いません?

「あの世は、思った事が

すぐに実現する世界」って。

「そこに行きたい!と思った瞬間に

もうその場所にいる」とか。

物体のない想念の世界らしいですけど

いくらでも飲んでも食べても遊んでも


疲れないから、眠る事もないって。

死んだらもう、そもそもの体が無いってね!

でも、思いの世界で生きれるから

どんな事でも可能らしい。

私がもし、今の年齢であの世に行っても

「私、肉体年齢19歳です!」と思えば

19歳の容姿で行けるらしいよ。


この肉体を脱ぎ捨てたら、

勉強も仕事もしない生活で居れるのか・・・

私、きっとあの世に行っても

踊れる所に行くだろうから

そこで踊り疲れても、帰宅して寝る事

しないで済むのか。

「みんなでシャンパン飲もう!」と思えば

シャンパン空けて飲むんだろうね。

踊りたくなったら、好きな曲でみんなで

盛り上がって踊る。

あら、今の生活と変わらない。

・・・と、坂東さんの本を読みながら

私も思いましたよ。

所が!所がなのです!!

ここから先が重要なんです。



魂だけの「あの世」に行っても

実は限界があるとの事です。

一瞬、私「?」ってなりました。

あの世って、無限になんでも出来る、

永遠の世界じゃないの?

なんでも叶う、

欠けたるものなしの世界じゃないの?

この「限界がある」と言う言葉は

私も様々なオカルト本を読んできましたが


初めて聞きましたので、

私は食いつくようにこの本を読みました。

あの世にも「限界がある」と書いてあったのは

どうやら、自分のこの世で体験した事や

知っている事は実現できるけど

それ以上の事は、自分には想像が付かないので

無理だと言う事でした。


坂東さん曰く「古い外車が好きです。あの世でも

ここのボタンはこうで、そのスイッチはこうで」と

分かっている自分に対し、例え車屋で働いてても

興味のない人はその車の性能の良さも


分からなければ、スイッチがそこにあったのも

気づかないだろうと。


その様な車に興味のない人にとっては

「それ以上」の事が分からないので

想像する力も乏しくなるとの事。


そもそも車自体に興味がなければ、

あの世で「クラッシックカーに乗る!」とは

想像しないでしょうけど。

なので、「なんでも叶う」と行っても

この世で自分が体験したり、知った事
以上の事は

出来ないらしいのです。


さらに「ハーレム作って女性にモテモテになりたい」と

願ったとしても、
自分のその欲求に応えてくれる

相手の魂が居なければ叶わないそう。


この世で「ハーレム作る」と行って頑張った人なら

そのノウハウを知っているから、


あの世でも活用して、女性をはべらかす事が

出来るってことね。

そう聞くと、ハーレムをあの世でも

実現させる為には、この世で学ばないと無理。

この物質の世界と、ネットの世界が普通にある

令和の時代の日本で、色々生前勉強をしておかないと


あの世に行っても、自分の実力以上の事は

望めないし、叶わないって事なのか、と

思ったのです。

さらに、もっと書きたい事は

この後、続きます。

興味あったら付き合ってね。

「おとぎ話」と思ってもいいから!