哀愁の夏


真夏と言う熱気も、日々に薄れていく。

空が高く、ひまわりは下を向き始めた。

今年もこの時期が来たか。


学生なら「夏休みの宿題」に追われる8月下旬。

小学生の時、国語の教科書に

「入道雲に乗って、夏休みは終わってしまった」と

書いてある詩があった。

この時、2学期の始まりだった私は

「夏が終わった。次は私の誕生日」と思っていた。

しかし、秋生まれと言う女性らは

何処か影がある。


それは夏の様な、開放的な感覚から

静けさを感じさせる季節に切り替わる

クールダウンが、そう思わせるのだろうか。

31回、同じ季節を生きていたが、毎年 この時期は

日に日に哀愁を感じさせる、切ないシーズン。


水着の跡が、体に残る事は まずない。

浴衣と祭りより、
スイカとうもろこし

心奪われて過ぎていく暑い日々。

日傘は、永遠の私の友達。

花火大会は、帰宅しながら見るだけで良くなった。

毎年この時期だけ聴くTUBEとサザン。

10年、こうして車のお供にしていると

この夏のBGMは

カラオケのデェエット曲「もしかして パート2」と同じ位

定番曲扱いになっている。

自分もさんざん露出していたくせに

自分より若い人をみて

「あれじゃ、私を襲ってください」って

アピールしているみたいよね?と

ピチピチ肌を羨ましがったり。


売り場に居て、もうすぐお盆が終わるから

団体さんが少なくなっていいわ〜と思ったり。

私にとっての夏の背景の

海とプールは、車で聴くBGMと同じ扱い。

ちょっと季節感を出す演出の為に

存在している。


余談だが、私にとっての季節感とは

涼しげに色を乗せた爪の先だ。


・・・なんて醒めた女なのだろう。

年齢を重ねる度に来る、このブルーな夏はなんだろう。

これは、世間で言うバイオリズムなのだろうか。

いや、違う。答えは出ている。

私の誕生日が迫っているからである。


もう、戻りたくても戻れない。

後戻りできない。このまま進むしかない。

そう、入道雲に乗って

私の31歳は終わってしまったのだから。


哀愁の夏。

何処か 人が恋しくなる夜があるのは

年を重ねたせいでしょうか?