ジジタンの一周忌の準備


ジジタンが他界して、そろそろ1年が経つ。

お坊さんのお寺に行って、

法事をしてもらう事になるらしい。

一周忌って言うやつですね。

これが終わると、次は三回忌の時にまた

法事があるらしい。

無知な私は「一周忌、もしくは三回忌の

どちらかに法事をする」と言う事を知らなかった。

今は、コロナ禍だから

今回の一周忌は引き延ばして

「三回忌の時に法事をする」と言う人も

いるらしい。

だけど、
親戚も年寄りばかりだと、

三回忌に法事をしたいと言ったら

「体が動かない」と言われる可能性もあるので

一周忌の方がいいと言う意見もあると言う。


でも、これは親戚を呼ぶ時の話なのだろうか?

一周忌は親戚を呼ぶけど

三回忌あたりからは、家族だけになるとか

その家族によるんでしょうかね?



法事をするのも、初めてなので

なんだかワケが分からないまま

ジジタンの一周忌の準備をする事になった。

まずは、お寺関係の人が家を訪ねて来た。

「〇△□と言うお寺のモノです」と挨拶をされた。

その人が言うには

「お寺のお坊さんは、檀家が沢山あるので

今回の一周忌の法事も、

段取り良く進めたいとの事。

なるべく早めに日にちを決めて欲しい。」

と、言う内容だった。

このような法事の場合、命日の月より

前に実行しても(変な日本語だ)

問題なしらしい。

それで、ジジタンの命日は6月だけど

一か月前の5月でもいいだろうと

5月で進める事にした。



弟が言うには「土日だと、

法事は集中するだろうから

姉ちゃんが休みの平日に

合せる」と言ってくれた。

それがいいかも。

みんな世間一般的には、土日に

親戚が集まりやすい。

さらに、今回はコロナ禍と言う事もあるし。

ジジタンの一周忌は

親戚を呼ばずに、

私と、母と、弟の三人だけで

良い事にしようと話がまとまった。



お寺からもらった「用意してもらうモノ」の

一覧を見たら「位牌、写真、霊膳、花、果物」と

書いてある。

これらは私らが用意して

お寺に持って行くらしい。

母曰く「葬儀屋さんに相談しよう」との事。

(そうそう、
地味に私も終活をして

自分が死んだ時の葬儀を出す会員になった。

支払も済んだので、一件落着。)

直接、葬儀会場に相談に向かう事にした。



その日、晴れた休日。

私は愛車のシロで母と二人で

その葬儀屋に向かう。

駐車場は一杯で、喪服の人達が

沢山いる中、私と母は普通の恰好で

ロビーの中に入る。

相変わらず綺麗なシャンデリア。

広い空間の中に、お葬式の受付を

している人の姿。

スタッフの人達。

ここに来ると、ジジタンのお葬式の時

私らの親戚が集まった事を


リアルに思いだし、その時の

心境まで蘇ってくる。

私はスタッフの人に声を掛け

「法事の件でしたか。では受付の所で

ご説明します」と案内された。

いわゆるインフォメーション。

そこはショッピングセンターのような

360度どこから見ても

パッと見、分かると言うような

明るい場所ではなく、

まるで従業員専用の出入り口。

冷たいコンクリートの壁に備え付けた

小さな小窓。

ここでやり取りをするらしい。

ひっそりとした受付だった。



「法事の件でご相談に来ました」と

伝えると、椅子のある席に案内された。

・・と言っても、先ほど通って来たロビー。

その空いているテーブルに掛けて話をする。

行き交う黒いスーツ姿のスタッフ。

喪服姿の見知らぬ人達。

こういう場所にいると

誰のお葬式でも

ジジタンの時のお葬式の時と重なってくる。

同じ感覚&心境を思い出すのは

きっと、法事でここに来る人達は

誰もが同じ事を思うのではないだろうか。


母がお寺からもらった書類を渡し

スタッフの女性が、カタログを見せる。

「料理のコースは、こちらになりまして・・」と

説明をされた。

この料理とは、法事の時に

ジジタンにお供えとして置くらしいのだが

最終的には、この料理はお坊さんが食べるらしい。

私は、お坊さんのとジジタンの分と

2膳用意するのかと思った。

今回は1膳だけでいいらしい。

それで、今回は三人だけで法事なので

私らの食事の分は不要にした。

当日AM9:00に、お寺で拝んでもらって

それで終わり。

そういうコースで決定している。



これが、会場を貸してもらって

親戚を呼ぶとなると

大がかりになるとの事。

場所代は、ここの葬儀屋の部屋を

貸してもらう事になる。

さらに、親戚の人数分の料理を用意する事になる。

ちなみに料理のコースは、

5,300円、6,900円

7,500円とありました。

例えば6900円コースに

親戚の人数10名とすると

食事代だけでも7万円。

飲み物は別料金かな?

アルコール飲み放題とか

カラオケ屋みたいに

ドリンクコースもあるのかな?

私はどこまでもお金が続く事に

改めてビックリした。

これがコロナ禍じゃなかったら

普通に親戚を呼んでいるんでしょうか。

親戚が多かったら、もっと盛大(?)で

お金がかかりますね。現実的問題。

気遣いもするわ、神経すり減りそう。←

呼ばれた親戚もタダじゃ来れない・・って思うよね。

花を用意しないと!とか。



人は死んだらそれで終わり。と言う事はない。

死んだ人の人生が終わっても

残された人達の中で、
どこまでも

死んだ人のその後の
行事が続く。

それと同時にお金もかかるよ。

だってお坊さんにも

お布施金を払うんですからね。

生きているだけでもお金がかかる。

死んだら死んだでお金がかかる。


私も死んだら、
最低一周忌をまかなえる位の

貯蓄まで残してから死んだ方がいいのだろうか。

と、今回相談に来て本気で思った。

自分が死んでも、跡取りもいないし

お金残す事ない!と言う発想は

この際却下ね。

まあ、残すお金すらないだろうけど。


法事って、1周忌、3回忌、7回忌、

その後は13回忌?

ここまでイベントは続くのか。

なんてロングラン。

その度に、「坊さん+親戚が集まって食事会」が

ワンセットになるのかと思うと

世の中、生きてても死んでも結局

お金かと思えてくる。

お金がないと死んだ後の人の

供養も助けられません。

おお〜なんてこの世は物質社会。

あの世はお金がなくても

幸せパラダイスなのに?

この世に生きると言う事は

お金がかかる。これぞ我が人生?

その為に、必死に働いて稼げって?

だけど、本当。

お金は大事。

お墓建てるのも、仏壇用意するのも

ジジタンが生きている間は

考えていなかった。

死んでから、

一気に「お墓!」「仏壇!」って

騒いですぐに用意したんだよ。

だって葬儀屋さんからいつまでも

祭壇貸しててもらうわけにもいかないし。

そして、死んだらお寺のお坊さんの所に

拝んでもらうのをお願いするとなると、

檀家に入るのを、義務付けられてる事も

知らなかったしね。


と同時に、ここを通さないと、

お葬式がスムーズに

進まないのも知った。


(お坊さんが決まらないと、色んなお寺を

尋ねる事になり、葬儀の日も伸びる。)


ちなみに檀家に入ると

年会費も支払う事は、その時知りました。

余談だけど、年会費とは別に

「お寺の建物が古くなったので

直すのに檀家の皆さん、ぜひ

協力金お願いします。」と

来る事もあるとか。

この話も檀家に入るかどうかって時点で

私らはお坊さんから話がありました。

そのお寺は「こないだ工事したから

暫くはそのような協力金は

ないですよ」と言いました。

そんな世界が存在するとは

夢にも思わず。

なんともまあ。檀家とは、別な意味で

「そのお寺のファミリー」ですね。

ちなみにこの協力金ですが

知り合いは40万協力金を依頼されたって。

(余談だけど、払えない場合は

月々3,000円くらいで・・と

言うのもありらしい。)

檀家が多ければ金額は

少なくて済むんだろうけど。

私は今の所、相場が分からない。

お寺のお坊さんと、生きている人間は


切っても切れない縁になるんだね。

とにかく、この世に生まれてしまった限り

お世話になる宿命なんだろうね。

・・と言うのを改めて感じたのですよ。

死んだら死んだで、あの世にいる人達を

もっといい所に行かせてもらえるように

拝んでもらえるのですね。

お寺のお坊さんと、今は亡き人達も

ずっとお世話になる宿命なのですね。

今回のジジタンの一周忌の件で

色々思ったんですよ。

人の一生は、この世に居ても

あの世へ行っても、とにかく

お坊さんのお世話になるんだなと。

ずっとエンドレスで。



さて。法事の件ですが

7回忌くらいまでは

まだ残された人は

その亡くなった人を知っているだろうけど

その後は、残された人達もあの世へ行く。

この世に生きているのが

孫、ひ孫の代になったりすると

どんどん前の人達が「ご先祖様」になっていくので

分からない人間関係になっていくらしいね。

「この人は誰?」と言う話になる。

なので、法事もロングランに見えるけど

意外と短いスパンで入れ替わるのかもしれない




残された人達は、1年間の間に

3月とお盆の時期、

後は命日にお墓詣りをする。

法事が入ったり、

親戚と会う機会が増える。

だけど、私は今回初めての

「ジジタン一周忌」だから

「これから先も続く行事」と思ったけど

良く考えたら、今回一周忌をすると

次回は3回忌までないんだな。と。

あとはお墓詣りや、

毎日仏壇に向かう事くらい?

余談だが私は毎朝、

ジジタンの仏壇に向かって

オカルトパワーを送っている。

↑やっぱりこいつヤバいよ。



さて。私は母と法事の事で

葬儀屋に支払を済ませ、

帰宅した。

その後、私は昼寝をした。

すると、夢の中にジジタンが現れた。

うそ!展開早い!

夢の中で私は、ホットカーペットで

寝ていると、ジジタンも向かい合って

眠っている。

そして私はジジタンがそこに

寝ているのに気付き

目を開けると、ジジタンの顔が

何故かソファーに鏡のように映っている。

眉間にシワを寄せて


なんか、寝てるくせに今にも

文句でも言い出そう。

そこで私は
「なんで寝てる時まで

そんな気難しそうな顔してんの」と思い

目が覚めた、と言う夢。

この後、思ったのは

「人は死んでも人格は変わらない」と言う事。

死んだからと言って、頑固な人間が

柔らかい人になる事はありえないと言う事。

あ!だけど、この現れ方って

もしかして「一周忌の準備、お疲れ!」

そして「ありがとう」と言う意味?

母にも伝えたら、母も次の日

「おい!」とケンカ腰にジジタンに

呼ばれる夢見たって。


うん。間違いない。

一周忌しなかったら、化けて出るぞ!だ。