Contralto
森井克子さんと詩の仲間が発行している同人誌です
見開きB5 5ページ 一部80円+送料
お問い合わせは 私の部屋 管理人

   孤独  
ー過酷な運命を透過して語る某氏の
        あまりにも柔らかな目を視てー
    (氷塊が
      一人のヒトの内臓を凍死させる)

原生の鹿たちが
一ぴき 一ぴきと
泳いできて 生きついた
離れ孤島

    (氷塊が
      一人のヒトの血管を壊死させる)

草木が 芯で呼吸する林に
獣道だけがつづき
孤島の山は
急な盛り上がりで
お椀から 一膳飯を
ぶちまけたように ごぼっと

   (氷塊が
     一人のヒトに両性具有の性器を
                      つくらせる)

人里離れの孤島は
南風の緑土
そこに
隔離されたヒトが住む
誰からも忘れられ
戸籍の欄には
行方不明の鏡文字が隠され

   (氷塊が
     一人のヒトの頭脳を枯渇させ
                     そうになる)

孤島の山は
寒風と豪雨を塞ぎ
食べ物を鹿たちにあたえ
空から旋回してきて 雉たちが
山の林で遊び
舞い 踊る

(氷塊は
  孤独という氷雨が降りおとされた
                    かたまり)
         (かたまり)

海水を蒸散させる太陽
からの黄色い光が
鹿たちの肌に もぐりこみ
くすぐり
一人のヒトの肌にも もぐりこみ
くすぐり
(かたまり)を
柔らかく
    柔らかく
         (柔らかく)
「こんとらると」 第7号 2004年6月1日発行
に掲載された作品です

 逆さ箒に願掛けられた
     白いタオルのおまじない
「お邪魔しました」と客が帰り支度をすると
いつも奥ゆかしかった昔の祖母は
玄関まで、そそと、客を導きながら
「もうお帰りですか おかまいものうて
またおいでください」
実に優しそうに微笑みながら
どの客にも 決まって言ったものだ

おまじないを信じる素直な
心優しい昔の祖母は
客が永居をすると
箒を逆さに立てて白いタオルを被せ
「帰れ 帰れ」と団扇で煽る
立てる場所は 奥の廊下と決まっていた
客座敷からは全く見えない
だけど トイレから出たとき
幻想のように見えてしまう絶妙な一点

おもてなし上手の
心優しい昔の祖母は
「お邪魔しました」 と客が自主的に帰っていくまで
いつも優しく微笑みながら
「ごゆっくり」を繰り返し
お茶に ジュースに コーヒー 紅茶
「どうぞ どうぞ」と水ものを
せっせ せっせと おもてなす
もてなしを 断りきれずに
客は とうとう「トイレをお借りいたします」

トイレから出ると
逆さ箒に掛けられた白いタオルが
チラッと見えてしまった
客は見てはいけないモノを
見たような 見なかったような
それでも「お邪魔いたしました」と
そそくさ帰り支度を始める
心優しい昔の祖母は
「あれもう お帰りで もう少しごゆっくり
なされば およろしいのに」
悪ぶれた様子もなく 優雅に
玄関に三つ指ついて お見送り

おまじないを 疑いもなく素直に信じつづけて
いつも微笑を絶やさなかった
心優しい昔の祖母を
「本当にいい人やった
きっと天国に行かはった」と
口を揃えて みんなは言う

箒の代わりに電気掃除機を振り回し
永居の客には
言葉で帰ってもらう 孫の私は
おまじないを信じない あまのじゃく
それでも天国へ
行けるでしょうか?
「こんとらると」 第5号 2003年12月1日発行
に掲載された作品です

 穴凹の位置 
幹線国道三叉路角地の緑の間隙
二十坪の都会の穴凹は畑
媼が畑を耕す
真っ黒に日焼けした手の甲が ふたつ
今日も菜っ葉を 毟っている
穴凹の境界線には いつも
シャーマンが立っている

畑の隣には立体駐車場が聳えたち
幹線国道から自動車が人を乗せたまま入っていき
そのまま 昇り昇り
中空で止まる
立体駐車場の壁は
コンクリートで塗り固められている
外壁には ビール会社の広告が貼り付き
美人女優の大顔が
ジョッキでビールを飲みながら
二十坪の穴凹を嘲笑っている

人家の群れが貼り付く地表を
うまく摘み上げ
やたら土手の高い川が流れている
幹線国道は
その川を這い上がり 這い上がり
屈強なコンクリート橋で横断する
人家は地球の穴凹に位置している

媼が 手を蓑にして
菜っ葉をくるみ 日向と日陰の境目を
地球の穴凹へ帰っていく
「こんとらると」 第4号 2003年9月1日発行
に掲載された作品です

 女性が創る自由詩の始まりー石上露子ー
     日本近世が匂う町 (大阪府富田林市寺内町) を歩いた。重要文化財旧杉山邸、石上露子の生家が在る。
               
               小板橋
          ゆきずりのわが小板橋
          しらしらとひと枝のうばら
          いずこより流れか寄りし。
          君まつと踏みし夕べに
          いひしらず沁みて匂いき
          今はとて思ひ痛みて
          君が名も夢も捨てむと
          なげきつつ夕わたれば、
          あ丶うばら、あともとどめず、
          小板橋ひとりゆらめく。

 石上露子は、この詩を『明星』に明治四十年に載
せ、翌年歌五編を載せた後、『明星』 から姿を消し
た。そして、大正七年に長谷川時雨著『美人伝』で、
心優しき純日本美人杉山孝子として実名と共に、こ
の詩が再び姿を現した。この著を読んだ生田春月は
「小板橋は絶唱なれば特に収む」と翌年『日本近代
名詩集』に収めた。昭和二十二年刊『近代抒情詩選
花さうび』で、吉田精一が、与謝野晶子 「君死にた
まふことなかれ」 「しら玉」 を、島田謹二がこの詩
を撰び、女性詩としては三篇だけが採られた。
 
 若き娘露子は、与謝野鉄幹の新詩社に入り『明星』
へ投稿し、革新的文学運動に触れると共に、強い探
究心から社会主義思想濃厚の『平民新聞』を購読し
た。購読だけで警察が睨む時代である。既成の道徳
や社会体制への反骨精神を底に秘めていたと思う。

父も進歩的思想を持ち、これを許した。だが 露子は、
四百年の伝統をもつ富豪の旧家の跡取り娘だった。
結局は父の愛が壁となり、不本意な結婚をし、旧弊
な辛い女の役割を生きるしかなかった。
   
   「小板橋」は、自分の心に忠実に生きようとして、
果たせなかった女性の無念詩である。だが、日本女
性が創る新しい自由詩の出発詩の一つでもある。
「こんとらると」 第3号 2003年6月1日発行
に掲載された作品です

 愛 
春は
赤い新芽が黄緑色の枝から
萌え出す季節
春になると 電話案内のベルが鳴る
「親子兄弟姉妹 先祖子孫 親族は身分制度ですが
この際 買い替えてみませんか?今 特売期間中で
お安くなっております 分割払いもできますよ」
「お金がない」 と 答える
「それは残念ですね お祖父さんやお母さんまでで
それ以前のご先祖さまは切って捨てたり 従兄弟や再
従兄弟との配置換えとか 自在に按配してさしあげ
ましたのに」

春は
山から白雪が解けて 緑色の川を下り
青い海へと 注がれていく季節
春になると 電話相談のベルが鳴る
「親子兄弟姉妹 先祖子孫 親族は血脈で繋がって
いますが 血流が滞ってしまい 瘤ができていませ
んか?無認可ですが切開手術が大好きなお医者様を
紹介いたしますよ」
「血瘤はできていませんが 体液がにじみでていま
す」と 答える
「それなら簡易の絆創膏を貼るだけで 充分でしょ
う」


「こんとらると」 第2号 2003年3月1日発行
に掲載された作品です

 OとXの形骸 
(川底には 人を植え込む田圃が 隠されている)

満水の川を跨いで
電車が鉄橋を渡っていく
若い女が
吊り革にぶら下がり 涙目で立っている
高い靴の踵が 女の両脚を
方向に締め付けているのだ
若い男は 眠りこけて
電車の座席から ずり落ちかかり
脚を増幅しつつある
古代史を 逆さまに夢想して
ゆるんだ手の平から 乗車切符を
足元に落としてしまっている

(満ち溢れた川水が 見えない古墳の羨道を くぐ
りぬけ 玄室を水で満たし 太古の貴人たちが安
置されていた木棺を ことごとく砕き 骨粉ごと
川底に 沈めている)

電車は 無人の自動改札口へ
終着駅へと 走っている
いつも女は 切符を強く握りしめ
に脚を 閉じたまま
吊り革を
ひっぱり続けてきた
男は 切符を落とした手の平を開けたまま
眠りこけてしまい
Oに開かれた脚は その増幅を 辞める

(満水になった古墳の羨道と玄室は 青い蚯蚓腫れ
になって 男の夢遊に拡散している)

電車が停車した
終着駅は<川底の田圃>
苗のように
男の脚と女の脚たちが
自動改札口から 田圃に植え込まれていく
田植えのように
こぎみよく リズミカルに

人間の脚から放擲されて
Oとの形骸が
川面に漂い 流れている



「こんとらると」 第1号 2002年12月1日発行
に掲載された作品です