さて、タイトルページの下にあるのは↓


of westmarch by John Ronald Reuel Tolkien. Herein is set forth
the history of the war of the ring and the return of the king as seen by the hobbits.

と書いてある。

中学生くらいだと、わかんない〜、って言いそうだから説明すると、
hereinは、here in ではなく、herein で、ここに、ってことで、この場所にとか、この件にはとか、この文中にはとか、いろいろ使う。ここでは、この本の中には、ってこと。こういうのって、hereat、hereof、hereby、hereafter、herewith とかっていろいろある。
set forth は、語るとか、述べるとか、説明するとかいうこと。
あとは大体わかるよね。


で、ページの上のキアスとつなげる。これは別々じゃなくて文がつながっている。

The Lord of the Rings translated from the red book of westmarch by John Ronald Reuel Tolkien.
Herein is set forth the history of the war of the ring and the return of the king as seen by the hobbits.

ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキンによって西境の赤表紙本から訳された指輪物語。
ここに語られているのは、ホビットが見聞した指輪戦争と王の帰還の歴史についてである。

となる。

しかし、テングワールとabcに直したのが一致してないところもある。
読む順番がわかんない人は、テングワール大作戦をざっと読んで来よう。英語の場合はシンダリン式に斜め斜めに読む。

はい、ではボチボチ参りましょう。





さて、john は jhon になっている。

学校のテストでjhonと書いてはいけない。即座に×になって、職員室に抗議に行って、これはトールキンがそう書いてるんだと主張しても認めてもらえず、映画のアモン・スールのナズグルのように職員室からあっさり追っ払われるハメになる。

世の中のいろんな本やサイトにもタイトルページの解説絡みの話になるとこのことはよく書いてある。職員室から追い出される話じゃなくて、綴りの違いの話。

発音に近くしてあるんじゃないかとか、 の上にテフタをつけると縦に長くなっちゃうというか、斜めの棒の横に書きづらいから次にずらしたんじゃないかとか、いや間違えたんだろう、などなどいろいろ考え方がある。

でも本当のことは、トールキン先生はもういないからわからない。だからみんないろいろ考える。
大体さぁ、先生が生きてるうちに誰か訊いといてくれればよかったのに! なんで誰も訊いといてくれなかったんだろう。

と文句を言っても仕方がないから、ここではグワイヒアがいろいろ考える。





間違えたんだろう、って説は違うと思うな。

指輪物語は出版に漕ぎ着けるまで何十年とかかって、やっと書き上げて、三部に分けるの分けないのと出版社と揉めて、ほんとは分けたくなかったのに結局分けることになったおかげで副題も考えなきゃならなくて、表紙のデザインもいろいろ凝って自分で描いて、地図は作らなきゃならないし、とにかく何やかにやで、トールキンはこの本の体裁をどうするかということでしばらくは頭が一杯だったはずなのだ。

そのタイトルページに自分の作ったテングワールを並べるのに、それも自分の名前のところを間違うはずがないではないか。全体を眺めると、他の字よりこの「ジョン」のところは大きく書いてある。ジョン!!と気合いが入っている。間違えるわけがない。





次にずらしたんだろう、っていうのは正解かもしれない。

普通に書くと冗長な感じに見えてしまう場合は通常の並べ方とは変えてコンパクトにまとめてしまうことがある。シンダリン式に斜め右に点をつけるべきところをクゥエンヤ式のように上につけたりとか、自由に配置を変えて見た目にすっきり収まるようにすることもある。全体を眺めたときにそれぞれの単語のスペルが見えればそれでいいの。
このジョンの場合は、の字が縦長だから点がつけにくい。次にずらした方がきれいに見える。





ジョンって、元はヨハネのこと。 では、ここをつついてみよう。

名前って面白い。日本人の名前は漢字の組み合わせで無限にいろいろ出来るけど、欧米人の名前も面白い。キリスト教関係者のものが発端となって変化したものが多いよね。
宗教関係の名前も、そうじゃない由来のものも、地域によっていろいろ発音も綴りも変わり、元が一緒だったとはとても思えないくらいにさまざまな形になる。

サンタクロースはセント・ニコラウス(コラウスのところがクロースになってる)だから、ニルスの不思議な旅の、あのいたずら者のニルスと同じ名前。
シャーロットもキャロラインもカールもチャールズも元は一緒だし、とすると英国皇太子とエオメルさまのカールとクモのシャーロットは同系列の名前ってことになって何か楽しい。クモのシャーロットを知らない人はこちら 。原書はこちら 。 世の中、シーロブちゃんみたいなクモばかりではないのだ。

意味を考えるのも面白い。キャプテン・フューチャーの本名、カーティス・ニュートンのカーティスは礼儀正しい、高貴な洗練された、宮廷の王家の、ってことだ。courteousの類語なのだ。 ん・・・ってことは、漢字を当てると礼宮さまになるではないか! こんなこと書いたら失礼かな。礼貴くんにしておくか。
で、ニュートンは新しい町、って意味だから、新町礼貴くん、かな。おぉ、カッコいいっすね!
Newtonのtonはサムの彼女のロージーのコトン家のtonと同じで町とか村とかってこと。
カッチョいいカーティスを知らない人はこちら。カーティスって、アラゴルンと似てるかもしれない。いや、似てないけど。でもみなしごだし。じゃあオットーとグラッグはレゴラスとギムリで、サイモンはガンダルフとか・・・ いや違うか。育てたのがあの3人なんだからサイモンはエルロンドでオットーとグラッグは双子の・・・ いや、やめておこう。

欧米の映画やドラマを見ていると、名前のことがわかっていないと実はいろいろわからないことも出てくる。
この前、ぼーっとドラマを見てたら、ライリーという人がいて、いきなり説明もなしで周囲は皆、彼がアイルランド人だとわかって話をする。本人もアイルランドがどうのこうのと言って、誰もそれに対して訊き返したりしない。
こっちはわけがわからない。 ???と思って調べたら、ライリー(ReillyとかRileyと書く) はアイルランド系の姓だった。
こういうのは、欧米人は当たり前にわかるんだそうで、そういうことに普通は疎い日本人は、いろんな場面で意味がわからずに、というより、わかってないことに気づきもせずに損をしているのかなと思う。
まぁ、漢字で書く名前だと、中国系か朝鮮系か日系かは、日本人ならすぐわかるよね。そういうのと同じなんだろうね。

今は世界中どこにでも自由に移動出来るから、姓名がどこ系であろうと絶対そこの土地の人ってわけじゃなくなってるけれど、生まれ育ったのが別の土地でも、親や祖先がどこ系なのかが名前から推測出来るわけだ。





ジョンの話だった。

ヨハネは元はヘブライ語のYohananで、神は恵み深い、って意味だそうで、語源的に見れば h が入るのは当然。
分解すると、yoとhananのところで意味的には分かれる。yoが神さまで、hananが恵み。
YohananをJohananと書いたりもする。Joはジョじゃなくてヨって音。

ジョンは、フランスではジャンJeanだし、ロシアではイワンIvanだし、ドイツ系ではヨハンJohannとかヨハネスJohannesとかでヨがどっかに消えちゃってハンスHansになったりもするし、イタリアではジョバンニGiovanniで、北欧や東欧ではヤンJan,Jeanって形もあるし、スコットランド系ではイアンIanとかショーンSeanになる。

メチャクチャじゃないかと思う人もいるだろうけど、ショーンもジョンもジャンもヤンもイアンもイワンも声に出してみれば似たようなもので、そんなにメチャクチャなわけでもない。ショーンはシェーンShaneって形にもなる。

ガンダルフのイアン・マッケラン、ビルボのイアン・ホルムはトールキンと同じ名前なのだ。
ボロミアのショーン・ビーン、サムのショーン・アスティンもジョンと同じ。
ギムリもジョン・リス・ディヴィスで、デネソールもジョン・ノーブルで、トールキンと同じジョン。
おぉ、何だか関係者はジョンだらけだ。映画ロード・オブ・ザ・リングでは、メイン・キャストの男性陣のなんと3分の1がジョン系の名前だった。

元を正せばみんなヨハネのこと。このヨハネ系列の名前がついてる人口はとんでもなく多いんだろう。名前だけでなくて苗字にもなるしね。ジョンソンって言えば、ジョンの息子ってことだし、イワノフはイワン家の、ってことだし、あのPJだってそうだ。ジャクソンはジャックの息子って意味で、ジャックはジョンの愛称というか変形だから。
そこら中、ジョンだらけではないか。





だから何が言いたいかというと、時代や地域によって、同じ名前なのに綴りも発音もいろいろ微妙に、もしくは大幅に変わる。どんどん進化する。

中期英語の頃にはhの後にもoを書いた。中英語とはどの辺の時代かというと、大ざっぱに言えばノルマン・コンクエストの後。その辺でガガガガガ!と世の中が変わったから。その前が古英語。大体そう思ってればいいらしい。
ノルマン・コンクエストってのは、呼び方そのまんまでノルマン人による征服のことで、結果、フランス語がダダダ!とイギリスへ入ることになる。そんなの知らないって人は(グワも大したことは知らない)、歴史のお勉強してください。

オックスフォードから出ている、むかーしの中英語期の詩を集めた本で、トールキンが語彙集をつけているのがある。 Fourteenth Century Verse & Prose ←グワイヒアが持ってるのはこれ。でも在庫切れになってる。出版社お取り寄せにもなってない。えー、絶版になっちゃったのかなぁ・・・と思って探したら、あった。A Middle English Reader And Vocabulary これだ。たぶん。 ドーヴァーからリプリントで出たらしい。欲しい方はどうぞ。
ドーヴァーはなかなかえらい出版社で、あんまり売れないような本で絶版になってるのを再販してくれる。ヽ(^o^)/
扱っている分野も何でもありで実に幅広い。マイナーな分野の昔の本で、物によっては現在では研究過程で解釈が変わってしまっていてそのままでは使えず、こりゃ一年に何冊も売れないよな、って本も復刻されててよくお世話になる。えらい。ぜひ今後も頑張っていただきたい。

それでこの本は、前半は詩や散文がガーーっ!と並んでて、それから注釈が少しついてて、後ろには中英語の辞書がついている。本の3分の1くらいが語彙集になってる。それを書いたのがトールキン先生。前の方を編集した先生は別の人なんだけどね。

で、トールキンがいろいろ並べたこの中英語のボキャブラリー集でジョンを調べてみると、Iohan, Iohon となっている。
これが現在のJohnのことで、ラテン語ではIohannesで、古フランス語ではJehanですよ、と書いてある。
ついでにIackeも調べなさいよ、とも書いてある。はいはい、ってIackeのところを見に行くと、これはJackのことですよ、と書いてある。
トールキンが書いてくれたと思うだけで辞書を見るのが楽しくなる。いいことだ。





初めの字がなんでJ じゃなくて I なのかと言うと、J は、アルファベットの歴史の中では割と最近出てきた文字で、I の分家なのだ。
I と J が分かれたのは、I が母音でJ が子音っていう役割分担をするためで、ほんとは I だけでも用は足りたのだ。
例えば、iaというのはイアなんだけど、速く読むとヤになる。嫌になるわけじゃないよ。「ヤ」って感じの音になっちゃって子音っぽくなる。まぁこれも母音みたいなもんだけどさ。半母音って言うよね。
で、そういう ia とか iu とか ie は、ja とか ju とか je になるわけで、ちゃんと母音の i のときと、ヤユヨ系になっちゃうような子音になるときとを書き分けるようになって J が出来ただけで、元々同じなわけ。

字の形は、語尾に i がくると、長く伸ばして書いたものらしい。ローマ数字を書くときも i が並ぶよね。iii とか xii とかって書くわけだけれど、i が並んでここで終わりですよ、ってときに iij みたいな感じで書いた。それがJ の形の始まり。
17世紀くらいまでは i と j は区別されなかった。j はあくまで i と同じだったのだ。17世紀って1800年代だもんね。すごい最近だよね。とアホなことを書いてましたが17世紀は1600年代でした。(^^;;) そんなに最近でもないけどまぁ最近だ。
あぁ、それから i の上の点も昔はなかった。だから今でも昔っぽい形のフォントだと点がついてない。

J は、ィヤ イ ユゥ ィエ ィヨと読むか、ジャジィジュジェジョと読むかは地域によって違う。でもほんとはヤユヨが本家本元なのだ。iaとかから出来たんだから。それがジャジュジョって音にもなって、だから日本はJapanとかJaponとか書かれるけれど、初めのJ は国によってジャと読んだりヤと読んだりする。

ヤユヨ系のヨハネは、時代の流れと共にジャジュジョ系のジョンになってしまった。
日本語ではローマ字でJ はジャジュジョ担当だし、日本語的な発音だとヤとジャは全然違うように感じるけれど、そんなに遠い音ではない。ヤユヨ系の読み方が普通の地域も多い。

ってことで、古英語の頃、つまり11世紀か12世紀くらいまでの時代はJ の字はなかった。
続く中英語と言われる時代も、近代英語と言われる時代、16世紀に入ってもJ はまだ一般的じゃなかった。
J が定着した18世紀頃になってさえ、J で書くところも I で書いて格式高く見せるということが行われた。名前のイニシャル、J なのに I にしたりとかね。その辺の感覚はよくわからないけど、古くて由緒正しい感じがするのかもしれない。

123・・・の番号代わりにABCが並んでいても、J が飛ばされて I から K に行くこともある。
この番号代わりのABCは、今売ってる本でも、・・H I K L M・・って項目になってるのもある。ちょっと前に書かれたものだと、これは別に自然なことなんだろう。ラテン語だと J のところも I で書いたりするし。

小学生くらいだとABCが並んでるのを見ると、ちょっと目を離すと大抵ABCの歌を歌いながら指で指していく。うわ、始まっちゃった、と思っても遅い。

♪えぃびーしーでぃーいーえふじー♪

ここまで来ると止めようがない。来るぞ来るぞと身構えるしかない。

♪えぃちあいじぇい・・・・あれ? えぃちあいじぇい? じぇい?

で、気がついて、大抵嬉々として「この本、まちがってる!」と叫ぶ。
鬼の首でも、いや、オークの首でも取ったようにJ がないと騒ぐ。
はいはい、気がついたか、よしよし、と思う反面、うるさくてかなわない。

「そりゃ間違いじゃないの。それでいいの」
「え゛〜! うっそぉ!!」
「ほんとだってば」
「じゃあなんでJ がないの?」
「あー、J ってねぇ、元は I と同じでねぇ」
「えーー!!同じなのぉ?! だって I と J は別じゃん!」
「ん〜、今は同じじゃないけど」
「えー、わかんなぁぁい!」
「だからその、昔はJ って字はなかったのさ」
「へぇ・・・どーして?」
「どーしてって、なかったからなかったの。だから抜かしていいんだよ」
「ふーん。今はあるのに?」
「そ」
「どーして?」
ここら辺りでそろそろ面倒になる。
「ねぇ、どーして?どーして?」
「そーゆーもんなの!!」 
で、思いっきり不満な目で睨まれることになる。大きくなったらわかるように今からしっかり勉強しなさいなどとうっかり言おうものならますます睨まれるから、急いで話題を転換する。ねー、今日の給食何だった? これを訊くと大体はJ の話は忘れてくれる。皆さんはこういう事態に陥ったときにはちゃんと説明してあげてください。





それで、トールキンの書いたこの語彙集は中英語期を扱ったものだから、ジョンは、今風にJで書けばJohan, Johon なのだけれど、 Iohan, Iohon になっている。

それで、I と J の話は置いといて、とにかく、h の後に母音が来るというのが古い形らしい。あぁ、やっと辿り着いた。これが言いたかったのさ。ヘブライ語ではYohananで、ラテン語ではIohannesだからね。ラテン語でも J で書いてある本もある。書く先生によって I か J かのこだわり具合が違うらしい。あぁ、いかん、また話が J に戻っちゃう。

とにかくだ。古い形では h の後ろは母音なのだ。現代英語では h の後ろはすぐ n になってしまう。
古っぽい雰囲気にしたくてJhon にしたのかもしれない。いや、ほんとはちゃんとJohon にしたかったのかもしれない。うむ。





と思ってタイトルページをもう一度よく見ると、なんとこれがアナタ、Johonと書いてあるではないか。うわ〜たいへん。
文庫なんかだと字も小さくてよくわからない。HarperCollinsの一冊本も、本自体はすごーーーく大きくて重くて持って読めないくらいだけど、このタイトルページの字は小さくてよくわからない。
グワの持ってる本の中では、Houghton Mifflinから出ている一冊本のが一番大きく載っている。
で、それを見てみると

矢印のところがガクンとなってて、がついてるかのように見える。Johonだ!! 思わずオークの首でも、いや、バルログの首でも、いや、ナズグルの乗り物の首でも取ったかのように騒ぎそうになったのだが。ところが。 世の中そううまくはいかない。
よくよくよーく見ると、このHoughton Mifflin刊のは、上下の横線を消してまっすぐのキレイな線に引き直していて、それで上と下のところは字も消えてしまい、あちこち書き足していることが判明。書き足さないでそのまま消えっぱなしのところもあるし。(怒) 担当者出てこい!!
がついてるように見えたのは、どうも書き足したときに線がきれいにつながらなかったかららしい。なぁんだ。
ということで、皆さん、世の中にはちゃんと複写していない本もあるから気をつけよう。よくあるのはページ一杯に印刷して横が切れちゃってるパターンだけどね。評論社の昔の文庫がそうだった。今の文庫は小さくしすぎて読めないし。

はい、これがちゃんとしてるもの↓

他にも3つのがある。オレンジの線つけたところを見よう。比べてみると、ジョンのhは上の曲がっているところが大きい。
このジョンはhの上のとこだけじゃなくて全体に大きくて目立つ。やはり自分の名前は目立たせなければ!





じゃ、ついでだからテフタの付け方の勉強をしよう。これもHoughton Mifflinの書き足し版のおかげだ。だまされそうになったのもムダではなかった。

をつけるとき、どうするか。また初めの話に戻るわけだ。
に点をつけるにはどこにつけるか。右につけるのが普通とされてるけど、他のところにつけてるのはないだろうか。どこかに例があるだろうと思ったらこれが甘かった。h の前に母音がくるパターンはありそうでそんなにないらしい。
ちなみに子息のクリストファーさんは父上の名前を普通にjohnと書いている。→
がつけづらいから、棒にのせている。これはHoMEの11、12のタイトルページに出てくるよ。クリストファーさんの名前は全部言うと Christopher John Reuel Tolkienだから、ジョンはご自身の名前でもある。

トールキン自身が書いたものの中ではなかなか用例が見つからない。
ナマリエの詩をテングワールで書いた中にに i のテフタがついてるのがある。右側についている。これはクゥエンヤだからhの後が母音でに点がつく。となっている。o をつけるのも右だろうか。

も縦に長くて点がつけにくい。上の文を見ると、テフタによってつける場所が違うのがわかる。それぞれの段の初めの方を見よう。westmarch と history のところ。
の場合は右側で となり、の場合は左側でとなる。
まぁ、これもその日の気分で左右が違っても間違いではない。絶対こっちって決まっているわけじゃないのがわかる。
もつける気になれば左にもつけられる。でもちょっと狭いな。右側でも狭いもんね。

うーん、やっぱりジョンの場合はこれ→が普通だなぁ。今風の並び方のジョン。





何にしても、タイトルページのは、JohonではなくてもJhonであるのは間違いない。hの後に母音を置いて、味わい深い昔風の綴りで、トールキンは「ふふふ」「ひひひ」「へへへ」と嬉しくてわくわくしたのに違いない。いいなぁ。
わかる人にしかわからないことを自分の本に潜ませる。いいなぁ。
これなんて、テングワールがある程度読めて、それに加えて、時代による英語のスペリングの変化を知ってる人じゃないとわからない。今でこそテングワールを読める人は世界中にたくさんいるけれど、指輪の初版が出たときには、このタイトルページはトールキンがひとりで「ふふふ」と楽しんでいただけだったんだろう。

ジョンはそういうことで、次のロナルドは問題ない。次のロウエルは、u のテフタが大きく書いてあって前のeのテフタにかぶさっている。それでuuって両方uのように見えてRuuelって書いてあるんじゃないかということも言われるけど、これは重なってそう見えるだけ。 だと思う。





はい、じゃあジョンの話はここまでにして、他のところ。

途中や最後にある : はピリオドのこと。

the, of, of the の書き方はテングワール大作戦をどうぞ。
横線ないのが the で、横線1本が of で、2本が of the。





byのyはを使う。イーじゃなくてアイって読むとき。
これはエルフ語を書くときには出てこない。英語表記のときだけと思っていい。逆向きのの略だから出てくるけどね。





同じ語尾のyでもイーの音になるhistory の y は i になっている。発音通り。
単純に発音通り、って考えるのが簡単でいい。

しかしまた昔の話をすると、こういう y って、昔は i と書いてたのが y と書くようになった。中英語期はまだ i で書く。だから古い綴り風に i にしたのかも、と上と同じ考え方も出来る。そう考えた方が楽しい。





war は wor になっている。発音通り。
これは古い時代には a でも o でもなく e だった。
ずーっと遡っても、wの後ろはeになる。語源辞典をめくると、印欧語族の初めの頃もeで、古高地ドイツ語から古北フランス語へ、そこから中英語に借入されてどうのこうのとよくわからないことが書いてある。
遥か昔から最近まで e だったのが、現代ではaに変わっているだけで、この戦いという言葉は、werという綴りだった時代の方がずっと長い。werの後ろにも何かついてもっと長くなるんだけどさ。それは地域によって違う。
そしてここのテングワールをよく見ると、は隣の of the とくっついてしまっていてよくわからない。これは見方によってはにも見える。でも他のと比べると向き的にはやっぱりかな。

でもwerだったら楽しいのにな。
文は現代英語で書いてあるんだから、昔の昔のと考えることはないのかもしれないんだけどさ。





herein のところは、読まないというか弱いeはじゃなくて下に ・ をつける。

このちゃんと音にしない黙字のeは、いろんな単語についてるでしょ。nameとかさ。ああいうのは昔はeも音にして読んだ。点をつけて表すことで、黙字でないeと区別するのと同時に、そういう歴史も感じられるように思う。





andもこのパターンで点がつく。 andにeはないけどさ。dのあとeって感じで下に点がつく。これは次とつながるときにワーーッと喋ると母音が挟まる感じになるからeの点を置くのかと思っていたけれど、どうもそれだけでもないみたい。古語の時代(古英語より前)はandeと書いたから、それを意識しているのかもしれない。そこまで遡ると行き過ぎのような気もするけど。
それから、andのaが下の点になっているという解釈もあるらしい。
まぁ、andはゴチャゴチャ言わずにとにかくと覚えてしまうのがいい。





上に〜がつくのはmやnの閉塞音で、下に〜がつくのは同じのが2つ並んだとき。ホビッツのところは下の〜がついている。
なんじゃそりゃ、って人、テングワール大作戦を読んでませんね?





s は何種類かある。is の場合はzで音が濁るからじゃなくてを使う。
as も音が濁るからじゃなくてを使う。
は同じ。逆さになってると思えばいい。なんで is と as の s が逆向きなのかというと、くっつけるテフタが違うからなんだろう。
i は・だけだからいいけど、a は点が3つあるからね。は乗せにくい。に乗せた方がすっきりする。
逆にに点1つだけつけても何だかつまらない。ひとつだけならの方がいい。
でもに点ひとつでもいい。書くときの周りのスペースの関係もある。これはどっちを使っても別に間違いじゃない。スペースの空き具合や見た目の美しさによって書き方並べ方が変わるのは、エジプトのヒエログリフにちょっと似ている。

語尾の複数の s はまともににしないでをちょこっとつけるだけ。最後のホビッツのところだよ。





はい、まぁそんな感じで、皆さん、自分の本を開いてこのタイトルページのテングワール、読んでみてください。この2行だけで、トールキンがいろんなことにこだわりつつ自分の本を飾っていたのがわかる。

いろいろこだわりつつ、というのは、たくさんの歴史的背景を踏まえて、そういう知識を自在に操れるだけの高いレベルにある人が、余裕でちょっと遊んでみる、っていうことだ。 よゆーで、というところがなかなか羨ましい。いいなぁ。
書いてた本人が一番楽しかったんだろうね。それを解読する楽しみを残してくれて、感謝。

そして、そういうタイトルページを持つ The Lord of the Rings は、そういうこだわりがぎっしり詰まった物語なのだ。
だから何となく読んでわかったつもりでいても、実は知らないことが山とあるはずなのだ。
道はまだまだ続くのであった。
まだまだ知らないことが待っているというのは何と嬉しいことではないか。



戻る