さて、ここまでゴチャゴチャ言ってきたことを振り返りながら、エルフの船出について考えてみよう。

ミドルアースはかつてエルフの世界だった。太陽が出てくるまでは人間はいなかったし、現れてからも人間がエルフに代わって世界を支配するなんてことは考えられないほど、人間はエルフに比べて劣っていた。

それが時は流れて、ミドルアースは人間の世界へと移り変わる。エルフはどんどん去ってゆく。ヌメノール沈没以後、ヴァラールの住まう至福の地は、単に海に隔てられているわけではなくて、ミドルアースとは別の領域、別の次元に移された。だから、普通の船では行くことは出来ない。エルフの船だけが辿り着くことを許されている。

じゃあ、ミドルアース周辺の航行ではなく、その特別な船で特別な旅をするエルフたちを見ていこう。

エルフといってもいろいろなパターンがある。
海を渡ることがなかった、つまり、ミドルアースで生まれてミドルアースでお亡くなりになるというパターンを除くと、大体次のようになる。

ヴァンヤール系
全部がミドルアースからアマンへ渡ってそのまんま。

テレリ系
オルウェみたいに、さっさとアマンへ渡ってそのまんまのタイプ
ケレボルンみたいに、ずーーーっと長くミドルアースにいて、アマンへ渡るタイプ。

ノルドール系
フィンウェみたいにアマンへ渡ってあちらでお亡くなりになるタイプ
フィナルフィンみたいにアマンで生まれて、そのまんまアマンにいるタイプ
フィンゴン、トゥアゴンその他のように、アマンで生まれて、ミドルアースに来て、お亡くなりになるタイプ
ガラドリエルみたいに、アマンで生まれて、ミドルアースに来て、アマンへお帰りになるタイプ
エルロンド(一応ノルドールに入れとく)みたいに、ミドルアースで生まれて、アマンへ渡るタイプ


同じエルフでも、西の海の彼方への想いは、それぞれ違うだろう。
同じノルドール系でも、アマンで生まれたのとミドルアースで生まれたのとじゃ、そりゃ違うでしょう。

西へ渡りたい、って気持ちが共通していたにしても、海の向こうに目をやる心の内はさまざまだったはずだ。
ガラドリエルはエルロンドと共に船に乗ったけれど、この2人はそれまでの人生(?)が全く違う。

ガラさまは、ミドルアースに来たときは歩きだった。うっそみたい。それも北の、氷がギシギシしてさむ〜〜〜いところを通ってきたのだ。遭難して行方不明者も続出した。イドリルのママのエレンウェもこの時お亡くなりになっている。ガラドリエルは旅の大変さも、仲間の分裂がどういうことかも身をもって知っている。それをふまえて指輪物語のロリアンのシーンを味わうとまた全然別の感慨がある。

で、来るときは散々だったのに、今度はピューンと船で帰れるなんて夢のようだわ☆ うふふ♪、って感じ。 いや、うふふ♪と言ってもいられないな。来る時は一緒だった兄たちはみんな死んじゃったし、多くの戦いの記憶がたくさんある。まだベレリアンドがあった頃の世界の美しさ、第2紀に指輪が出来た頃のこと、第3紀のエルフの衰退、こうして言葉では簡単に言えるけれど、第1紀のノルドールの帰還から灰色港ガラさま出航まで、実に7000年以上経っている。

いいですか、「ななせんねん」ですよ。どのくらい長いかちょっと考えてみてよ。イエスが生まれてまだ2000年ちょいだよ。古代エジプト文明だって、第1王朝がBC3000年頃、ってことは5000年くらい前。う〜〜む・・・ 
アルダで年数数えられるようになったのは太陽が出てからだから、その前も入れると、う〜〜む・・・・ それだけの蓄積があるノルドールの姫ですから、間違っても「ガラばあ」なんて言ってはいけません。何されるかわかりません。
で、ガラ姫は、約7000年ぶりにアマンに戻るわけです。

エルロンドは、ずっといろいろ大変だったけれど、西へ渡るといっても、アマンの地を見たことはない。ミドルアースで生まれて、海を渡ったことなんてないのだ。奥さまのケレブリアンは先に行っている。娘のアルウェンは後に残って、もう会えない。双子の息子は後から来るだろう。何だか家族が見事にバラバラだ。

そうだ、ガラさまもエルロンドも長い船旅は初めてじゃん。船酔いしなかったかなぁ・・・ いや、キアダンの船は酔ったりしないのだ。エルフだからね、酒には酔っても船には酔わないんだろう。

ガラドリエルのダンナのケレボルンは、テレリ系で、ドリアスのシンゴルの縁戚のシンダールで、アマンなんて行ったことなんかない。ガラさまが帰っちゃった後もしばらくうだうだとミドルアースに留まったままだった。結局は西へと旅立ったけれど、奥方が行ったときとはミドルアースを離れる気持ちはまた全然違っただろう。


アルダが出来て、ミドルアースが出来て、ミドルアースはヴァラールの住まう至福の地とは別の世界になっていった。さまざまな種族が生まれ、それらは結局いつまでも同じ土地で関わり合いながら生きることにはならなかった。ミドルアースは人間のものとなる。自分たちエルフの手を離れ、エルフは二度とこの土地に関わることはない。

これは凄いことだ。
だってエルフはミドルアースで生まれたんだから。
ずっとずっとミドルアースに関係があった。エルフ抜きでミドルアースの歴史は語れない。

自分の生まれ故郷でない場所を故郷、故国と呼ぶことは21世紀の人間にもある。もう1つ故郷があるっていう楽しい場合もあるだろうし、他の土地が故国になってしまうという悲しい場合もあるだろう。
トールキンの描くエルフの場合は、そのどっちでもない。ヴァラールの至福の地は話を聞くだけで素晴らしい。ミドルアースはエルフの手を離れるという時代の流れは止まらない。船に乗るしか道はなかったようにも思える。不死でもなく病気にもなり欲に支配される人間という生き物の勢いは広がり続け、エルフはその人間と共存していつまでも・・・ってことにはならなかった。
西へ去るのが幸せであったのだろうし、でも時代のうねりの為せる結果でもあったのだろうし、そこには他の種族にはわからない想いがあったのだと鷲としてはつらつら思ったりする。
映画で、アマンへ行ったことのないエルロンドが言う「 I Aear can ven na mar 」(The Sea calls us home) というセリフも、そんなことを考えるとまた違って聞こえる。
bar、mar は住みかってことで、Brithombar や Eldamar にくっついている。ブリソンバールはキアダンがいた港町ね。エルダマールはアマンのエルフに与えられた土地で、エルフのホーム、Elvenhome。エルロンドは、エルダマールへ行くよ、と言っている。そして、まだ見ぬhomeへと船出したわけです。

キアダンはそんなエルフたちのために船を作り続けた。


そして、最後の船が灰色港を離れるとき。

遥か海の彼方、ヴァラールの至福の地へと渡るエルフはもう誰も残っていなくて、最後の者たちと共にキアダンは船に乗る。
ずっと港担当だったから、内陸部のことは一部を除いては話を聞くだけで身をもって知っていたわけではないだろう。それでも、港担当のボスは、いろんなことを知っている。どうしようもないくらいに多くの記憶がある。
最後の船が港を離れるときのことを思うと、キアダンの気持ちのことを思うと、何だか、たまらなくなる。
不死のエルフに感傷なんかないかもしれない。でもやっぱり陸地が遠ざかるのを見つめていたキアダンの胸にはこれまでのことがたくさん浮かんだに違いない。


最後の船が出たら、もう、灰色港を守る者はいない。誰もいなくなった灰色港。こんな寂しいことがあるだろうか。
何千年も昔から、いろいろなことがあったミドルアース。
このリンドンの地に移り住んだファラスリムたちは、第1紀にはファラスにいた。ファラスを奪われて、バラール島に移り、その後の合戦でベレリアンドが海の底に消え、ここルーン湾に拠点を定めた。ここは、元々は内陸で海なんかなかった。新たに海辺となったここで第2紀から第4紀に到る長い長い間、キアダンはここを治めていた。

第2紀にもいろいろあった。度重なるサウロンとの戦いがあった。子供の頃から知っているエルロンドはエルフたちを連れて裂け谷に館を構え、そこの主となった。
昔、フィンゴンが自分の元へ預けて寄こしたギル=ガラドは死んでしまった。これはかなり堪えたことだろう。あの時、フィンゴンは、父であるフィンゴルフィンがモルゴスとの戦いに倒れ、自分が王位を継いだものの、先行きはろくな事にならないのを予期していたのかもしれない。それ程にアングバンドは鉄壁だった。フィンゴンは、少しでも遠くへ、何かあればいつでも海へと出られるファラスリムたちの元へ、息子を送り出した。
ファラスの港は避難所でもあったのだ。Havensという英語は、避難所という意味がある。港は船が嵐から避難するところだから、そういうことになるんだけど、トールキンの世界ではまた違った意味合いもある。暗黒の勢力からの避難所。
普通は海側からの避難だけど、この場合は陸側からの避難だ。
フィンゴンがバルログ相手に戦って散った後、キアダンの港へと逃げる者は多かった。

キアダンのもとで、ギル=ガラドは生き延びた。そしてベレリアンド沈没後もギル=ガラドはキアダンの港のあるリンドンにいて、ノルドールの王としてリンドンを治めた。ギル=ガラドは自分が持っていたエルフの3つの指輪の1つであるナルヤをキアダンに渡した。ナルヤを渡すに足る大きな存在だったからこそのことだ。
そのギル=ガラドも死に、キアダンはミドルアースにやってきたガンダルフにナルヤを託す。キアダンの人としての、じゃなくてエルフとしての大きさから考えれば、サルマンよりもガンダルフが上と見抜いたのはごく当然のことだ。
そして、ミドルアースは次第にエルフの手を離れて動き始める。エルフたちはどんどん去ってゆく。

ミドルアースはエルフにとってかけがえのない地だった。
アマンに行く気のなかった者たちもいた。アマンに行ったけれど戻ってきた者たちもいた。ここは、何だかんだ言っても、素晴らしい地だった。モルゴスやサウロンに悩まされ、アマンのように平穏には暮らせなくても、荒れた土地もあって全てが美しいわけではなくても、だからこそミドルアースは生き抜くに相応しいステージだったのだ。アマンで生きるのとは意味が違った。

西へ行きたい、還りたい、という気持ちがいつもエルフの胸のうちにあったとしても、ミドルアースの存在もまた小さいものではなかった。
昔、ノルドールはアマンへ行ったけれどシルマリルを追っかけて戻ってきた。あの頃は、戻る気があれば戻れた。でも今度は、離れたら最後、もう二度と戻ってくることはない。

いつか戻って来ることがあるかもしれない、という出発とは違う。
もう灰色港を目にすることは永遠にない。
普通は引っ越すとしても、いくら遠くへ行くとしても、もう永遠に戻ることはない、なんてことはない。いつかまた来ることがあるかもしれないし、大体、時間とお金があって、「行くぞ!」と思えば、地球の裏側であっても行くことが出来る。再びその場所に立てる。
でも、エルフの船は決して戻らない。


長年キアダンの拠点だったルーン湾の少し南のグワスロ川は、昔ヌメノール人たちが港を作って木材を集めてはヌメノールに送っていた。そのグワスロ川のずっと上流はブルイネンと呼ばれ、その流れのそばにはエルロンドの館があった。長年エルフたちを支えたそこにももう誰も残っていない。
もっと南にはアンドゥインの河口があって、遡ればそこはあの海に沈んだヌメノールの末裔が王となっている。そのもっと上流にはノルドール族の姫ガラドリエルが長年君臨した森がある。そこももう誰も残ってはいない。
船が外洋に出れば、その底は昔は陸地だったところだ。多くの川が流れ、木が茂り、戦いがあった。あの頃、こうして自分が最後の船で西へ向かうなどということを誰が想像したことだろう。この土地からエルフが1人もいなくなるなんてことを誰が考えたことだろう。

ミドルアースのどの山もどの川もエルフの記憶に残っている。たくさんのエルフが歩んだことのある海岸線、その多くの港をエルフが使うことはもうない。

港というものを治め、動かし、頼ってくる者を助け、守り、皆の信頼を集めたキアダンは、指輪物語の中ではほとんど出てこない。でも物語の後ろにいつもいて、港から皆を守っている。遥か昔から、困ったときのキアダンなのだ。物語に顔を見せないことで、逆に、キアダンらしい存在感が生じている。

港がなければ困る。港とは、ミドルアースで一番必要な場所だ。港を誰かが守っていてくれるから、内陸の者たちも安心して暮らせる。でも普段は意識にない。
キアダンは、そんな役割をずっと務め、そして最後に去ってゆく。

指輪物語本編で描かれた期間は、キアダンがこのミドルアースで戦い、追い、追われ、帆を張り、帆を降ろし、治め、怒り、嘆き、喜び、歌い、潮風に吹かれながら過ごした長い長い日々のほんの、ほんの、一片に過ぎない。短すぎて、あっという間で、わかんないくらいかもしれない。太陽が現れて年月が数えられるようになるよりも遥か前から生きているんだから。そして、第3紀末のサウロンとの指輪戦争は、大昔の戦いと比べれば、それほどのものでもなかったのかもしれない。キアダンはもっと大変な時代を知っている。
指輪物語だけしか知らないと、あれが全てののような気になるけれど、あれは本当に歴史のほんのちょっとの断片にしかすぎない。

いろいろあるエルフのグループの中では、ファラスリムはさり気なくそこにいるって感じ。決して出しゃばらず、でも自分たちの役割に徹し、他の集団に迷惑をかけたりせず、皆を助ける。爽やかに、さり気なく存在するテレリの民ファラスリムは、エルフの中で実は一番重要だ。例えば、レゴラス所属の闇の森のエルフはいなくても話の進行上そんなに困りはしない。でもファラスリムがいないとトールキンの話は根本的に成り立たない。キアダンはその集団の長だった。

ずっとミドルアースを港から見続けていた、船大工という呼び名を持つエルフ。
星とか光とか花とか輝きとか、華々しい名を持つ他の者たちと比べると、その呼び名は地味なことこの上ない。

でも、指輪物語の登場人物の中で一番しっかりしていて、自分の生き方を見定めそれをどこまでも徹底して貫いたのは、ガンダルフでもエルロンドでもガラドリエルでもアラゴルンでもなく、キアダンだったんだと思う。



おつかれさまでした。まとめです。