Bag End、袋小路屋敷。 ビルボとフロドの家。 ホビットの冒険もここの玄関先から始まった。指輪物語の出発もここからだ。

そう、この家がないとトールキンのお話は始まらない。

始まらないだけじゃなく、この家がないとトールキンのお話は終わらない。

ホビットの冒険では、ビルボが何とか無事に家に帰ってめでたしめでたしとなる。
指輪物語でも、フロドはバッグエンドに帰ってくる。そしてフロドが船に乗って去った後、サムがここへ帰ってきて物語は終わる。

道は続くよの歌に出てくるドア(ホビットの冒険のときのにはドアって言葉は入ってないけど)は、このBag Endのドアなんだろうし、トールキンはお話の中で一番このBag End が好きだったのに違いない。

物語の出発点であり終着点でもあるこのBag End とは元々何だったのかがわかると、トールキンがどんなにこのホビットの家を大事に思っていたのか、ひしひしと伝わってくる。

ホビットの冒険で、まず初めに描かれているのはこの家だ。ビルボがほけ〜〜・・・としているところへガンダルフがやってくる。
で、その家の名前をトールキンはBag End とした。
この時期には、続編の指輪物語出版なんてことは予想もつかないことだっんだし、大体ゴラムの持ってた指輪がそんな大変なものだなんてトールキンは知らなくて、そんな大層オソロシイ指輪のつもりで書いてたわけじゃなかった。それが、のちのち凄まじい世界が描かれて、映画化までされて、ニュージーランドの農場にホビット村が作られて、Bag End も作っちゃって、ガン爺が玄関入ったところで頭をぶつけるなんてことは、思いつきもしないことで、Bag Endという名前が世界中に轟き渡るなんて考えもしなかったに違いない。

で、とにかく、トールキンはこの家をBag Endと名づけた。

そして、トールキンはBag End で寝起きしたことがある。これは本当のこと。

えーーー、だってトールキンは人間なんだし、狭いホビット穴に入れるわけ・・・あるか。ガンダルフも入ったもんね。ビルボの家は立派で大きいから、ホビットでなくても大きい人でも大丈夫。

大きい人っていえば、グワねぇ、アラゴルンにも袋小路屋敷に泊まりに行ってほしかったの。ゆっくりして、お茶飲んで、ワイン飲んで、いろいろ食べて、誕生パーティの原っぱでボーー・・・っとして、緑竜館で騒いで欲しかったな。
でも、人間はシャイアには立入禁止にして、自分もそれを守って、境界線までしか行かなかった。野伏時代はシャイア周辺の警備でうろうろしていたこともあったんだろうけど、でも村の中を歩いたことはなかったはずだし、やっぱりビルボとフロドの家の、あのまぁるいドアをくぐってほしかった。


あぁ、話が逸れたから、もいちど言おう。

トールキンはBag End で寝起きしたことがある。これは本当のこと。

だからこそ、ビルボの家をBag End とした。自分の書いたお話の、大切な家の名前にした。自分の好きな人のいる家だったから、ってこともあっただろうし、ちょっと面白い呼び名だったから使ってみたかったのかもしれない。
言葉の説明はこちらの袋小路屋敷へ。

で、Bag End って名前にしたかったから、そのまんま、道のどん詰まりの家ってことになったんだろう。ホビット村の外れのお山をずーっと登って行って、行き止まりのところにある家。
トールキンが実際に行ったBag Endと同じ、道の行き止まり。

あれは、場所の設定が出来てから名前を考えて、行き止まりってことで End とつけたわけじゃなく、名前が先で、というか、場所の設定もそれにくっついて決まっていたのだ。

ビルボの家の呼び名、バッグエンドについてトールキンはこう書いている。
It was the local name for my aunt's farm in Worcestershire, which was at the end of a lane leading to it and no further.
それは、ウースターシャーにある私の叔母の農場の地元での名で、そこに通じる道はそこで行き止まりとなる。


叔母さんの農場。
これは、トールキンファンの間ではよく知られた話で、これがわかってると、ますますシャイアがいとおしくなり、ビルボやフロドやガンダルフが好きになり、何よりトールキンがもっと好きになる。


Bag End は、トールキンの叔母さんの家の名前だった。ジェイン叔母さんはトールキンのママの妹だった。トールキンはジェイン叔母さんが大好きだった。叔母さんは、地元でBag Endって呼ばれている農場に住んでいて、そこは名前の通り、道の行き止まりにあった。

Worcestershireの、Dormston村のBag End、それがビルボの家の名前の元なのだ。

Worcestershireウースターシャーは、トールキンの母方の一族サフィールド家が出た土地で、父方の親戚よりも母方の一族の気風が心地よかったトールキンは、ウースターシャーこそが自分の故郷だと言っている。
で、そのウースターシャーにバッグエンドはあった。

また話は逸れるけど、ウースターソースはここのソース。正しくはウースターシャーソース。皆さん、トンカツにソースをかけるときは、バッグエンドのことを思い出しましょう。

ソースの話はおいといて、トールキンの叔母さんがバッグエンドに住んでいなかったら、または、その家が別の呼び名だったら、ビルボの家の名前は違っただろうし、名前が違えば行き止まりである必要もないし、ホビット村の地図も今の設定とは違っただろう。

このBagというのはBagginsという名とも関係し、だから叔母さんちがそういう呼ばれ方をしてなかったら、バギンズの名も違ってたかもしれない。

ジェイン叔母さんは保険屋さんと結婚して、その後旦那は亡くなって、それからしばらくして農場を買って移り住んだ。そこがBag Endってニックネームだったのは、これはもう運命としかいいようがない。
甥っ子はとんでもなく壮大な世界を創り上げた。「地の穴にひとりのホビットが住んでいました」 何となく書いたという物語の出だしの一文、そしてその場所に叔母さんちの名前をつけ、スタート地点の設定が出来ればあとはどんどん話は進む。

ビルボの家を叔母さんのいる家の名前にしたのは、ごくごく当然のことなのだ。
この家がないとトールキンのお話は始まらない。←この「この家がないと」とは、ウースターシャーのバッグエンドにいたジェイン叔母さんがいないと、という意味にもなる。

トールキンは小さいときに父親も母親も亡くして、弟と二人っきりになった。いろいろな人に助けられて大きくなったのだけれど、この叔母さんの存在は大きい。ママが入院したときには叔母さんちに預けられた。その頃は、叔母さんはまだバッグエンドにはいなかったんだけどね。
ママが逝ってしまった後はこの叔母さんと一緒に暮らしていたわけではなかったけれど、トールキンは大人になってからもずっとジェイン叔母さんと仲良しだった。

そして、Bag End というジェイン叔母さんとつながる名前を核に置いたホビットの冒険では、途中経過も叔母さんとつながる展開になる。ドワーフの一行とビルボは長い旅をし、山を転げ落ちてドンガラガッチャンとか、なかなか大変な行程になる。

あれは、トールキンが、1911年、19歳の夏に、叔母さんとスイスに山歩きの旅に行ったとき、山や氷河や断崖の際や荒れ地をさんざん歩いて、どこまでも歩いて、おまけに大きな岩が転がってきたりもして、ビルボ顔負けの旅をしたことが下地になっている。
今時のお金持ちが「ちょっと、おスイスへ避暑ざますの、ほほほ」なんつーような、優雅な旅行じゃなかった。泊まるのもちゃんとしたホテルじゃなくて、そこら辺の牛小屋とか山小屋に転がって寝るだけだった。
その時は弟も一緒で、農業を志した弟が世話になっていた農場一家とその友だち、そしてジェイン叔母さんにトールキンというなかなかごちゃ混ぜのメンバーで、その人数についてトールキンは「ホビットの冒険の一行とほぼ同じ」と手紙に書いている。
そう書いたのは旅から50年後の手紙で、そんなに経ってからも懐かしく回想していたスイスでの日々は、トールキンにとって「ホビットの冒険」そのものだったのだろう。ビルボはきっと、トールキン自身なのだ。

この旅の話でよく出てくるのは、その旅で買った絵ハガキの絵がガンダルフの源イメージとなった、というものだ。これはカーペンターによる伝記に書かれている。
ガンダルフという名は、北欧神話に出てくる名前なのだけれど、マドレーナの描いたこの絵はその外観のイメージというだけではなく、内面からにじみ出る芯の優しさもガンダルフと通じるものがあるのがわかる。
この絵をトールキンは大切にとっておいた。でも、このポストカードは、その旅で買ったものではないらしい。どんな絵かは、The Annotated Hobbit(UK版) The Annotated Hobbit(US版) にカラーできれいに載ってます。グワイヒアはUK版しか持ってないけど、中身は同じはずです。これの訳本は原書房から出てて、この絵は白黒でおまけにうんと小さくされてしまって、絵の良さがよくわからない。もったいない。
で、それによれば、この絵はトールキンのスイス旅行よりも後に描かれたものらしい。カーペンターによる伝記はこの部分、間違っているとのこと。
ガンダルフの起源の絵、そこら辺の年代の説明はこちら、Houghton Mifflinへどうぞ。


で、まぁ、ガン爺の起源がこの旅でゲットしたものでなかったにしても、その他もろもろのことを考えると、あのビルボの家の呼び名は、「Bag End」以外には考えられない。
たくさんの気持ちと想い出が詰まったお話だからこそ、それが表面には全然見えなくても、みんなの心に響いてベストセラーになったのだろう。

その旅をしなかったなら、後々、ホビットの冒険は書かれなかったかもしれないし、書かれたとしてもああいうお話にはならなかったはずなのだ。ああいう展開にならなかったとしたら、ビルボは山の中で迷子になって指輪を拾ったりもせず、そしたらその後、続編が書かれるとしても指輪物語とはならず、映画もなしで、みんながDVDを山のように買うことにもならず、アラゴルンきゃあきゃあ♪レゴラスきゃあきゃあ♪ともならず、あれこれグッズを買い込んで財布がカラになる指輪ビンボーまっしぐら族とかいう種族も発生しなかったかもしれない。

何がきっかけで世の中変わるかわからない。


トールキンの父と母は結婚する前、まだ若いからってことで結婚を何年も許してもらえなかった。そのなかなか会えない二人の間の手紙の受け渡しをしていたのは妹のジェインだった。親にバレないよう兄弟姉妹が結束するのは世の常なのだ。
ジェイン叔母さんは、若くして逝った姉の遺していった子が立派な学者になって、ベストセラー作家にもなったのを本当に誇らしく思っていたに違いない。

1937年、ホビットの初版が出たとき、トールキンは叔母さんに本を贈っている。Bag Endの文字を見た叔母さんの反応がどんなだったかはわからないけれど、目がおっきくなって叫び声が上がったことは確実だと思う。

Aunt Jane from J.R.R.T. with love October 6th 1937 」 というトールキンのサインがあるその本は、2002年にサザビーズのオークションで$66,630の高値がついた。日本円で・・・700万以上?
このほんとに最初に刷られたときの初版のトールキンのサイン本というのは、ほとんどないらしい。トールキンは本が出たとき、誰彼構わずサインして配ったわけじゃなかった。やっぱジェイン叔母さんは特別なのだ。だからそんなに高値になった。
売り物になっちゃったのは何か寂しい気もする。その本の価値はお金では計れない。でもそれほどまでに注目される作家と作品を生み出す大きな力になったジェインは、天国からオークションを見て、「おぉ、すごいわ〜〜」と手を叩いてトールキンと踊っているかもしれない。


晩年、ジェイン叔母さんは、トム・ボンバディルの本がほしいと言い、トールキンはすぐに出版社にその話をし、Allen&UnwinはすぐにOKを出した。トールキンは昔書いたトム関係の原稿をまとめ、ポーリン・ベインズが絵を担当することとなり、バタバタと準備は進んで、あの詩集「トム・ボンバディルの冒険」は世に出ることになる。
叔母さんがこの話を言い出したのは1961年、本が出たのは62年、叔母さんが亡くなったのは63年。間に合ってよかった。ほんとによかった。

トムの本を読みたいなんて、ミドルアースのプロでなければ思いつかない。ジェイン叔母さんはトムの本を手にしてどんなに満足だったことだろう。
そのおかげで今、遥か東の果ての島国でもトムの詩を読むことが出来る。

ジェイン叔母さんは、ミドルアースの物語を他の誰よりも愛してくれていたのだと思う。

やっぱりビルボの家の名は、Bag End以外には考えられない。

Bag End のドアから、道はどこまでも続く。



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