★ 店の解説 ★


この the Eagle and Child、どういうお店なのか、店自身による説明を見てみよう。
店の写真は、ぞっこんさんKAZさんが提供してくれたのをどうぞ。(^^) 
このページはお二人のおかげで書けました。どうもありがとう。


A

まず、店にある説明書きを。

The History of the Eagle and Child. The Eagle and Childの歴史
An inn since 1650.  The Eagle and Child is one of very few which can describe itself as an Oxford institution.
The Eagle and Child derives its name from The Arms of The Earl of Derby.  The family legend is that an early ancestor rescued and adopted an abandoned child, which had been fostered by an eagle.
1650年創業。 The Eagle and Childは、オックスフォードの成り立ちそのものである数少ない存在のひとつである。
The Eagle and Childの名は、ダービー伯爵家の紋章に由来する。この家系の伝説によれば、昔の先祖が捨て子を助けて養子としたが、その子はそれまで鷲が世話をしていたという。
During the Civil War (1642-1649), the inn was the lodging of the Chancellor and the Pay-House for the Troops.  St. Giles was mined across its entire width, creating an underground tunnel (which still exists).
The first landlord of the inn: Richard Plait or his father was an old retainer for the Earl of Derby. 
清教徒革命の1642-1649年当時、ここは、財務府の長官が滞在し、軍の俸給の支払所になっていた。セント・ジャイルズ通りは、通りの幅いっぱいに地下トンネルが掘られ、それは今でも残っている。
店の最初の主人のリチャード・プレイトないし彼の父親が長年仕えていたのは、ダービー伯爵家であった。
It remained a small, two room ale house, with a parlour behind until 1950, when the pony-yard at the rear was covered over.  In the 1940’s, the pub was adopted as a meeting-place by the ‘Inklings’, who regularly used the parlour-room (known as the Rabbit-Room), to get together and discuss amongst other things, the books they were writing.  The “inklings” were made up of C. S. Lewis, J. R. R. Tolkien, Charles Willians and other friends. 1950年まで、パブは小部屋が2つあり、奥はパーラーで、裏の馬小屋は見えないようにされていた。
1940年代、パブは「インクリングズ」の集会所であった。彼らはいつもパーラールーム(ラビットルームと言われている)を使い、集まっては議論していたが、その主な議題は自分たちが書いた本についてだった。「インクリングズ」のメンバーはC.S.ルイス、J.R.R.トールキン、チャールズ・ウィリアムズ、他の友人たちであった。
So Enjoy your time at one of Oxford’s most historic pubs. オックスフォードで最も歴史あるパブに名を連ねる当店でのひとときをどうぞお楽しみください。



へ? 鷲が世話をしていた??? という話は次ページでやりますので、ちょっとガマンしてください。




B

次、メニューに書いてある説明書き。ぞっこんさんやKAZさんが行ったときに貰ってきてくれて、クイズの賞品にもなりました。当たった人、自分で行って貰ってきて持ってる人は見てみよう。
言っときますが、「J.R.Tolkien」とか「Lord of the Rings」は、グワの打ち間違いじゃなくて元々そう書いてあるんです。おー、ネイティブも結構てきとーで安心しますねぇ。

The Eagle and Child takes its name from the crest of the Earls of Derby and has been a public house since 1650. Around this time it was frequented by Anthony Wood, the Oxford diarist and antiquarian, who recorded no fewer than 378 inns in Oxford! The Eagle and Child は、その名をダービー伯爵家の兜飾りに由来する 1650年から続くパブで、その当時、アンソニー・ウッドの常連の店であった。彼はオックスフォードでの日記作家、古事研究家であり、オックスフォードにある378ものパブを記録している。
During the Civil War a few years previously, the building had been used as the payhouse for the Royalist soldiers of Charls I, who lived in Christchurch from 1642-1646. 清教徒革命とそれに遡ること数年の間、建物は、チャールズ一世側である王党派兵士への俸給支給所になっていた。チャールズ一世は、1642年から1646年の間クライストチャーチにいたのである。
Charles made Oxford his military headquarters, holding his parliaments in the city and establishing the Royal Mint in New Inn, Hall Street. Two of the most splendid coins minted from there are on display with others in the Ashmolean museum, just around the corner in Beaumont Street. チャールズは自らの軍の本部をオックスフォードとし、議会を置き、ニューインホールストリートに王立造幣局を設立した。そこで鋳造された素晴らしいコインのうち2枚が、その他の収蔵品と共にボーモントストリートの角を曲がってすぐのアシュモール美術館に展示されている。
Until the 1950's there was a pony yard behind the pub and before the yard was covered over, the Eagle and Child was a two-roomed ale house with a parlour at the back. 1950年代まで、パブの裏手には厩があり、見えないようにされていた。The Eagle and Child は、二部屋のパブで、奥にはパーラーがあった。
It has been a favourite watering-hole of J.R.Tolkien, author of Lord of the Rings and C.S. Lewis, who wrote The Chronicles of Narnia, as well as other fellow writers. The writers dubbed themselves 'The Inklings' and often met for discussion (and argument!) over a pint or two in the Rabbit Room of the pub they called 'The Bird and Baby'. ここはロード・オブ・ザ・リングの著者、J.R.R.トールキンや、ナルニア国物語を書いたC.S.ルイス、そして他の作家仲間たちのお気に入りの社交場であった。彼らは自分たちを「インクリングズ」と呼び、しょっちゅう集まっては一杯二杯とやりながら討論(論争!)をし、The Bird and Babyと呼んでいたこのパブのラビットルームで過ごした。
Lewis wrote of the 'golden sessions' they enjoyed by a blazing fire with their drinks to hand, and the wide ranging nature of their philosophical and literary conversations. ルイスは、グラスを傾けながら火のそばで過ごした夢のような会合のこと、哲学的、文学的な幅広いやり取りのことを書いている。
On a wall near the bar is a note to the landlord from these men, written in 1949 during one of their convivial meetings - it bears their signatures and states that they have drunk his health. カウンターの横の壁には彼らが店の主人に書いた寄せ書きがある。1949年の集まりの際に書かれたもので、それぞれのサインと、亭主の健康を祈って乾杯!とある。



ほほう、なるほど!素晴らしい。
わかりづらいところに説明をつけると、

the Earl of Derbyっていうのは、ダービー伯爵家のこと。
The Eagle and Child は、St. Gilesという通りにある。
  
Pay-Houseっていうのは、サラリーを支給するところだそうだ。
これは廃語で、今では使われることはない言葉で、だから辞書にも載っていない。
今も使う類語としては、paymaster がある。軍の主計官。(軍じゃなくても給料の支払い係にはこれを使う)
このペイハウスについては、トールキン協会の人から教えてもらいました。辞書見てもないんだもん、って言ったら、そりゃ載ってないよ、って。現代英語で出てくることはないんだそうです。

Bには、New Inn の後にコンマがあるけど、ニュー・イン・ホール通りというのがあって、普通はコンマで区切らないと思う。

アンソニー・ウッドとは、一体誰じゃい、とブリタニカ百科事典をめくると、ちゃんと出ている。すごい。有名人ではないか。
それによれば、アンソニー・ウッドは、オックスフォードで生まれ、オックスフォードで亡くなった。後年、トールキンが教えることになるマートン・カレッジで学んでいる。
彼は歴史家で、古いものには何でも興味を持ち、オックスフォードに関することを調べまくり、研究し、オックスフォードのスペシャリストだった。
アンソニーはずっと独り身で、耳が悪かった。何でも疑り深く、要するに困った性格だったらしい。それで周りとはケンカが絶えなかった。それも楽しそうだ。

アンソニーの書いたものはいろいろと本になっていて、オックスフォードの街と大学の歴史だけでなく、主だった卒業生のことまで調べている。研究書は英語だけでなく、ラテン語でも書かれ、そこら辺の鷲とは頭の出来が違うのがよくわかる。日記も有名らしい。

研究社の英和、リーダーズプラスにも載ってる。おぉ、やはり有名人ではないか。
Anthony Wood (1632-95)
英国の古事研究家・歴史家; `a Wood とも称した; 著書には, Oxford 大学の歴史を記した Historia et Antiquitates Universitatis Oxoniensis (1674), 1500-1690 年の Oxford 大学出身の著述家・聖職者を扱った広汎な人名事典 Athenae Oxonienses (1691-92) など
しかし研究社の辞書にはアンソニーは載ってるのに Inklings は載っていない。許せん。小学館の英和にはインクリングズは載っている。よしよし。しかしこちらにはウッドは載っていない。

ということで、当時の、そしてそれ以前のオックスフォード研究の話では外せない存在がアンソニー・ウッドなのだ。

それで、だから、上のBは、そのウッドさんが、いつもここに来てたんですよ〜、どーだ!!(^^)v と言っているわけだ。彼が落ち着ける場所がThe Eagle and Child だった。これは店の解説で自慢していいことだ。

とにかく、ここの常連で有名なのは、アンソニー・ウッドとインクリングズ。ってことになる。

クライストチャーチっていうのは、よくある名前で、指輪を撮ったニュージーランドにも同名の街があるけど、チャールズ一世がニュージーランドでロケに参加してたわけじゃなく、ここで言ってるのは、オックスフォードのクライストチャーチ。大聖堂があり、オックスフォードで一番大きくて有名なカレッジで、アリスを書いたルイス・キャロルはそこの出身でそこで教えてた。
で、チャールズ一世がなんでそこにいたのかというと、懐中時計を持ったウサギを追っかけて、トランプの王さまと戦ってたわけではない。王さまなのにロンドンを追ん出されてオックスフォードに宮廷が移されてたのだ。

上の解説でわかるのは、国が2派に分かれて大騒ぎだった当時、このオックスフォードは王さま側の拠点で、今パブになってるところは、その王さま側の兵にお金を支給する場所だった、ということだ。

The Bird and Babyっていうのは、The Eagle and Child の通称で、要するに同じことを言ってるだけ。もっと通はThe Bird and Babeという。

パブは、2004年にオックスフォードのセント・ジョーンズ・カレッジの所有になった。大学が所有者というのは、なかなか安心というか、いいことだ。トールキンやルイスのファンが続々と訪れるんだから、閑古鳥が鳴く心配もないし、買ったのは正解だろう。

トンネル云々の話は、これは一般公開はされてないらしい。


ここへ行くと、昔の街並みも見ることが出来るよ。鷲と子供はここ
ちょっとサイトの構成がわかりづらいけど(ひとんちのことは言えないが)、楽しめます。


はい、いよいよ鷲のおうちに・・・