フロドが指輪を棄てに行かなきゃならないところ、モルドールの滅びの山、サウロンの溶鉱炉、オロドルインのサンマス・ナウア。 そこにある滅びの罅裂と呼ばれる火山の裂け目。こわいっすねぇ・・・・ なるべく近寄りたくないところ。あっちっち、だもん。

ここは、日本訳で言うとよくわからないというか、全くわからないんだけれど、滅びの罅裂の英語名、「the Crack of Doom」または「the Cracks of Doom」というと、英語圏の人はただ単に滅びの罅裂とは思わない。

だから日本人と英米の人たちとは、あの火の山の印象がちょっと違うはずなのだ。
・・・ってことをいろいろ考えてみたい。


もうひとつの意味

英語で「the crack of doom」と言うと、これは「最後の審判のとき」という意味になる。
そう、イエスが再臨して人々に裁きを下すという最後の審判。その日、雷鳴がとどろき、大変なことになる。世の終わり。

crackは「鋭い音、炸裂する音」ってことで、a crack of thunderで鋭い雷鳴。世の終わりに炸裂する雷の轟き。かみなりさまにおへそ取られるから隠しましょ、なんて呑気な日本人の感覚とはちょいと違う。

doomは、悲運、破滅、滅亡、宣告、審判。 

悲運と言っても困った運命そのものというより、それが行き着くところを指す。
また、なんで審判と滅亡が同じ単語なのかというと、これは古英語時代はdomで単にjudgmentという意味だったところから意味が広がったの。もっと時代を遡れば、「設定されたもの」って意味でこれが「法令」となり「判決」となる。
ってことで、judgmentは判決、すなわち神の下す審判という意味になることから「悲運、破滅、滅亡」となり、破滅的終局という意味になる。

これは単なる破滅や滅亡じゃなくて、「どうにもならない変更不能の運命の末の破滅的終局」ってこと。

同じ変更不能の運命でも、肯定的方向に行くのはdestinyと言う。だからアラゴルンが王になるのはdestinyなのだ。ヌメノールの王国の再建とミドルアースの救済はアラゴルンの運命のdestinyだったのだ。そうなるように生まれついていた、ってことだ。変更出来ないってニュアンスがあっても、destinyには「切り開く」という意志が要る。
fateも運命のことで、「どうにも変えられないもんね」という意味が強い。これはdestinyと比べると、困った方に行きがちの運命。
fateもdestinyも、doomで終わることがある。ヒトラーが総統になったのは、出世したという意味ではdestinyだったけど、最後はdoomだった。

で、話を戻すと、doomだけで「最後の審判」という意味になる。doomsdayは審判の日。

だから、the crack of doomを直訳すれば、「最後の審判の時に鳴り渡る雷鳴」ということで、すなわち「世の終わり」という意味になる。

これは、何もシリアスな話題じゃなくて、面白く言うときにも使うみたい。古めかしい言い方だから、「あら〜、こりゃ全部おしまいだねぇ」って、ちょっとユーモアめかして言うときにね。



マクベスさんも大変でした

このthe crack of doomはシェークスピアのマクベスに登場する。
マクベスが洞窟に行って魔女とのやり取りがあるシーン。
第四幕の第一場、マクベスの破滅のキーワードが出てくるところ。
雷鳴が轟き、魔女が現れる。洞窟には穴があって、火が噴きだしている。 

ふむ。 洞窟で火がねぇ・・・ どっかで聞いたような・・・オロドルインか? ちょっと規模は小さいけど。 かわいいオロドルイン状態。
で、そこで「この世の終わりまで(最後の審判の日まで)どうたらこうたら・・・」っていうマクベスのセリフがあって、the crack of doomが使われるのさ。

What, will the line stretch out to the crack of doom?
あぁ、この行列は審判の日までも続くのか?

行列っていうのは、幻影が次々と通り過ぎるの。それを見てマクベスがこう言うわけ。
マクベス、知らない人はぜひどうぞ。
このマクベスのセリフからこの言い回しはメジャーになったらしい。



先生のネーミング

で、われらがトールキン先生は、なんつったって言語学の大家で、言葉の成り立ちや語源や引用句なんかは目玉焼きの作り方と同じくらいよく知ってる。
だから上記のことを全部踏まえた上で、あの重要スポットを「the Crack of Doom」とした。

これは、crackの意味を読み替えてつけた名前です。
最後の審判のcrackは音のことで、モルドールのcrackは裂け目のこと。

なんで同じcrackで意味がいろいろあるかっていうと、これは元々は音のことだった。ピシッ!バキッ!とかっていう音だね。そういう音がするってことは、何かが裂けたり割れたりするわけだよ。それで、後に裂け目という意味が加わったの。

これは、初期の草稿では「Cracks of Earth」だった。
まだシャイアを出発する前、ガンダルフがフロドに言う。この指輪をなくすには、火の山の奥深くの裂け目を見つけて投げこむしかない。

草稿の一つ (RS82) 決定稿
to find one of the Cracks of Earth in the depths of the Fiery Mountain, and drop it down into the Secret Fire to find the Cracks of Doom in the depths of Orodruin, the Fire-mountain, and cast the Ring in there

固有名詞の言い方が違うだけで、言ってることは同じ文だね。

物語がまだちゃんと形になってなかった頃はフロドの名前はビンゴだった。その頃は、Doomじゃなくて、Cracks of Earthだった。Earthだと、滅びとか破滅的運命とかいう意味はない。
このRS82にある草稿の余白には「?Cracks of Doom」という書き込みがあって、先生はどっちにしたものか考えていたらしい。
初めは単に「地の裂け目」のつもりでEarthだったけど、結局はDoomにした。 the cracks of doom の言い回しに引っ張られたんだろう。

ということでこれは、「最後の審判の時に鳴り渡る雷鳴」をもじった、というか形はそのまんまなんだけどcrackの意味を読み替えた、そういう名前なわけだ。

最後の審判を意識したのであろう書き方はあちこちにある。

火の山に登る前、地の底に雷がどうこう、という記述がある。crackは審判の日の雷だ。
雷は指輪消滅後も大活躍(?)で、まさに審判の日となる。

そして、運命の日の前に休むシーンに次の一文がある。
 the next day would be a day of doom.
「あくる日は、運命の日となる」
the day of doom は、最後の審判の日。 だからこの文は、「あくる日は、審判の日となる」とも読める。

そして、ゴラムが現れた後、フロドがサムにさよならを言うところ。
 On Mount Doom doom shall fall.
Mount Doomにおいて裁きが下される。

こういうのを読むと、英語圏の人、とりわけクリスチャンならやっぱり「審判の日」を意識しないわけにはいかないだろうと思う。



裂け目の言い方いろいろ

さて、岩の裂け目を表すにはcrackの他にもいろいろな言い方がある。あのクライマックスは「割れ目」の言い方いろいろがオンパレードなんだよ。

fissure a fissure eruptionというと、割れ目噴火のこと。断層や地割れみたいに長く一定に続くイメージ。割れ目が細くてもOK。ぐねぐね曲がっているもののときにはcrackの方が合う。
chasm 岩や地面の大きな割れ目のこと。幅が広くて深いというニュアンス。
rent 雲、岩、地面などの割れ目。 雲の切れ目にも使えるんだねぇ。
rift 切れ目、ひび、割れ目。

rentはthe Crack of Doomに着く前に出てくる。
riftは、指輪がなくなって、オロドルインが噴火した後で出てくる。
原書持ってる人は探してみよう。

fissureとchasmは、Crack of Doomのシーンで出てくる。
サムがフロドを追ってサンマス・ナウアに入る。真っ暗だけど、赤いものが跳ね上がって辺りが見える。溶岩ドロドロ・・・こわ。
1 But only a short way ahead its floor and the walls on either side were cloven by a great fissure,〜 少し行ったところの床と両側の壁は、大きな割れ目となって裂けていた。
2 The light sprang up again, and there on the brink of the chasm, at the very Crack of Doom, stood Frodo, 〜 光がまた跳ね上がった。その裂け目の縁、まさに滅びの罅裂のその場所に、フロドは立っていた。

・・・といろいろ言い方を変えてバリエーションになっている。裂け目、割れ目、裂け穴、地割れ、亀裂、などなど、日本語でも言い方はいろいろある。英語でも使う場合のニュアンスはそれぞれ多少は違うわけだけど、ここでは上のものが登場している。

fissureは、曲がり曲がった洞窟には使わない。地割れ、断層のようなイメージ。サムがちょっと離れたところから見たときの割れ目の形状が何となくわかる。左右の壁もろとも直線的にに裂けている。
そして、その穴に注目すると、広く口をあけてて、深い。だからchasmが使われる。そのことによってbrink(がけっぷち)が際立つ。
で、そここそが、Crack of Doomなのだ・・・ 
・・・っていう順番かな。

ここだけの話だけど、グワは高所恐怖症でさ。(鷲なのに?)
だから裂け目が広くて深くてぽっかりとあいてて、そんな崖っぷちに立ってるなんて聞いただけでもう足がガクガクしてくる。(^_^;;) あ〜こわ・・・・・ おまけに溶岩だもん。やだやだ。

瀬田訳では、1では「床と両側の壁がひび割れて」になっている。これは滅びの罅裂そのものを言ってるのだから、ひび割れなんて生易しいものではない。ちょっと合わないと思う。
2では、「するとかなたの大きな裂け穴」になっている。ちょっと前のところで「ほんの少し先」って言い方があって、そこと同じ場所を指しているから、「かなた」は合わない。瀬田さんはthereを「かなた」にしちゃったんだろうね。このthereは光がはねたところを言ってるの。「すると」でつないであるから余計誤解しやすいかと思います。
床と左右の壁が割れて溶岩が跳ね上がってるってことは、向こう側に渡るにはそこを飛び越えなきゃならない。滅びの罅裂が別に遠くにあるような書き方になっちゃってるけど、フロドはその溶岩が跳ねてるところを渡って行ったわけじゃないし、ゴラムもサムもそこを渡って駆けつけたわけじゃない。
はじめに溶岩が跳ね上がったところと再び跳ね上がったところは同じで、そこにフロドは立っていたの。
ここはずっと、大きく口をあけている割れ目、Crack of Doomの描写をしてるのだ。



どっちが先?(^o^)

で、ここで面白いのは、ディドルディドルと同じこと。
指輪物語は実話なわけですよ。ってことになってるわけですよ。
サウロンさんのお庭のあの山はMount Doomと呼ばれ、あの火山の裂け目はthe Cracks of Doomと呼ばれていた。ま、その時は神の審判なんていうもう一つの意味は当然なかったわけだ。イエスが生まれるのはまだまだ先だからね。

で、フロドが行って、ゴラムがああなって、こうなって、で、終わって・・・ という歴史が語り継がれて、そのうち、the Cracks of Doomという言い回しはおっかない終局という意味になり、「裂け目」という意味だったcrackを後世の人たちが「雷鳴」という意味に読み替えて、イエスの再臨の日という意味でも使われるようになった・・・・・

・・・っていう、トールキン先生のお茶目なお遊びがここにもあるわけでした。
いや、本当にそうなのでした。実話ですから。はい。



邦訳のこと

瀬田訳では罅裂と書く。
普通の亀裂は、元々カメさんの甲羅のことで、甲羅を焼いてひびの入り方で占いをしたりとか、そういうイメージにつながるから、カメの代わりに罅を当てて、罅裂にしたんだろう。罅って字は、裂罅(れっか)とかって使って、これは岩や大地の割れ目を言うときに使う。「れっか」じゃ馴染みがないからひっくり返して罅裂にして「きれつ」と読ませたんじゃないかな。
と思ったら、罅裂は「かれつ」として存在する、と掲示板で情報が。ほんとだ。国語辞典に載ってた。^^; ひびが入ること、だそうです。「かれつ」って普段は言わないから「きれつ」と読ませたんだろうね。
それから「裂」は、ビリビリ、バリバリということから音を連想させる字だ。だからcrackの音を意味する面も一応は表せる。

「滅び」としたのは瀬田さんの精一杯の訳だったと思う。こうするしかないもんね。日本語では文化が違うから神の審判って連想には行かないけど、一応「滅び」っていうのは審判の日にもつながる言い方だから。

これが例えば、悲運の亀裂、とかだったら、根本的に何か違っちゃう。

瀬田さんは国文学専門だった。世の中の翻訳者は大抵外国語が専門で、中には日本語が怪しい人もいる。
指輪物語の訳は瀬田さんでよかったと心から思う。ですます調が原文の雰囲気とはちょっと違うとか誤訳もちらちらあったりとか、いろいろあるけど、今後別の人による新訳が出ることがあっても、瀬田訳の影響はずっとついて回るに違いない。
誤訳について言えば、あんな長い作品では誰が訳しても誤訳ゼロというのはあり得ない。それに大体、瀬田さんの亡くなった後も版をさんざん重ねて改版も出てるんだから、瀬田さんだけの責任ではない。

滅びの罅裂、これ以上の和訳はないと思う。



帰ってこれなかったフロド

to find the Cracks of Doom。 この言い方は方々に見られる。クリストファーさんの解説文にも頻繁に出てくる。
to find the Cracks of Doomがフロドの仕事。

上で長々書いたことを踏まえると、フロドが見つけるべきなのは火の穴だけじゃない。

火の穴を見いだすこと、そして終わりを見つけること。 そういう言い回しになる。

そして、to find ということは、to find まででいいことにもなる。あとは誰かさんの仕事。

そして、the Crack of Doom(世の終わり)まで行ってしまったフロドは心も体も傷ついて、シャイアに戻ってからも完全には日常復帰が出来なかった。本当の意味で帰ってくることは出来なかった。メリーやピピンは英雄となってもてはやされたけど、フロドは表立って目立つことはなかった。そして結局西の海の彼方に行ってしまった。

  He drew a deep breath. 'Well, I'm back,' he said.

物語最後のこのサムのつぶやきは、誕生パーティ以後の一切合切を表している。単にロージーにただいまを言ってるだけではない。
古森、ブリー、風見が丘、裂け谷、カラズラス、モリア、ロリアン、アンドゥイン、エミン・ムエル、死者の沼地、黒門、ヘンネス・アンヌーン、キリス・ウンゴル、そしてオロドルイン。あり得ないほど遠くへ旅して、あり得ないほど危険をかいくぐって、帰ってきた。
シャイアに戻りはしたものの、バタバタと慌ただしい日々が続く。村を再建し、ロージーと結婚して子供も出来て、だけどフロドの旦那は船に乗って行ってしまった。灰色港から家に帰ってきたのは自分だけ。

自分は、裂け谷から、カラズラスから、モルドールから、そして灰色港からも帰ってきた。灰色港というのは、いろいろな意味であの旅の終着点なのだ。the Cracks of Doomで全てが済んだからエルフたちと一緒にガンダルフも海を渡ってゆく。
そしてサムにとっては、あの旅の終着点は袋小路屋敷だった。

the Cracks of Doomで全てが済んだ。サルマンのこととか、いろいろ雑事は残ったけど、でも基本的には全てが済んだ。
このthe Cracks of Doomに最後の審判という意味が隠れているからこそ、全てが済んだという感覚が強まる。フロドがどんなに傷ついたかも、サムの最後のつぶやきも重みを増すように感じる。

  He drew a deep breath. 'Well, I'm back,' he said.
  彼はふかぶかと息を吸い、言った。 「あぁ、帰ってきた」

おらは戻ってきたんだな。・・・と自分に言っている言葉だ。みんな行ってしまったけれど、自分は帰ってきた。

位置的にも精神的にも元に戻る。戻るって言っても、もちろん出発する前と同じではないけど、でもサムは戻ってきた。そしてここからサムの新たな日々が始まる。

Well, I'm back したから、ここで物語は終わることが出来る。
サムが心からそう思ったから、この言葉と共に旅は終わったのだ。
そして指輪物語は完結する。



意味のまとめ

the Crack of Doom(滅びの罅裂)でthe Crack of Doom(最後の日)を迎え、何千年もの間のもろもろのことが精算される。
それまでの世が終わって新しい世が始まる。だからthe Crack of Doom(最後の審判)の意味をかけてあるのは、なかなか上手い手法だと思う。
また、ゴラムの最後の叫びをcrack(音の方ね)とすればあの瞬間は正にthe Crack of Doom(運命の果てに行き着いた破局での鋭い音)だったのだ。
そしてその後、モルドールは震動し雷が轟き、the Crack of Doom(世の終わりに鳴り渡る雷鳴)そのものとなる。



で、つらつら考えると

トールキンは指輪物語を書くにあたって、何の寓意も込めてはいない、と言っている。ただ物語をしただけ、と。
だからthe Crack of Doomのネーミングでゴチャゴチャ考える必要は別にないんだろう。
でも、キリスト教圏では、単なる裂け目という以上の何かを感じる人も多数いるんだと思う。

doom・・・ 設定されてて変えることのできない運命の末の破滅・・・ っていう名前の場所でのあのシーン・・・ 
そしてthe Crack of Doomのもう一つの意味、最後の審判。グワはクリスチャンではないんで(ミドルアースの鷲なんだから当たり前)、よくわからないけど。

トールキンワールドにはヴァラールと呼ばれる複数の存在がいて、これは神のような感じで、一見ギリシャ神話に似ている気もするけどちょっと違って、もっと上に唯一神のエルという存在がいる。シルマリルの物語でちらっと出てくる。

ガンダルフが言うよね。ビルボは指輪を見つけるよう定められていた。フロドは指輪を持つよう定められていた。それは、サウロンなんかじゃなくて、もっとずっと上の存在の力が働いたのであろう、って。
だとすれば、スメアゴルも指輪に関わりを持ち続け、終わりはああなるということを定められていたのかもしれない。

フロドだけでは指輪棄却は達成出来なかった。結局は皆、あの指輪を棄てることなんか出来ないのだ。ああいうどうにもならん状態のゴラムがいたから何とかなった。だからスメアゴルはそのために、どうにもならん状態になるために何百年も生きていたのかもしれない。
どうにもならんゴラムはみんなに嫌われて、ひとりぼっちで、でもそうなっていてくれたからこそ、ミドルアースは救われた。

あのときのためにあんな状態になって生きてきたのだとすれば、スメアゴルほどミドルアースに尽くした存在はない。ガンダルフが言ったように、それぞれが存在の価値を持っている。
グワはゴラムが可哀相で仕方がない。(←なんと優しい)
トールキンが原稿を書きながらゴラムが可哀相だと言って泣いていたという気持ちがわかる。
シーロブのトンネルに入る前、フロドとサムが眠っているところを見たスメアゴルは、まともな精神に戻りかける。ところがサムが目を覚ましてぶちこわしになる。
でもあそこでスメアゴルがまともになってしまっていたら、指輪棄却は出来なかった。
だからいくら可哀相でも仕方がない。(←なんと冷たい)

キリスト教では最後の審判でイエスは裁きを下し人々を善悪に分け、悪人は天国には入れない。エルは人を裁くのだろうか。スメアゴルはどうなってしまうんだろう。グワとしては、the Crack of Doomでのあのことで、スメアゴルの辛い生涯の最後の仕事は終わり、魂は解放されたんだと思いたい。

みんな、役割がある。トールキンはそういう生きていく上での大切な、とても簡単だけど忘れがちなことを教えてくれている。


もっかい言うと、トールキンは指輪物語を書くにあたって、何の寓意も込めてはいない、と言っている。ただ物語をしただけや。余計なことはゴチャゴチャ考えんといてや、と。
だから大して考える必要は別にないんだろう。読んで楽しきゃいいわけさ。

でも、ネーミングのことなんかをちょっと知ってると、あのおっかない場所も何となく違って見えるかと思うな。
ここまで読んでくれたみんな、もう一度、滅びの山の章を読んでみよう。今までより破滅の凄まじさが増して感じられた分、次の章のイシリアンのシーンの輝きも増すんじゃないかな。・・・だといいな。

ということで、原語での意味とあのシーンその他とのつながりは、一言では説明出来ない、なかなか深いものがあるのでした。




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