いつもおなかがすいてるピピン。
ミナス・ティリスではシャイアみたいにドカドカ食べないから、胃袋さんはいつも不満。

朝日と共にミナス・ティリスに着いて、デネソールさまに会って朝もはよから気疲れし、もうへろへろ。
まだ9時にはなってないよな〜、今なら朝ご飯3食分でも食べられるぞ、と思ったところで、デネソールさまが仰る。第三時が鳴ったらすぐにどうのこうの・・・って。 ってことはまだ第三時とやらにはなってないのだ。

で、やっとこ解放されて、自分の部屋を割り当てられてやれやれ・・・そして鐘が3つ鳴る。日の出から3時間経ちましたよ〜って。

そしてピピンは「あー、9時だ〜、朝ご飯の時間だよぉ、朝ご飯はどこぉぉぉ??」とボヤく。

次の朝は、第二時にガンダルフに起こされる。朝ご飯はほんの、ほんの、ほびっと・・・ じゃなくて、ちょびっとで、とてもじゃないけど足りやしない。あ゛〜っ、朝ご飯〜〜っ! あぁさぁごぉはぁん〜〜!!

その日の第十一時、とりあえず勤務は終了で、ごはんごはん♪と食事の部屋へ。それからちょっと経って日没となる。

なんかもう、この第何時って言い方が出てくる辺りでは、ピピンは食べ物のことしか頭にない。(爆)


で、つまり、第二時というのは、ほれっ、起きんかいっ!!って時間で、第十一時は夕方だ。

鐘が3つなった第三時は、9時頃。 ってことは、第二時は8時で、第十一時は夕方の5時。仕事が終わる時間としては、21世紀と同じだな。
8時に起きて仕事に間に合うんだから、朝は楽かもね。


さて、at the eleventh hour というのは、「ぎりぎり、土壇場になって」という意味。 みんな辞書ひいてね。
辞書には出典も出てる。出てない辞書もあるけど、ランダムハウスには載ってて、マタイの20章を見ろと書いてある。つまりこれは聖書から来ている言い回しなのだ。
しかし、英語クリーシェ辞典 には、マタイ伝が起源だとする説もあるが、違うという説もあるとのこと。
でもやっぱり、「ぎりぎりなんです〜」という意味になるのは、マタイに出てくる話からというのが分かり易い。

マタイの福音書、第20章に出てくるのは、ぶどう園の経営者がパートを雇って、その日当の払い方がどうこうという話。
農園は12時間労働らしい。当時はそういうもんだったのかもしれない。日の出と共に仕事が始まる。で、朝から働く人には、いくら払いますよ、って約束をして、双方納得してその日が始まる。
そしてぶどう園の主人が第3時になって広場に行くと、何もしないでぶらぶらしている人たちがいる。そこで彼らにも仕事をあげると言って農園に行かせる。
第6時にも、第9時にも同じことをした。
そして第11時にも広場に行くと、また仕事がない〜とヒマそうにしてる人たちがいて、彼らにも農場に行きなさい、と言う。

朝から行ってた人たちは12時間働いた。
第3時から行った人たちは、9時間。
第6時からの人たちは、6時間。
第9時からの人たちは、3時間。
第11時からの人たちは、1時間。

そして、貰ったお金の額は、みんな同じだったのだ。

で、とーぜん、

  はぁ??!! なんで?! どーしてさ?!!

・・・となるわけさ。

夕方行った人は何も言わないよね。らっきー♪だもん。
長い時間働いた人ほど文句言うわな。 はぁぁ???!!って言いたくなるわけ。

だけど、天国とはそーゆーもんなのです、って話になっている。

そーゆーもん、って言われてもねぇ。
とにかく、天国では、時給のシステムが地上とは違うらしい。

グワイヒアは人間が出来てないんで、いや、鷲が出来てないんで、もし朝から行ってたら先頭切って文句言うな。ご主人をつまみ上げて、そんなこと言うならオロドルインまで行って落っことすぞー、とか。
それかその日はおとなしくしてて、次の日は夕方行こうっと♪ って感じ? それで1日分貰えるんなら、やっぱ夕方出勤ですよ☆

農園の主人は、ちょっとしか働けなかった人にも同額をあげたい、と言う。わたしのお金なんだから、いいじゃん、って。

これは、たとえ話としてマタイの中に入っているもので、よくわからん。
失業率高くても神さまが面倒みてくれるから大丈夫ですよ、って話かな。違うだろうな。
人間が出来ていれば、自分がたくさん働いても、短い時間働いた人と同じ報酬で充分満足するのだ、ってことかな。いい人だねぇ。
ずーーっと長く神を信じてた人も、最近信じ始めた人も同じですよ、ってことなのかもしれないけど。うん、きっとそうだ!とはいえ、クリスチャンでもない鷲が勝手なこと書いて、みんながそれを信じてもいけない。

わからんわからんと言っててもしょーがないから図書館に行って調べてみた。ほら、鷲はマジメだからさ。夕方仕事に行って、まるまる1日分のバイト代貰おうなんて、そんなこと思いつきもしませんですよ。

【 新共同訳 新約聖書略解 (日本基督教壇出版局) 】から抜粋
「神は個々人の作業量(努力やその成果としての業績)によって報いるのではないことを教えている。イエスの紹介する神は、因果応報的に多く働いた者に多く報い、少ししか働かなかった者にはそれに応じた報いを与える、というのではない。たとえの主人の賃金の支払い方は、労働者の作業量から見ると確かに不公平であり、朝から働いた者が不満と抗議を言うのは、当然である。しかし神は人を全く別の視点から見る。誇るべき作業成果のない者も神の救いの中にある。」

【 山本秦次郎聖書講義双書 4 マタイ伝 (キリスト教図書出版社)】から抜粋
「天国では朝雇われた者も、午頃雇われた者も、夕方近くに雇われた者も、皆等しく一デナリ(デナリは日雇い労働者一日の労銀)の報酬を与えられ、それに対してつぶやく事を神は許し給わないとのことである。これは天国の救いに関する例話である。神は早く救われて長く神に奉仕した者をも、後から救われて僅かしか奉仕しなかった者をも、天国において全く同等にみなし、平等に扱いたもうというのである。」

ふむ。この2冊は言ってることが違うようで同じようで、でも違うようで・・・ ま、どっちも納得は出来る。時給の話じゃないのだな。

ってことだそうですので、はぁ??!! なんで?! どーしてさ?!!と叫んではいかんそうです。

ぶどう園のご主人とは神さまのことだそうで、だからつまみ上げてはいかんのですな。

で、まぁ、第11時に行った人たちは、ぎりぎりすべり込みセーフ (^_^)v だったってことで、
at the eleventh hour は、「ぎりぎり、土壇場になって」という意味になる。

日本語の聖書だと、第何時とか書いても読む人がわかんないから、普通の言い方に直してある。英訳でも普通の時間になってるのもあるんだろうけど、下の2つは昔風に書いてあった。

じゃあ第3時、第6時、第9時のところ、下線の部分↓を比べてみよう。
マタイの福音書、第20章、3節〜5節。

うちにある文語訳。(旧新約聖書 日本聖書協会)
また九時ごろ出でて市場に空しく立つ者どもを見て 「なんぢらも葡萄園に往け、相当のものを与えん」といへば、彼らも往く。十二時頃三時頃とに復いでて前のごとくす。

うちにある口語訳。これは口語にしすぎで楽しい。松明が懐中電灯になってたり。(リビング・バイブル いのちのことば社)
二、三時間後、また、職を求める人々の集まる場所へ行ってみると、仕事にあぶれた男たちがたむろしています。それで、その人たちも、夕方には適当な賃金を払うという約束で、果樹園へ行かせました。昼ごろと、午後の三時ごろにも、同じようにしました。

図書館で借りてきたもの。(新改訳 新約聖書 日本聖書刊行会)
それから、9時ごろに出かけてみると、別の人たちが市場に立っており、何もしないでいた。そこで、彼はその人たちに言った。「あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当のものを上げるから。」
それからまた、12時ごろ3時ごろに出かけて行って、同じようにした。

うちにある New International Version
About the third hour he went out and saw others standing in the marketplace doing nothing. He told them, 'You also go and work in my vinyard, and I will pay you whatever is right.' So they went.
He went out again about the sixth hour and the ninth hour and did the same thing.

図書館で借りてきたNew American Standard Bible
And he went out about the third hour and saw others standing idle in the market place;
and to those he said, 'You too go into the vineyard, and whatever is right I will give you.' And so they went.
Again he went out about the sixth and the ninth hour, and did the same thing.

このNew American Standard Bibleには、注がついていて、
the third hour は 9 a.m. で、
the sixth and the ninth hour は Noon and 3 p.m. ですよと書いてある。

そしてthe eleventh hour は 5 p.m. なのだ。


が、ミナス・ティリスのシーンで出てくる時間の表し方には、ギリギリセーフもバイト代ゲットも関係ない。

関係ないなら長々喋るなよ!って声も聞こえますが、聖書にも同じ時間の言い方が出てくるということを言いたかったわけで・・・ はい。

日の出が零時で、日暮れが十二時。
昔はお日さまの動きが1日の基本だったんだから、こういう捉え方が当たり前だったんだろう。季節によって昼の長さが変わるけど・・・どうするんだろ。昔の日本みたいに時間の単位の長さが変わるのかな。わかんない。

で、とにかく、日の出を今の6時とすると、第3時は午前9時。季節とか昼の長さとかは置いといて、とにかく第3時は午前9時らしい。
季節も考えれば、あの辺のシーンは3月半ばだから、英国南部の緯度では日の出は6時すぎで、大体一致する。グレゴリオ暦だと8日くらいずれるけど、日の出はそんなには変わらないし、まぁ大体一致する。

アラゴルンが艦隊を率いてハルロンドに着いたのも第3時だった。エオメルは午前9時に海賊船に翻る旗が輝くのを見て歓喜したのだ。

この到着時刻は、戦闘中の記述にはmid-morning とあり(王の帰還 第6章)、
ギムリの回想ではthe third hour of the morning とある(第9章)。
この2つは同じこと。

mid-morning というのは、日の出から正午までの中間。午前半ばと訳されるけど、夜中の 0 a.m. から昼までの12時間の真ん中ではないのさ。a.m.と違って、モーニングの真ん中だからね。
だからmid-morning も the third hour of the morningも、どっちも 9時くらい。

草稿ではいろいろ書かれている。到着の日が決定稿とは違ったりもする。でもトールキンの心の中で、到着時刻は9時くらいが一番しっくりきたらしい。

トールキンは頭の中に、強い南風の中、朝9時頃の太陽の輝きのもと、アラゴルンが到着する光景がちゃんと見えていたのだ。だからどのシーンを書いても、言葉が違っても、時間は一致している。

映画では旗もなしで、船に乗ってたのはアラレゴギムの3人で、あとは死者の皆さまたちだった。
エオメルが白の木と星の旗に気づき、他の者たちも気づき、喜びがわき起こり鐘が鳴り響く・・・・のもなしだった。あれは輝かしい、空間が一気に光に満ちるようなシーンなのにな。それが緑のオバケ軍団がゴオオと流れるシーンになっちゃって、ありゃトールキンが観たら怒り心頭だったことだろう。

第3時のペレンノールは歓喜に沸いた。 あのシーンには、ごはんの話は出てこない。 あさごはん〜〜!!




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