Neekerbreekers。

瀬田訳では、コウベサセ虫。


さて、グワイヒアが子供の頃の、コウベサセ虫の鳴き方、コウベ、サセ、シモト、サセ、の解釈。

コウベは神戸ではなく、頭だというのはわかる。上の方。

上があるってことは、下とセットであるに決まっている。
だから、シモトのシモは、下だろうと勝手に理解し、下ネタの下かも知れんとかも思い、体の上の方も下の方も、エッチな辺りも刺しちゃう虫かと思ってた。指輪物語はマジメなようでいて、さりげなくエッチなのかとか・・・(←バカ)

出てくるシーンは、ぶよ水のところだから、ぶよだけでなくて、コウベサセ虫も刺す虫だと思ってた。だって、「サセ」だもん。

刺す虫ってのは、大抵飛び回るから、ブヨだけじゃなくて、これも飛びまくるような気がして、フロドたちも大変だなぁ、と・・・ どんどん勝手に想像は進み、頭の中では、ブユとコウベサセ虫が乱舞し、そのうち何となく、ブユとコウベサセ虫は同じものと思い込み、そしてホビットたちと馳夫さんは逃げ回る。自分は一緒にいなくてよかったとか思いつつ、おせんべなどかじりながら、読んでた。
あの後はすぐナズグルさん襲撃騒動となり、そっちのインパクト大で、たいへんだ、たいへんだ、とやってるうちにすぐノロリムノロリムになり、沼地のことなんかどうでもよくなり、虫さんたちのことは勝手な想像がそのままとなり、考え直す余裕もなく・・・

で、おとなになって落ち着いて考え直すと、ブユとコウベサセ虫は別の虫さんで、コウベサセ虫は飛ぶわけではない。たぶん。
コオロギって、ぶぃーんとは飛ばないからね。


Neekerbreeker は、トールキン先生は、似たような音にしてくれと言っている。そのまんま訳せば、ニーカーブリーカー、かな。
これこれこういう意味ですよ、との説明はしていないから、neek-breek は単に音を模しただけのものらしい。

で、日本のNeekerbreeker は、どこがどうなって、ああなったのか?


日本で普通その辺で鳴いてるコオロギは、綴刺蟋蟀というそうだ。つづれさせこおろぎ。

なんでそんな名なのかというと、コオロギの声が「肩刺せ、裾刺せ、綴れ刺せ」って聞こえるから。 えー、どこが?
しかし、風流な人の耳にはそう聞こえるらしい。

これって、針仕事の話で、綴れってのは、つぎはぎしてる着物のこと。

つぎはぎをオシャレにすると、パッチワークという名前になる。
今のパッチワークは、わざわざ布を小さく切って縫い合わせるけど、あれは大昔の感覚からすれば、きっと邪道だろう。
元々の意義は、昔は布の切れっぱしももったいなくて捨てる余裕もなくて、無駄なく全部使いましょうということで、はぎ合わせて大きな布にし、細かく縫うと糸で補強されるし、ただの布より強くなって、そこへ綿を挟んで縫うと暖かいキルティングになって、実用的である・・・ということで、せっかく大きな布があるのにわざわざ細切れにするのは、本来ならおかしい。

そして、細かいのを縫い合わせてある布の服を着ているのは、端切れしか手に入らないからそうなるわけで、貧しいというイメージがあり、だからアルルカンの着ている三角やダイヤ模様の服は、貧しい階層ということをも表している。
アルルカンて、アルレッキーノ。道化ね。ほら、こういうの
もともとそういう低階層なイメージのある、小布、端切れをつないだ服、今ではわざわざそういうのを作ってオシャレにしてるけど、昔の人が見たら不思議なのかもしれない。今ではカントリー風というイメージに変わってて、素敵な分野になっている。

一方、ハワイアンな模様みたいな、大きな模様に切り抜いたのを、どん!とキルティングするのは意味が違う。あれはなかなか贅沢で大らかな使い方だ。大きなのを大きなまんま、くりぬくんだから、大きな布でないと模様が出来ない。あれは豊かさを表していると思う。せこせこせず、伸びやかだ。南♪って感じ。

まぁ、何にしても、パッチワークはいい趣味ですよ。あれって大変だよねぇ。おっきなタペストリーなんて、あんなにたくさん縫うなんて、もう、考えただけで気が遠くなる。鷲には無理。途中で放り出すに決まっている。(^^;;)


でさ、話を戻すと、「綴れ」というのは、つぎはぎのことで、「肩刺せ、裾刺せ、綴れ刺せ」ってのは要するに針仕事をしろということだ。
肩刺せ 裾刺せ 綴れ刺せ
肩の辺りも縫って すそも縫って ほころびを繕いましょう

ちくちく針仕事しなさいねー、ってこと。

あのコオロギの声は、どうやってもそうは聞こえないはずで、要するに、コオロギがリィリィコロコロと鳴くのは夏の終わりから秋だから、寒くなる前に、繕い物は済ませておきなさいって話なのだ。
リィリィが綴れ刺せって言葉に聞こえるんじゃなくて、コオロギは冬支度を促す虫だったってこと。

リィリィが聞こえ出したら、あぁ、秋だよねぇぇ・・・ってことで、ちょいとしみじみして、さて縫い物でもするか、と。

瀬田さんは、国語の先生だったから、コオロギの「肩刺せ裾刺せ綴れ刺せ」をもちろん知っていて、これを使いたかったんだろう。
Neekerbreeker はコオロギみたいなやつだと本文にある。コオロギとくれば、かたさせすそさせでしょう・・・ってことで。

そして、neek-breek, breek-neek は、かたさせすそさせをもじって、「コウベ、サセ、シモト、サセ」になり、Neekerbreeker はコウベサセ虫となった。


コオロギの鳴き声は、英語ではchirpで、これは虫でなくても鳥でも使う。

日本人は風や川の音や虫の声を言葉として聞き、欧米人は雑音として聞く、というのはよく言われる。聞き方が違うらしい。脳味噌が反応する部分が違うとか。日本人は、言葉じゃない風の音や虫の声を聞いても脳の言語担当の場所が反応するという。日本語で育つとそうなるのかな。よくわかんないけど、特殊らしい。

そのせいか、日本語はやたらと擬音語擬声語が多い。虫の鳴き声だって、いろんな音で表現される。英語その他にはそんなにいろいろはない。chirp ひとつでいろんな鳴き声が間に合うのだ。

日本語の聞きなしでは、ホオジロは「一筆啓上仕り候」と言ってるらしいけど、グワの耳には「一筆啓上」までしかわかんない。うん、そこまでは、そうかな、と思う。続きはきっと、一筆啓上につながる言葉を並べたのかな。

ホトトギスの「テッペンカケタカ」は、「テッペンカケタ」ならわかる。「トッキョキョカキョク」の方が合ってる気もする。面白いよねぇ。

カッコウはそのまんまカッコウだけど、あれはハッキリとカッコウすぎて(←変な表現ですが)、他の聞きなしにならなかったんだろうな。聞きなしてもいいよね。「もっとー」とか。「はっぴー」とか。「らっきー」とか。そりゃ英語だろうって?(爆)

ツクツクボウシは、ツクツクボウシと鳴くけれど、うつくしよーし、という聞き方もある。美し佳し。美しいとは古語では大好きという意味で、だいすき、きれい、すてきだよ、とツクツクボウシは鳴いている。これを読んでいる人に美佳さんて名前の人、いるかな・・・アナタの名前はとてもすてきなのだ。
ツクツクボウシって、いそがしくツクツクツクツクって鳴くよね。だいすきだいすきだいすきだいすきって言いまくってるんだねぇ。そんなに好きなの、誰なんだろう。

最近の子どもは、川のせせらぎとか虫の声とか、そういう音を聞いて育ってないから、「うるさい」と言う。電子音の方が耳に馴染んでるらしくて、虫の声が我慢ならないという子もいる。脳の反応部分も違うのかもしれない。時代によって、いろんな人が出てくる。
そこの若いキミ、どうかね?


昔から日本では、言葉に置き換えて世界の音を聞いた。

音というのは耳で聞くものではなく、心で受けとめるものだ。

まぁ、何でもそうだけど。見えるものだって、目で見るんじゃなくて、心で見ている。同じもの見ても、人によって見ているものは違う。

もいちど言おう。 古来、日本人は、世界の音から言葉を聴いた。

そしてコオロギは、寒くなるから、繕いものをせよ、と言っている。
きれいだね。

そういうことに想いを馳せると、毎日バタバタとして、ささくれだったような心が、ふしぎと平らに、まろやかになる。

電子音だけでは、心は虚ろになるばかりだ。

あー、また話が逸れるな。元に戻そう。


さて、シモトとは何か?

肩させ裾させが元なら、肩が首になり、裾は下になったのではないのか?

こうべ、と、しも。

neek は neck みたいだし。 首だから、こうべとなる。

breek は、どこから下になったかと思って辞書をひくと、

breeks は、スコットランド、北イングランドでは breeches のこと。
breeches とは半ズボンのことで、半ズボンでなくて普通の長さのも指し、
またbreech は、おしり、太もものことで、おしりを鞭で打つことも指す。古語。

ふむ。 おしりぴんぴんしちゃうのが、breechか。


そして、「しもと」とは、鞭のことなのだ。 むち。びしばし!!

瀬田さんは、たぶん、この経路で「しもと」に辿り着いたんだろう。

トールキンは、意味の説明は何もなしで、音を似た感じにとしか書いてないから、neek が neck で、breek が breech のつもりではなかったんだと思う。
でも和訳では、その解釈になってるらしい。それはそれで面白い。


しもとって、若枝、細い枝、小枝のことで、それで作る鞭もまた「しもと」という。

欧州の皮だの鎖だのでひっぱたいて殺してしまうような野蛮なもんじゃなくて、皮膚が裂けたりしないように節を削ってなめらかにしたもので、お尻をペンペンするものだった。

お尻やももを叩く、この「しもと」は、、筈とか楚とか楉とかいう字を書く。

neek-breek, breek-neek を、neck-breech, breech-neck と解釈し、首、鞭、ってことで、こうべとむち、ピシピシ叩かれるお尻、ってことにして、コウベ、サセ、シモト、サセ、としたのが瀬田方式。・・・だったのかもしれない。たぶん。


コオロギらしきものがそこら中にいて、一晩中鳴き続けて、ってところの鳴き方の書き方は、
原文では、「neek-breek, breek-neek」 であっさりしている。

それが瀬田訳では、「コウベ、サセ、コウベ、サセ、サセ、シモト、サセ」とリズムを変えて拡大されていて、気も狂わんばかりになるという表現を助長している。
ほんとは、あっさり「コウベ、サセ、シモト、サセ」か、neekをコウベ、breekをシモトとするならそのまんまの順番で「コウベサセ、シモトサセ、シモトサセ、コウベサセ」でいい。

ま、途中で「サセ」を続けて、リズムを変えたのは、なかなか効果的ではあるのだけれど。


で、とにかく、「肩刺せ、すそ刺せ」が、「頭刺せ、お尻刺せ」になる。

つくろいものという観点からすると、頭とお尻だから、ほっかぶりする布を縫いなさい、ズボンのお尻のとこを縫いなさい、ってことになるかな。
コウベサセ虫は、ほっかむりして、パンツ履いてるのかもしれない。かわいーかも。

サセ、って、蚊やブユみたいに刺すことかと思ってたけど、針に糸通して縫い物をするという意味のままだとすれば、あの沼地に響いてる声は風流なことを言ってることになる。

でも瀬田さんは、虫が刺すという意味に転換したかったのかもしれない。

同じコオロギ系の虫さんの鳴き声だけど、
つくろいものをする季節ですよ・・・っていう言葉を、
あっちもこっちも刺しちまえ、っていう言い方にした。

「サセ」が入ったことで、Neekerbreeker は、ブヨたちをたきつけているというか、ブヨが刺しまくるのを応援しているような、そんな印象がある。それで、ホビットたちは気がおかしくなりそうでした、に、つながる。
でも、neek-breek, breek-neek には、刺せという意味は入っていないのだ。
ホビットたちが気が変になりそうでしたというのは、単に鳴き声がやかましくて、それが気持ちのいいものではなくて、それが延々続いて、それでおかしくなりそうになったってことで、刺せ刺せという言葉で参ったわけではない。

邦訳では、ちょっとこの部分、意味がいろいろ変わってしまっている。

でも、すごく面白い訳になっている。聞きなしを取り入れて、意味を転換する。
意味合いが変わってしまってはいるけれど、面白い。


元々は、日本語の、古来の、風流な、聞きなしの言葉。

トールキンがこの訳を知ったなら・・・何て言ったろう。
Neekerbreeker、和訳では全然違う音になってるけれど、日本の聞きなしという文化に興味を持って面白がってくれただろうな。


実は、コウベサセ虫は風流だったのだ、というお話でした。




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