とっつぁん。 サムのパパ。

原書では、大文字だったり小文字だったりする。
The Gaffer、the gaffer、his gaffer、my gaffer、いろいろになる。

瀬田訳で「とっつぁん」になってるこのGaffer、とっつぁんという言い方は確かになかなか田舎くさくていい。親しみが湧く。「おやじ」よりも柔らかいというか、人がいいイメージがある。
まったく頭に来るオヤジだぜ、って言い方だと、大層イヤなオヤジ像が浮かぶけど、まったく頭に来るとっつぁんだぜ、とすると、怒り度が一気にトーンダウンする。しょーがねぇなぁ、って、笑って言ってるような印象になる。

とっつぁんは、おとっつぁんだろう。おとっつぁんとは、お父さんだろう。

だから昔、原語ではDad か Daddy か、それとももっと崩れた言い方があるのかと思ってたら、Gaffer だった。ふうん、と思った。

日本語じゃあ、自分の父親でなくても余所のおじさんおばさんを「お父さん」とか「お母さん」と呼ぶ。これは相手の子供から見た言い方だ。

一方、そのお父さんやお母さんも自分のことを「お父さん」「お母さん」と呼ぶ。これは子供から見た自分の呼称。

こういうのは爺ちゃん婆ちゃんでも同じ。
ただし、これは、その爺ちゃん婆ちゃんが自分をそう呼ぶのならいいし、自分のほんとの爺ちゃん婆ちゃんならそう呼んでもいいけど、他人が勝手にジジババ呼ばわりするのはよろしくない。そう呼ばれてカチンときているお年寄りは結構多いのだ。
それに、そういう場面を見るのもあまり気持ちよくないな。よくあるのはさぁ、テレビのインタビューとかで若いアナウンサーがキャピキャピして「お爺ちゃん、お婆ちゃん」って呼んで、お年寄りを子供みたいに扱ってるやつ。あんたねぇ、その人、あんたよりずっと凄い人かもしれないんだよ!って言いたくなる。っていうか、トシとってる分、すごいに決まってるではないか。それなのに何だその喋り方は・・・ 年輩者を子供扱いするのは非常によろしくない。


話を戻すと、旦那が奥さんのことをお母さんと呼ぶし、奥さんが旦那をお父さんと呼ぶ。
旦那のお母さんはお婆ちゃんのはずで、しかし旦那から見たお婆ちゃんはほんとは曾婆ちゃんで・・・あぁややこしい。

年下の子に向かって自分のことを「お姉ちゃんはねぇ、」とか「お兄ちゃんはねぇ、」とかも言う。これは相手の目線から見た自分の呼称になる。

自分の子どもなのに、上の子を呼ぶときはお姉ちゃんとかお兄ちゃん。

よその家の、自分より年下の子を「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」とも呼ぶ。これは相手より更に年下の子から見た相手への目線での呼称になる。
ま、これはおじさんおばさんじゃない若い子、っていう意味にもなるから、更に年下の子から見た云々というのは当てはまらないときもあるけど。

学校の先生も自分のことを「先生」って言う。「困ったことがあったら先生に言ってね」とかさ。これは、生徒の目から見た自分の呼称だ。

ある程度トシがいってるおじさんは、「おやじ」とも呼ばれる。親父、親爺。父親のこともあるけど、父親じゃない人も親爺だな。飲み屋のオヤジとか、向かいのおやじさんとか。若い男の子はおやじとは呼ばれないから、やっぱりこれも父親になっててもいいトシの男性ということで、親しみを込めて呼ぶわけだ。親しみじゃなくて蔑称みたいになるときもあるけど、そういう言い方はよくないな。


要するに、日本語では、自分の呼称は、自分は自分であるとの確固たる一人称じゃなくて、相手によってコロコロ変わる。誰か他の人の視点に立っての自分になる。

相手を呼ぶときも、必ずしも自分から見た相手じゃなくて、誰か第三者から見た相手の立場、という呼び方になることが多い。

こういうのって、ヨーロッパ系言語ではあんまり見られないんじゃないかな。
アジアではどうなんだろう。地域によっていろいろなんだろうね。

で、だから、Gaffer を「とっつぁん」にしたのは、日本語ちっくで、日本語の特性を生かした訳で、なかなかいい。


では、元々の Gaffer とはどういう意味かというと、「田舎じじい」+「親方」ってこと。

サムんちのパパは、確かに田舎のジジイだ。
この gaffer の女性形は gammer で、ばっちゃんってことになる。
ってことは、gaffer は、じっちゃんだな。
とーさんはとっつぁんになるのにとっちゃんにならず、じーさんがじっちゃんになるのにじっつぁんにならないのは面白い。ひらがなばっかだと読みづらくて楽しいねぇ。

物語が始まった頃には、サムの子供が産まれるのはまだまだ先だし、じっちゃんだと何か変かもしれない。サムは6人兄弟姉妹の5番目だから、兄ちゃんか姉ちゃんにはもう子供がいたかもしれないけど、話のメインになるのはサムだから、やっぱ、じっちゃんじゃなくて、とっつぁんになる。

で、gaffer にはもうひとつ、「親方」って意味もある。何かのお頭だ。おあたまじゃないですよ。おかしら。尾頭じゃないですよ、御頭。
昔ねぇ、お頭つきの魚って、御頭付きだと思ってて、尾頭付きって知ったときは新鮮な驚きだった。あー、そうか、尾っぽを忘れてちゃいけないなぁ、って。鷲にも尾っぽあるからね。尾っぽって大事。
尾頭付きっていえば、普通は鷲じゃなくて、鯛だ。 鯛ってさぁ、浅いとこにいると日焼けして黒くなっちゃうんだってね。だから養殖の鯛は上に幕張って海の中暗くしとくんだって。日焼け止め塗るわけにもいかないし。塗ってたらすごいな。

ちょっと奥さん、お聞きになった? 隣の生け簀じゃSPF50のを使ってるんですって!
んまぁ!! こっちはSPF10だっていうのに?
許せないわよねぇ! でもあんまりSPFが高いとお肌に、じゃなくてウロコによくないって言うし・・・
そうよねぇ、いくら焼けなくてもウロコが荒れたらイヤだわ。
でもSPF20くらいはあってもいいわよねぇ。
そうよ、ちょっとこっちの生け簀も予算増やしてもらいましょ。

斯くして、次の餌撒きの時間、一斉に鯛のシュプレヒコールが・・・・・

皆さん、紫外線対策してますか?

サムのパパは日焼け止めとは縁がなかっただろうな。

えーと、紫外線の話じゃなくて、なんでしたっけ。

田舎のジジイ。親方。それそれ。

gaffer とは、その両方の意味があって、サムの父親にはぴったりの呼び名なのだ。
田舎のジジイなのは間違いない。
そしてgaffer はどういうお頭かっていうと、体を使って働く職種の頭領だ。年季の入った庭師にはぴったんこだ。

田舎のジジイと肉体労働職のお頭と、両方の意味を持つ日本語って・・・何かないかねぇ。
お頭とか親方とか言えば、昔っぽいから、それだけで年長者を指すイメージになって、年功序列的意味合いが出て、ジジイということも含むかもしれない。

いろいろ辞書を引っくり返すと、gaffer とは、godfather の短縮形だそうで、それが goffer にならずに gaffer なのは、grandfather の影響だそうだ。何にしても年長者を指す語だな。

gaffer は父親とか夫のことも指す、となってる辞書もある。米俗語になってるのもあるし、英俗語になってるのもある。どっち? ま、だから、とっつぁんでいいのだな。
ただし、そう書いてあるのは英和ばかりで、英英で書いてあるのは見つからなかった。よくわからない。

とっつぁんっていう日本語は、ほんとの子供はあんまり言わないんじゃないかな。それより周りの人が親しんで呼ぶ言い方だろう。

ルパン三世に出てくる銭形警部も「とっつぁん」だ。追っかけっこする仲良しだから。
あれって、英語版やフランス語版や他の言語だと何て呼んでるんだろう。訳しようがないような気がするけど。知ってる人、情報お待ちしてます。(^^)


で、とにかく、「とっつぁん」という日本語から連想するのは、年上で、でも怖い人ではなく、嫌いな相手でもなく、憎めなくて、可愛いとこがあって、人間的に尊敬出来、あんまりお金持ちじゃなくてもちゃんときちんと生きていて、こちらが困ったときには一生懸命助けてくれて、時々は助けてあげなきゃならないような面もあって、っていうようなおやじさんのことだ。
だから、みんなから Gaffer と呼ばれてるのを「とっつぁん」にしたのは、状況設定として非常に正しい。

近所のいい爺さん、仕事もよくやる親方、みんなが好きなそんな爺さんの呼び方は、とっつぁん。
うん。とっつぁんって訳は、こうして眺めるとぴったんこなのだ。
コトンさんちのおじさんは、サムのパパをとっつぁまと呼ぶ。原語では別に何も変わらなくて、heなんだけど、瀬田訳では「ま」にしてある。とっつぁまにすると、敬老精神がアップする。大事なとっつぁんは、とっつぁまなのだ。


それがサムのパパだ。

とにかく、読んでてGaffer、とっつぁんが出てきたら、これには「親方」っていう意味が入ってるのだな、って思うと、より味わいが増します。

サムがそう呼ぶときは、父親ってだけじゃなく、庭師の師匠として父を見ているという面もあるんだろう。父であり親方でもあるサムのパパ。

都会の役人や大会社の幹部みたいなお金持ちもそれなりの苦労をしてそこまでなったのだろうけど、田舎のジジイだってすごいのだ。
専門技能職ってものは、1年や2年で一人前にはなれない。10年、20年、30年っていう時間が必要だ。経験はお金じゃ買えないからね。何せ、ジャガイモにかけては、とっつぁんに敵う者はいないんだから。ジャガイモの生り具合は、この世の中で、かなりの重要事項だ。高級車の売買よりも、株価の動向よりも、ジャガの方が大事に決まっている。ジャガイモがなかったら、この世の食生活はかなり変わってしまう。
生活の根に基づいた仕事は、一番尊敬されて然るべきなのだ。

畑だけでなく、シャイアの村の草木をきれいに整える。
自分たちの住む土地をすっきりきれいに見せること、これもとても重要な仕事だ。

植物の世話に関しては素晴らしく年季の入った the Gaffer は、みんなが親しんで Gaffer と呼ぶんだから、心底いいホビットなのだ。なんつったって、あのサムの父親だもんね。

そういうとっつぁまの息子だから、サムは心底いい奴なのだな。


Gaffer、グワ訳ではどうしよう。これはかなりむずかしい。

お頭。 うーん、魚が浮かんでしまうか。それに瀬田訳のお頭はロソのことで出てくるから、イメージ悪いし。
じゃあ、親方。 そのまんますぎるか。瀬田訳だと、親方はハムファスト親方って使われる。Master Hamfast ね。マスターは確かに親方だ。これを親方とすると、Gaffer は親方に出来ない。Gaffer を親方にするなら、Master の訳語を考えねばならない。名人とかね。

おやじ、おやじさん、おやっさん、っていう流れもある。とっつぁんでなければ、おやっさんか。うーん。とっつぁんの方が優しそうだな。おっちゃんてのもあるけど。おっちゃんよりとっつぁんの方が高級かも。

Gaffer は、意味的には「じっちゃん」だから、「じっちゃん」でもいいかもしれない。
サムが旅に出たときは、Gaffer は90歳を超えていた。そしてサムが初めて庄長になった翌年に亡くなっている。サムも何とかなって、サムの子供も抱っこして、シャイアも独立地として安定し、それを全部見届けることが出来た the Gaffer の人生は、きっと満足なものだったろう。没年をそういう設定にするトールキンも好きだな。

6人いる子供のうち息子は3人で、上の2人は他所へ行ってしまい、そばにいて Gaffer の世話をしてたのはサムだけだった。さぞ、サムが旅から帰ってくるまで心配し通しだったことだろう。まさかモルドールへ行ってるなんて思いも寄らないとしても、子供が音信不通じゃ心配だ。

フロドは家族がいないから、フロドのことを毎日思い出していた人はシャイアにはあんまりいなかったかもしれない。心配してたのは、裂け谷のビルボと、事情を知ってるエルフたちくらいでさ。
でもとっつぁんはフロドのことも案じてくれていたことだろう。サムはちゃんとお世話しとるじゃろか、あいつはとんまなとこがあるで、心配じゃわ、ってね。

明けても暮れてもサムのことを気に掛けていたホビットは、シャイアには少なくとも2人はいたわけだ。とっつぁんとロージーね。サムは幸せ者だな。

そして、サムみたいな息子を持ったとっつぁんも、幸せ者だ。

とっつぁんの育てたイモも幸せなイモだな。さぞ、ほくほくで美味しいことだろう。
じゃがは、皮ごと丸ごと焼いて、バターをのせて食べるのがサイコーですな。

瀬田訳の「とっつぁん」は、味があって、意味的にも、日本語的にも、ほんとに名訳だ。
ほくほくのイモのように、あったかい。





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