以下、映画観てない人は読んではいけません。
原作を読んでない人も本読んでからにしよう。


ちょっと長すぎ。すいません。まとまらなくなりました。(^^;)
すごく良かったんで褒め称えた反面、文句もいろいろ噴出したので、100%の映画ファンは読むと頭にくるかもです。








観ました、ナルニア1作目♪

ではグワイヒアの支離滅裂感想文、はじまりはじまり。

トールキンと一時期とても仲の良かったルイス。その後、疎遠になって、でもルイスが亡くなったとき、トールキンの落ち込みようはひどかったらしい。
インクリングズの会合でトールキンが指輪その他を朗読し、ルイスはそれをいつも聞かされて、ナルニアを書くにあたってはずいぶん影響があったと一般的には言われている。たしかに影響あるな。うーむ、これは同じだよな、っていうのがいろいろある。しかも当時まだ出版になってなかったシルマリルと同じようなところまである。トールキンはナルニア読んで機嫌が悪かったらしい。気持ちはわかる。

でもトールキンの影響だけではなく、他にもいろいろ書くエネルギーの元になったものはあっただろう。ナルニアの初めのシーンは、ルイスが若い頃からずっと暖めてきたものだったのだし、やはりあの世界はルイスのオリジナルなのだ。
だけど、トールキンがいなかったら、指輪が書かれなかったら、インクリングズが存在しなかったら、もしそうだったら、ナルニアはこういう形で世の中に出ていなかったかもしれない。書かれたとしても今売ってるのとは違っていただろう。
そしてこの映画も出来なかったのだ。
・・・とか思うと感慨深い。


で、さ。 それでさ。もう面白かったよね。ナルニアだもん。(^o^)
2時間半、スクリーンに釘付け。素晴らしかった。ナルニアだった。
うわぁナルニアだナルニアだ!
ケンタウロスのなんと立派だったこと!!すばらしい。ケンタウロスはかくあるべし、って感じ。もうこれだけで、あぁナルニアだなぁ♪ってうれしくなる。

ほぼ原作通り。そして、ほぼ指輪通り。(爆)
いちいち指輪のシーンとかぶって、何を見ているのかわかんなくなってちょっと大変。
階段の上にサルマンさまがいないのはなぜ、とかさ。
もう全部が指輪だったなぁ。

ここはカラズラスに登る前、
はいここはカラズラスの崩壊シーン、
魔女の城はミナス・モルグル (だって色がおんなじ)、
そこから出撃するナズグル部隊 (あぁ、フロドが危ない)、
モリアの途中で道がわかんないとか言うし、
追っかけられて隠れた子供たちとビーバーはホビッツと同じで (ピーターが指輪引っぱり出すんじゃないかとハラハラ)、
オオカミの下敷きになったピーターはワーグの下のギムリだし、
高台から下を見下ろし話をしているアスランとピーターはダンハロウのセオデンとアラゴルンで (ピーターがどうも頼りないのは誰かさんと同じ)、
魔女側突撃の合図してるミノタウロスは角笛城前で岩に乗ってたウルク=ハイ、
救援部隊を引き連れて駆けつけたアスランはヘルム峡谷に現れたガンダルフ、
合戦シーンはペレンノールそのまんまで、
後ろの山は白の山脈だし、
両軍がぶつかるところもローハン軍VSモルドール軍のぶつかるとこそのまんまだし(これはちょっといかがなものか・・・まんますぎ)、
走り出す前にピーターが「フロドのために」とか言ったらどうしようとドキドキして身構えてしまいました。フロドとは言わなかったのでやれやれでした。

あれはきっと、WETAのスタッフが指輪にどっぷりで、未だに頭の切り替えが出来てないのに違いない。頭の切り替えが出来てないのはこっちも同じで、ひとのことは言えないんだけど、しかし作る方は切り替わってなければいけない。
トールキンとルイスの世界はまるで別物なんだから、もう少し違う作りにしてほしかった。
あれだとさぁ、まんまじゃん。
それしか知らないのぉ、って感じでさ。
いくら同じニュージーランドで撮ったからって、風景以外まで一緒にしなくていいのにな。それか違う土地で撮れば少しは違ったろうに。北欧とかさ。
ミドルアースとは根本的に違うのになぁ。もう全然別なのになぁ。だからナルニアはいいのに。

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いくらトールキンの影響があったとはいえ、ルイスとトールキンの創った世界は全く違うのだ。だからミドルアースは素晴らしいし、ナルニアも素晴らしい。
トールキンの創造の方が段違いに凄いのは誰にでもわかる。設定の根性の入れ方がまるで違うからね。ナルニアはあんまり詳しく設定されていないけど、それが却って素敵な世界だ。詳しく書かれていないからこそ、歴史も地理も、ひろーく感じることも出来る。

これについて話し出すとまた長くなるから、まずちょっとだけ。
トールキンのアルダは、まさしく準創造で、歴史も言語も地理も事細かに創られ、本物の世界が出来ている。現代文明の前には、ちゃんとあの世界があったのだ。本物なのだ。という世界が、ここまで1人で書いたなんて信じられないくらいに確立している。
ルイスの書き方は全く違って、おとぎ話の形式をとって心を書いている。子供向けのお話は、いろいろ細々とは書かない。ルイスは削ってもいいことは全く書かずに、細かい歴史や出来事を詳しく書かずに、単に心を書いた。ナルニアは、どの本も、キリスト教やその他ルイスの信じる思想や哲学に裏打ちされた心を書いたものなのだと思う。
トールキンに心がないとかいう意味ではなく、この両者をたとえるなら、トールキンは細密画で、ルイスはパステル画、って感じかなぁ。メインのとこだけ、ほわ、って描いてあるの。他のところはグラデーションの向こうにある。

宗教くさいからキライ、って人もいるらしい。宗教と関連づけて読まなきゃいいんだけど。その点、日本人はそういうこと考えないで読んだり観たり出来るからいいね。
ルイスだって、何も、せいしょっっ!!ってだけで読んでほしかったわけじゃないだろうから。

書かれている心とは、7冊でそれぞれ違う。でも同じと言えば同じ。読み込むうちに、それを無意識に感じ取って自分の栄養に出来たら素敵だな。無意識に、っていうのがいい。どっちかっていうと宗教にはあんまり関心のない日本人に向いてるんじゃないかとも思う。

でさぁ、語り方がまるで違う、描かれていることの根幹というか芯になるものもまるで違うのに、それを同じような描き方をされちゃうと、やっぱりいちいち指輪のシーンがちらついて落ち着かない。

同じように剣振り回して戦うシーンがある、ってだけで、単純に同じにしないでいただきたい。
ナルニアはナルニアにしてほしかったなぁ。指輪もどきにしないでほしかった。
ああいう作りにしちゃうと、いつまで経っても指輪と比べられて、同列で比べたら原作も映画も指輪の方が上で、いつまで経っても、指輪>ナルニアで、ナルニアの良さが指輪もどきの色にかき消されてしまう。

魔女の手下どもはミドルアースから再雇用されたオークだし。失業しないで済んでよかったです。しかし同じようなものを出すのはいかがなものか。これが一番気になる。だって同じすぎだもん。思わず白い手形を探しちゃう。

あとねぇ、地図がねぇ、指輪のときと似すぎ。チラっと見ただけだと同じに見える。
映画館で買ったブックカバーも地図柄で、帰ってきてほくほくしてライオンと魔女と衣装だんすの本にかけて、にへらにへらしながら読んで、本を閉じると、指輪の地図が。(^^;;) そっくり。
ダニエル・リーヴさん、違うテイスト、違うスタイルで描いてほしかったです〜 彼の作品は素晴らしいのですが。
と言いつつ、カバーなでなでしてニヤニヤしておりますが。 グッズいろいろ買っちゃった。ふふふ

一昨年発売の前売りの特別券、あれはよかった。カレンダーつき。すばらしい。再来年公開の映画の前売りなんて聞いたことがない。ナルニアはやっぱり偉大だなぁとつくづく思った。全国限定2,000枚、限定19劇場だったそうで。
霧ふり山脈は田舎で、そんな素敵なものは売ってなくて、っていうか、そもそも世の中がそういう事態になってるとも知らずに鷲はボーっとしていた。
そしたら、ぽちまるさんが買って送ってくれたの。ぽちまるさん、どうもありがとう。(^o^)
それからずっと額に入れて、日に焼けないように直射日光当たらないところに飾ってありました。もったいなくて映画館では使えなかった。このままずっと飾っておきます。

  ↓これ♪ いいでしょ。(^^)
プレミアム・チケット カレンダー タムナスさん♪


で、この特別前売り券の図柄は、まさにナルニア。これは、一巻本の表紙も同じ。 これね。 邦訳は これ。 おっきくて重いから、読むには分冊の方がいいけど。

原書の一巻本が出たのはずいぶん前で、すぐ買って、挿絵もカラーになってて嬉しくて、ずいぶん前に買った割には原語では好きなとこしか読んでないんだけど、めくってるだけでうきうきららら♪になる。映画のおかげで邦訳版も出た。いいことだ。
それで、表紙がまたうれしくて、これを食い入るように眺めながらお茶をいただくとまた格別なのだ。細かい絵も、字体もまさにナルニア!そりゃそうだ。挿絵描いたポーリン・ベインズの作だから。 字体が素敵ですごく好き。いいなぁ。ナルニアだなぁ。
映画の地図もこれだったらよかったのに。


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といろいろ言いつつも、原作を知ってると、たまらなかった。いろいろと。
初めっから泣けて泣けて。なんで泣けるのかよくわかんないけどポロポロ涙が出て自分でびっくりだった。
原作にはないオープニングの空襲シーンでも、写真を取りに戻るエドに泣けて、汽車に乗るとこでも泣けて、汽車が走るところでも風景を見て泣けて、街灯で泣けて、タムナスさんが現れてまた感動。ルイスとトールキンの間にあったいろいろなことを想うとまた泣けた。

原作と違って、ペヴェンシィ家のパパとママの存在が出てきたのはよかった。本だと、平和ボケしてる今の時代の日本人には疎開とか言われてもどうもピンとこない。どうかすると夏休みで遊びに行ったように感じてしまう。
あの冒頭のロンドン大空襲が入ったことで、現実社会の情勢がハッキリし、ピーターたち4人の背景が見え、彼らの気持ちの背景が見え、空爆の中でもパパの写真が大事だったエドマンドの気持ちと、そのエドを追っかけるピーターの気持ちと、家に戻る2人の背を見つめるスーザンの気持ちと、パパの写真と割れたガラスを見つめる4人の気持ちと、列車の窓から見える風景の哀しさと、戦っている世界の未来への不安と、疎開先のお屋敷を前にした気後れと、たくさんのものが見え、原作だと分かりづらいもの、文章で書くとしつこくなるものを感じることが出来る。

映像というものを上手くつかったなぁ。すごい。


タムナスさんが傘さして、いろいろ持って、雪の中にいる。
ルイスはこれを書きたくてナルニアを始めたんだって。これはパンフにも書いてある。傘さして荷物抱えて雪の中を行くフォーンの図は、ナルニアを書くずっとずーっと前からルイスの胸の中にあって、だからトールキンその他の影響云々ではなく、やっぱりナルニアはルイスの確固としたオリジナルの世界なのだ。
街灯の下で出会ったタムナスさんとルーシー、そして2人で家へ向かうシーン、ルイスに見せてあげたかった。

想像してたのよりピーターとスーザンの背が高くて、初め映ったときスーザンはお母さんだと思ってしまった。(^^;) あぁこれがスーザンかと気づいて、4人でいるのを見ていたら、原作最後の巻が頭をよぎって、スーザンだけ一緒じゃなかったのを思い出し、また泣けた。
あのスーザンのことは、この年になっても(どーゆー年?)、未だにグワは受け入れ難く、最後の展開は初読の時のショックが今でも尾を引いている。

やはりナルニアは普通のおとぎ話とは違う。


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しかし、なんて素敵な映画だろう。観れてよかったなぁ。

マクレディさんが、これまたおっかなくて素敵だった。あそこに居候したくなる。ああいうおばさんがいたら、いたずらのし甲斐があるというものだ。なんと素晴らしい毎日になることだろう!!考えただけでわくわくする。
映画のピーターたちは言うこと聞きすぎ。あれではいけない。ちょっとおとなしすぎるな。原作の4人はもっと元気だった。
大体さ、窓ガラス割っちゃって、どーせ怒られるんならついでにもう1枚、とか思わなきゃ。


原作はね、好きではあるけど、グワとしては、トールキンの本ほどじゃないわけさ。7冊中、個人的に(個鷲的に)イマイチ好きじゃないやつもあるし。
グワが好きなのは、「ライオンと魔女」と「馬と少年」。ブレー最高♪大好き。
でも映画化するとまたそれぞれ印象が違うんだろうなぁ。
トールキンほど夢中で読んだわけじゃないとはいえ、今回の映画は良かった。楽しかった。ほんと、ごきげんだった。


トールキンの指輪は、頭の中でも元々実写で世界が出来てて、だからPJの映画はそれを見せてくれて、もう凄くて凄くて、自分の頭の中のより凄いところもたくさんあって、うれしくてうれしくて映画館に通い詰め、しかしひんしゅくな改変は許し難く、フロドがキレイすぎるのもなかなか慣れず、アルウェンは最後までひんしゅくで、元があまりに長いからカットの部分の方が多いのは仕方ないけど、でもやっぱりいろいろ不満はあった。なんでアンタがそこで出てくるのさ!とか、どーしてそこでそうなっちゃうのさ!とか、そこでそんなこと言っていいのかよ!とか。

ナルニアは、ベインズの挿絵の影響もあって、グワの頭の中では実写ではなかった。何て説明すればいいかなぁ。実写っぽくはあるんだけど、もっときらびやかでもあり、カラフルで、空間が透明で、普通の空気じゃない、ちょっと違う世界があった。7作通して、指輪の世界とは全然違うからね。ナルニアはおとぎ話的性格だから、頭の中でも描き方やみんなの動き方が違ったんだよ。
それを実写で見せてもらって、あぁ、こういうナルニアもあるんだな、と。

映画公開で、未読で観て、それから本を読む子供たちは、初めからこの映画の光景が心に展開するんだろう。
読んでから観ても、観るまでの期間が短いと、心の中での熟成度が浅いだろうし。
今大人で、読んでから観るまでの年季が入った人たちは、自分の心の中のナルニアがある程度確立していて、そして映画を観て、新たな発見があり、自分のナルニアは映画の影響があっても土台は揺るがず、いいバランスが保てるんじゃないかな。
それは指輪も同じだよね。
指輪もナルニアも、映画まで年季が入る余裕があって、この時期に映画を観れて、なかなか幸せだなと思う。


ナルニアは、7冊あるとはいっても、1作ずつはすごく短いし、1本の映画に難なく収まる。映画化には丁度いい長さなんだなぁ・・・・ 何かお話を書くとして、もしかしてベストセラーになって映画化になることを予定するならば(どーゆう予定だろう・・・)、カットされたり話を変えられたりしてムッとするのがイヤなら、ナルニア程度の長さにしておくのがいいのだな、というのがよくわかった。作家志望の人は参考にしましょう。


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しかし、あの合戦は、ちょっと大きすぎたんじゃなかろうか。グワは本読むとき、そんなつもりで読んでなかった。みんなはどうなのかな。誰でもあの映画みたいな大がかりな戦のつもりで読んでるのだろうか。ケガ人は多数出るんだから本格的であるのはわかるんだけど、ペレンノールとは違うよなぁ。
しかし大層な戦の割には、始まってみるとそれほどでもない。グワの頭の中では、小規模でももっとハチャメチャなことになってるつもりで読んでた。

映画はぶつかるシーンと、その後のバランスが悪くて、どうも中途半端な感もある。でも、一応子供向けファンタジーだから、あの程度でいいんだろう。あれが指輪のヘルム峡谷やペレンノールみたいなことになってたら子供向けファンタジーじゃなくなってしまう。
指輪の場合は、原作にはそんなに書かれていない戦闘シーンに時間かけすぎて(映画としては仕方ないが)、子供にはちょっとキツくなってるし、大人でもああいうの嫌いな人は辟易してしまうという事態になった。 まぁ今どきの子供は大人よりああいうの平気なのかもしれませんが。


喋る順番がメチャクチャだけど、ちょっと戻ると、タムナスさんの家は立派だった。中はともかく、入り口がすごい立派だった。そんなに立派でいいのぉ?と思いつつ観てた。
タムナスさんは、前に掲示板でピピンが適役だよね、って話が出たことがあったけど、ほんとにピピン、じゃなくてビリー・ボイドだったらよかったなぁ。タムナスさんはどこまでも気のいいフォーンでなきゃね。
今回のタムナスさんも良かったんだけど、やっぱピピンの方が適役というか、アブナイ雰囲気がなくてよかったんじゃないかな。最近は幼女誘拐とかいろいろあるからさ。それはどこの国でも同じだろうし。原作のタムナスさんはアブナイ雰囲気ないし。 ビリー・ボイドがピピン的キャラで演じてくれたらぴったんこだったと思うな。
もひとつ文句を言えば、タムナスさんはもっと赤いんじゃなかったっけ。
それと、耳がやたらと目立ってたけど、角はついていたのだろうか。タムナスさんの頭に生えてるのは角じゃなかったっけ。そりゃ耳もないと困るでしょうが。

タムナスさんってねぇ、トトメスさんと間違える。グワだけかな。どっちだかわかんなくなって。(^^;) ミスター・タムナスは、邦訳だとタムナスさんだから余計に。トトメス3世はエジプトの王さまです。


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映画よりグワの頭にあったナルニアの方が凄かったのは、いろいろある。
またちょっと文句になるけど、並べてみるか。でもこういうのは人によって、鷲によって違うから、あくまでグワの主観だ。

まず、ケア・パラベルの城。映画も大きくて素敵だったけど、でもあんなもんじゃない。もっとすごい。だってケア・パラベルだもん。ピーターやスーザンたちが座った王座ももっと立派なはずだ。 王座を作った頃のナルニアの国家予算が足りなかったんだろうか。心配になる。

石舞台ももっと大きいつもりだった。狭くてびっくりだった。もっと立派な遺跡のつもりでいたから、映画を観た子供たちが、今後、あのシーンに逆らって自分で想像出来るのか心配。

そしてアスラン。 これが一番不満だった。テレビのコマーシャルとか、ふしぎ発見とかで目にしてて、行く前からわかってたけど、実際本編を観てやっぱり一番これが不満だった。
だってさぁ、アスランだよ!わかる?アスランなんだよ!アスランはもっと、もーーーーっと立派なんだよぉ!! だってアスランなんだから。
なんか、指輪のアラゴルンのような気分でございました。アラゴルンはそんなんじゃないよぉぉぉ!!と叫んでいたあの日々が懐かしい。

アスランはもっと大きくて、もっと輝かしくて、もっともっと厳しく恐くて(これは重要)、でもその一方では暖かくていつまでもひっついていたくて、たてがみはもっと黄金色でもっと豊かでふさふさで光り輝き、そこにいるだけで大いなる威厳が辺りに放たれ、オーラがビシバシと漂っていて、そうだ、それがアスランなのだ。とグワは1人で(1羽で)バサバサしているのでありました。
エドマンドに説教してるときは充分大きく見えるんだけど、どうも小さめのときもあったりして、アスランの大きさ、いてくれると安心なあの大きさがいまいちだった。
あまりに偉大で、目にするとビビビときて、アスランの前にはなかなか出られなくなってしまう・・・っていうのが欲しかった。

本物のライオン使ったんならともかく、CGなんだから、どうにでもなったはずだ。あんまり立派にしすぎてもウソくさくなるけど、畏怖という要素がもっとあるとよかった。あれではなんだか、お隣の気のいいおっちゃんのようではないか。ジャングル大帝のレオじゃないんだからさ。せっかく予算かけて作ったのに、もったいない。
そりゃねぇ、畏怖というのをスクリーンに出せと言っても難しいかもしれないけど。
きっと動画だから難しいのだ。静止画なら、ちゃんとアスランに見える。ポスターやあちこちで見かける映画のアスランの横顔は、偉大なライオンになっている。

魔女と話し合った後のしょぼんとしたアスランは、充分しょぼんとしてて、可哀相すぎて、あれはあんまり立派な造形にしておくと、しょぼんとしきれないから、アスランはあんな感じでいいのかなとも思う。頭の中と違って、映画となるとそこら辺の加減がむずかしい。
でも、もっと偉大な感じにしたとしても、しょぼんというのではなくて、悲しみに沈むアスランという表現は出来る。
ま、とにかく、しょぼんとしてたからこそ、アスランは生き返る。これは重要なことだ。

復活シーンはグワの頭の中ではもっと劇的だった。そして何よりも、その後のルーシィとスーザンを乗せて走るシーンは、すんごく期待していたけど、いまひとつだった。一番わくわくして読んだとこだったけど。あれは絶対カメラワークが問題。っていうか、実際に走ってるわけじゃないのを作ってるんだから、作り方がわるい。
あれなら、ピピンとガンダルフを背にミナス・ティリスに向けて走る飛蔭の方がずっとわくわくする。

魔女の城で石になってる皆さんも、もう少し本物っぽく出来たのでは・・・
並べ方とか。撮る角度とか。
セットですぅ♪って感じがありありで、ちょっと残念。あれは撮り方だなぁ。


こうして見ると、CGがもの足らないとか何とかじゃなくて、きっとカメラワークや間の取り方や音楽との連携がうまくないんだな。
どう観せるか、魅せるか、が勝負なのに、撮り方が普通すぎる。もったいない。CGに頼りすぎて、撮り方、つなぎ方の追求が足りない。とか生意気を言ってみたくなる。
映画に限らず、何事においても、最後はアナログ的感性がものを言う。コンピュータなしでどこまで訓練されているかが、コンピュータなしの場合にどこまで出来る人なのかが、コンピュータを使ったときに全部出る。


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話が戻るけど、小鳥にビーバーのところまで連れていかれるのをもっと長くしてほしかった。20秒くらいでもいいから。20秒はかなり長いからね。あれはタムナスさんちのすぐ前じゃん。
時間が短すぎというのは、エドが魔女のおうちへ行くところもそうだった。これも20秒でも途中経過を入れれば・・・・ っていうか、もしかしてナルニアもSEEが出るんでしょうか。劇場版ではカットだったのでしょうか。

しかしやっぱり距離的には本より狭くなっている。これは指輪も同じだった。映画はパッパと次々展開しなきゃならないんだろうし、途中でたらたらやってられないのはわかるけどさ。
タンスから街灯までがすぐそこだし。ほんとはすぐそこじゃないのに、でもすぐそこ。
向こうに灯りが見えて、行ってみたら街灯が、っていう原作通りの演出でもよかったと思う。本は10分になってるけど、ほんの少しでもいいんだもん。
すぐそこにしないと話がなかなか進まないから映画としてはあれでいいんだろう。でもやたらとすぐそこだと・・・まぁタンスの中なんだからすぐそこでもいいか。
しかし中は外より広いというのがナルニアのキーワードであって・・・まぁいいか。

疎開したお屋敷も、すごく大きかったけれど、中が狭かったなぁ。もっと広いの想像してたから。
廊下とかね、もっと広いつもりで読んでたの。でもああいうのが普通なのかな。

CGの動物の動き方がぎこちないのがご愛嬌。
ビーバー夫婦が何だかオモチャみたいで、やっぱこれはディズニーなのかなぁと思いました。
指輪の場合は、実際にいない、いや、いたんだけど21世紀にはそこら辺にいなくなったオークやトロルやなんかだったから、多少動き方がおかしくても大して気にならなかったのかもね。
ナルニアの場合、ビーバーとかキツネとか21世紀にも普通にいる動物が出てくるから、実際と動き方が違うとおかしく感じる。もうすこし本物っぽく出来ただろうに、あの程度にしたのは、「ファンタジーですよ効果」を狙ったのかもしれない。ディズニーっぽさが出ててよかった(?)のかもしれない。わざとなのかな。
ああいう描き方のビーバーにした方が受け入れやすい子供たちもいるんだろうから、あれはあれでいいんだろう。


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サンタさんが真っ赤っかでなかったのが一番ビックリだったかも。(爆)
そっか、サンタさんは赤くなくていいのか。  いや、ほんとにビックリした。石舞台が割れた音よりビックリしたもん。えー、アナタ誰? サンタさん? ちょっと、その服どーしたの、って感じで。
本も赤じゃなかったのかなぁと思って、帰ってきてからページをめくったら、ちゃんと赤だった。bright redって書いてある。赤じゃない服もオシャレでいいかもね。今風なのかもしれない。それとも赤いのはクリーニングに出したとか。
でもやっぱりねぇ、サンタに関してはトールキンの意見に賛成だな。サンタさんが出てくるのはやっぱおかしい。どう考えてもおかしい。アスランはイエスだから、サンタさんが出てくるんだろう、というのはわかるんだけど。
なんでライオンにしてあるのかってクリスチャンじゃないとなかなかわからない。あれは聖書にライオンって書いてあるから。いや、イエスさまが「がおー!」とか吼えてたわけじゃないんだけどさ。
でも別にアスラン=イエスって見る必要はない。読む人、観る人それぞれのアスランがいていいんだと思う。
だからやっぱりサンタさんが出てくるのは唐突だ。

本読んでいつも心配になるのは、ナルニアが春になって魔女のそりが進めなくなるでしょ。サンタさんはどうしたかなぁ・・・って気になる。あの後、どんどん雪がなくなって、どうしただろう。魔女のそりみたいに困ったんじゃなかろうか。サンタさんは空を飛べるからいいのか。そういうことにしておこう。

ピーターが貰った銀色に赤いライオンの盾も原作通りでOK。スーザンの弓や角笛も素敵だった。ルーシィの薬瓶もとってもオシャレだった。
しかし、サンタさんがビーバー夫婦を無視していいのだろうか・・・ ミシンはどうなったんだろう。気になる。
そういえば、お茶も出してくれなかった。サンタさんのケチ。それともサンタさんは財布の中身が寂しいんだろうか。心配になる。

そうだ、他の食事のシーンも、もっと美味しそうだったらよかったな。食べるところは重要だもん。ビーバーさんちは特にね。あそこはすごく暖かいシーンでしょ。映画はとにかくみんなして深刻になってなきゃならなかったから、ごちそうが並んだ楽しい食卓にならなかったのかな。でも見たかったな。

おとぎ話でこういうことを言ってはいかんのはわかってるんだけど、しかし、ずーーーーーっと100年も冬が続いているというのに、どうしてパンやイモやバターが出来るんだろう。というのがグワの長年の疑問だった。初めて読んだときから心配だった。どこに小麦畑が・・・どこにイモ畑が・・・どこに牧草が・・・いえ、何でもありません。どっかから手に入るんです。アスランは偉大ですから、自分がいなくても、寒冷化だろうが温暖化だろうが何とかなるようにしてあるんです。
しかしこの問題を解明するのは、遠い未来にいずれ来るであろう氷河期を人類が乗り切るには重要かもしれぬ。うむ。


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ピーターがちゃんとピーターだった。ピーターそのものだった。スーはもうちょっと華やかなイメージがあったけど、まぁ一応スーザンだった。兄ちゃんと姉ちゃんは本の設定よりちょっと大きかった。パンフを見たら、え、いくつだ・・・?ピーター、87年生まれ?!じゃあ撮影のときは18歳くらい?スーザンは88年生まれ。
うーん、やっぱりちょっと大きすぎかな。でも年の割に2人共童顔かもね。
ま、大きい方が下の2人との年の差がハッキリわかっていいんだろう。

エドもイメージ通り。役柄的にはエドマンドが一番難しい。ちゃんとエドになってた。えらい。
ルーシィかわいい!!すばらしくルーシィだった。いいなぁ。
テレビでジャパン・プレミアの様子をやってたけど、日本語で挨拶したルー、途中でわかんなくなって泣いちゃってたよね。それとも何て言うのかわかってたけど、大勢の人の前で言えなくなっちゃったのかも。かわいいなぁ。気持ちわかるなぁ。いいこだなぁ。
4人とも、美形すぎずに普通の子だったのがすごく良かったです。そしてルーシィが一番存在感あるのも良かったです。
最後、帰るところで大人になったルーシィやエドマンドが感激でした。わ〜〜♪ すごい!ルーシィ美人!!ありゃきっと、姉ちゃんよりモテるな。


それからエドが、原作では結構困ったヤツなのが、映画ではそうでもない感じになってた。
しかし、考えてみれば、原作の方がいいヤツなのかもしれない。逆に。
本では、悪い魔法のお菓子を食べておかしくなって、それでああなる、って設定だもの。あれ食べたのがピーターだったらやっぱりエドマンドと同じことしたかもしれない。

映画ではそれがあんまりわかんなかった。あの、魔法のかかったターキッシュディライトで、マインドコントロールならぬターキッシュディライトコントロールで、って感じは薄かった。長いな。舌噛みそうだ。マインドゼリーコントロールがいいかな。粉つきゼリーコントロールとか。いや、そんなことはどうでもいい。
とにかく、魔女のお菓子を食べたせいでエドマンドはおかしくなってて、城へ行かずにはいられなかったのです、っていうのが、本読んでない人にはよくわからなかったと思う。
パンフには書いてあった。しかしパンフを買わなかった人にはわからない。

ターキッシュディライトって、実際はあんまり美味しくないらしい。でもエドマンドが食べたのは魔法のゼリーだったんだよ。すんごく美味しかったのかもしれない。
彩果の宝石って知ってる? フルーツゼリー。あれは美味しいな。見た目もかわいいし。グワねぇ、あれくれるって言われたら行っちゃうかも。(爆)

原作、日本語版ではプリンになってる。あれは正解だと思う。ターキッシュディライトなんて言われてもわからない。
プリンって、毎日食べるもんじゃないし、家で作るにしても、買ってくるにしても、どこか夢のあるものだ。色も、食感も、艶も、カラメルの不思議な美味しさも。
むかーし、子どもの頃、スーパーで売ってる牛乳と混ぜて固めて作るプリン、あれが好きだった。ハウスだっけ。プリンの素、今でも売ってるでしょ。カラメルソースがねぇ、おいしくてねぇ。
今はコンビニでいつでも買えるから、プリンのありがたみが薄れてるかもしれない。でもプッチンプリンはイマイチ好きじゃない。
グワイヒアも今は贅沢になって、ハウスのプリンの素を混ぜ混ぜするんじゃなくて、プリンと言えばモロゾフのになっている。あそこはチーズケーキも美味しい。うん、モロゾフのチーズケーキをあげるって言われたら行っちゃうかな。

邦訳でプリンってしないとすれば、ターキッシュディライトはやっぱり馴染みがないから、わかりやすく「ゼリー」にすればいい。ああいうゼリーは日本でもあるし。彩果の宝石も四角くすればああいう見た目になるし。


エドマンドみたいな、ちょっとしたひねくれ坊主はそこら中にいる。ひねくれ嬢ちゃんもそこら中にいる。っていうか、その方が子どもらしくて普通かもしれない。そんないい子ばっかりじゃないもんね。いい子に見える子に限って、裏ではびっくりするようなこと平気で言うもん。 おっ、おっ、お前はそんなに裏表があるのかっ!って驚くわけよ。
ほんとに真っ直ぐな子って、要領が悪いから周りに気に入られるように立ち回れないんだよね。大人の前でハキハキと明るくニコニコしてるヤツは危なかったりする。全部が全部じゃないけどさ。
そういうヤツが往々にしてグワの前で本当の顔を見せるのは、どうも仲間だと思われるらしい・・・ うーん・・・・ 喜んでいいのかどうかよくわからない。でもそれも可愛いんだけどさ。
彩果の宝石、じゃなくて、魔法のかかったターキッシュディライトが加われば、誰でもエドマンドのようになる。

この第一作、ライオンと魔女の中心となるのは、ルーシィに見える。でも、エドマンドと言ってもいい。アスランとエドマンドを外すと話が成立しない。

アスランと言うとき、エドマンドだけ発音がアズランみたいになってて、元々この子はそういう喋り方なのかもしれないけど、エドマンドだけが他の子たちと違う目でアスランを見ているのを暗示しているのかとも思った。


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映画のナルニアの風景は、とても綺麗で広大ではあったけれど、しかし、なぜかあんまり広大に感じられなかった。特撮でいろいろ重ねてるのがありありだったからなのか、指輪の映像に慣れてしまってちょっとやそっとじゃ驚かなくなってるからか。
そういう意味では、風景として一番良かったのは、冒頭の汽車の走るシーン。あれが一番心にビビビと来た。実物を撮ったまんま、っていうのが一番だな。あれも映ってちゃいけないものを消したり、多少何か付け加えたりもしてるんだろうけど。

初めの空襲、駅、お屋敷に着くまでがすごく良かった。だから、ナルニアに行ってからの映像が、凄いけれどイマイチ物足りないものを感じたのは、現実とタンスの向こうの夢の国というのを表すのには当然なのかもしれない。イマイチ物足りないのは、計算された作りなのかな。
しかし夢の国の割には、空間が普通すぎた気もする。半神半獣がぞろぞろいて動物たちが喋るから、それでナルニアの空気っぽくなってはいたけれど、そういうのを抜きにしたときにナルニアに見えたかというと、そうでもない。そういうのを抜きにするとやっぱりミドルアースになってしまう。

鷲なのかグリフォンなのかハルピュイアなのか微妙な皆さんの空爆は、冒頭の大空襲にかぶせてるのかな。 あれは投石機使わないで済んでいいかも。でもどうせ落とすなら、あのくらいじゃ全滅させられるわけないんだから、おっきな網を運んで、空からバサッとかぶせて、魚の漁のようにからめとってそこを・・・

この映画は、いろいろ半神半獣が出てきて、あぁこれは何で、これはあれで、って、視覚的によくわかって、神話の勉強するのにもってこいだ。


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そういえば、魔女がアスランを殺すところは、スーとルーは見ないはずなのに、たしか見てたなぁ。原作のあのフレーズは(見ませんでしたってとこ)、大事にしてほしかった。
あぁ、って目を覆ってしまうのは、すごく大切な動きだもの。

鬼ごっこはなしでも仕方ないか。でも見たかったな。グワが監督なら入れたけど。
本みたいに長くなくても、ちょっとだけでもいいもの。それからわくわくの疾走シーンになるのだ。
スーザンとルーシィとふざけっこするアスラン、子供みたいなアスランのシーンがあることで、復活のあとの命の喜びが弾けるんだから。
朝日と共に甦ったアスランとふざけるルーシィたちは、恐ろしい絶望の夜と対比され、悲しみと喜びの両方が引き立つ。
原作にない氷の川のシーンなんか要らないから、こっちが見たかった。
氷の川は一言だけ出てくるけど。あの一言であそこまで膨らませたのはすごい。


ナルニアの空気が子供たちを変える、っていうのも、もっと感じられるとよかったけどねぇ。
原作ってそういうことになってるでしょ。ナルニアにしばらくいると普通の子供じゃなくなるって。
こう、どうにかもう少し演出の仕方があったんじゃないかなぁ。グワが監督だったらどうしただろう・・・
剣が上手くなったり、矢もちゃんと当たったり、それはそれで普通じゃなくなってるのはわかる。でもナルニアに来たから変わったんだよ、っていうのはわかりにくい。

ルーシィが貰った薬瓶、もうちょっと存在を前面に出してほしかった。原作みたいに。
エドマンドに薬をあげた後、アスランに怒られるでしょ。あのセリフも欲しかった。ああいうときのアスラン好きさ。大帝の息子は言うべきことはビシッと言う。
そして、怒られたルーシィは、普通の子供じゃなくて女王としての行動をとることになる。

これはすごく重要なポイントだ。これを抜かしたのはまずかったな。
あのシーンのあるなしで物語がかなり変わる。
ナルニアにしばらくいると、普通の子供じゃなくなるのです、っていうのが映画でわかりづらいのは、こういうところにも出ている。そういう側面を描こうという意志があまり感じられない。

アスランのセリフ、ルーシィの表情のアップ、そして一回りしてきてからエドが元気になったのを見て駆け寄ってみんなで抱き合えば、もっと映画も盛り上がっただろうに。

あのアスランに口答えするなんて、ルーシィは大物なのだ。
先々、ルーシィはアスランとの結びつきが強い。ルーシィだけにアスランが見えたり、また他のことでアスランに怒られたりもする。アスランが何だかんだと構うのは、スーザンではなくルーシィだ。
そういうことを示すためにも入れてほしかった。


それから、気に入らなかったのは、戴冠の後、すぐにアスランが the Magnificent とか the Gentle とか the Just とか the Valiant とか呼んじゃうこと。
これはいけない。絶対いけない。おとなしくマクレディさんの言うことをきくよりもっといけない。
王位について、その後の4人の生き方でそう呼ばれるようになったんだから。
だから、エドマンドがthe Just になるのが意味あるんでしょーに。ピーターがMagnificentでエドマンドがJustで、これが逆だったらエドにまつわるここまでの話の意味がなくなっちゃう。

ゆくゆくJustと呼ばれるようになるエドだからこそ、ナルニアに来てからの成り行きが意味があって、即位後の想像も膨らむのに、他の3人はともかく、エドマンドをあそこでいきなりJustにしてはいけない。

よく話がわかってない人があれを見ると、あのライオンはいいライオンのふりをしてるけど実は性格悪くて嫌味を言ったんじゃないかとか勘ぐるかもしれない。こいつのせいでさんざん大変だったのに、いくら改心したからっていきなり「正義王」とか字幕が出て、はぁ?って思った人はたくさんいると思う。

第一、あれじゃあ、アスランがそう呼ぶようにって決めたわけじゃん。違うよなぁ。自然にそういうことになったのだ。だからこそ、素敵な呼び名となる。

あの呼称は、鹿を追いかけるシーンの前に何らかの形で入れることが出来たんじゃないかな。
そりゃ、あそこは大人になった4人をいきなり見せてビックリさせよう、っていう意図があるのはわかる。
話を知ってて子供のまんまじゃないのがわかっていても、映像で見せられれば、やっぱりハッとする。
だからあの前に「その後4人はどーたらこーたらで、こう呼ばれるようになりました」みたいな部分が入ると、わぁ大人じゃん!っていうビックリ度が下がるのもわかる。
でも戴冠式でいきなりそうなってはいけないな。何か方法がなかったかなぁ。グワだったらどうしただろう。
連作にするのが決まってるんだから、戴冠から鹿狩りまでの間を次作の初めに入れるって手もあったかもしれない。


こういうちょっとしたことの積み重ねで、ライオンと魔女と衣装ダンスの深みが薄っぺらになる。
こうして眺めると、映画は、一見ほぼ原作通りと思うけれど、実は肝心なところが原作通りになっていない。わかってて改変したんじゃなくて、わかってなくて何となく変えちゃったみたい。

ルイスはトールキンに比べられることが多くて、トールキンより軽く見られることも多い。でもルイスはちゃんと肝心なことをしっかり書いている。それをてきと〜に変えてしまうのは非常によろしくない。
製作側はナルニアの上っ面しか見ていないように感じてしまう。ナルニアの深さを軽くみてはいけない。

ルイスがこの映画を観たら、初めの方は涙を流して喜んだだろうけど、後ろの方では機嫌が悪くなったに違いない。


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いろいろゴチャゴチャ文句はあれど、あー面白かった、っていうのは成功。 ほんと、面白かった。観に行った日はほんとにごきげんだったもん。ららららら♪だった。ヽ(^o^)/
指輪の映画の時とはまた違ったららららら♪だったな。やっぱりミドルアースとナルニアはそれぞれ別で、素晴らしい。
でもこの映画は、深いところで心に響いて、また観たくなる、っていうのは、本と比べるとイマイチだったかも。やっぱり本の方が上だ。
とか言いつつ、何度も観たらまた感想が変わるんだろうけどね。指輪の時もそうだった。
ナルニアの本読んでない人、読みましょう。面白いよ。ぜったい。



トールキンは書けるだけ書いた。書かれていないことはもちろんたくさんあるけれど、ナルニアと比べればケタ違いに詳しく設定されている。
ナルニアはあんまり書かれていない。大体、王さま女王さまになったところから帰るところまで、すんごい空白がある。あれはひどい。普通の作家なら途中も書くだろうに。周辺国との攻防やら、求婚やら、各地を巡る旅やら、ナルニアの輝かしき黄金時代、いくらでも書くことはある。何十冊になるかわかんないほどある。それをちょっとだけ喋って、詳しく聞きたいなと思わせておいて、全部飛ばして、街灯のとこまで一気に行ってしまうのはあんまりだ。
その間のことは、馬と少年に少し出てきて、これはほんとにうれしい。あの4人が元気で楽しんで暮らしているのがとても嬉しい。

詳しく書かなかったことによって、却ってナルニアは広大になっている。ピーターたちが過ごした長い年月のこと、ピーターたちが去ってからのこと、まるで書かれていない長い歴史は読む者の心の中にだけある。
映画だけ観ると、あの間に何があったのかは本当にわからない。本と違って、ほんのちょっとのヒントもない。それはそれでまた素敵かもしれない。


ナルニアは、本を読んで、そして映画を観て楽しければいいのだけれど、聖書の犠牲とか復活とか改心とかのことを考えると、ライオンと魔女と衣装ダンスはとても偉大な意味を持つ。いや、聖書のことを知らなくても、登場人物たちの行動やシチュエーションを見れば、そのもろもろのことはわかるだろう。人間ならどこの民族でも心は一緒のはずだ。
それにケンタウロスだのフォーンだのいろいろぞろぞろ出てきて、それって全然キリスト教じゃないよな、って世界だから、宗教のことなんて忘れていいのだ。
難しいことなんか忘れた方が楽しいけど、それでもやはり、あの短い物語は、実は凄いことをいろいろと語っている。

ルイスはライオンと魔女と衣装ダンスを書いたとき、続きをいろいろ書く予定じゃなかったらしい。ナルニアの年代記はあとから発生したものなのだ。
そして、あの7部作には、楽しい話の筋をなぞるだけではわからない、深淵な世界がある。ナルニアに行く子どもの変遷、ナルニアの始まりと終わり、などなどをよくよく見ると、ナルニアはトールキンの世界とはまた別の意味で、とんでもなく深い意味を持っている。
そういう意味では、ルイスはトールキンより上かもしれない。一見ちょっとした、それぞれは短いおとぎ話なのに、中に含んでいることが凄すぎる。

だからこそ、読み継がれてきたのだろうし、ナルニアに惹かれる人がたくさんいる。
難しく考えなくても、よいものというのは、無意識に感じるものだから。


指輪にしても、ナルニアにしても、わけのわからん魔法でビシバシ戦ってしまう今どきの安っぽいファンタジーみたいなのじゃなく、魔法使いも魔女も地に足をつけて、ちゃんと剣で戦う、っていうのが素晴らしい。


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グワは基本的にディズニーは嫌いでさ。 ディズニーランドで遊ぶのは好きだけどね。 東京ディズニーランドね、オープンした年に行ったけど、周りはまだ砂利道だったんだよ。すぐそばに駅もなくて、バス亭まで田舎道歩いたもん。なつかしいなぁ。とか言うとトシがバレるわな。初めてスペースマウンテンに乗ったときは感動だった。並んでさんざん待たされた後の達成感も素晴らしかった。いや、そんな話は関係ない。

ディズニーだというのが何だかんだいって心配です。映画化の話が出たときも、え゛〜、ディズニーですかっ?!と大いに心配になり、でもアニメとかじゃなくて実写で特撮はWETAだと聞いて少し安心し、映画公開でこの目で観てまぁ安心し、しかしこの先、大丈夫かなぁ。
そのうちディズニーランドにお目見えしたりしませんよね? 指輪ほどの思い入れはないけど、でもナルニアをアトラクションになんかして欲しくない。とか言って、もしそうなったら喜んで乗りに行くかもしれないけど。(^^;;)
プーさんみたいに著作権で揉めてほしくもないし。プーさんもねぇ、元の絵と全然違ってて、グワはディズニーのプーさんは好きじゃないの。原作の挿絵は大好きなんだけどねぇ。


さぁ、来年も楽しみだ!! 第2作目!! また張り切って観に行けるように、1年がんばろう。よし。
指輪も7作くらいあればよかったのになぁぁぁぁ 


で、なんだかんだ言って、一番の感想は・・・

タムナスさんの吹いてた笛、欲しいなぁ。 ああいうの、吹いてみたい。1人で2声吹けるなんて、なんと素晴らしいことだろう。





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