さて、以下は別に普通の気になったこと。

何だかんだ言って、島だ島だ島だ島だっ!!って光景の上を飛ぶ竜が見たかった。ゲドとアレンは世界の果てまでちゃんと行って、扉を閉めて、それで世界を元に戻してほしかった。テナーとテルーを出さなきゃならないのなら、竜に乗って帰ってくるのが、ローク経由じゃなくてそのまま、あの崖のそばのオジオンの家でもよかったんだもの。

ま、今さら言ってもしようがない。

オープニングの海は、始まり方としては、いい感じだった。
おぉ、海だ!船だ!風の司だ!アースシーだ!さぁ、ここからどうなるんだろ?
なのに、後の展開と全然つながってなくて、なんか変だった。竜も弱っちそうだったし。あそこで「おぉぉぉっっ!!」って竜の凄さをアピールしてほしかった。もったいないな〜、もっと使いようがあったと思うけどな。


まがいものの布屋さんのおばちゃんは、前宣伝ではすごく重要人物のようだった。そうか、あのおばちゃんが活躍するのだな、と期待してたのに、一瞬で消えて、結局スクリーンに帰ってこなかった。もう一度会いたかったのにな。なかなかいい味のおばちゃんだった。おばちゃーーん!元気してますか?


予告編のときから気になってたんだけど、壊れかけたアーチの橋を渡るところ、あれねぇ、キーストーンのところがもうないんだけど。いいんだろうか。一番上のところね。キーストーン、要石って、ないと、即、崩れるんですけど。ぜんぶ。ガラガラガラ。
気になるなぁ。絶対変な絵だもん。見ててすごく違和感がある。自重で崩れるはずなのに、ほとんど残ってるのはなぜ・・・?
あれはきっと、ゲドが魔法で保たせているのに違いない。でも、それならどうして、ゲドたちが来るまで崩れなかったんだろう。うーん・・・・物理の法則に反しているな。均衡が崩れてるからなのかな。
吾朗監督って、今まで設計だか建設だかの仕事してたって聞いたけど、じゃあ、あのおかしな橋は、わざとなのかな。きっとそうなんだろう。気がつかないわけないもん。
あ〜、でも、あり得ない図柄を見てると、どうも気持ちがわるい。


ドロドロになっちゃうクモさまは、緑のドロドロになるハウルの色が変わっただけのようだった。
そして腕をちょん切られるのは、やめてほしかった。アニメってことは、それだけで子供向けでもあるんだから。
ドロドロが戻って元通りになるのは、ターミネーターのシュワちゃんじゃない方のサイボーグのようだった。ありゃ怖かったよねぇ。あんなのに追っかけられるのはごめんだな。そういえばシュワちゃん、お元気かな。

目が真っ暗になって落ち窪んで、なくなっちゃうのは、気持ち悪い。ああいう描写は、質のいいアニメじゃない。ホラー系?でもホラーにもなりきれてないし。ホラーちっく。

そして、クモさまの城のシーンでの音楽は、どうも指輪に似ていたような・・・・・ アイゼンガルドだなぁ。サルマンさま、黒くなっちゃった。そうかと思えば、アンドゥリルを見ておののく死者の王みたいな反応もするし。そういや、あの剣の鞘はどうなったんだろう。
馬だかヤクだか微妙なのに乗って走るゲドはガンダルフ。でもあの馬も、せっかくアニメなんだからもうちょっと表情がほしかった。シュナの旅ではシュナはヤックルというのに乗ってる。ヤックルともちょっと違ったな。

背景の雲が動いていたり止まってたり、あれは何とかして欲しかった。ピタっと止まって全く動かないかと思うと、つながっている次のシーンではえらい勢いでビューンと動いてたりする。いちいち気になる。
背景の動きは、意識せずに、たいして観ないでいられるのが一番いい。上手いアニメっていうのはそういうものだ。

予告編でも背景の人たちが動いていないシーンがあった。同じ背景の遠い位置の人でも動いている人と動いてない人が一緒にいたりする。これはいかんのではないか?と心配していたけど、全体にそんな感じだった。

背景と手前の人物が分離しているような感もあった。いつものジブリはそんな風に感じないのにな。なんか、混ぜそこなって分離しちゃったマヨネーズみたい。マヨネーズ、作ったことある?ありゃねぇ、必死で混ぜないと悲惨なことになる。

歩き方も、WebによくあるGIFアニメで作った旅の仲間みたいで、ぎくしゃく。かわいい。Web上のGIFアニメは、そのぎくしゃくが可愛い味を出すし、作る方だってそのつもりで作るけど、劇場公開の映画ではちょっとよくない。テレビの毎週放映のやつなら、予算もないしあんまり構っていられないんだから仕方ないけど。

ジブリの画面の素晴らしさは、いつも動きがあって、世界が生き生きしていることだ。それは、ディズニーアニメの動きとは全く違い、本当の命があるように思う。

駿監督が前に何かで喋っていたのは、とにかく空間を動かすことだと。風を感じるようにいつも何かが動いていることだと。
本当の世界は全てが動いているのだから、アニメでは本当の世界以上に動かなければならないと。

それなのに、竜の動き方がつまんなかった。空中はジブリ得意中の得意なのに、ジブリの実力が出ていない。
監督が違えば描き方も違うのはわかるとして、いい面はそれなりに引き継いでもいいのに。

一方、男の子と女の子がペアで、っていうのがジブリ系の定番とはいえ、代替わりしたんなら、それを打ち破ってもよかったのにな。

あんまりいろいろ動かさず、地味に見せるのが2代目の路線なのかな。それはそれでいいのかもしれない。その方が落ち着いて見てられるという面もある。
お父さんの駿さんの描き方は、食事のシーンが美味しそうすぎて、すごく楽しげではあるのだけれど、あまりに大げさすぎて、実際食べるときはあんなじゃないのが見え見えで、ちょっとやり過ぎの感もある。

今度のゲドは、食事の仕方も他の描写と同じく地味だった。まぁ実際はあんなもんなんだけど、もすこしアニメっぽくしてもいいくらいに地味だった。
あんまり元気に食べちゃうと絶対話の筋と合わないから、あれでいいんだろう。
他の動き方も、やたら飛び回ると考えてるヒマがないし、意識してああいう作りにしてあるのなら、それは1つの作風だから構わない。

しかし、後半のウサギたちの食事のシーンは、ゲドたちとの対比としても、もっとワルっぽい楽しさというか、勢いがあってもよかったと思う。


ハウルも結構メチャクチャな展開になってた。でもあれはあれでハラハラして、世界はよく動いていて、キャラもそれぞれ命が吹き込まれてて、面白かった。観た満足感は一応あった。モラル的におかしなところもなかったしね。絵もほんとにきれいだった。
しかしハウルは話が分解してしまっていて、鷲の頭では理解出来なかった。前半はともかく、後半は全くわからなかった。でも美しい映画だったと思う。
今回のゲドは、話の上ではハウルよりはまとまってはいたように思う。しかし原作読んでない人には全く意味不明だろうし、読んでる人には余計に意味不明かも。


テナーの料理は、なんかいつも同じ感じのスープで可笑しかった。あれ、ベースは何かな。何の味だろ。ジブリさん、ハウスかどっかをスポンサーにつけて、期間限定でもいいから「テナーシチュー」とか「テナースープ」とか発売したら売れたかも。
肉、玉ねぎを炒め、ジャガイモ、その他材料を入れて煮込みます。柔らかくなったら濃縮ルーを加えて更に煮込み、火を止めてからお好みで魔法のスパイスを加えてください。10箱に1箱の割合でシールが入っています。絵柄は当たってからのお楽しみ。箱についているバーコードを3枚集めて、応募ハガキか官製ハガキに貼ってお送りください。抽選で1000名さまに、まがいもの布屋の縦糸が少ない特製ショールプレゼント!
売ってたら買っただろうな。(^^;;) バーコード集めたりして。(^^;;)
もすこし商売上手にならないとね、ジブリさん。


さんざん前宣伝で聞かされた「命を大切にしないヤツなんか大キライだっ!」は、へ?そこで言うのか?とビックリした。アレンはテナーの手伝いで、牛を入れに来てくれたのに。
何だかもう、あんなにつんけんされて怒鳴られてるのを見ると、アレンの味方をしたくなってしまうではないか。
ウサギたちから助けてもらったときも、あの家畜小屋のところも、「ありがとう」と言うべきところなのに、お嬢ちゃんは天の邪鬼で、つい逆の態度になるらしい。
後ろで見ていた牛はハラハラしていたに違いない。羊たちも興味津々だったに違いない。2人が行ってしまった後、動物たちはワイドショーのように盛り上がったことだろう。


テルーの歌は、テレビのコマーシャルで流れてた分にはきれいだなと思ってた。
そして、独特の節回しにつられて、うっかりCDを買ってしまい、初めは喜んで聞いていた。しかし、よく聴いて、歌詞カードを見ると、特に2番3番には共感出来ず、うーむ・・・・・
映画で聞かされたのもイマイチだった。前後の描き方が薄いから、全部浅くしか感じられない。突然歌い出してビックリした。歌声を聞きつけてテルーを見つけてそばへ行くんならわかる。それでアレンに気がついて途中でやめるんなら自然だけど、直立不動でキリのいいとこまで歌っちゃって、これまたビックリ、なかなか印象的だった。
突然歌になってキリのいいところまで歌うんなら、いっそのことミュージカルにしてしまえばよかったのに。(←よくないよくない)
歌っただけで、歌を聞いただけで急に仲良くなっちゃうのもわからない。
あそこであんなに時間かけて歌を聴かせる必要があるのか? 映画の流れも歌も、両方の良さがなくなってしまう。

なんとなく流れてる分にはいいんだけどねぇ。よく聴くと、どうも歌詞がピンとこない。でも映画のアレンには2番が共感出来る歌詞なんだろう。雨の中、愛でてくれる手がなくて切ない、って。
アースシーの話は、すごいね、あなたは素晴らしいね、って言われる必要などなく、雨に打たれようが何だろうが、自分が自分として生きていればそれでいい、っていう人たちの話だ。あの2番はゲドの話には似合わない。

っていうか、そうじゃなくて、暖かい目で見てくれる人、自分を大事に思ってくれる人が欲しいということか。そりゃ、そういう人がいないのは寂しい。
しかし、そういう人たちは、自分がしっかり生きていれば自然に現れてきてくれるのだし、ゲドの話に出てくる人たちは、大切な人を見つけていく。
大切にしてくれる人ではなく、自分にとって大切な人を、だ。
愛でてくれる手を待つのではない。やっぱり2番はゲドの話には似合わない。

そして3番は、テルーを引き取り、戻ってきたゲドと一緒に暮らすテナーや、ゲドに付き合ってどこまでも一緒に行こうとするカラスノエンドウや、死の世界まで一緒に行ってゲドを助ける原作のアレンに失礼だと思う。誰かと居ても、そりゃ寂しいのかもしれない。でも誰かと一緒に歩むのが命というものだ。

1番はと言えば、鷹は悲しくはないと思う。鷹もハイタカも誇り高い。

観に行った後は、一度も聴いていない。素直じゃないのかな。でも歌詞をよく読んでしまったら、心にぴったり合わなくなった。仕方ない。

他の曲は全く記憶に残っていないから、やはりあの歌の旋律は良かったのだと思う。シンプルでね。最近の流行りの曲って、リズムもメロディもややこしすぎるから、こういうのは聞いててホッとする。
すごい宣伝の乗せられてとはいえ、これだけヒットしているということは、やはり何か心に響くものがあるんだろう。
他の曲は、民族楽器をいろいろ使って、それっぽい雰囲気を作ろうとがんばっていた。しかし統一が出来ていなかったと思う。あちこちの楽器を使うのは難しい。バラバラな印象になる。


そういや、城に忍び込んだのに、あんなに音立てて走っていいのか?(爆)
そこら中響いて、ワルい奴らに聞こえるじゃないか!ハラハラした。
ちょっと、お嬢ちゃん、静かに!静かにってば!!
城もねぇ、裏口が開きっぱなし。潜入するには、もっと工夫が欲しかった。
クモさまは、セコムかどっかに頼んでセキュリティを何とかした方がいい。そうすりゃ、ファイアぁぁっっ!!ってされずに済んだのに。 戸締まりとは、なんと大切なことだろう。


オオカミに囲まれて、お前たちが私の死か、ってセリフがあったけど、あれもナウシカに出てくる。そのまんまだ。
クシャナが蟲の群れの真っ只中で逃げ場を失ったとき、一匹の大きなのが目の前に来て、「お前が私の死か・・・」となる。
クシャナは懸命にずっと戦ってきて、自分を失いはしない。部下はみんなついていく。クシャナの前に降り立った蟲は、クシャナを別にどうもしやしなかった。クシャナは絶体絶命の中で母さまを想い、知らず知らずに子守歌を口ずさむ。怒りや憎しみがない者を蟲は襲いはしない。という話になっている。
ジブリ版アレンとは、言葉は同じでも、中身は全く違う。アレンは親を刺して飛び出し、オオカミとも大して戦おうともせず、死んじゃってもいーや、って、投げやりな状況。オオカミは、あのアレンを食べたら、おなかをこわしたことだろう。


竜の共食いや、その他のおかしくなっていることいろいろは、クモが死んだことで収まったのだろうか。あの後どうなったんだろう。ジブリさん!続編あるんですか?

大丈夫よ、あの子たちには翼があるわ、とかってテナーが言って、アレンを乗せたテルーは、アレンを国に連れていくのかと思った。それできっとケガが治った父王が出迎えてくれるんだ!そして抱き合って感動のラストだ!と思ったら、戻ったのはテナーの家だった。おい!(爆)
それならゲドたちも乗せればいいのに。あ、でもあのヤクっぽい馬が置いてけぼりになっちゃうから、地上組もいなきゃならなかったんだな。
あの飛んでるところは、ネバーエンディングストーリーを思い出した。あれも原作と映画の落差が激しかったな。


竜っていえば、竜が人間の領域に現れるのがおかしいって話だったけど、ってことは均衡が元に戻ると竜がいてはいけないわけで、じゃあテルーはどうなるんだろう。竜になれる人がいていいのかな。
超人ハルクってドラマ知ってる? 緑色の大男に変身しちゃうやつ。いきなりメキメキメキ!って大きくなるわけさ。でね、上半身のシャツは破けちゃうのに、ズボンはそのまんまなんだよね。何度変身しても、そのまんま。どうして下半身の服は残るのか、昔、学校で論議を呼んでいた。
何が言いたいかって、つまりその、テルーは、人間に戻ったとき、また元の服着てたなぁ。(←こういう突っ込みをしてはいけません)


ゲドが地下牢に放り込まれた時、先に入ってたテナーは、段々をゲドが転げ落ちるのを「よけて」いる。(爆) そしてゲドは最下段まで転落。かわいそう。そりゃ、あそこで受け止めようとすれば、一緒に転落ですが。しかし大切な人が落ちてきたら、とっさに体が・・・よけるのかな。そうか。そして、その後で優しくするのだ。世の中そういうものらしい。(^^;;) 世の男性陣、覚えておきましょう。


ゲドの顔の傷跡の話が出てくるのに、なぜその傷があるのかきちんと語られない。あの傷のことをもっと筋に絡ませれば、また違った流れになっただろう。
そして、あそこまで話を変えたのなら、テナーが昔いた墓所のことをちらちら言うのもわからない。
奴隷たちに逃げられて捕まえなきゃならないのに、ゲドを探しに来たウサギは、アレンをそのままにして行ってしまう。ハイタカはここにはいないよ!って言われて、そのようだな、で行ってしまうんなら、悪い奴を追っ払うのにこんな簡単なことはない。
で、もしハイタカがいたなら、クモがいない場所でウサギが捕まえられるような相手じゃないんだし。
原作にないことを入れるときには、よくよく気をつけてあちこちチェックしないと、こういうおかしなことになる。

何かすっきりしない部分はパンフに書いてあるのかもしれない。でもパンフは買わなかったからわからない。公開終了後はパンフは売っていない。原作は読めてもパンフは読めない。パンフなしで伝わらないような作品はやっぱり困る。


それからセリフ、これはジブリに限ったことではないけれど、話題をとるためだけに有名人を起用する風潮があるのは、すんごくよくないと思う。プロの声優を使うべきだ。他の分野で有名だからって、声優が務まるわけじゃない。アニメなんて、喋り方で決まるのにな。もっともっと上手い人がたくさんいるのに、人気者を連れてきて、それで多少観客の動員にはつながっても映画の質が落ちるだけだ。

有名人を使われると、顔が目の前にチラチラして困る。声優というのは声の商売で、顔はそんなに知られていないからいいのだ。それに、ほんとに上手い声優さんというのは、顔が知られていても、役柄によって喋り方が変わるから、誰がやってるのかわからない。
ハウルのときは、ソフィーが喋る度に、さくらの顔がチラチラして困った。(爆) お兄ちゃん!とか言うんじゃないかとハラハラした。ハウルは絵的にもキムタク風だったから、そんなにチラチラしなかったけど。

今回はクモの田中裕子さんは上手だった。あの人、あぶない役、上手いよねぇ。グワが持ってたクモのイメージとは違ったけど、彼女の個性が生きてたと思う。
アレンはと言えば、セリフが、ずっと元気なく「はい・・・・」「えぇ・・・・」「すみません・・・」って感じで、それでクモとは違った意味でのあぶない系だったから、そんな役をさせられたジャニーズが可哀相な気もした。

ゲド役の菅原文太さんは、長男を亡くしている。このゲドの収録は、彼にとっていろいろと思うところがあっただろう。アレンがどんなに不安定になっていても、暖かくそばにいて、クモの城ではアレンに言い聞かせる。この役は、文太さんだから出来たのかもしれない。


アニメという媒体にしたのも一長一短だ。きれいで、親しみやすいかもしれない。でも、重みがどっかに吹っ飛んでしまう。カレシンのたてる音、金属のようなうろこがガチャっとする低い音、腹の底に響くような竜の音、そういう質感を目で見せるのは、アニメでは難しい。竜と目を合わせるときの、両者の間の空気を伝えるのも、実写の方が向いている。いや、アニメでこそ伝わるのかもしれない。描き方、動かし方によるんだろう。
でもやっぱり、ジブリのキャラのかわいい見た目は、アースシーには合わないと思う。イメージがまるで違う。

ジブリ版の上空へ舞い上がる竜は、何だか虫のようだった。トンボみたい。竜はあんなんじゃないな。トンボは英語で dragonfly という。しかし竜とトンボは違うわな。いくらアイリアンの元の名前がトンボだからって、竜の見た目までトンボにしてはいけない。
観に行った日、ラーメン食べに行って、そしたらラーメンの丼の、剥げかかった龍の絵の方が立派だった。おぉ!って思いながら味噌ラーメンいただきました。

東洋の竜は、これまた素晴らしい。日本列島には各地に竜のお祭りがある。せっかく日本人が映画化したんだから、竜の描き方をとことん研究してほしかった。西洋人には描けない竜があるはずだ。原作者が驚いてひっくり返るほどの竜を見せてほしかった。

それにどうせ竜を出すなら、ちゃんとカレシンを出してほしかった。どこの誰だかわかんない竜じゃ、意味がない。いや、テルーが変わった竜じゃなくて、他にちらちら出てくる竜がさ。

ポスターで、アレンと向き合ってる竜はカレシンだと思ってたのになぁ。
あれはきっとロークに戻ってきたところだな、どういう展開の後であのシーンになるんだろう、あそこで何が語られるんだろう、って楽しみだったのに。


ジブリは、ナウシカにしても何にしても、ゲドの影響がある。見ているとわかる。ナウシカの肩に乗ってるテトは、あれはゲドが連れてるヘグそのものだ。死んじゃった経緯も似てなくもない。
世界がおかしな方向に進むのも、ユパさまも、他のアニメも、全部じゃないけど、何だかどこかにチラチラとアースシーの流れがある。
お父さんの駿さんは、よほどル=グウィンに影響されているんだと思う。

それなのに、2代目になって、そのジブリの基礎で根っこであるゲドのアニメ化には失敗した、と言ってもいい。
命を大切に、命を大切に、ゲドの世界はそんな当たり前のことを連呼しているわけじゃない。連呼したのに、内容はそれに反するものになってるし。

ああいう作品を作りたかったのなら、ゲドをいじるんじゃなくて、オリジナルのストーリーにすればよかったのに、と思う。

そして、これが指輪じゃなくてよかったと、つくづく、心の底から、思った。指輪がこんなにされたんじゃ、じょーだんじゃない。トールキンが化けて出たらどうするんだ。


ジブリは昔、ル=グウィンに映画化を持ちかけて断られ、そのうちジブリは躍進し、そしたら映画を観た原作者から逆に映画化の話が来たという。ル=グウィンさんは、映画化となるとどういう事態になるのかわかっていたのだろうか。ジブリに任せるなら、絶対駿監督で、そして話をやたらと変えるな、って条件を押し通すべきだった。

ル=グウィンさんがジブリ版をどう思っているのかは、ここに行くと書いてある。ざっと読むと、喜んでないのがありありとわかる。これの訳は次のページに置いとくから、どうぞ。

グワは、どんどん長くなる文句を書きながら、アップするべきか否か、ちょっと考えていた。原作者はどう思ったんだろうか。米国TV版を拒絶したというのは有名な話で、でもジブリ版は受け入れたのだろうか。グワはTV版の方がまだマトモだと思うけどなぁ。
ジブリへは自分から話を持ちかけたっていうし、ル=グウィンさんは何考えてるんだろう・・・
作者がいいと思ってんなら、鷲の感じ方がおかしいのだろうか。でもあの展開はどう考えても・・・
観に行ったのが12日、その後どうもすっきりせず、ぶつくさと文句を打って、原作者の感想が初めにアップされたのが13日、グワがそれに気づいたのが15日。おー、グッドタイミング♪ 読んで安心した。
安心はしたけれど、彼女の書いていることに100%同調するわけでもない。ああいう状況で任せたのがそもそもの間違いだった。

ル=グウィンさんは、いいところを一生懸命見つけて褒めたりもしてくれている。苦しいところだ。
駿監督は、断るべきじゃなかったのにな。もったいない。
でも最近の彼の作品はわかりにくくなってきてるから、ゲドをもし手がけたとしても、どういう感じになったかはわからない。ジブリがどのように原作を変えてしまうのか、ル=グウィンさんは、いろいろ観て調べたのだろうか。駿監督なら、今回の作品よりずっと高レベルなものではあっただろうけれど、でもやっぱりアースシーの姿はずいぶん変わってしまっただろうと思う。
そしたら、原作者の反応はどうだっただろう。

ル=グウィンさんは、昔、駿監督がアニメにさせてくれって言ったとき、ディズニーみたいなアニメなんだろうと思って、宮崎駿とはどういう人かも調べずに断ったらしい。もったいない。それがそもそもの間違いだったのかもしれない。相手のことを知らないのに無下に断ってはいけません。教訓ですな。
ジブリの上り坂の頃のゲドなら、もっともっと素晴らしかったろうに。


ジブリのゲド戦記は、名前はゲド戦記ですが、ゲド戦記ではない。

映画化に際してストーリーを変えたから、という意味ではない。
変えても、元の中身の質を保っていればそれでいい。


映画しか観てない人、原作をお読みください。ゲドは、生命の根っことしての、大事な何かをくれると思います。


観に行ったとき、隣にいた子が終わってから、「どうだった?」ってお父さんに訊いてて、訊かれた父さんは「うぅ〜〜ん・・・・」って唸ってた。なんか普通と逆のようで可笑しかった。
その父さんは結局、客席から降りる階段の途中もずっと唸ってた。あの後、何て子供に答えたんだろう。

あの子たちがジブリ版で興味を持って、そのうち原作を読んでくれればそれでいいかな。ってことにしよう。


ジブリはねぇ・・・ラピュタは大好きさ。あれは凄すぎる。どこに出しても恥ずかしくない。アニメであそこまで出来るなんて、世界は驚いたはずだ。エンドロールのスタッフの、あの、全員の、全力の結集、みんなの夢の結晶だったと思う。
アニメ技術だけでなく、キャラも脇役やロボットも含め全部が魅力的で、ストーリーも素晴らしかった。今でも曲を耳にしただけで思い出して涙が出てくる。
よその星のひとにも見せてあげたいくらいだ。どーだ!地球はこんなにもすごいところなのだぞ!!
あれを観た時は、日本人でよかったなぁと思ったりもした。あ、いや、ミドルアースの鷲だった。


まとめ。今度は短い。


原作者はどう思っているのかは、こちら