崇拝か、毛嫌いか



こいつはキライだ! となると、とことんキライで、全部許せなくなり、いちいち文句を言い、攻撃する。

この人はすごい♪ となると、とことん好きで、全部素晴らしくて、その人の言うことは全て正しくなる。


・・・という状況がある。

瀬田さんは素晴らしい。山本史郎は許せん!というのが、よくある構図なわけで。(^^;;)

その他にも、トールキン関係の著作がある先生方は、ファンが多い方もいれば、あまり知られてない人もいる。知られてなければ叩かれる心配はないからいいけど。

他には、なっちは許せん!というのもあった。なつかしい。(^^)


で、人気があると、たとえ間違いがあっても許される。(爆)

睨まれてると、ちょっとしたことでも叩かれる。(爆)

いやー、笑っちゃいられないんだけどさ。グワなんか、頭にくるとズバズバ言っちゃうから、どこに敵がいるかわからない。(爆爆)


映画公開の頃は、なっち攻撃サイトが、それこそ雨後の竹の子のように大量発生した。当時を知らない人のために説明すると、映画の字幕が間違いだらけで大騒ぎになったのさ。なっち、っていうのは、字幕をつけた戸田奈津子さんのこと。
で、そういうサイトをちょっと見回ってみると、凄まじくておっかなくて、うっかり中に入れなくて逃げ帰る、って感じだった。うわー、おっかないな、とか思いつつ、でもやっぱりなっちの訳は頭にくるから、うちでもいろいろ書いて、しかし書き方がなまぬるい!!と叩かれかけたこともある。うちも結構キツイこと書いてると思うんだけどねぇ。でもそれ以上に、よそのサイトは凄まじかったのだ。

しかしそういうサイトの管理人さんたちと比べて、鷲が穏やかだとか、いい鷲だとかいうわけではなく、それが証拠に、そういうサイトは今はほとんど消滅しているのに、うちではまだたまに字幕と吹き替えの文句の更新があったりする。どっちが執念深いかというと・・・・(^^;;)

あの頃、おかしいなと思ったのは、ま、今でも思ってるけど、どーして、なっちだけが物凄い言われ方で責められたのか、ということだ。戸田さんが担当したのは字幕だけだった。しかし、吹き替えにも変なところはあった。どーして、どーして、吹き替えの原稿書いた人に非難は向かず、なっちだけだったんだろ。
そして、吹き替えは、2作目、3作目と進む中、だんだんおかしな部分が増えたように思う。どうしちゃったのかなぁ。


瀬田訳が好きな人たちは多く、瀬田さん賛美で、おいおい、そりゃないでしょう、っていう間違いがあっても大して批判しない。というか、全くしない。
瀬田訳の指輪その他をいじって尚更おかしくしている部分もある田中さんも、ほとんど問題にされていない。

一方、山本史郎訳は「うわ」「は?」の表現が多々あり、ナンタルチアが好きでたまらないという人を探すのは相当難しいだろうけど、でも巷で言われているほどに全部が全部ひどいわけではない。

山本訳では、瀬田訳とは固有名詞がずいぶん異なるというのも批判されている。でもそれって、おかしいと思う。訳者が違えば、固有名詞の訳が違うのは当たり前だもん。
瀬田訳が先に出ているからって、瀬田さんの訳にいちいち合わせなければならない、っていうのはおかしい。
初めて訳されたものに従わなければならないとしたら、何百年経っても、その訳語しか使えない。

それに、瀬田訳は、初版のときは、スロールはトロールで、スラインはトレインだった。
これが、山本さんがこんな風に書いたら、どれほど非難されることだろう。トロールとトロルの見分けがつかないではないか!とか言われたに違いない。
山本訳でトーリンがソーリンになってるのは、直した方がいいと思うけどね。

はなれ山は、山本訳では寂しい山になっている。これは、やっぱり、はなれ山の方が好きだな。瀬田さんは、ネーミングのセンスが抜群だ。
自分で訳すときにはどうしようかねぇ。エレボールの共通語での呼び方をどうするかは、なかなか大きな問題だ。


瀬田さん、山本さん、なっち。
しかしトールキン関係のものは、何もこの3人だけではない。

他にも、もっとすごい人がいろいろいる。

すごい、って、褒めてるわけじゃないからね。(←性格わるい)
日本語はおかしいわ、わかってるような顔して指輪もちゃんと読めてないわ・・・

いちいち名前を挙げると可哀相だったりもするし、問題になっても面倒だから、ここでは言わないでおく。
だけど、何でもかんでも全面的に信頼しない方がいい。変な本は多い。それは洋書でも同じだろう。関連書と呼ばれるものは、疑ってかかった方がいい。
こういうことは、何もトールキンの作品に限ったことではないのだろうけど。


そんならお前は変なことは書かないのか、と言われれば、そんなことはない。よく間違う。グワイヒアが言ったからって、本当とは限らない。何か違うかもしれないよ。

Webサイトというのは、間違いがあっても、訂正は瞬時に出来る。書き直して、クリックひとつでサーバのデータは更新される。本はそうはいかない。一度印刷されてしまうと、いくら直して新版を出しても、旧版は絶対世の中のどこかに存在する。個人の本棚ならまだしも、図書館に入っていると、その後何十年も、百年経っても、いろんな人が借りることになる。
だから、書籍というのは責任が重大だ。

なら、Web上のものは責任がないかというと、そんなことはない。書き直しは瞬時に出来るけど、直す前に既に公開されていれば、ファイルを保存したり、印刷する人もいる。
「プリントして読んでまーす♪」と、よく言われる。それはとてもうれしい。ドキドキしたりして。あは。でも、うれしい反面、うわ、とも思う。ちょっとした打ち間違い(時々こっそり直してる ^^;;) ならまだいいとしても、内容がおかしかったら、それは書いた鷲の責任になるからね。よくよく気をつけねばならない。
でもやっぱり間違いはある。

そんな程度の鷲でさえ、いろいろ気になるのだ。どの方々も、もう少し、自分の書いたものをチェックしてほしい。勝手に作らないでほしい。なんでそんなに勝手に作って真実と違う風にしてしまうのか、悲しくなる。勝手に作って書くのなら、自分のオリジナルの小説とかにしてほしい。

とか言ったからって、どいつもこいつもキライだというわけではない。もし友だちになって、彼らの仕事の中に何か見つければ、それ何か違うんじゃないのか?!と食ってかかって、直ればよかったよかったと思うだろう。逆に自分の書いたものを指摘されれば、教えてもらってよかったと思うだろう。
そのいろんな方たちが本を出しているというのは素晴らしいと思う。グワイヒアは、調べるのも考えるのも書くのも遅いから、締め切りなんか設けられたら、到底間に合わない。


グワイヒアが言いたいのは、山本史郎先生と、なっちだけが槍玉に挙がるのは、おかしい、ということだ。
すごくおかしい。山本先生もなっちも可哀相なくらいだ。なんであの2人ばっかり責められるんだろう。
・・・って、うちのサイトでも文句は言ってるけどさ。そりゃ気に入らないとこもあるけどさ。

でも、他の方々の著作にもいろんな点がある。ほんとに。

ひどいのになると、他人の本から引っ張ってきた文を並べて、そのまま自分のものとして出してる人までいる。まんまじゃん!ってのがある。まんますぎ。なんか信じられない。◎◇文学の大御所で、そーゆー人なのかと思うとほんとにガッカリする。
地位や肩書き、プロフィールだけでは判断出来ない。


ま、世の中いろいろで、うちの正語標で取り上げてるのは、ほんの一部だ。


この人が言ったから、それは正しい、という判断は非常に危ない。

この人が言ったから、なんでもかんでも気に食わない、っていうのも、どうかしてる。

崇拝も、毛嫌いも、どっちも歪んでいる。


・・・というのが、鷲の意見でした。

みんな、いいとこもあれば、わるいとこもある。 鷲でも人間でも、種族を問わず、ね。


みんなで仲良く、エレボールで遊びませんか?



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