サンタクロースからの手紙

評論社刊、トールキンのLetters from Father Christmasの訳、「ファーザー・クリスマス サンタ・クロースからの手紙」、赤い表紙の本です。大好きだ♪ 楽しい♪ サイコーだ♪

前からあった緑の本は、指輪を訳した瀬田さんの訳だった。緑本は省略版だったから、瀬田さんはLetters from Father Christmasの一部を訳したわけだ。

赤本は完全版で、日本版も出た。これってすごいことだ。映画のおかげだよね。
そしてこれは、緑本の瀬田訳をベースに訳されている。緑本になかった部分を新たに訳して付け加えた、という形になっている。

比べてみると、緑本にあった瀬田訳は大体はそのままで・・・いや、かなり直されている・・・・・直されているっていうか変えられています。変えなくていいとこまで。
でも瀬田訳でわかりにくかったところ、原文のニュアンスとずれてたところが良くなっている部分もあります。
しかし、わざわざ直したつもりで、おかしくなってるとこもあります。あ゛〜、なんでそんなにいじるのかなぁ!

もう、なんか、たくさんたくさん変わってて、これなら、瀬田さんの名前は出さずに、全部新しく訳せばよかったのにと思う。別の訳ってことでね。
ちょっとだけ言い回しを変えてある部分は、やっぱり瀬田さんの日本語の方が暖かみがあっていい。ちょっとしたことで、日本語ってガラリと印象が変わるから。

あと、クマのカルフの書き込みの訳が、いろいろ残念だった。

カルフが瀬田訳のゴクリ風だったりするとこもあったりして・・・・(爆) うーん、ちょっとそれはないだろ、って感じ。
瀬田さん1人で訳した緑本では、ほとんどクマのところはカットだったから、クマの手紙は初の邦訳なのですが。

29年のからちょっと引用すると
「雪ふり、ひどかったよ。使いのしとたち、雪にうまったのもいるし、まいごになったのもいる。あんたらとこ、さいきん手紙こない、そのためよ。」

〜〜、そのためよ、ゴクリ、ゴクリ。

「しと」って言われるともう、ゴクリ、ゴクリ、が続くようで・・・(^^;)
普通だったり、ゴクリ風になるかと思えば、また普通だったり、関西風になったり、どうも一貫していない。クマの手紙は、トールキンはわざとたどたどしく書いてて、すごくいい感じ。でも訳はなんだかしっくりこない。意味不明になってるところもある。

このクリスマスの書簡集は、サンタさんやエルフの手紙だけだと、ここまで面白くはない。間にちょこちょことクマの書き込みがあるから、全体が生きる。字体も変えて、文のスタイルも変えて、両方が引き立つように出来ている。
子供たちが読むときに、いかに世界を生き生きとさせるか、退屈させないか、惹きつけるか、やはりトールキンはすごいと思う。

アクセントになっている、その肝心なクマの部分の訳がどうもイマイチなのは非常にもったいない。これは全体に影響する。これだと、子供たちが読んでも、なんだかよくわからないと思う。鷲でもよくわからない。原書がないと意味不明。

なぜ、何のことだかよくわからないかというと、それは映画の字幕と同じことで、ニュアンスが違ったり、クマの気持ちがわかってなかったり、誤訳だったりするからだ。

英語だとなかなか斜め読みが出来ないけれど、和訳を斜め読みして、一度で意味がわからない場合、それは訳がおかしいからかもしれない。疑ってかかった方がいい。
斜め読みでなく、マトモにじっくりと何度読んでもわからない場合、それはキミの頭が悪いせいではない。自信を持ってよい。かなりの確率で、それは訳が悪いんだから。

ってことで、全文、原書と付き合わせてチェックしたわけではないので一部ですが、気がついたところを少し挙げてみます。

いちいちひとの間違いをつつくのも何ですが、でも、これから毎年、クリスマスの時期になれば、これが店頭に並んで、いろんな人が買うでしょう。その度に、誤解が広がるでしょう。
トールキンはこんなに面白い手紙を遺してくれたのに、それがちゃんと日本の読者に伝わらないなんて、もったいなくて、やっぱり黙っていられない。
だから言わせてもらいます。

とはいえ、やはりこの本はサイコーです。わくわくします。日本語で読めるというのは、なんだかんだいって、やっぱりいいね。全訳が出た、ってことに感謝です。

本読んでない人には、何のことだかわかんないでしょうが、持ってる人は、よっく本の画像を見て、下を読んで、わ〜、こんなに面白いんだ!、っていうのを実感して、もっともっとこの本が好きになってくれるといいな、と思います。

下のページの数字は、原書も訳書も同じです。


◆ さて、どっち? ◆ p.12

事のいきさつはこうだ。この11月のたいそう風の強い日のこと、わしの頭巾(フード)が吹き飛ばされて、北極柱(ノース・ポール)のてっぺんにひっかかった。 ことのいきさつは、こうだ。この11月のたいそう風の強い日のこと、わしのフードがふきとばされて、北極柱のてっぺんにひっかかった。
すると北極熊(ほっきょくぐま)は、わしがいかんというのに、それを取りに北極柱のほそいてっぺんに登っていきおった。取るには取ったがね、柱がまんなかで折れ、わしの家の屋根にたおれた。 すると北極グマは、わしがいかんというのに、それを取りに、北極柱のほそい先まで登っていきおった。取るには取ったがね、柱がまんなかでおれ、わしの家の屋根にたおれてきたからたいへんだ。
そして北極熊は、鼻に頭巾をひっかけたまま、柱のぶちあけた穴から、食堂にころげおちた。そして、屋根の雪も家の中になだれおちて溶けて、煖炉の火はどこもすっかり消えてしまうわ、今年のプレゼントを集めておいた地下室には水が流れこむわ、おまけに北極熊は脚を片方折ってしまった。 北極グマは鼻にフードをひっかけたまま、柱のぶちあけた穴から、食堂にころげおち、屋根の雪も、家の中になだれおちて、暖炉の火は、どこもすっかり消えてしまうは、プレゼントを集めておいた地下室にまで雪が入りこむは、おまけに北極グマは、足をかたほう、折ってしまった。

さて、上の表、右と左と、読み比べると、いろいろ違いがあるのがわかる。漢字とひらがなとか。単語が違ったりとか。
左のカッコがついてるのは、ふりがながふってあるところです。

で、両方読んで、どちらかに、これはおかしいんじゃないか、っていうところがあるの、わかります?
日本語表記がおかしいところです。

さて、日本語がおかしいのは、右か? 左か?




























見つけた?

そうです、「〜は」、だね。

左が瀬田さんの訳。瀬田さんは国語の先生だったから、日本語がおかしくなることは滅多にない。
火は消えてしまう、水が流れこむ、となっている。バッチシ。

右は新しく出た訳。
火は消えてしまう、雪が入りこむ、となっている。いかーん!


例文その1:
雨は降るわ、槍は降るわ、ウルク=ハイは降るわ、ドワーフは飛ぶわ、もうヘルム峡谷はハチャメチャだった。

例文その2:
指輪はなくすわ、エルフのロープには繋がれるわ、デブのホビットには睨まれるわ、ここんとこロクなことがないのよ、いとしいしと。


ということで、この文型は、困った出来事、うわ゛〜大変、っていう出来事をいくつか並べて、そんなわけで散々な目にあった、という形で終わる。

この「わ」は、終助詞というもので、「は」とは書かない。ぜったい書かない。
土台にした瀬田訳が正しい表記なのに、どうしてわざわざおかしくするのかわからない。


それから、屋根が壊れて家になだれ込んだ雪は、溶けたんです。左の瀬田訳が合ってます。
新訳は、melt を訳抜けした挙げ句に、後ろの部分が誤訳になってます。

all the snow fell off the roof into the house and melted and put out all the fires and ran down into the cellars, ・・・

屋根にのっかってた雪がぜんぶ、どひゃーっと家の中になだれ落ちて、溶けちゃって、火はみんな消えちゃって、地下室に流れ込み、あーあ。ってことです。

雪のまんまで地下まで行くとなると、家の中が全部雪で埋まってしまうくらい大量に詰め込まないとなりません。地下への階段を通るわけだろうから、えいさえいさと押し込むか投げ込まないと雪のまんまでは地下まで行かないはずです。状況を思い描けば、間違うことはありません。
っていうか、なんで瀬田訳が合ってるのに、違う方へ変えたんだろう。

run downは、普通は液体に使います。


春になって雪解けするのは、解と書きますが、ここの場合は暖かい家の中に落ちて溶けたんだから、瀬田さんの書いてるように溶でいい。漢字の書き分けって楽しいよね。



◆ コート ◆ p.41

カルフの書き込み、My coat is quite yellow. のcoat が、訳ではコートになっている。
このクマは、服を着たりすることもあるんだけど、でもほとんどの絵では、何も着ないですっぽんぽんでいる。外でもね。
このcoatは、毛ってことじゃないのかな。たぶん。白い毛皮って、結構汚れたり、色が変わったりするから。



◆ やけど ◆ p.44

ここは合ってるのかな。違うような気がする。

It looked fine.
見たところ、だいじょうぶだった!

どうも違和感がある。これって間違いじゃなかろうか。
自分の背中のやけどがですよ、大丈夫か大丈夫でないか、見ないとわかんないのか? このクマは神経通ってないのだろうか。赤むけしてるほどひどいなら、黙ってられないほど痛いだろうに。別に何ともなければ、わざわざ見なくても大丈夫なのは自分でわかるだろう。

ここは何の話をしてるのかと言うと、花火の入った箱の中へ火のついたロウソクを突っ込んでしまい、そこら中花火がバチバチシュルシュルで、クマは火の粉で背中にやけどをした、ってところ。

で、カルフはその文に2ヶ所書き込みをしてて、

まず、It looked fine.

そして別の場所に、That's where F.C. spilled the gravy on my back at dinner!

カルフが背中にやけどした、ってサンタさんが言ってるのに対して、そりゃアンタがごはんの時にぼくの背中にソースをこぼしたとこだろ、と言ってる。

で、トールキンの書いた手紙の画像を見ると、It looked fine.は、本文の花火シュルシュルの横に書かれている。それにfine っていうのは、見た目が素晴らしいという言葉で、人間や熊の体の話をする場合は、元気ってことで、傷の状態には使わないと思う。

look fineは、
You look fine.だと、いい感じ、ステキだよ、の他、女性相手に下手に使うとヤらしい意味にもなるらしい。だからその、ねーちゃん、ぼいんぼいんだねぇ、とかさ。運が悪いとひっぱたかれるかもしれない。気をつけよう。
He looked fine. なら、奴のカッコはキマってたとかで、見た目の話でなければ、元気そうだったよ、ってことになる。

fineみたいな簡単な言葉は、使い方が難しい。米英でも使い方が違う。使う場面も違えば、どのくらいのfine度なのかも違うらしい。アメリカではfineと言われたら、それは大して誉められているわけではないらしい。しかしイギリスではアメリカよりfine度が高いらしい。素晴らしいっ!すごい!度が上なのだ。

背中の話でIt looked fine.というのはどうも何か違うんじゃないかと思う。
花火の話をしてるんじゃないのかな。花火に火がついて、部屋中すごくなって、そりゃ見事なもんだったよ、ってこと。
だって、過去形じゃん。ソースの話はThat's where〜で、現在形なんだから、これは同じ対象を言ってるんじゃない。

別だというのは、印からもわかる。同じ紙にある他の書き込み、Not fair や Bad には、どこを指して言ってるのかを示す印が本文中についてない。それは、印をつけなくても、その書き込みのすぐそばにある文を指しているのが明白だから。
It looked fine は、花火でえらい騒ぎになったっていう文のそばにある。そしてこれまたすぐそばの背中の話のところに印がついている。
そしてThat's where F.C. spilled the gravy on my back at dinner!は、離れたところに書いてある。
他の手紙を見ると、離れたところに書くときには、どこを指して言ってるのかわかるように何か印がついている。すぐそばに書くときにはつけない。

原書の活字に直したページでも、It looked fine.と That's where F.C. spilled the gravy on my back at dinner! は、まとめて書いてある。それは、花火と背中の話が同じ文の中にあるから、途中で切れなくて、カルフの合いの手の It looked fine は、後回しになってるのだ。

しかし画像を見れば、この2つの文はつながってないのがよくわかる。全然別の場所に書いてある。

で、背中にやけどした、ってとこは、そりゃソースがついてるだけさ、と言う。

で、ここはたぶん、

花火、キレイだったよ。
背中はね、サンタさんがごはんのときにソースこぼしたのがついてるのさ。

ってことだ。
実際の手紙は、書いてある場所を見れば、代名詞でも充分何の話かわかるんだけどね。
活字にすると、面白味が半減するから、面白さが伝わるようにしないと。主語を補ってやればわかりやすい。



◆ フェアじゃない ◆ p.44

Not Fair! というのが出てくる。
クマのカルフの甥っ子が2匹、サンタさんの家に来てて、毎日いたずらの限りを尽くし、何だかんだと好きなことをやらかして素晴らしい生活をしている。いいなぁ。

その2匹のうちの片方、パクスがいない、いない、と思ったら、台所の戸棚の中で眠ってたのだ。プディングを丸ごと2つも食べてさ。それも焼いてないやつ。おいおい。(^^;)

で、サンタさんは、手紙にそのことを書き、この子たちは、伯父さんみたいになるな、と言う。

その後ろ、訳本では、「そんなことないって!」になっている。これは子熊の伯父さんであるカルフが書いている。

サンタさんが言ってるのは、子熊2匹がいたずらばっかして、いろいろやらかして、それが伯父さんそっくりだ、伯父さんみたいな熊になるぞ、ってことだ。

で、ここで、「そんなことないって!」が入ると、どうなるか。

伯父さんみたいになるぞ。
そんなことないって! ならないよ。だいじょうぶ。きちんと育つから。

みたいに読めてしまう。

カルフは、自分のことは素晴らしいと常々思っていて、ここまで読んできた読者には、それが伝わっているから、自分みたいにはならないよ、っていう感じのコメントが入ると、意味がわからなくなる。

それともこれでもいいのか?
カルフは、自分のことは素晴らしいと思っている。だから、いたずら者の甥っ子は自分とは違う。
だから、自分みたいにマトモにはならないってば!って意味で「そんなことないって!」が入ったとも取れる。

しかし、日本語の「そんなことないって!」は、悪いものを打ち消す働きがある。そんなニュアンスがある。
いいことを打ち消すときには、「そんなことないって!」とはあんまり言わない。

だからやっぱり、カルフは、自分がどうもならんヤツで、自分みたいにはなりませんよ、みたいに言ってるような印象を受ける。そして話の筋がわからなくなる。

で、そんな、どっちがどっちか、ややこしい話をせずとも、ここは違うと思う。意味が違うんじゃないかな。

Not Fair!っていうのはさ、「不公平だよぉ!」 「ずるいよ!」ってこと。よく使う。

この不公平感、日本語の口語としては、「ずるい〜!」がピッタリかと思います。
大人がマトモな状況下で使うなら、ずるいぃぃとは言わないけどさ。子供ならそう言うよね。大人でも親しい間柄なら、ずるいと言う。

たとえば、「お姉ちゃんばっかりゲームして、ずるい〜! あたしにも貸してよ!」とか、「レンバス、お前の方が大きいじゃないか!ずるいぞ!」とかいうシチュエーションで使われる。
要は、相手の方がいい目を見たということで、自分が貰い損ねたとか、食べ損ねたとか、自分だけディズニーランドに連れてってもらえなかったとか、そういう話で出てくる。

で、ここの場合、何がNot Fair!なのかと言うと、パクスがプディングを1人で食べちゃったのがずるいんだろう。
画像を見ると、Not Fair!は、eaten two whole puddings の横に書いてある。
ひとりで食べたぁ?!ずるい!自分も食べたかったのに!ってことだ。

カルフは伯父さんなんだけどねぇ。(^^;)
子供みたいで面白い。

活字にしてあるページでは、原書でも、

パクスはプディングを食べてしまった。伯父さんみたいになるぞ。
Not Fair!

という順番になっている。

この後ろは、話が変わるから、合いの手として入っているNot Fair!は、話題が違う段落と段落の間に入っているのだ。

訳は、

パクスはプディングを食べてしまった。伯父さんみたいになるぞ。
ずるい!

これだと、意味がわかりづらい。

ひとりで食べてずるい!と補えばいいかな。



◆ 誕生日 ◆ p.61
クリストファさんの誕生日は、1924年11月21日。

クリストファの誕生日、北極のサンタ邸ではゴブリンが押し寄せてきて、大変な戦いじゃった、って手紙。

で、クリストファさんの誕生日とはいつなのか、注がある。

「ちょうどクリストファーの誕生日 (絵本版原註11月22日) のころだったが、」とある。

絵本版とは、緑の表紙の本のことで、緑本を見ると、

「ちょうどクリストファーの誕生日(原註 11月21日) のころだが、」 となっている。

緑本が正しい。

この注は赤本の原書には書いてない。
緑本に載ってるから、それを親切に書き写したつもりなんだろうけど、わざわざ絵本版原註と断っておいて、22日にしちゃったのはいただけない。

ひとの誕生日を勝手に変えてはいけないな。



◆ 仮定法過去 ◆ p.62
鷲は仮定法は大の苦手。
いくら覚えても速攻で忘れる。しかししょっちゅう出てくるから、やはりわかってなくてはいけない。

62ページ、クマの書き込み。
ここは、緑本にもある。緑本はカルフの書いたのはほとんどカットになっているけど、この年のはサンタさんの文の間に挟まって書かれている。

ゴブリンと戦って追っ払った話で、サンタさんの活躍を言っている。

I wish I could draw or had time to try.

の訳が、

絵がかければええが。かくひま、あればええが。

になっている。

wish を使う仮定法過去は、現在の状況に反する願望、実現は不可能そうなことへの願望を述べます。

例文その1:
I wish I could speak French. フランス語がペラペラだったらなぁ。
鷲はフランス語はボンジュールと、メルシーと、マン・ドロアト、マン・ゴーシュ、セデくらいしか知らない。それもカタカナ発音だからたぶん通じない。今もダメだし今後もペラペラになる確率はたぶんゼロである。ということで、この文が成り立つ。

例文その2:
I wish I could fly to the moon. 月まで飛んで行けたらなぁ。
鷲は飛べてもせいぜい雲より下で、真空の宇宙空間は無理である。従って、この文が成り立つ。

で、どうにもこうにも出来ないことなんだけど、「今、そうならいいのに」となる。


さて、サンタ本にあるのは、
I wish I could draw or had time to try.で、
2つの文が or でつながっていて、分けると、

I wish I could draw で、今、描けないけど、描けたらなぁ、
I wish I had time to try で、今、時間がないけど、やってみる時間があればなぁ、

となる。

orでつないであるのは、「または」のor じゃなくて、draw出来ません、っていうことの説明、言い換えをしてるのだ。
「描けたらな〜、っていうかその、今は時間がないから描けないんだよ」、ってこと。


「絵がかければええが。かくひま、あればええが。」
これでは、この先のスケジュールの話のようで、描くヒマが出来たら描いて送るよ、みたいに見える。
仮定法過去の意味に合致する日本語にはなっていない。

A 描くヒマがあればいいが。と、
B 描くヒマがあったらいいのになぁ。とは、意味合いが違う。日本語は難しい。

Aは、この先、描く時間があればいいな、あることを願うよ、ってことになり、
Bは、描く時間があればいいのに、今、時間ないんだよね、だから描けないよ、ということになる。


今後のスケジュールの話にしてしまうと、後ろの文とも合わないの。

訳本 原文 グワ訳
それに、サンタじいさんのおかげ。絵がかければええが。かくひま、あればええが。あのじいさん、でかしたこと、みなさん、とてもわからない! いなずま、花火、かみなり、ぶっぱなしたよ! And Father Christmas. I wish I could draw or had time to try - you have no idea what the old man can doo! Litening and fierworks and thunder of guns! サンタさんもね。絵がかけたらいいんだけど。かいてみるじかんがあったらなぁ。絵がないと、じーさんがどんなことできるか、わかんないだろな! ピカ!花火!大砲どっかーん!

カルフの書いたのは、トールキンはわざとスペルミスをしてるから、訳も多少書き方をかわいくした方がいい。しかし英語のスペルミスと違って、日本語でひらがなを変えたり抜いたり加えたりすると読めなくなったりもするから、加減が難しい。

時間がなくて描けないや、っていう後にハイフンがある。描けなかったから、どんなにすごいかわかんないよねぇ、君たちわかんないだろうから描いてあげればいいんだけどねぇ、ってことだ。だからハイフンの意味合いとして、「絵がないと」を補ってみた。
描くヒマあれば描きますよ、みたいな文の後に、みなさん、とてもわからない!では何だかよくわからない。

でかしたこと、っていうのも、違うかな。 そこは過去形じゃないからね。

かみなりをぶっぱなしたのかもしれないけど、この場合のthunder ofは、すんごい音ってことじゃないかな。thunder of なんとか、は、なんとかの大きな音。



◆ 聞いて ◆ p.72、93

この「聞いて、聞いて!」は、普通は「聞いて」とは訳さない。

クマが戻ってきた日は、わしにとって lucky dayだ!ってサンタさんが言っているのに対して、クマは「Hear, Hear!」と合いの手を入れる。聞いて、聞いて!というのは、サンタさんが僕が帰ってきてよかったって言ってるよ!ということを言いたいのだろうから、聞いてでも構わないといえば構わないけど、でもあの流れの中に聞いて聞いてが入ってもよくわからない。

Hear, Hear!というのは、普通の「聞いて」じゃない。

「クマが戻ってきた日は、わしにとっての lucky day だった!」
「その通り!!」

というのが普通かな。Hear!Hear!は、他の人の言ったことに、すんごく同感!ってときに使う。
そのとおりっ! いいぞ〜! とか、そんな感じ。

ここは、サンタさんが、クマが留守してる間いろいろ困って、帰ってきてくれて、よかったよかったと言ってるのに対し、でしょでしょ、よかったでしょ、ぼかぁ、大事なクマだからね〜、って言ってるところだ。

そして、Hear!Hear!という言い回しは、きちんとした場で、要するに公式の場での発言に対して言われるものだ。議会とかさ。何かのスピーチとかでね。

で、だからカルフは、このHear!Hear!を言うことで、自分が重要人物(重要熊)である、ということを、世間話レベルから公的発言レベルに勝手に引き上げているのだ。Hear!Hear!だけで、そういう効果がある。すごく面白い。

だから、日本語では「謹聴!」がこれに当たるかもしれない。謹聴は、静かにしてちゃんと聞け!ってことだから、聞いて聞いてでも同じといえば同じだけど、聞いて聞いてでは普通の意味の聞いてにしか聞こえない。(←わかりづらくてすいません)
聞いて聞いてとやると、サンタさんがいいことを言ってるからそれを聞け、ではなくて、自分が言いたいことを聞いて聞いて!って感じにも取れる。

トールキンが書いた画像を見ると、カルフの書き込みは、普通は、サンタさんが書いた後の余白に別のインクで書かれているのだけれど、このHear!Hear!は、文中に含まれている。
この手紙は、サンタさんは、時々色を変えて書いていて、だからきっと机の上には色鉛筆が何本も転がっていたのに違いない。(この年はインクがないと書かれている)
ってことは、書いているのを横から見ていて、うれしくて、そばにあった緑の色鉛筆を取って、サンタさんの手をよけさせて、Hear!Hear!と書いたのだ。とかいうことも想像出来る。他のところは、全部書かれた後で読んで、余白に茶々を入れているんだから、ここだけ文中というのは、他とはちょっと違うのだ。

でしょー!!そうなんだよねぇ! いいぞー!って感じが倍になる。

訳本で72ページにきたら、そういうつもりで楽しんでください。

この言い回しは、93ページにも出てくる。「聞いて聞いて」じゃありません。

93ページでは、原文は「here hear!」になっている。
同じ発音のを並べて、ここは大事だ!っていうのと掛けている。おもしろい。



◆ あついお湯 ◆ p.80

I got into hot water didn't I? Ha! Ha!
「おれ、あつい湯に入っただろ?エヘン!エヘン!」

ん〜〜・・・?? 意味不明。
訳してて自分で意味不明のものをそのまま出版社に渡してはいけない。
自分で意味不明なのかどうなのかもわからないまま機械的に訳してはいけない。

get into hot water とは、困ったことになる、面倒な事態に陥る、ということだ。
それも、どっちかっていうと、そうなったのは周りのせいとかじゃなくて、自分が悪い、というニュアンスを持つ。

カルフは、この直前、何をやらかしたかというと、おふろに入って、お湯を出しっぱなしのまま眠ってしまい、お湯を溢れさせて家中水浸し(お湯浸し)になり、サンタさんはカンカンになり、濡れちゃったプレゼントの包みは包装し直しになり、家中みんな大騒ぎで、でもカルフは恐縮するでもなく、面白いじゃん、わはははは♪、だったのだ。
・・・という顛末と、困った事態になった、という言い回しをかけている。

おれ、あつい湯に入っただろ?では、全くわからない。
おふろに入った、っていうのは、その前の手紙を読めばわかるんだけど、おふろに入ったと言って、エヘン!エヘン!というのもわからない。


カルフは、騒ぎの後、いい夢を見てたのに起こされたと文句を言い、そう怒ることはないじゃないか、トールキンの子供たちに聞かせるいいネタが出来てよかったじゃないかと言い、さっぱり謝る風でもなく、あくまで、面白いじゃん、わはははは♪だった。なかなかいい性格なのだ。
だけど、hot waterの持つ、面倒なことになったのは自分が悪かった、というニュアンスを感じると、ほんとは「まずいことしちゃったよなぁ・・・・」って思ってたんだよ、というのが、この一文でわかるのだ。
僕が悪いんだよな、っていうクマの気持ちがこの文にさりげなく、ちらっと出ている。それも、ほんとにごめんなさい(涙)、っていうのとはちょっと違って、ヤバかったよな〜〜、ひひひ、っていう感じだから、ますます面白い。

グワイヒアは、このクマのカルフが大好きで、何かやらかしても、がはははは!で済ませる性格も大好きで、そういう描き方をするトールキンが大好きなのさ。
お騒がせクマでも、サンタさんはカルフを可愛がってて頼りにしてて、カルフは口答えをしつつもお腹の中では、まずかったよな〜と思ってる。
そして周りのみんなも、楽しいこと良いことだけでなく、ケンカも、怒られるのも、ケガも病気も、全部あったかく楽しくしてしまう、そういう世界が描かれる。寝込んだとか、ケガしたとかいうことが、悪い出来事というイメージでは描かれない。
毎年クリスマスの時期だけに子供達に宛てて綴られたこの書簡集は、一緒に暮らすということの、すごくすごく深い意味を教えてくれていると思う。

「おれ、あつい湯に入っただろ?エヘン!エヘン!」では、もう何だか、クマの性格まで変わってしまう。お湯のくだりも変だし、エヘン!エヘン!とは一体何だろう。
前後のつながりも意味不明だし、何より訳者さんがわかってなくて直訳しただけなのが丸見えで、非常によろしくない。

というか、直訳ならば、「熱湯に入った」になりうる。温泉は英語でhot spring、熱いお風呂は、hot bath だけど、hot water と言うと、煮立ってるほどではなくても、なかなか温度が高いイメージがある。煮立ってんのはboiling water。 hot waterはおふろとして入るには熱いんじゃないかと思う。hotだと、けっこう熱いぞ。どうかするとやけどして、救急車を呼ばねばならない。

だから、hot water にget into すると、苦境に陥るという意味になるのだ。あっちっち、である。あっちゃー、なのである。

hot water と、あちゃ〜、っていう日本語には共通して「うわ、ヤバかった」って意味合いがあるわけで、これを使わない手はない。熱いのはどこでもヤバいらしい。

訳本の「あつい湯に入った」という日本語だと、このクマはぬるめの風呂より熱めの風呂が好きなのだな、くらいの印象しかない。健康のためには、ぬるめがいいらしい。鷲は熱いのが好き。らんどろーば湯とか、めねるどー湯とか、そろんどー湯とか、あちこちいい温泉がある。うひ


なんだっけ。
ええと、

☆ おふろに入った
☆ 困ったことになった

っていうのを含んで、かつ、
☆ その原因は僕なんだけどさ
っていうのをちょっとだけ入れて、I got into hot water didn't I? Ha! Ha!を訳すと、

「とんだとこに足突っ込んじまって、あっちゃ〜だったろ? あは」


って感じかな。なんでお湯が溢れたかっていうと、蛇口が開きっぱなしで、それに加えて排水孔を足で塞いでいたからだ。
困ったことに足を突っ込むという日本語の言い回しにぴったりだ。

ヤバいことしたな、っていう雰囲気が出て、カルフはそこら中びしょびしょにしたのを「面白くていいじゃないか」と言いつつも、内心「(^^;;;)」と思ってたのがわかっていいかな。

これは、相手の子供たちが、前の手紙を読んで、事の顛末を全部知ってるのを前提に書かれている。カルフは、ふふん♪と思いつつも、ちょっと恥ずかしいのさ。でも素直に言えないのさ。でもちょっとは子供たちにも言い訳もしたいわけさ。だって子供たちには「こいつが悪い」ってバレてるんだし。

それで、何で手紙に騒ぎのことが全部書かれたかって言うと、カルフ自身が「あの子らに書いてやれば」って言ったからで、そこら辺がカルフの、(^^;;;)って思ってても何でもないフリをする性格が表れてるとこでもある。
で、言い訳に聞こえない程度に、ちょっと言ってみただけなのさ。

だから、手紙の最後にちょっとだけ書かれてるんだよね。これが初めや途中に入ってたら、また何かニュアンスが変わる。アルファベットの説明とか、全然関係ない話をして、最後にちょっとだけ、おふろの話を付け足してある。クマは、これが一番言いたかったんだからさ。

一番言いたかったことなんだけど、君たちはジョークがわかるから、って言って、ジョークとしてこの「I got into hot water didn't I?」が書かれる。ジョークだと言って、正にこれは「お湯」と「面倒なこと」を掛けたジョークなのだけれど、そこに、ヤバいことしたな、っていうのがほんのチラっと見えるのがいいのだ。
ジョークだよ、って断ってあるところがカルフらしい。

そして、Ha!Ha!でごまかす。カルフはほんとにいいクマなのだ。

訳本の訳だと、ジョークにもなっていない。

トールキンは指輪を書くときも散々書き直し、文を入れ替え、言葉を替え、最終稿になるまで練り上げた。この子供宛の短い手紙であっても、ここまで根性入れて毎年書いて描いていたのだから、何となく書かれたものではない。カルフの短いメッセージ、全部の行の奥に意味があり、行間に意味がある。

そういう心のひだを感じて、80ページ、楽しんでください。



◆ NB ◆ p.103、104

次、N.B.のところ。

NBというのは、英語絡みの、英文に関わる仕事をしてる人なら、知ってるのが当たり前のもので、ラテン語のnota beneのこと。別に英語の仕事してなくても、学生でも知ってる。

で、カルフは北極熊で、Polar Bear で、略すとPBで、このイニシャルは他の手紙にもそこら中に出てくる。もうひとつ、North Polar Bear の略、NPBもよく出てくる。ここまでの手紙の中でNPBを見ている人は、ここでまた洒落が出てきたのを見て、笑えるのだ。
つまり、nota bene と、north bear を掛けている。んだろう。たぶん。

nota bene は、ラテン語だけど、英文の中に出てくる。英語にすると、note well 、take good noticeのことで、直訳すれば、注意しろ!ってことだ。で、nota beneといちいち書くのはめんどくさいから、NBと略す。N.B.って点つけてもつけなくても、小文字でnbでも同じこと。

こういうのはいろいろあって、e.g.はfor example「例えば」のことで、i.e.は「すなわち」のことで、id.は「同上」のこと、v.って一文字あったら「見よ」ってこと。みんなラテン語。cf.は「参照」で、これはよく見るでしょ。英語の辞書なんかで他の項目を読ませたいときにしょっちゅう出てくる。

こういう略語は論文とかじゃなくても、普通の友達同士の手紙にも使ったりする。知らないと、何のことだかさっぱりわからない。(←経験者) わからないときは、素直に訊くか、辞書を見る。
こういうものの中で一番有名なのは、etc. = et cetera だね。誰でも知ってるよね。などなど。その他。エトセトラ。

そしてNBもよく見かける。
NB、注意しろ!とは何かというと、要するに注に使う記号で、「注記、備考」ってことで、追加事項を書いたりとかもするし、注意すべき箇所に目印として書いたりもするし、「注目っ!!」って使い方もする。「ここ大事ですよー!」ってね。

で、この41年の手紙では、ゴブリン軍が押し寄せて大変だったという話が書かれて、クマがいかに活躍したかが述べられ、サンタさんはカルフを誉める。で、自分が持ち上げられたところで、すかさず「NB」が入るのだ。(爆) もう、可笑しくて可笑しくて、笑える。

クマのおかげで助かったんだよ。 NB!
奴は実に素晴らしい。 NB!

ここ、大事ですよー!はい、皆さん、注目、注目!(^o^)

この手紙をもらったトールキン家の末っ子、プリシラは、楽しくてニコニコしてたに違いない。

さて、訳書103ページ、N.B. That's mee!のところが、「そう、おれ。N.B.だよ!」になっていて、カッコの注がつき、(North Polar Bear の略か? 訳者) とある。

この訳書は、とにかくこのカッコつきの説明があちこちにあって、いちいち現実に引き戻されて、よろしくない。訳者、訳者、と書いた注が楽しい手紙に混ざっている。文中に訳注なんか要らない。訳注を含めても構わない種類の本と、構う種類の本がある。

で、ここでもそのカッコが出てきた。
NBがNorth Polar Bear の略なのは、ここまで読んできた人には、いちいち言わなくてもわかるの。NPBが何回も出てきてるんだから。

そしてNBとの掛けことばだから、真ん中のPを抜かしてNBにしてあるわけだ。
NBは、日本の読者、特に子供にはわからないし、大人でも英文に慣れてない人にはわからない。英文より日本語の方がわかるから訳書を買うわけで、だからそういう人たちが楽しめるように訳さねば意味がない。

訳者さんはNBを知らなかったのか、なんだか的を外れた説明をカッコつきで書いている。

注目!と北極熊を掛けてあるのを日本語にしろと言っても、なかなか難しい。
それに、掛けているんだろう、っていうのは推測にすぎないから、普通に、普通のNBとして処理しても別に構わないと思う。

だから102の終わりから103ページのところは、

「北極熊が頑張ってくれたからなんだよ」
「はい、注目!僕のことですよ〜!」

104ページは、
「あいつはほんとに魔法のような奴だ」
「ここのとこ、大事だよ!」

って感じでいいと思う。


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ということで、意味不明になっている部分がちらちらあると、せっかく面白い本なのに、面白味が下がる。
これ読んだ人たちが、トールキンのサンタの本は、「?」なところがあっていまいちだった、と感じたら、というのが一番気になる。心配。

漢字の部分をひらがなにしたり、句読点を増やしたり、瀬田さん単独訳よりもわかりやすくしようと直すのが大変だったのはわかる。わかりやすくなった部分もある。それはとてもいい。
でも、そこはそのままでよかったのにな、っていうところもたくさんあった。

こういうのは人それぞれに受け取り方が違うから、別に構わない。
でもなんか、好きな本だから尚更、残念に思うところが多かった。

著作権切れたら、グワ訳を出そう。よし。



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