伝記 コーレン版  こちら

トールキンの伝記、日本語で読める本で主なものは2種類あります。カーペンターさんの書いたものが一応オフィシャルってことになってて、なかなか詳しい。詳しいから長い。細かい。
一方、コーレンさんの書いたのは、短い、薄い、すぐ読めて、大ざっぱにトールキンの生涯が見て取れる。
これは、どうしてあっさりと読みやすいかというと、元々子供向けの本のようです。子供向け伝記シリーズの中の1つらしい。訳本は児童書って雰囲気じゃないけどね。

原文は、カーペンター版、コーレン版どちらも間違ったところもあるようですが、トールキンの生涯にあったことについてそう簡単に確認が取れるわけではないので、ここで取り上げるのは主に訳本の誤訳です。

特に、コーレン版の訳本は、一気に読めて初心者向けでいいのですが、変だな変だなというところがちらちらある。出版するならもう少しチェックしてほしい。
原文は、子供向けということもあって、平易な文で、わけの分からない単語もそんなに出てこない。原書はちょっとなぁ、って人も読んでみるといいよ。高校生くらいになれば結構すらすら読めると思うよ。わかんないとこは飛ばせばいいんだよ。(いつも飛ばしまくるのがここに約1名 ^^;) それに薄いしね。ペーパーバックは訳本の半分くらいの厚さかな。英語はまぁ平気って人は、訳本より原書の方がいいです。

でも訳本もいいよ。変なとこあっても全体としてはいい本だよ。カーペンター版はいろいろ細かくてマニアックな面もあるけど、コーレン版はほんとにあっさりしてて、でもトールキンの人間性がちゃんと伝わってくる。このページを読んで興味を持った人はとりあえず読んでみてください。

その非常に読みやすいコーレン版伝記、グワイヒアは原書と訳書突き合わせて全文チェックしてる時間はないし、そこまで突つきまわすつもりもありません。

ま、誤解を呼びそうなものを、気がついたときだけ書いていきます。
ちなみにグワの持ってるコーレン版伝記の原書房刊訳本は、初版第1刷です。その後、訂正が入ったかもしれませんが、初版を持ってる人は多くいるだろうから、やっぱり書いておきます。下のページ数は訳本のものです。

それからコーレンさんは結構有名な伝記作家のようで、トールキン専門というわけでもないらしく、指輪もきっとそんなには読み込んではいないんだと思う。だからホビットや指輪のあらすじも何か、???というところもあります。まぁ大筋は合ってるのですが。ホビットと指輪のあらすじで、???というところは、あれは訳者さんが悪いんじゃなくて原文がおかしいんです。でも原文は正しいのに訳がおかしいところもあります。それも下でちょっと取り上げてあります。

はい、間違いを正すことで、よりよいトールキン世界への理解を得るためのコーナー、伝記の巻、はじまりです。


p.86 インクリングズ
当初、グワイヒアはこの伝記、手抜きして訳本しか読んでいなかった。さ〜〜〜っと斜め読みで、まぁちょっと「?」なところはあれど、なかなか読みやすく、あー面白かった、で、本棚にしまいっぱなし。
それで、原書を買ったのはここの訳文がきっかけだった。グワのサイトは当時、ナマリエの代わりに生煮えと言うのが大流行で、トールキンの伝記本に「生煮え」って書いてある!って掲示板で話題になって、おもしろいよね〜、って言ってて、ガハハハハで、・・・・・いや、しかし・・・・何か変じゃないだろうか・・・・・?? 

本棚から訳本を引っ張り出してよくよく読んでみると、やっぱり変だ。原文はどうなってるのだろう・・・・ やっぱ買わなきゃダメか。
しばらくして原書が届いて、うーん・・・・・ 生煮えよりその前がおかしい。

さて、トールキンには、書いたものを披露したりそれについてやいやい言ったりし合う友だちがたくさんいて、定期的に集まっては盛り上がって楽しい一時を過ごしていたそうです。そのグループの名前は「インクリングス」といいました。

で、その集まりについて書かれている辺り、インクリングズという名称についての文。

<原文>
People have been baffled by the group's name for years, and even some of the members were never quite sure why it was called what it was. Tolkien said it was a pun, describing people with vague or half-formed ideas who also work in ink.

<グワ訳>
長年、そのグループの名前に周囲は首をひねったが、メンバーの中にさえ何故そう呼ぶのかわかっていない者もいた。トールキンは、これは洒落なのだと言っている。曖昧で構想の輪郭が定まらず、尚かつ、インクを使う者、という意味なのだ。

<原書房訳本>
この会の名まえは長年、会員のなやみの種となり、なかにはいったいどう意味で、なぜその名がついたのかよくしらない人もいた。トールキンの言によればこれは、インクで仕事をする人間で考えが半分しかまとまっていない、というか、生煮え状態にある人間をさす語呂合わせだという。

さて、訳本のここの文は、斜め読みすれば、ふーん、そうかいそうかい、ってことで何となく先に進んでしまうけれど、よく見てみると何だか意味がイマイチわからない。

インクリングズ、Inklings がどういう洒落なのかをわかりやすく言うと、

その1
ink + ling で、インクにlingがついたもの。lingは、それに関係がありますよ、ってこと。いっつもインク瓶をいじってるインク野郎、って感じかな。物書きってことだね。

その2
inkling  これは、仄めかし、暗示、ちゃんと全部明らかに言わない。曖昧模糊、漠然。
ちょっとだけ示唆すること。a slight suggestion
ちょっとしかわからないこと。 a slight knowledge


訳本でまずおかしいのは、「会員の悩みの種」だ。 会員の悩みの種? そんなに困ったんなら改名すればよろしい。 baffleさせられたのは会員じゃなくて、Peopleです。周りの人たちは、この名前の由来がよくわからなかった。駄洒落になってるのがピンとこない人もいたわけさ。
インクリングスは後にとても有名になって、文学史に残る集団になったけれど、その名前が言葉遊びになっているのは今でもあまり知られていないのかもしれない。
そして、部外者じゃない当の会員の中にさえもちゃんとわかってない人がいた、って文です。
people と members は別です。

あと、「どう意味で」っていうのはグワの打ち間違いじゃなくて本もそうなってるんです。どういう意味、ですな。

次、「考えが半分しかまとまっていない、というか、生煮え(!)状態にある人間」 
なまにえ〜はエオウィンシチュー。なまりえ〜はガラさま。あのシチュー、何が入ってたんだろ。生春巻きでくるんだようなものだったな。わからん。あの鍋、あの後どうなったのかな。実はほんとは美味しくてみんなで食べたのかな。それともヴィゴが美味しそうに食べないように砂糖と酢と塩でメチャクチャにしてあったのかな。

シチューの話じゃなかった。えーと、half formed の half は、きちんと「半分」である必要はなくて、不完全とか充分じゃないってこと。
vague or half-formed を「というか」で分けるのはおかしいんじゃないかな。

会員の悩みの種は主語の取り違えだけれど、訳本のここの文が意味不明なのは何よりも、Inklings がどういう掛ことばなのかを訳者さんがわかってない、というのが根本的原因だと思う。だから「これ」と「これ」をかけているんだよ、っていうのがちゃんと読者に伝わらない。
inklingは、わからなかったら辞書を引けば載ってる。


ま、ひとの訳は置いといて、グワが言いたいのは、インクリングズという名前は別にメンバーの悩みの種ではなかった、ってことと、トールキンが作品を書くにあたって大きな影響があったインクリングズという集まりの名前を意味不明にしないでほしい、ってことです。

コーレンさんのここの文は、トールキンの手紙から取っている。トールキンの書いた説明をもっと簡単に言っている。トールキンは「インクで仕事をする人間で考えが半分しかまとまっていない、というか、生煮え状態にある人間をさす語呂合わせ」という風には言っていない。
コーレンさんの省略の仕方が誤解の元かもしれないけど。

はい、1967年9月11日のトールキンの手紙より。

<原文>
I called the name a 'jest', because it was a pleasantly ingenious pun in its way, suggesting people with vague or half-formed intimations and ideas plus those who dabble in ink.

<グワ訳>
私がその名を「冗談」だと言いましたのは、それがそれなりになかなか上手い洒落だからです。曖昧で、形を成さない仄めかしをし、構想が定まらないでいる者たち、ということと、インクをパチャパチャやっている者たちのことを言っているのです。
これをコーレンさんがまとめたのが、
Tolkien said it was a pun, describing people with vague or half-formed ideas who also work in ink.
・・・なのだ。
なんとすっきりしていることよ。でも intimations を削ったのはよくなかったかなぁ。intimation は inkling を端的に表す言葉だと思う。示唆。 intimation とか indication とか suggestion とか。

何にしても、people with vague or half-formed intimations and ideas は、生煮え状態にある人間とはちょっと違う。

この元々の手紙の文を踏まえて訳さないと、どんどん意味がずれていく。翻訳は、80%は調べ物なのだ。

インクリングズについて詳しくは、こちらをどうぞ。


p.99〜102、p.127〜132  ホビットと指輪のあらすじの部分について
これは訳本だから、当然いろいろ訳してある。その固有名詞の訳について。
例えば、Lonely Mountain、これは瀬田訳では「はなれ山」、山本訳では「さびしい山」、これは訳者によって違うわけだし、こういう関連書では固有名詞の訳はそんなに問題ではないと思う。離山、孤山、独山、とかでも別に構わない。
何でもかんでも瀬田訳に準じていないと文句を言う人もいるけれど、訳が違ったって別にいいはずだ。ある固有名詞が瀬田訳と同じで、別のが山本訳と同じでも別に構わない。そういう点でぶつくさ言うことはない。
ボロミアがボロミルとなってる。これもカタカナにするときにどうするかという問題で、別に間違いではありません。たまたま、ボロミアでみんなが慣れちゃってるから変に感じるだけでね。アラゴルンもアラゴーンだったかもしれないんだし。
そういう点は慣れない響きが出てきて読みづらいかもしれないけれど、そういう些末事でごちゃごちゃ言うより、大きな誤解を正すべきです。


p.99〜102 ホビットのあらすじ
ホビットをよく知っている人が読むと、どうしても何か違和感があるけど、仕方ない。大筋は間違ってないから、そういうもんだと思って読みましょう。
でも一応文句を言うと↓

p.100 さけだに

別にいいんだけどさ。わかる人にはわかるから。
でもわかってない人が読むこともあるんだから、こういう変換ミスはしないで欲しい。変換ミス、Webサイトならまだしも、本なんだから。
「避け谷」になってます。


p.101 どっちが有名?

ホビットの冒険ではオークはゴブリンになっている。同じこと。児童書だからゴブリンの方が雰囲気的にかわいいかな。

   Goblins, also known as orcs, attack them and 〜

   オークとしても知られるゴブリンに襲われ、どうたらこうたら・・・・

ということではないかと思います。絶対そうです。

訳本は、

   オーク鬼と同じほど有名なゴブリンにも襲われ、・・・・・

となってます。


p.103  自信みなぎるトールキン先生
ホビットが出版されたときの英紙タイムズの書評より

<原文>
The professor has an air of inventing nothing. He has studied trolls an dragons at first hand and describes them with the fidelity which is worth oceans of glib 'originality.'

<グワ訳>
教授は何も創作などはしていないといった口ぶりである。トロルやドラゴンをじかに調査して、彼らを事実に即して描いているのだ。その真実味は、立て板に水の「独自性」に足るものがある。

<訳本>
トールキン教授は自分が発明したものはなにもない、という調子で書いている。しかしここにはトロールやドラゴンの研究では最前線であるという自信がみなぎっており、それはべらべらまくしたてる「独創性」のオンパレードに匹敵するものだ。

別にトールキンはトロルの研究で自信がみなぎってたわけじゃないと思うけど。書きたいこと書いただけでさ。大体、そんな性格じゃなかったはずだよな。
それに、最前線だ!どうだ!すごいだろ!ということが独創性に匹敵するというのも何か変だ。
こういう訳がどこから出てきたのか不思議です。自信がみなぎるという語は原文にはないし、意訳としてもそういう文脈ではない。

at first handというのは最前線で一番進んでるってことじゃない。ダイレクトに知ってるってこと。

全部自分で創り出したものじゃなくて、龍だのトロルだの元々いる者たちを描いたわけだけど、本物に基づいた記述は価値があって、全部自分のオリジナルであるのと同じだよ、ってこと。
このタイムズの書評を書いた人は、何もほんとにトールキンがトロルやドラゴンを実際に知っていたなんて思ってたわけじゃなくて、いかにもそういう感じのお話なのだ、って言ってる。
ここのポイントは、fidelity って言葉で、これは「事実、原物に即して正確である、真に迫っている」ってこと。他にも意味はあるけど、ここではそういうこと。

せっかくのいい書評が台無し。


p.127〜132  指輪のあらすじ
ここは、ホビットのあらすじよりもちょっといちいち「??」となる。大体は原文がおかしい。でも訳もおかしい。

ガンダルフはメリーとピピンとサムにフロドと一緒に旅に行かせる、となっているけど、原文がそうなっているから仕方がない。

リングレイスと呼ばれる羽根のはえた生きもの、となってる。ナズグルさーん、いつ羽根はえたの? 抜け替わったりするのかな。でもこれも原文がそうなってるから仕方がない。でも原文はwinged creatures called Ringwraiths で、訳すなら翼かな。ナズグルのあの乗り物は翼はあるけど羽根はないよな。

灰色港で雨の中船を見送ったサムは雨がガラスのようでそれが巻き上がって緑あふれるよろこびの地の幻を見た、となっているけれど、そりゃフロドでしょう。それにフロドが見たのは本物で幻じゃなかったはずでしょう。でもこれも原文がサムになってるから仕方がない。灰色港も雨だったとなってるし。

次は訳が変なものです。

p.128 サウロンさんは、いいひとだったのか

<原文>
Sauron, the Lord of Mordor, is conquering all before him and he wants the ring in order to complete his power and become supreme.

<グワ訳>
モルドールの王、サウロンは、全てを制圧しつつあり、自身の力を完璧にし最強の存在となるため指輪を欲していた。

<訳本>
モルドールのあるじサウロンは障碍のすべてを克服し、いまこそ指輪を手に入れ、至高の存在となろうとしていた。

さ〜、上の2つの訳がどう違うかですが。

克服っていう日本語は、よくない状態にある中で、努力して、ガンバで、それに打ち克って良い状態にもっていく、ということです。病を克服する、とかって使うよね。

至高というのは、正しい側の素晴らしい最高の、ってことです。悪役には使いません。

話をよく知らない人で、日本語はわかってる人がこの訳本の文を読むと、サウロンさんは悪い奴らに邪魔されてたけど、頑張ってそれに打ち勝って、世のため人のために素晴らしい人になろう!としていたような感じを受ける。そのために指輪が必要なのだ。なんと素晴らしい指輪であることよ。

そりゃさ、サウロンも元はいいひと側にいたんだよ。マイアなんだし。それがメルコールの配下になっておかしくなった。ほんとは可哀相なのかもしれないんだよ。いくらそういう芽を持っていたにしてもね。ゴラムと同じで、誰でもそういう道に進んでしまう可能性はあるんだから。

でも、だからって、サウロンさんは至高の存在を目指してたわけじゃないな。


p.128  たてつくとは何事ぞ

<原文>
Boromir is a warrior and human lord of Minas Tirith, one of the strongholds against darkness.

<グワ訳>
ボロミアは武人で、闇に抗する砦のひとつ、ミナス・ティリスを率いていた。

<訳本>
ボロミルは人間の戦士であり、闇の勢力にたてつく城砦のひとつミナス・ティリスの領主でもある。

・・・とあります。おや、パパのデネソールはどうしちゃったんかいな。しかしここは、原文でボロミアが lord だとなっているので、領主になっちゃったのは仕方ない。でも lord は、トップでなくても、有力者とか、殿とか、卿とか、貴族の息子とか、そういうニュアンスのときにも使うから、コーレンさんがどういうつもりでlordを使ったかはわからないけど、ここは物語に沿って訳しても原文に反したことにはならないと思う。

lordが領主になったのは仕方ないかもしれないにしても、闇の勢力にたてつく、というのは変な日本語です。「たてつく」というのは、下の者が上の者に逆らう、という意味です。親や先生や上司や上官に反抗する、従うべき立場の者が従わない、ってことです。
この文では使えない言葉です。


p.149 根こそぎにされたテーブル
トールキンに会ったことのあるアルブロウさんという人のコメント。18歳のアルブロウさんは、オックスフォードの教授になんて会ったことがなくて、オックスフォードなんて訳の分からない怖ろしげなところだと思っていたんだけれど、トールキンは少しも偉ぶらないで接してくれて、自分をいい気持ちにさせてくれた、ほんとにいい人だった、と言っている。
それに続く文。

<原文>
Just imagine if I had encountered one of those modern-day, smart-alec, television-preening dons who have now despoiled what is left of the high tables of Oxford.

<グワ訳>
考えてもみよ、私の出会ったのが、今やオックスフォードの教員用食卓テーブルをぶんどっている、今どきの、気取った、テレビでカッコつけているような教官のひとりだったとしたらどうなっていたことか。

<訳本>
わたしがトールキンではなく、いま現在、TVでしたり顔をさらしている現代の横柄な教授たち、オックスフォードの大テーブルに象徴されたものを根こそぎにしてしまったような人たちに出会っていたら、事態はまったくべつだったろうと思う。

ここは訳しづらいとこですが。グワ訳もわかりづらいのですが。カッコつけている、ってのは文語じゃないのですが。preenとは、羽づくろいをする、めかしこむ、得意になる、要するにカッコつける、ってことです。はい。カッコつけて見栄はることを日本列島北部では「いいふりこく」と言います。いいふりこく人のことを「いいふりこき」と言います。でも世の中、いいふりこくのも大事だったりもします。とはいえ、いいふりこいてばかりいてはいけません。

何の話だ・・・
えーと、ハイ・テーブルというのは、大学の教授とかフェロウとかドンとかチューターとかいう立場になると使える食事のときのテーブルのこと。tutor、fellow、don、日本の学校とはシステムが違うからいろんな語があるけど、要するに指導する立場にある人たち、先生方用のテーブル。
食堂でさ、偉い人たちが座るところは床がちょっと一段高くなってたりするじゃん。テレビや映画でそういうの見たことあるでしょ。日本の学校の学食みたいな明るく元気にパッパラパァな雰囲気じゃないよ。あれはあれで楽しくていいんだけどさ、もっと重厚な歴史ある部屋なわけだよ。

で、とにかく床が高くなってるからhighっていうわけだよ。別にそんなに大テーブルなわけじゃない。一段低いところにガーーっと並んでる学生用の長〜いテーブルの方が大きい。
こういう感じ?↓

←ハイ・テーブル。薄い色のところは一段高い。
←学生用


先生たちだけじゃなくて、何か行事があるときの招待客もそこに座れる。ハイ・テーブルにつけるというのはすごく名誉なことなのだ。
大学の食堂でなくても、晩餐会とかあると王族は一段高いとこにいるよね。あれもハイ・テーブル。

で、大テーブルってのもわからないけど、テーブルに象徴されたものを根こそぎにした、とはますますどういう意味かわからない。根こそぎって、全部なくしちゃうってことで、何を根こそぎにしたのかよくわからない。


p.156 ジェイン叔母さん
あららのら、です。

<原文>
His eighty-nine-year-old aunt, Jane Neave, asked him for a book ─ a small book that old people could manage ─ about Tom Bombadil, a character from The Lord of the Rings. Tolkien obliged, and The Adventures of Tom Bombadil appeared accordingly, just months before his aunt died.

<グワ訳>
89歳になる叔母、ジェイン・ニーヴはトールキンに本が欲しいと言った。年を取っても読めるような、ちょっとした本を。叔母さんが頼んだのは、指輪物語の登場人物であるトム・ボンバディルの本だった。トールキンは、そりゃいいねと言い、そしてトム・ボンバディルの冒険は出版された。それは、叔母さんが亡くなる数ヶ月前のことだった。

<訳本>
八十九歳になる彼の叔母ジェイン・ニーヴが、老人にもなんとか読めるちいさな本を ─ それも『指輪物語』に出てくるトム・ボンバディルの話を ─ 一冊書いてくれとたのんできた。トールキンは承知して、『トム・ボンバディルの冒険』を書き上げ、本は叔母の死後わずか数ヶ月で世に出た。

・・・ということで、原書房の本によれば、叔母さんは欲しかったトムの本を手にすることなく亡くなったということです。
え゛〜〜、そんなぁ! ひどいな。あんまりだ。

just months before his aunt died.は中学生でもわかると思います。

それから、翻訳の際には、いろいろ補って訳しますが、文の意味をあまりに付け加えすぎると、いろいろ誤解が生じます。上のグワ訳は、原文にあることしか書いてません。ここの文の場合は大して補わなくてもわかる。

「書いてくれと」は書いてないし、トールキンは「書き上げた」とも書いていない。

トールキンは叔母さんに言われてからトムの本を書き上げたわけではない。
一冊書いてくれ → 書き上げた、とやると、言われてからせっせと一冊書いたようにみえる。でも間に合わなくて叔母さんは死んじゃったような訳になっている。

あのトムの詩は、元々あったものなんだよ。
トムは、トールキンの息子のマイケルが持ってた人形だったんだよ。帽子にはちゃんと羽根がついてたんだって。
マイケルの人形がなかったら、トムのキャラクターはなかっただろうし、その服装はもとより、柳じじいや塚人のエピソードも指輪物語に出てくることはなかったかもしれない。
そのトムの詩は1934年にオックスフォード・マガジンに載って、ずいぶん前に発表されている。

トム・ボンバディルの冒険の本にまとめられた詩の中には新しく書いたものもあったけれど、昔の作品が多かった。初めの「トム・ボンバディルの冒険」は34年に発表されたもので、次の「トム・ボンバディル 小船に乗る」はこの本のために新しく書かれた。
トールキンは出版前にもジェイン叔母さんに昔書いた詩を少し送って読んでもらったりしている。本の初めに載ることになった「トム・ボンバディルの冒険」は、叔母さんがこの話を言い出してすぐに写しを送ったはずだ。昔書いたのを送るからね、っていう手紙が残っている。
叔母さんは甥っ子が送ってくれた原稿を読んでその感想を書いたりして、トールキンと手紙のやり取りをしてた。まぁ、これが本になるのね、って、叔母さんは出版までの1年間、楽しみに待っていたにちがいない。

この詩集、読んだことなくて興味を持った人、これに載ってます。いろんな詩があって、トムのことばかり書いてあるわけじゃありません。


何にしても、本が出たのは、叔母さんが生きてる時です。1962年の秋。
叔母さんはトムのことが書いてある小さな本があったらいいのにと思った。クリスマスプレゼントに使いたかった。
61年の秋にトールキンに注文して、その年にはさすがに間に合わなかった。
次の年の11月に出版されたから、62年のクリスマスには叔母さんはトムの本を周囲の人たちにあげたのかもしれない。自分のお気に入りのものを親しい人にプレゼントするのはとても楽しいことだ。11月の22日、クリスマスの準備にはぴったんこの時期に出してもらって、叔母さんはさぞ嬉しかったに違いない。
前もって見せてもらった詩、初めて読む詩、活字になって、本になった。それは叔母さんにとってどんなに素敵な宝物だったろう。
62年のクリスマスはジェイン叔母さんの最後のクリスマスだった。間に合ってよかった。

こういうのを見ると、世の中、ちゃんとうまくいくように出来ているのだな、と思う。