うれしかった言葉・悲しかった言葉

うれしかった言葉


その1
N大学病院の理学療法士 O先生の言葉

「何かあったら何時でも連絡してください。何時でも何処にいてもすぐに駆けつけます。」
この言葉があったから辛い時も苦しい時も乗り越えてこられたのかも知れません。いよいよ困ったら、苦しくて耐えられなくなったら電話しよう。きっと助けに来てくださる。
こう信じて今までやってこられたのかも知れません。どんなに苦しくてもO先生に電話するのは最後の手段なんだと思って持ちこたえる事ができました。9年間一度も電話することなく来ています。
O先生はもうそんな事忘れているかも知れませんが、私を9年間支えてくれた言葉です。


その2
陽子が肺炎で入院した時、不明熱で入院した時

「とにかく一日も早く家に帰りたい。この子は完全に良くなるまで入院していたらいつまでも家に帰ることはできないのです。家に帰ったら良くなります。」という私の強引な言葉に耳を傾けてくださったK先生とT先生。そのうえ「お母さんの気持ちはよく解ります。退院を許可しますから、もし良くなかったら何時でも戻ってきてください。」という言葉をいただきました。「無理に退院するなら後はどうなっても知りませんよ。」と言われる事を覚悟のうえでしたから、この言葉は涙が出るほどうれしかったです。


その3
最初の訪問看護師 Aさんの言葉

「あまり頑張らなくていいよ。看護師にできる事は看護師に、ヘルパーさんにできる事はヘルパーさんにしてもらって、お母さんはなるべく陽子ちゃんから離れる時間を持ったほうがいいですよ。」この言葉は在宅介護を始めたばかりで不安の大きい時でしたからとても穏やかな気持ちになりました。


その4
ご主人を在宅介護しておられるMさんの言葉

ご主人が脳卒中で倒れられた後、7年間の病院生活をしておられたMさんが私の家の在宅介護の様子を見て、「陽子さんとお母さんの様子を見て私も在宅介護をする勇気と決心がつきました。」と言われたとき、なんだかうれしかったです。


悲しかった言葉


その1
「かわいそう」

これは悲しいというより困る言葉です。陽子のことで「かわいそう」と言われたら返す言葉がありません。私たち家族は陽子や私たち家族をかわいそうなんて一度も思ったことはないのです。強がりではありません。

我が家の近くに90歳近いおばあさんがいるのですが、我が家のおばあちゃんを尋ねてきたついでに勝手に陽子の部屋に入ってきて語り掛けるのです。そこまではいいのですが黙って聞いていると「かわいそうにね。ほんとにかわいそうにこんなになってねえ。」とさめざめと泣きながら言うのです。
私は何も言えません。「かわいそうじゃありません。」って言うのも大人気ないし。でも、そのおばあさん、言うに事欠いてこんな事言うんですよ。「うちの孫もこの人と同じ年だけど今年お嫁に行く事になったんですよ。いろいろ準備が大変でねえ。」ですって。
こんな事くらいでめげる私じゃないしこのおばあさんだって悪気があるわけじゃないと解るし。でもあんまりじゃないですか?
私たちが陽子のウエディングドレス姿をどれほど夢みていた事か・・・。元気だったら陽子も今頃は・・・と思うと涙があふれてきて止まりませんでした。


その2
「頑張って」

これは苦境にある人、病気の人、障害のある人が言われると困る言葉だと思います。
「これまでずっと頑張ってきたのに何をこれ以上頑張ればいいの?」って言いたくなる。
私は人に安易に頑張ってとは言えません。

陽子の右目が見えなくなった時私はひどく取り乱して泣き狂ってました。陽子から「私は大丈夫よ。左目が見えるから大丈夫よ。」って言われていました。
でも、陽子の意識がなくなってあと何日の命か、何時間の命かわからないと言われた時は涙も出なくなっていました。それからはかなりしっかりした母親だったと思います。でも、看護師さんがいつも言う「陽子ちゃんも頑張ってるんだから、お母さんも頑張って。」という言葉はとても辛かったです。この言葉の何処がいけないのか、どんな言葉だったら良かったのか今でも分かりません。今でもこの言葉は病院などで使われていると思います。私にとっては胸が張り裂けるほど辛い言葉でした。


トップへ戻る
陽子の部屋へ戻る