榎 鳴鈴の体に衝撃が二つ重なった。

一つは硬くて冷たく、もう一つは柔らかくて暖かかった。

「あっぶっな〜………」

暗転する意識の隅で、高い声が聞こえた。

そして、自分を包み込むほのかな温もりと、全身を駆けめぐる激痛に、鳴鈴はあっさりと意識を失った。

少女は白のワンピースを身に纏い、巨大なトラックの下へと消えそうになる榎 鳴鈴の体を強制的に引っ張り出した。

ぬるりと指先に感じる生暖かい感覚になにも憶することなく。

そして彼女を抱きかかえると、彼女自身はトラックに轢かれることなく道路の隅に寄って、そっと下ろした。

鳴鈴の体に、服の上から手を這わせて傷の具合を確かめる。

「…………肋骨三本が折れてる………秘蔵破裂、肝臓損傷。大腿骨が折れてる。鎖骨にヒビ………アキレス腱が切れてる」

鳴鈴の体を撫でながら、ぽつりぽつりと呟いていくその少女の姿に、野次馬はただ目を丸くするだけだった。

十数メートル過ぎたところで止まったトラックから運転手が慌てた様子で降りてきた。

傷の具合を確かめた少女は、音もなくすっと立ち上がり、運転手に向かって哀しげな表情を向けてこう言った。

「救急車、早く」

ツインテールの黒髪の少女。

愁いを帯びた紅の瞳の奥に隠れた涙は流れ出ることはなく。

鳴鈴の血で体を染めて。

それでも、彼女は眉をひそめると言うこともなく、唯々凛と立っていた。





奈落の呼び声 第壱章

チェーン・メイル
第二十話

偶然と必然、呪われし文面





少女はサイレンを鳴らしながらやってきた救急車に場所を譲った。

救急車の中から隊員が出てくると鳴鈴へと近寄って、体に触れて傷を確認する。

「被害者は都立日暮高等学校の女生徒、肋骨を数本骨折している模様。さらに大腿骨を骨折。そのほか体の至る所に裂傷が見受けられ、出血がある………」

無線の向こうは、消防署なのだろうか。

被害者である鳴鈴の現状を事細やかに伝えながら、彼女の体を担架に移す。

生きているのが奇跡だった。

10tトラックと呼ばれる、あの巨大な車に轢かれたとのことだが、その割には傷は少ない方だった。

さらに、トラックは彼女から十数メートル離れたところに止まっている事。

離れていると言うことは、それだけ止まりきれなかったと言うことだ。

歩行者用信号は青だったと聞いている、あきらかに運転手の過失だ。

しかし、運転手はこう言った、「ブレーキは踏んだ、けれど減速できなかった、何がなんだかわからない!」と。

前方不注意の加害者がよく使う手だ、誤魔化されたりはしない。

そんなことよりも、少女を病院に運ぶのが先決だ、と救急隊員は思った。

それ故、彼らは一人として気付かなかった。

白いワンピースと、その両腕を真っ赤に染めた黒髪の少女が、人混みの中に消えていくことに。








「…………どういう事だ?」

薫はポツリと呟いた。

摩弓は死んだ、琴音も死んだ。

しかし、鳴鈴だけは、意識不明の重体ではあるが、生きているとのことだ。

同じ日に、同じ学校の女生徒が3人も死ぬ………死ぬかもしれない。

ニュースはそんなことを伝えていた。

摩弓は、メールを琴音と鳴鈴にしか送っていなかった。二人にしか送っていなかった。

だから、摩弓は死んだ。

そして、未確認だが、おそらく琴音が死んだのも、他の人に回すと言うことをしなかったためだろう。

では、鳴鈴は?

今までの呪いによる死は、全て即死だった。

しかし鳴鈴は、重体とは言えど、まだ生きている。

「池宮………?警告メールを…………?」

竜平が聞くが、真由は首を横に振った。

「わたしは知らない………わたしが警告メール送ったのはマキにだけ、後はマキが………」

と言いながら真由は真希に視線を移す。

しかし、真希は首を振った。

「鳴鈴のアドレスはあたしも知らない。そもそもあたしが送ったのはココにいる人だけだし………」

「だったら………別の場所から警告メールが間に合ったのかも………」

「ううん、それはないと思う」

弥生の言葉を真由が否定する。

「ルイが言っていたから。『ココ以外は気付かなかった、他は全部消された』って。
あの子がどれほどの影響力を持っているかはわからないけど、ウソは言ってないと思う」

「そのルイというモノがどれほどのモノかは実際見ないことにはわからないが………
警告メールが届くはずがなく、そして榎が生きているとするならば………」

事故は、単なる偶然と言うことになる。

「呪いでないのならば、後は医者と、彼女の生命力の問題だ、それより私達は先にすべき事をしよう」

薫がそう結論づけて、この話を終えようとした丁度その時、真由の部屋から葵が出てきた。

「葵、どう?」

恵子が言うと、複雑な笑みを浮かべた。

「たぶん………コレで何とかなるんじゃないかと思う。一応私の名前で書き込みしておいたから。
後は警告メールを広げるタメの機能をHPに載せなきゃ、誰か私のアドレスに送ってみてもらえませんか?」

掲示板に書く事ならどこででも出来るが、HPの編集は自分のパソコンでなければ出来ない。

帰宅後、いじるのだと言うことを葵は言った。

「あ、それじゃぁボクの方からあおちゃんのパソコンに送っとくよ。先輩から警告メール貰ったし」

紅が手を軽く挙げて笑顔で言った。

貰った?警告メールを?いつの間に、だれから?

と、みんなの目が紅を見たとき、健太が発言した。

「僕が送らせてもらった、手間も省けるし………けれど」

みんなが真由の部屋に行っている間に、健太から。

あれだけの人数が一つの部屋に入る事自体うっとおしい、だから健太は真由の部屋に入ろうとはしなかった。

その代わり、紅に携帯を取り出させた後、その携帯に警告メールを送ったのだ。

物事を円滑に進めようとする才能に健太は長けている。

そうでなければ、バイク乗りの団体の頭などとうてい出来やしないだろう。

そして、健太ちっと舌打ちをした。

「鳴鈴がもし死んだのなら、僕の所為だ………僕が鳴鈴にメールを送ってさえいれば………」

ぎり、と歯軋りをする健太にみんなは驚いた。

「鳴鈴は友達だ………友達をむざむざと見殺しにしてしまうことになる……………鳴鈴……死なないでくれよ………」

拳をぎゅっと握りしめると、革のグローブがミシミシと音を立てた。

「既に鳴鈴の携帯にメールは送った………呪いで死ぬことはないかもしれないが、今となっては怪我で死んでしまうとも限らない………」

「そんな………鳴鈴の所に呪いのメールが来たって言う訳でもないのに………」

「来てるんだよ!絶対に!」

大声で叫ぶ健太に、真希はびくっと肩をすくめた。

「雨水、何故その事がわかる………」

薫が聞くと、健太は額に浮かぶ汗で張り付く前髪を掻き上げながら言った。

「柊が死んだ、椿も死んだ。そして鳴鈴が意識不明の重体だ。
順番から言ったら最初に受け取ったのは柊だと思う。
そして柊は椿と鳴鈴に送った、二人だけにだ、だから柊は死んだ。
椿はそもそも送らなかったんだろう。だから死んだ………」

一度深呼吸をする。

「柊が、椿に送っておいて鳴鈴に送らないはずがない………
【警告メールは既に鳴鈴の携帯に送ってある】から………
呪いは効かないはずだと思うけど、怪我で死んでしまわないとも限らない………僕の所為だ………」

重いため息をついて健太はソファに座り込む。

誰もが何も言えず沈黙を守っていたこと、どれほどの時間だろうか。

数分か、数十分か、壁に掛けられていたアナログの時計が秒針を刻む音だけがチッチと存在を自己主張していた。

そして、その中の1人が、ポツリと呟いた。

「でも………生きている………大丈夫だとおもう、多分」

みんなが、その声にした人物に一斉に視線を向ける。

「呪いによるモノだったら、確実に死んじゃうはずでしょ?でも榎さんは生きてる、じゃぁ呪いじゃないんだよ。
しげくんの場合も、柊さんの場合も、椿さんの場合も、即死だったでしょ?」

「しかし………」

「健太君のメールが間に合ったんだよ、多分。
ただ、ギリギリだったとか………それで事故に遭っちゃった、とか。
そう言った感じじゃないかと思うんだけど………」

体の前で両手を組んで、親指をぐりぐりと動かしながら、可憐が弱々しく言った。

「呪いの共通点は、時間に忠実で、確実に死んじゃうって事。
榎さんの怪我の具合…重傷ってだけだからどれくらいか判らないけど、後はお医者さんの仕事だよ」

「雨宮の言うとおりだ。雨水、【気にするな】とは言えないが………あまり思い詰めたら、君が足を踏み外すことになるぞ」

健太はうつむきながら頷いて、手のひらで一度だけ顔を覆うと、顔を上げた。

「ありがとう……そう言って貰えると気が楽になるよ………」

健太がそう呟くと、みんなは、こくりと頷いた。








チッチッチ、とアナログの時計が静かに時を刻む。

誰も何を言うこともなく、時は静かに過ぎていく。

「五時………か」

真由の呟きにみんなは壁に掛けられている時計に視線を向ける。

「そろそろ、お開きにする?他にすることいろいろあると思うし………」

「そうだな」と言って薫が立ち上がった。

「じゃぁ、ボク達もそろそろ………」と紅が言うと、葵も一緒に立つ

「ほんなら、ウチもお暇させてもらうわ」と、里花が立つ。

「マキは?どうする?夕飯食べてく?」

『えっ?』

と、会話を振られた真希以外のみんなが声を揃えた。

「えっ?え?どうしたのいきなり、みんななんか瞳孔開いてるけど………」

「真由………自炊してたの?」

「どこからかお金が振り込まれると聞いたから、外食ばかりだと思っていたのだが………」

薫の言葉に真由は真希をじっと睨む。

真希は気まずそうに顔をゆがめながら、片手を目の前に持ってきて、ごめんというジェスチャーをした。

真由はため息を一つ吐いて「そうよ」と言った。

「家のローンはわたしが返さなきゃいけないし、光熱費と学費を引いて、あとは食費と貯金、あまり無駄遣いできないから」

そういって苦笑する真由に、みんなは胸をぎゅっと締められる思いになった。

両親が居ないからと言っても、そんなことは端的に言えば他の人には関係がない。

家のローンも、光熱費も、学費も、生きるための出費は否応にも必要になる。

高校生であるならば、未成年。

両親に守られるべきであるのだが、その両親が居ないとなれば彼女本人が出さなければならないだろう。

「ホント、お金振り込んでくれる人に感謝しなきゃ。そのお金がなければ援助交際しなければ生きていけないところね」

そう言ってクスクスと真由が笑うが、笑ったのは真由だけだった。

無表情でじっと見つめられて、真由はこめかみに脂汗を浮かべた。

「………冗談よ………そうだ、みんなも食べる?腕によりをかけて豪華料理を作って………」

「いや、心遣いは嬉しいが、私もそろそろ帰らなくてはな………今日は久しぶりに母が帰ってくるのでね、ご馳走を作らなくてはならぬのだよ」

薫の言葉に女生徒が目を光らせた。しかし薫が睨んで黙らせた。

「すまないが、母に会おうと考えるのは遠慮してくれると嬉しい。どこから情報が漏れるかわからないのでね」

苦笑しつつ頼む薫の言葉に、女生徒達はしょんぼりとしながらも無言で了解した。

「そう言うことなので、せっかくだが私は先に失礼させて貰うよ。なに、何かあれば連絡すればいい。それでは、また」

そう言って薫は玄関口へと向かい、クツを履いてドアの向こうへと消えた。

「僕もそろそろ戻るよ、バイトがない日に遅くなるとうるさいんだ」

誰が?と言う紅の問いに「妹」とだけ答え、健太はライダーブーツを履いて外に出ていく。

「ほなら、ウチも帰るわ。マユ、なんか有ったら遠慮せんと電話してな、力になったるさかいに」

携帯を掲げながら里花が出て、弥生と竜平が一緒に立ち上がった。

「それじゃー、マユ。またね」

「何かあれば連絡をくれ。デート中でもすっ飛んでいく」

竜平の言葉に弥生が頬を膨らませると、みんながクスクスとほくそ笑む。

さらにふくれっ面になる弥生の腕を引いて、竜平が玄関先へと連行……もとい、連れて行く……同じじゃん。

クツを履いて、つま先をこんこんと叩き、最後にバイバイとマユに向かって手を振って弥生と竜平はそろって消える。

「それじゃぁ先輩、私も帰りますね」

ぺこりとお辞儀して、碧も出ていく。

さらに時緒と恵子も一緒に出ていくと、後に残ったのは葵と紅、そして真由と真希と可憐、そして【キササゲ】だけ。

「それじゃぁ、ボクたちも帰ります」

紅がそう言って少し沈黙の後、にこりと笑っていった。

「大丈夫ですよ、噂を流すことは怠りませんから。明日もし外を出歩くことが有れば、女の子の会話に耳を傾けてみてください」

ふふんと不敵に笑って先に紅が外に出る。

「………では、お気を付けて、御武運を……」

ぺこりと会釈をして葵が出ていく。

さっきまで賑やかだった池宮邸は、今はもう四人になり。しんと、イヤに静かに感じた。

「私は………ご馳走になっていこうかな、お母さんには真由の家に行くって言ってるから………それに………」

ちらりと可憐はキササゲの顔を見る。

「………なんで、楸さんが、柊たちからイジメを受けていたのか、聞きたいし」

「それは…………」

突然の可憐の言葉に楸は当惑するも、己を凝視する六つの瞳にため息を零した。

「ごめんなさい………それは……言えない………」

唐突に、彼女が苛められていた、その理由。

それが、どうしてもわからなかった。

柊 摩弓、椿 琴音、榎 鳴鈴。

そして、楸 響。

木偏に四季の四人組として、校内でもなかなか知られたグループだったはず。

しかし、その内一人は三人から暴行を受け、一人死に、二人死に、そして残る一人は事故に遭い重傷。

「楸さん………何か知ってるんじゃないの?」

「…………っ、知らないっ。あたしはただ、訳もわからず摩弓に苛められただけっ!理由なんか有るわけ無いっ!」

ぎゅっと唇を結び、彼女は体を反転させて玄関へと向かう。

クツを履いて、慌ただしく扉を開けて飛び出し、足音が遠ざかった。

「………変なの」

真希が呟くと、真由がため息を零した。

「………まぁ、人の事情に首突っ込むつもりはないけど………楸さんの住所、誰か知らない?」

真由が真希と可憐に聞くと、二人とも首を振る。

するとまた真由はため息を零す。

「仕方ないなぁ………住所調べて、持ってかなくちゃ……」

風呂場の隣の洗面所、そこでぐるぐると回っているで有ろう洗濯機のことを思いながら、真由は盛大なため息を零した。







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【料理と外出、独りの夜はひんやり寒く】