阪神淡路大震災 パソコン通信構築の思い出(抜粋)
<経緯>
当時パソコン通信の掲示板に書き込んでいた手記です。
つらい時は当時のことを思い起こすことにしています。
1月28日の行軍はいまでも心の奥深くに。
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1月28日大阪〜神戸ひざくりげ たしか江戸時代に「東海道道中ひざくりげ」というのがありました。28日土曜 の休日、緊急の仕事で着の身着のまま、パソコンと書類等をリュックに詰め込み、 朝8時に自宅を出発しました。以下の交通網が示すように、普段ですと 神戸で行われる15時からの仕事には2Hみれば大丈夫なのですが…。 神戸三宮 西宮 大阪梅田 京橋 樟葉 至京都 <被災前> ●----40分--・-----○---10分-○--40分--●--------- 阪神電鉄 JR環状線 京阪電鉄 青木(オオギと読みます) <被災後> ●********▲--20分---○---10分-○--40分--●--------- バスまたは徒歩9Km=2時間半弱 梅田で阪神の特急に乗車すると、両手に救援物資をいっぱい持たれリュックを背 負った方でいっぱい、でもラッシュの押し合いとかいう光景はなく、皆現地の方 への思いやりに溢れた平静な目つき、でも心配で疲れきった表情が印象的でした。 電車が西宮を通過すると、悲しい光景が次々と…。特急電車ですが、このあたり から徐行運転で青木に到着しました。ここでも皆整然と列をつくり改札を抜け、 駅の外に出ました。テレビのニュースでは味わえないすさまじくも悲惨な光景で す。駅の前のビルは火災で黒こげで廃虚と化し、平屋の家はことごとくペシャン コにつぶれ…そうです「ペシャンコに砕け散る」こんな表現が当たっております。 今回の地震では「圧死」された方が多かったのがよくわかりました。重くのしか かった家具や家の重さでは、なにびとも逃れることはできません。キリストが手 にクギをうたれ、ただ苦しそうに無表情に死を待つ…それ以上に、多くの子供達 も犠牲になっており、絶叫をあげ、きっと今世に未練を残され、もっと苦しい思 いをされたに違いありません。罪人も含め、亡くなられた多くの方は「皆天国で 幸せになって欲しい」と合掌いたしました。 遠くの線路はグニャと波をうっていて、その線路の上に電車がデコボコ状態で静 止している。丁度、精巧な鉄道模型を作る時、車両を重ねあわせることがありま す、まさに、そんな感じです。 バスにのろうとしたら長蛇の待ち行列で2H待ち、しかたなく徒歩を決心し、た だもくもくと目的地の神戸三宮へ。普段運動不足のせいか足がパンパンになって きました。おなかもすいてきましたがお店もありません。道中で見る光景は、ニ ュースで話題になっている東灘…のすさまじい地震被災の光景が展開されました。 マンションやアパートは大きくひび割れし、ビルの途中で折れて横滑りしていた り、あるいはドカンと倒れておりました。その下に木造民家がペシャンコにつぶ れていました。今でも行方不明者がその中で苦しそうな声をだされ助けを求めて いそうな気がしてなりませんでしたが、なすすべもありません。手もつけられな い程「阿鼻叫喚の地獄絵」とはこのことを云うのでしよう、つらい道のりです。 途中、学校の校庭に多くのテントや自衛隊の車が建ち並び、なにか戦争の破壊跡 を思わせた程でした。そこには多くの被災者の方々がきっと疲れた体を横たわら せているのでしよう、ひっそりとしていました。 川では洗濯されておられる女性の姿がありました。冬枯れの冷たい水です。 老人夫婦が倒壊した家の後かたづけをしておられました。もう亡くなった父母の 姿とだぶり悲しさを誘いました。別の家では、なにもなければ恋愛や遊び盛りの 若い娘さんがしずかに倒壊した家の破片を運んだり、残骸のお人形や小荷物を運 び出される光景がいとおしくてなりませんでした。 ホコリまみれで横たわった一匹の犬が悲しそうな目をしておりました。主人を亡 くしたのか餌をこびることもせず、ただじっと自分の息が絶えるのを待っている かようでした。横には猫もおり、じっとこちらをみつめ「わが輩は猫である。ご ちそうをもってこんかい」といわんばかり、言葉をだせない動物達を見て涙が一 層溢れてきました。 避難あるいは疎開されているのか、あかりもなくひっそりと大きくヒビ割れた家 だけがありました。神社も例外なく、こっぱみじんになっており、被災者の方は 「苦しい時の神頼み」もできなくなっており、そこにはボランティアでものを運 ばれる方々の安息所になり、もくもくと弁当を食べておられました。 ニュースで大きく報じられている阪神高速を横目に歩いていたのですが、倒壊し た高速道路や支えはだいぶん取り除かれ、すでに再興の工事が少しづつ始まって いました。でも、すごく大きな傷跡は一生忘れないでしよう。今度、同じコース を家族をつれて歩こうかと思うようになりました。自分の子供達の瞼にしっかり と焼き付けさせておきたいからです。 そうそう、途中ボランティアで救援用具を大きな袋に詰め込んで運ばれる集団に 出会い、同年輩の方が重そうにしておられましたので「旅は道連れですな〜、私 にも運ばせて下さい」。ハイテクに毒されてきた自分にとって、ひと時の人間ら しさを味わいました。実はこの救命用具を作っておられる会社の方々でした… 「どこか分かりませんが、ともかく行き着いた先の病院にもっていくところです よ、ハハハ」。素晴らしい方々でした。若いお嬢さん達も大勢両手にいっぱいの 救命具をもっておられたのが印象的でした。ちなみに私の息子はもうすぐ受験で、 高齢化に向かうので、医療器具関係の仕事につけるよう親として指導してきまし た。思うに、ハイテクの代表であり企業理念もしっかりした私と同じ会社に入っ てくれれば有り難いのですが、今では超難関になりました。よって、たとえ小さ くてもいい、人間愛にあふれたこんな会社がいいなあと思った程でした。 たしか、ある台湾の方のお便りに「この地震で日本人の助け合う姿勢や心、ここ に日本の強さを見ました。がんばれ日本」という内容でしたので、道中会話しな がらまさにそういう気がしました。また金髪の外国人が横滑り倒壊したマンショ ンをみながら写真をとっておられました。そこには興味本位という目つきはなく、 「この惨状を一刻も早く母国の多くの人に知らせなければ」というヒューマニテ ィ溢れる目つきでした。 そうこうしている内に神戸近くの「春日道」を過ぎる頃から、すごくおなかもす き、ノドも乾いて、足もヨタヨタになってきました。ゲートルを巻いてくればよ かったか? ようやく「パンが入荷しました」というお店に立ち寄り、パンとコ ーヒーを買って、むしゃむしゃ食らいつきながらまた歩きだしました。確か昔は さっそうと背広を着てお客さんへいってたのですが、ビルはなんとか残っている のですが、商店街も含め見る影もありません。 目的地の神戸三宮につきました。美しい三宮のアーケード商店街は、こっぱみじ んに砕け散り、ビルは一応たってはいるのですが、多くは土台がヒビ割れし、横 滑りや倒壊しかかっております。圧巻だったのは、たしか三井生命ビルと記憶し ておりましが、メインストリート中央通りに今にも倒れんと真ん中からポッキリ 折れていました。「自然の力の前には人間というのはなすすべもなし」と思いま した。少しづつ再興の槌音が聞こえており、数年後には、また生まれ変わった見 事な神戸の夜景が見られることを祈るばかりです。 さて、仕事の事務所につきましたが、そこには、毛布やフトンが大部屋に雑然と おいてあり、皆疲れきった表情で各人の仕事をされておりました。交通手段がな く、自転車で打ち合わせの場所に走り、事務所に戻る時仲間にはぐれ道に迷って しまいました。全国から応援部隊の方が集結されており、聞いても分からないの ですね。記憶をたどり、ようやくもとの事務所へ。 打ち合わせの相手の方は、被災以降、やはり着の身着のままで仕事場につめてお られ「ホテルも利用したのですが、水は最近でるようになったが、なにせお湯が でない、水風呂ですわ。部屋の暖房もきかない、寒いホテルでした」と大変疲れ 切った表情をされていましたが、兵庫の再興に身をやつしておられ、同情という か何か助けになればという思いが強くなってきました。おみやげに家からもって きたホッカイロを、同行した若者はリポビタンDをドッサリプレゼント…もはや 気力と全国の温かい応援しかないという感じがしました。 もう真っ暗になり徒歩は危険というので、以下の道順で帰路につきました。 新神戸 谷上 三田 宝塚 大阪 京橋 ○----------○----------○--------------○-------○------○ たしか3時間ぐらいかかったと思いますが、電車は10分から20分間隔で動い ていますので、大阪〜神戸ルートはこれが一番確実でいいようです。もちろん、 電車はリュックを背負った方でラッシュアワーの如し、皆「いい仕事をした」と 疲れた表情ながらもすがすがしい車中でした。でも毎日これをやるのは本当につ らくなってきます。 家に着いたのが、22時を回っており、現地の方には申し訳ないと思いつつ、温 かい風呂に入り、朝目がさめ、この「ひざくりげ」をUPしております。が、足 はパンパンになっておりました。 ところで、関東大震災もいのしし年、この地震もいのしし年、私もいのしし年、 なにか因縁めいたものを感じますが、被災者のことを考えると、縁起とかそうい うことを云っておられません。国民皆が心をひとつにして、一刻も早く「温かい 風呂に入れる」街の復興がまず第一、「生活あっての仕事」ですね。 以上 パソ通によって、被災地の情報をたくわえ、救済に役立てる、今こそ重要な インフラづくりの必要性を感じております。 |
| 言えることは 命って一回しかない 熱い人生を送りたいな 当時電池で動くモバイルPCがあったなら・・・
まさか電気モーターで走れる車がでるとは!
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