Music Academy

極私的インドとロック パート9

〜ゆったりと流れるガンガーのごとき深い味わい〜

『グレイトフル・デッド』の巻

レッド・ツェッペリン同様、あからさまにはインドっぽさを感じさせずとも、どこかしらインド的な部分の自然と滲み出てくるのが、グレイトフル・デッドのサウンドである。

 ギターとボーカルのジェリー・ガルシアを中心に、ヒッピー&サイケデリック・ムーブメント真只中にあったサンフランシスコで結成され、1967年にデビュー。以後90年代のガルシアの死まで、「デッド・ヘッズ」と呼ばれる独特の信奉者たち(要するに「追っかけ」であるが、日常生活を捨てドロップアウトした人々も多い点など、日本の追っかけとはスケール、内容ともまるで別次元)を1000人単位で引き連れながら、一大コミューンのような大所帯で全米中をツアーし続けた。まさにアメリカが生み出した怪物的なロック・バンドといえよう。

 1968年のセカンド・アルバムではチベットのマンダラに大きく影響を受けたデザインのジャケットを採用し、1975年には『ブルース・フォー・アッラーBLUES FOR ALLAH』という意味深なタイトルのアルバムも制作した。シングルヒットはほとんどないのにやたら観客動員力が巨大だったり(アメリカではツェッペリンと完全に同格かそれ以上)、2枚組や3枚組のLPアルバムがこれまたやたらに多かった点でも得意なバンドであった(1曲がやたらに長いということである)。

 そんな彼らのロック史上に残る永遠の名演が、1970年に発表された2枚組ライブ盤『ライブ・デッドLIVE DEAD』の冒頭に収録された「ダーク・スターDARK STAR」である。とにかくこれを聴いていただきたい。

 美しい音色の2本のギター、そしてベースのゆったりとした絡みから、静かに演奏が開始される。そこに2台のドラムス(ドラマーのひとり、ミッキー・ハートは後年、名タブラ奏者であるザキール・フセインとバンドを組んでレコードを出したりしている)やキーボード、ボーカルが加わり、単にロックと呼ぶにはあまりに幽玄な音楽が万華鏡のようにキラキラと展開されていく。

 とりわけ耳に残るのは、やはり2本のギター。
 ジェリー・ガルシア、そしてボブ・ウィアのふたりのギタリストは、ともにロック的なフレーズはほとんど使用せず、オリエンタルな旋律をメインに自在なアドリブを展開していく。ありきたりのロックでもジャズでも、そして後年クロスオーバーやフュージョンと呼ばれるいかなる音楽とも異なる、イースト・ミーツ・ウェスト的なオリジナルな音世界を紡いでいる。

 ちなみにデッドと共演したこともある、オールマン・ブラザース・バンドのデュエイン・オールマンが、この曲に代表されるジェリー・ガルシアのフレージングに相当な影響を受けていることは、あまり日本で語られることがない。

 この曲、2本のギターを中心に、延々20分以上もの演奏時間がある。その中で、高揚と沈静を何度も繰り返しつつ、時間をかけながらジワジワと確実に頂点へと昇り詰めていく。
 そんな、ゆったりとしながらもダイナミックな起伏に満ちたスリリングな展開こそ、インド古典音楽に通ずる彼らの音楽の真骨頂だと私は考える。

 あえて例えれば、ラヴィ・シャンカールのシタールとアラ・ラカのタブラによる火花の飛び散るような白熱の競演よりは、アリ・アクバル・カーンのサロードやスルタン・カーンのサーランギのように、どこか浮遊感のある渋い名演だ。肩の力は確実に抜けている。しかし背筋のシャンと伸びた適度のテンションが気持ちいい。

「ダーク・スター」を聴いていると、かつて、早朝の清んだ空気の中、バラナシのガートにたたずんで、広大なガンジス川を静かに眺めていたときのような気分にもなる。あのとき、遠くから見るガンガーの流れはユルユルとしていたが、近づけば、驚くほどに力強く俊敏だった。

 ゆったりと見えて、実は豪放かつ繊細。そんな不思議さに満ちたグレイトフル・デッドの音楽は、とりわけ「ダーク・スター」で秀逸だ。
 フィッシュPHISHに代表されるジャム・バンドのファンはもちろん、ラヴィ・シャンカールやジョン・マクラフリン、ピンク・フロイドを好きな方にもおすすめの1曲である。

                                         (「インド通信」原稿を一部改変しました)


トップページへ戻る