Music Academy

極私的インドとロック パート8

〜90年代ブリティシュ・ロックでもっともインド的なアプローチとは、文句なく彼らのことだろう〜

『クーラ・シェイカー』の巻

 それまでなかった革新的な音楽性と反社会的な存在感、そして神秘的なにおい。
 ロックの美学とは、もともとそういうものだったはず。
 それが、1990年代以降のポピュラー音楽シーンでは、ビートルズやローリング・ストーンズに端を発するロックの美学がさまざまな音楽ジャンルへと移動拡散し、欧米あるいは日本の若者たちの興味もラップやヒップホップ、レゲエ、R&B、あるいは「ワールド・ミュージック(今や死語?)」などへと次々移行していってしまった。
 かくいう私も、過去のイディオムの焼き直しがメインと成り下がった「ロックもどき」の産業音楽より、ヌスラットやサリフ・ケイタ、ユッスー・ンドゥール、あるいはスブラクシュミ女史やレモ・フェルナンデス(私の大好きなゴア出身のミュージシャン)のサウンドにひきつけられていった。

 そんな中、時代錯誤ともいえそうな「ロック黄金時代」へのこだわりとインドへのオマージュぶりをこれでもかと前面に打ち出しながら登場し、確かな足跡を残したのがクーラ・シェイカーKULA SHAKERという4人組だ。

とりわけリーダーでボーカル兼ギタリストであるクリスピアン・ミルズ(1973年生まれ)が曲者である。
 早くも10代にさしかかる頃、有名な女優である母(クリスピアンの親族には、ほかにも映画俳優や劇作家がいる。裕福な芸能一家の出ということだ)に連れられて訪れたロンドン郊外のクリシュナ寺院で圧倒的なインスピーレーションを受けて以来、ハレ・クリシュナ運動にのめり込み(イギリスのハレ・クリシュナ・ムーブメントには、ジョージ・ハリスンが物心両面から多大な援助を残している)、もちろん本場インドへ足を運んだり、インド古典音楽を聴きまくる一方、自分が生まれる前の60年代サイケデリック&ヒッピーカルチャーの探求も怠らなかった。つまりは「ラブ・アンド・ピースなインド好き」というゴアやプリーの沈没者にもピッタリのキャラクターができあがったというわけ。

バンド名も、Kula Sekharaなる9世紀インドの神秘主義者兼王族の生まれ変わりと称する、奇妙なアメリカ人のハレ・クリシュナ運動家から戴いたものだそうだ(Kula Sekharaなんて人がいたこと、不勉強でまるで知らなかった)。

ギター、キーボード、ベース、ドラムというベーシックな編成(といっても、ボーカル専任抜きのこの編成で名を成したバンドは意外に多くない。個人的にはピンク・フロイド、かなり古いがバニラ・ファッジやスモール・フェイセズ、、あるいは初期のジャーニーあたりがすぐに思い浮かぶ)にホーンセクション、さらにはサロードサーランギ、タブラといったインド音楽でおなじみの楽器まで導入した音創りはカラフルでポップ。
 ビートルズやストーンズ、フー、スモール・フェイセズ、トラフィックなど英国ロック黄金期のサウンド(イアン・ギランが加入する前のディープ・パープルくさいところもある。冗談か本気かわからないが、クリスピアンの好きなギタリストもリッチー・ブラックモアだそうだが、これはいただけないな)からインド音楽まで、多彩な要素がブレンドされている。曲名や歌詞にやたらとサンスクリットが散りばめられているのも印象的だ。

1996年から99年までの活動期間でリリースしたアルバムはわずかに2枚。

ヒンドゥ主要神のひとり、クリシュナ神krishnaをも意味するという『K』というタイトルを冠したデビュー作(1996年)はパワフルでスピーディなロックの醍醐味に満ちている上、インドに対するオマージュもたっぷり。
 何しろ1曲目が「ヘイ・デュードHey Dude」というタイトルだ。いうまでもなく、ビートルズのあの曲にひっかけているのだが、こちらはやたら疾走しまくるヘビィでスピーディなチューン。
  さらには4曲目に「ゴヴィンダ(クリシュナ神の別名)Govinda」、9曲目には「タットヴァ(真理、原理)Tattva」というモロにインドなタイトル、かつサウンドや歌詞もモロにインドっぽい曲もあるし、「Grateful When You 're Dead/Jerry Was There」という<グレイトフル・デッドにインスピレーションを受けたのが丸わかりのナンバーまで披露している。
 全体としては、どこかで聞いたことありそうだが、あくまでオリジナルな曲づくり(この点、レニー・クラビッツは曲づくりや自己演出がヘタというか幼稚に感じられる)、あるいはリフの絡ませ方のうまさに(曲のメインテーマとなるべき反復的なメロディをギターなどでつくりだすこと。ツェッペリンの「胸いっぱいの愛を」とか、エアロスミスの「ウォーク・ジス・ウェイ」を思い出していただければいいだろう)、彼らのしたたかさがかいま見える。

 その後は、ジョー・サウスのオリジナルというよりはディープ・パープルのカバーをさらにカバーした「ハッシュ」などをシングルで発表。
 その「ハッシュ」は最初「ダッサー、ダメだコリャ。やっぱり90年代のブリティッシュ・ロックはこんなものか」と思ったが、何度も聴くうち、だんだんよくなるという変な代物。今では「けっこういいんじゃない」というのが、私の個人的評価である。

長いブランクの末、満を持する形で1999年に発表された第2作『PEASANTS,PIGS&ASTRONAUTS』はインドテイストがさらにヒートアップ、同時にサウンド全体もより重厚かつ、より深遠になった。反面、派手さにはやや欠けるきらいがあるといえようか。
 ここでは、伝統的な「バジャン(クリシュナ神をはじめとしたヒンドゥの神々を讃える宗教歌。本場インドではシブハデな音楽であり、いったんハマるとひたすら心地よい)」のアレンジバージョンを2曲披露しているのが、とにかく印象的。
 4曲目の「Radhe Radhe」のイントロはインド音楽そのままだし、12曲目の「Namami Nanda-Nandana」もメローなロック・バジャンという雰囲気。現代西洋音楽でこんなことやるのは、よほどのインド好きか時代錯誤というくらいに、思い入れたっぷりなインド的な音の曼荼羅だ。
 ほかにも、竹の横笛バーンスリのインドでの人間国宝的奏者、ハリプラサード・チャウラーシヤーHariprasad Chaurasiaらがゲスト参加(先の12曲目で大活躍)していることでも、インド好きロックファンから見たポイントは極めて高いといえよう。

そうこうするうち、1999年にバンドはいともあっさりと解散する。
 それぞれのメンバーが個々の道を歩きだした中、クリスピアン・ミルズはサンスクリットで「個我」や「個人の魂」を表すジーヴァjivaという語(クーラ・シェイカーの1stアルバムに「Sleeping Jiva」という曲もある)からとったというTHE JEEVASを率い、現在も精力的に活動している。

 
 上はシングル「ハッシュ」日本盤のジャケット。わかりやすすぎるくらいにインドくさい。ちなみに1st、2ndアルバムのジャケットとも、これまたインド的だ(後者は未来からやってきたクリシュナ神がモチーフらしいが、わかるかな? 下を参照のこと)



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