Music Academy

極私的インドとロック パート2 〜ジミ・ヘン、ジャニスとインドの意外な関係〜

 ジミ・ヘンドリクスとジャニス・ジョプリンは、私がインド料理に関わるはるか以前、中学生ぐらいからのフェイバリット・ミュージシャンだ。が前回、わが人生の師のひとりとしてご紹介したブライアン・ジョーンズ先生とは異なり、 その独創的な音楽性や短く鮮烈だった人生において、インドとの関連性が語られることは皆無なふたりである。

 ところが実際には、ふたりとインドには意外な関連がある。彼らのファッションがじつに微妙な具合にインド色濃厚なのだ。
 ふたりがいっきょにメジャーに躍り出た1967年のモンタレー・ポップ・フェスティバルから、ともに逝去した1970年までのポートレートを眺めると、随所にインドっぽさが顔を出す。
 ジミ・ヘンであればジャケットやパンツのシルエットや柄。ジャニスの場合はコスチュームに加え、ジャラジャラのブレスレットやビーズの首飾りなど小物類にインド趣味が光る。
 折りしもサイケデリックでフラワーな時代。たかだかファッショッンと言い捨てられないメッセージ性がミュージシャンのスタイリングにも色濃く反映されていた。それより数年遅れで、中学生の私は彼らの写真を羨望を持って眺める日々を送るのだが、そうした瞬間にも将来インドに関わるべき因子が脈々と脳内に注入されていったらしい。

 はじめて訪れたゴア。カラングート・ビーチのローカル食堂のカセットからジミ・ヘンドリクスの「ファイア」が流れてきたときには妙な感動を憶えたし、アンジュナのフリー・マーケットでいかにもジャニスっぽい服やアクセサリーを見つけ、懐かしさみたいなものがこみあげてきた。

 もちろん音楽自体もインパクトいっぱいのおふたりだが、ご本人たちの本意とはおそらくまったく別のところで、私にインド的な影響を与えたというのも、これまたスゴいことだ。今どきの外国ミュージシャンのダサさとは雲泥の差である。やはり天才は何をやってもカッコいいのだ。


 
1967年、モンタレー・ポップ・フェスのバック・ステージにおけるブライアン・ジョーンズとジミ・ヘンドリクス。ふたりのファッションがインドっぽさとともに、時代性を物語る。まさに「サマー・オブ・ラブ」。バドワイザーの缶ビールがよく似合うのも、ニクたらしい限り。


 リラックスした表情がいいジャニス・ジョプリンのポートレート。これくらい大きいと迫力がある。丸いグラスもイカしているが、どうしてもバングルや指輪に目が行ってしまう。


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