日本式インド料理の味わい方

第5回 東京の南インド料理店、東池袋編

 これまで、あえて行かなかったインド料理店のひとつに思い切って行ってみることにした。
 あえて行かなかったのは、さまざまな信頼すべき筋からさる統一した風評見解を聞いていたからである。

 東京、東池袋。平日のランチ時、午後1時前。
 ドアを開けてまずびっくり。各テーブル上に食べ残しの食器やグラスが散乱したまま。とにかくすごい状態。
 ふつうだったらバタンとドアを閉め、見なかったことにしてそのまま立ち去るところだが、義務として来店したのだからと無理矢理気を取り直す。
 もっともかたづいていると思われるテーブルに恐る恐る腰かけるが、どうにも落ち着かない。

 三分以上経過後、店主兼シェフというインド人がようやく登場。ボソッと元気のない声で「いらっしゃいませ」。
 私の卓上の残飯や食器をどうにか撤去し、卓の表面を乾いたタオルでサッとぬぐったが、ほかのテーブルには無頓着。乾いたタオルでぬぐっただけのベタついたテーブルの上に、ナプキンなどを介せず直接ナイフとフォークをセット。
 オイオイそんなのでいいのかよ。
 
 ランチの人気メニューだというマサラドーサ・セット(米と豆からつくった発酵生地のクレープでジャガイモのスパイス炒めを巻き込んだものがマサラ・ドーサ。南インドを代表する軽食である。そこにサンバルとチャトニという「たれ」や「ソース」の役割を果たす二種類のスパイス料理、そしてチャイかコーヒーが付く)、1000円をオーダーしたが、何と肝心の「マサラ(ドーサの中味にするジャガイモのスパイス炒め)がない」という。ランチタイムに人気メニューの食材が切れているとは…。

 私はランチ・メニューにはないプレーン・ドーサとラッサム(南インドを代表する菜食スープカレー)を頼んだ。

 五分ほど経った頃、ラッサムが登場。
 コーヒーカップに入っているが、一杯を飲み干せそうもないほどの濃さ。こんなドロドロのラッサムとは、まったく評価できない代物だ。私の師のいい方を借りれば「トマトが多すぎて、スパイス感が不足」なのは明白である。しかもスープ仕立てで出すには、あまりにぬるい。

 無理してドロドロのラッサムをすすった後、しばらくして、ようやくドーサが登場。
 ドーサには南インドを代表するカレー、サンバルと、これまた南インドでは定番のスパイスだれ料理、チャトニが付くがこの店のは…。
 サンバルには具がまるでなし。これは本場でもあることなので許すが、最大の問題は味つけと食感。材料の配合が変なのか、やはりドロドロしている。これまたトマト多すぎか? コリアンダー、クミン、ヒングなどをメインとしたサンバル独特のフレーバーは薄く、しつこい割に深みのない風味。「これサンバルですか?」とツッコみたくなる不思議な代物。
 グリーンのチャトニは塩気だけがたっぷり。風味が完全に飛んでいる。前日以前に仕込んだのが明らか。チャトニは鮮度が大事なのに…。

 そしてドーサ本体。何と焼いた表面がコゲていて黒い。一口かみしめると、案の定「苦い」。完全にドーサを焼く鉄板のコントロールをミスっている。今はない九段の「アジャンタ本店」で初のドーサを口にしてから二十年弱、こんなドーサを食べるのはインド、日本含めてはじめてだ。
 誇り高き料理人ならば、こんな出来損ないは絶対お客に食べさせたりはしない。客である私もなめられたものである。怒りを通り越して、悲しくなってきた。
 
 平静な顔つきを装いつつ内心必死に食べ終わると、すぐに退出。会計は1155円(税込み)。

 この店が東京の誇る「おいしい南インド料理店」として、雑誌などでよくとりあげられているのは、ちょっとディープなエスニック料理ファンにはご存知の通り。
 
 そうした事実をふまえた上ではっきり申し上げる。
「本場のおいしい南インド料理」は、この店のものとまったく異なる。ここのような料理を出す店は現地にもなくはないが、典型的な「地元人に人気のない不評店」である。
 何より残念なのは、店主の南インド料理に対する、そしてお客に対する愛情がまったくといって感じられないことだ。そうでなければ、生ぬるいラッサムや焼き焦げたドーサなど出さない、出せないはずもない。

 汚く不潔な店内、ぞんざいで手抜きの料理、いい加減なサービス。
 南インド料理云々を抜きにしても、基本的な外食ビジネスのあり方として失格だ。 
 
 たまたま私がこういう目に会っただけかもしれない。いつもはもっと良質の料理を行き届いたサービスの元、提供してくれるのかもしれない。
 しかし、料理と食べ手は一期一会。たった一回の出会いで評価の決まるところが、料理道の恐るべき奥深さである。
 
 今回、複数の信頼すべき筋からの風評を再確認する形の来訪となった。
 この結果には何ら驚かないものの、南インド料理の真髄を知らずに、こうしたものが南インド料理だと誤認しているお客様に思いを馳せると、じつに複雑な心境になった。

 重たい気分を背負ったまま、東池袋を後にする私。
 口直しに何を食べようか?
 心の中では、すでに次の食事のことを考えていた。
  
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