日本式インド料理の味わい方

第2回 書評『究極アジアごはん スパイシー料理編』
〜レシピ本の役割とは?〜

 料理レシピの紹介をメインな内容とした書籍の良し悪しを判断する基準とは、いったいどんなものだろう。

 実際に書店を訪れ、こうした類の書籍を購入する際、そして購入して実際に活用してみたときの心理や行動を私自身のケースに当てはめて整理してみる。
 すると、ざっと次のような流れになった。

 カバーや帯を眺め、ページを繰る

つくってみたいと思わせる内容だ

つくってみたら実際おいしかった

この本は信頼できるぞ
 おそらくみなさんも、似たりよったりの経験をしていることだろう。
 
 こうした信頼度を獲得するレシピ本の体裁としての一例を挙げてみよう。
・本のつくり手の意図が的確に反映された、魅力的なメニュー構成がなされている。
・それぞれのレシピにおいて、手順がわかりやすく、分量などにおいてもていねいな表記が心がけられている。
・結果的に、実際に調理しておいしいレシピが収録されている。
 こうした事柄が高レベルで達成されれば、レシピ本として高い評価を得ることとなるわけである。
 それでは、本書はどうか。

「現地で学んだ本場のレシピをここに再現!」と期待感をそそるコピーとともに、大きなタイトル。カバーの感じもなかなかよい。
 で、帯を見てみる。

 タンドリー・チキンが南インド? チキン・マカニーも南? 最初から間違ってるではないか。
 
 怪訝に思い、ページをパラパラとめくってみる。
 今度は、帯には北インドとあるビリヤニ(本書の表記は「ブリヤニ」。アジャンタ流の表記である)が本文中では南インド。先の間違い2品はちゃんと北インドになっている。
 この混乱ぶりは何だ?

 いきなり地雷を踏んだ感じの私は、注意深く内容をチェックする。
 と、あったあった。
「本書の特徴と使いかた」である。

 自信のないつくり手の心理としてこういうところで妙なエクスキューズを入れたがるのを、本の書き手の端くれである私は見逃さない。
 とくに4と7。これは…???!!! 

 以下はその4と7項の原文抜粋と、それを読んだ私の心のつぶやきである。
 
4.本書では、「現地で学んだ」という感覚を生かすため、現地で教わった料理レシピをそのまま掲載しています。したがって、これをもとにして日本で調理した場合、気候風土や食材の質などの違いにより、同じ味が再現できなかったり、味が一定しないこともあります。これらの条件を考慮に入れて調理してください。

私)現地の食文化をレポートした専門書ならば、それでもいいだろう。でもこれはレシピ本のはず。読者がちゃんとつくれてはじめて意味をなすのじゃないのか? ずいぶん不親切だし、最初から腰が引けてるな。

7.レシピに掲載している国名と国旗は、その料理のつくりかたを教わった場所を示すためのものであり、全ての料理がその国独自のものであることを示したものではありません。

私)そもそも「究極」とまでいいつつ、それぞれの国別に分けて紹介する意味などあるのか? 冒頭での帯と本文の矛盾、さらには目次を読んだだけでとても「究極メニュー」と呼べないものが含まれていること、これらのいい訳にしか聞こえないぞ。

 もう、これだけで勝負ありである。

 もちろん本書を最後まで読んだが、現地での料理事情と日本での再現性が未整理のまま混雑し、はなはだ信頼度の低い記述に終始している。
 この書評を書くにあたり、間違いや疑問点もすべてピックアップしたが、ここでは多くを割愛する。
 ただでさえ、私のサイトはしつこいまでに文章量過多で読んでて疲れるというご意見をいただいているのだ。
 小姑のあら探しのように思われるのも、いやである。

 おかしな箇所の抜粋として、以下の箇条書きをお読みいただこう。
・一部レシピにおけるスパイスの分量のグラム表記…とにかく実際の調理に使いづらい(ほかの料理サイトでも同様の指摘あり)
・パセリを飾るインドの「究極」レシピはない
・「マトンのドライ・カレー」…現地名の「バルバル」は通常「フライ」と訳す。「マトン・フライ」のほうがぴったりくる。
・「パロタ」はパラタとは違う。使う粉もアタではないはず。写真を見ればマイダであることが明白。
・「ドーサイ」…このレシピでは、ぜったいうまくできない。
・チャトニを「ミックス」と訳すのには大きな抵抗感がある。
・パラク・パニール。イラストのように切った豆腐をそのまま入れるとグズグズになる。
・「じゃがいもの酸味炒め」から「エビのさとうきび〜」までの3品…こうした特殊なレシピを載せた英断は評価できる。でも、これはあまりに特殊だ。一般性の低いメニューをその旨書かずに掲載するのは誤解を招きやすい。
・スリランカの「レンズ豆カレー」…日本で手に入るココナッツ・ミルクは通常分離しない。
・ネパールのトマト・アチャールが「スープ」に。これも違和感大。
・牛乳投入の前にチャイに砂糖を入れるレシピなど考えられない。
 ほかにもいろいろあるが、本書を作った側からすれば、先の「本書の〜」4と7などで彼らなりの正当性が成立するので、間違いじゃないともいうだろう。

 もちろん、私は本書の間違い探しをするのが目的ではない。
 根本的に、この本は料理レシピ本なのか。そうではないのか。
 どういう意図で、どんな本をつくりたかったのか。制作者のポリシーがまるで見えないこと。
 それが問題なのだ。

 レシピを掲載するならば、読者がうまくつくれるような配慮をしていただきたいし、外国の食文化を紹介するならば情報は正確であってほしい。

 当サイトの読者の方がどこかのサイトで「この本は買って損はない」といっていたし、レシピや料理名も引用していた。
「間違いだらけですよ、それ」
 これが私のコメントである。

                                                              以上
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