Taste of India


第9話 パンジャブ料理とムガール料理


 流派といういい方が正しいかどうかは別として、たとえば中国料理における北京、上海、広東、四川の四大料理と同じような調理スタイルの分類がインド料理にも可能なのを、みなさんはご存じだろうか。

 最も代表的なのが「パンジャブ料理」である。
 パンジャブとはインドの北西部からパキスタンにまたがっている地域のこと。このエリアはインド有数の穀倉地帯であると同時に、タンドゥールという土釜を使った料理の発祥地としても名高い。おなじみの「ナーン」、ジューシーな「タンドゥーリ・チキン」、さらにはカットしたタンドゥーリ・チキンをサッと煮たカレー「バターチキン」などは、もともとどれもりっぱなパンジャブ料理。昔からインド中でふつうに食べられているものではない。
 日本にあるインド料理店のほとんどがタンドゥーリ・チキンをはじめとしたパンジャブ風バーベキューとナーンをメインのメニューに組み込んでいるし、食べに行く側もタンドゥールがなければインド料理店にあらずという風潮がある。それほどまでにパンジャブ料理は日本で絶大な力を誇っているということである。

 パンジャブ料理とともにインドの外食業界をひっぱっているのが「ムガール料理」だ。モグライ、ムグライ、ムガライ料理などともいわれる。ムガールとはムガール帝国のことで、いわば宮廷料理の流れをくむ料理法だ。
 ヨーグルトをベースにしたカレーが多く、サフランやカルダモン、メースといった高級スパイスの芳醇でエキゾティックな芳香を大事にする。アーモンドやカシューナッツをペースト状にすりつぶしてたっぷりカレーに加えたり、生クリームを仕上げに入れたりもする。つまりはリッチで濃厚なテイストだ。
 チキンやマトン、さらには9種類の野菜やナッツを具にあしらうナブラタンといった「コルマ」は本来典型的なムガール料理だし、鶏1羽に詰め物をしてヨーグルトのソースをかけながらローストしたり、練った小麦粉でピッタリと鍋とふたをシールドして弱火でじっくり蒸し煮にしたラムカレーなど、手間のかかったメニューも少なくない。

 現在、日本のインド料理はパンジャブとムガールという二系統の亜流の寡占状態にあるといえる(亜流というのは、正統なパンジャブ、ムガール両料理を正しく体現した店が少ないということだ)。
 本場インドに行けば、いろいろなスタイルのすばらしい料理が盛りだくさんあるにもかかわらず、こと日本ではそれらはほぼ完全に無視された形になっているわけだ。

 なぜパンジャブ料理とムガール料理ばかりが、日本のインド料理として定着しているのか。
 語りはじめると長くなるので多くは割愛させていただくが、インド本国、とくにデリーやボンベイ(ムンバイ)の一流ホテルや外国人が出入りするようなレストランのメインダイニングは主にパンジャブとムガール料理で構成されていること、日本に料理人がやってくる場合、こうしたホテルやレストランから招へいされるのがふつうであること、さらには日本におけるインドレストランの経営者たちが「インドの高級ホテルと同様なパンジャブやムガール料理ならば、とりあえずは大はずしせず、そこそこ儲けられるだろう」と盲信していることなどが主因として考えられる(こういった事情に至るメカニズムについては、拙著『誰も知らないインド料理』に詳細に書いた)。

 現地のおいしいとされる店や家庭で食べる本場のパンジャブ、ムガール料理は、私の知る限り、より野趣に富んでいて、意外とシンプルだ。素材とスパイスの持つ風味がストレートにガツンとくる感じでワクワクする。日本で口にする、重くて胃にもたれ香りのない「インド宮廷料理」や「家庭料理」とはえらい違いである。

 そうした一方、タミルやケララ、アーンドラといった南インド、ゴア、グジャラート、カシミール、ベンガル、オリッサ、果てはアッサムなどの東北州など、いろいろなおいしい料理が、まだまだインドにはある。こうしたものが、きわめて現地に近い形で日本で食べられればうれしいものだが…。 




 パンジャブやムガール以外の料理の多彩さを物語る写真をご紹介。
 左は南インド、タミル・ナドゥ州にある、元フランス領の港町、ポンディシェリーで見つけた、ちょっと変わったレストランの看板(この前に思い切り食事していたので、残念ながら料理自体は未食)。
 HOTELというのは、インドでレストランのこともいう。「デリー食堂」というわけだ。
 マルワリMARWARIというのは、ラジャスタン州のマルワール風ということ(マルワリ商人といえば、日本の近江商人のように、名うてのビジネス階級のひとつとしてインドでよく知られる)。グジュラーティGUJRATIはグジャラート風ということだ。どちらも西インド流のおいしい料理スタイルである。
 つまりは、南インドの元フランス領の街で西インド風ターリ(ターリではなく、ミールスMEALSと書いてあるのが、いかにも南インドっぽい)を食べさせる店の名前が、ムガール料理のメッカにして北インドに位置する首都デリーであると。妙にややこしい話である。

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