Taste of India



第2話 ダルの進化論


 前回は豆を使ったカレーの魅力について総論的に語ってみた。今回は、豆カレーの王道が持つ深遠な世界について掘り下げてみよう。

 砂ぼこり舞う路傍の安食堂。都会の一角、地元の人々でにぎわう庶民派レストラン。きらびやかな高級ホテルのダイニングで供される豪華なターリ(通常ターリといえば北インド式の大皿定食を指すが、ここではインド版の松花堂弁当、あるいは一皿盛りのインド懐石といった趣きを想像していただきたい)。鉄道駅のリフレッシュメント(構内食堂)や列車内で食べる安っぽい食事。ベジタリアン・ヒンドゥ一家の夕げ。お肉好きなムスリム家庭の晩餐。
 一度でもインドを訪れたことのある日本人ならば、必ずどこかでダルの洗礼を受ける。
 ダルを好きになるかどうか。極端にいえば、それはインドを好きになるかと同義、あるいはインドを軽やかに食べ歩くための踏み絵である。

 一口にダルといっても、使用する豆の種類、合わせるスパイスやそのほか食材のバリエーション、さらには調理法の違いなどにより、ほかの多くのインドカレー同様さまざまなものができあがる。

 もっともシンプルなダルは、ムング・ダルやマスル・ダルをやわらかく煮たものにターメリック、カイエン・ペパー、塩で味つけし、さらにギーでこがさないように炒めたクミン・シードを熱いままジュッと加えた程度のもの。
 コリアンダー・リーフや青唐辛子の切れ端ぐらいはお情け程度に紛れ込んでいるかもしれないが、たまねぎ、トマト、にんにく、しょうがといった通常インドカレーによく使う素材は見当たらない。濃度にしてもシャバシャバと薄いことが多く、パラパラとしたインディカ米のライスにかけると、あっという間に皿の底に沈み込む。
 よくいえば素朴、わるくいえば味気ないともいえるシンプルさだが、ローカルムードいっぱいの安食堂に飛び込んだりすると、けっこうこういうダルに出会ったりする。
 また、バラナシあたりの厳格な菜食主義者やヨガ・アシュラムなどのダルも、香りが強くて反精進的なたまねぎとにんにく、肉に似た質感のトマトを避け、あえてこうしたシンプルなレシピに徹することが多い。

 こうした原初的なダルが少し進化するとギーの量が増えたり、たまねぎやにんにくを加える前段階としてトマトが入ったりする。同時に風味づけのコリアンダー・リーフや青唐辛子の使用量や活用頻度も増大する。

 スパイス+ギー+トマトという味つけの段階を超えると、たまねぎは未使用だがにんにくは使うといったパターンへと移行する。このレベルだとトマトのうまみとほのかな酸味、にんにく独特の風味(トルコやモロッコ、チュニジアなどのレンズ豆スープでも、にんにくは多用される。豆とにんにくは相性がいいのだ)、ギーのコクが相まってグッと食べやすいダルになる。クドすぎず軽い味だが、決して物足りなくはない。豆のうまみも十分。私の好きなタイプである。

 そして、いよいよたまねぎの登場だ。ザクザクの乱切り、あるいは薄いスライスやみじん切りにした生たまねぎをダルとともに煮るレシピもあるが、しっかり煮込んできちんと味つけしないと、たまねぎくささが気になることも。そこでたまねぎをギーで炒めてから、煮込んだダルとミックスするのが失敗のないやり方となる。

 炒め方ひとつでいろいろなダルができる点で、たまねぎの存在感はたいへん重要なものといわざるをえない。
 少量を透明程度に炒めれば、たまねぎの甘味が強調され、絶妙なかくし味になる。逆にたっぷりのたまねぎを茶色になるまでしっかり加熱して加えれば、ブラウンオニオン独特の風味がきいたムスリム風のコッテリタイプに仕上がる。たまねぎの量と炒め方ひとつでさまざまなダルを楽しめるから、みなさんも気軽に試してみるといいだろう。

 ダル用にたまねぎを炒めるときはサラダ油などではなく、ギーを使ったほうがはるかにおいしい。ギーが手に入らない場合はサラダ油をひいたフライパンや鍋にバターを足して炒めたり、サラダ油だけでたまねぎを炒めた後、別にバターのかたまりを用意して、鍋に直接投入するといい(代表的なダルのレシピやギーのつくり方に関しては、新刊を含め拙著各巻でご紹介している)。

 たまねぎとにんにくの登場順はときに逆転するし、それらの代わり、あるいはそれらに加えて、ヨーグルト、酸っぱいマンゴー、乾燥したザクロ、ココナッツ・ミルク、カレーリーフ、タマリンドなどが使われることもある。
 それでもゴロゴロとした具の入っていないこと、これはインドのダルの共通項だ(ほうれんそうの入ったパラク・ダル、じゃがいもを加えたアル・ダルといったメニューもあるが、これらはプレーンなダル・カレーとは別物と考えるのがふつうである)。

 一見シンプルなダルだが、じつに奥深い。やはり一度は現地を訪れ、本場ならではの醍醐味を満喫していただきたい。
 一方、日本のインド料理店ではとても人気があるとはいいがたいものの、一応メニューに載せているところもある。おいしいかどうかは保障しないがトライしてみるのもいいだろう。
 ただし「本日のダル」などと称して、実際には「チャナ・マサラ」をダル代わりに出すような店もある。ダルとチャナはまったく別の料理だ。ご注意いただきたい。

                                                                            以上
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