日本にいてインド料理のことを話すとき、必ずその辛さについて言及しなければならないのは、正直いってわずらわしい。
インド料理、タイ料理、韓国料理、メキシコ料理など、唐辛子系の食材をふんだんに使う料理体系の場合、辛さはおいしさの一部である。辛さだけを個別に語るのは不自然だし、片手落ちというものだ。
俗にいうエスニック料理を食べて
「辛いけどおいしい」
といういい方をテレビのレポーターなどがするたび、がっかりするとともにいやな気分になる。
どんな料理の評価も自分にとっておいしいかまずいかであって、辛いか辛くないかではない。表現自体がこの上なく稚拙であると同時に、辛いという味覚をおいしいものではなく、最初からまずいという方向で考えているのがよく見てとれる。しかも番組の性質上、レポーターの食べるエスニック料理は、一部の例外を除いて、たいてい「辛くなくてはいけない」のだ。
以前、私が修業していたインド料理店のテレビ取材で、唐辛子や胡椒をいっさい使わない、つまりは絶対に辛いはずのない「ライタ」というヨーグルトと野菜のサラダ風和え物を食べたレポーターが、わざとらしい口調で「辛い!」といっていた。そんな人間に、辛味がおいしさの一部になっているタイやインド料理の魅力などわかるはずもないだろう。
ちなみにインドには、50倍とか100倍といった激辛モードによるランクづけは存在しない。
せいぜいデリーやボンベイなどの大都市、それも西洋人が多く出入りするようなホテルのレストランのメニューブックに星印がひとつから三つまでついていて、ベリーホット、ホット、マイルドを意味する表示をしているくらいだ。
当然こうした表示は外国人むけであるし、それらの高級店にしても、いちいちお客の好みの辛さにアレンジするようなことは通常しない。店ごと、家庭ごと、料理ごとにそれぞれ適切と思われる辛さに仕上げるわけで、もともと辛くなければおいしくないカレーもあれば、逆に辛くしては本来おいしくないカレーもある。
辛味のつけ方だって調理人の腕とセンスの見せどころであり、客に勝手なリクエストをさせるものではないのだ。
インドのレストランや食堂で
「このカレーは辛いけれど、日本人のアンタは大丈夫か」
と聞いてくれることはあるが、
「どのくらいの辛さにいたしましょうか」
などとたずねてくる店はおそらく皆無に近い。
逆に、日本のインド料理店で
「辛さはどのくらいにいたしますか」
といってくる店は、ほぼ確実に私にはおいしいとは感じられないだろう。
カレーという料理の本質とプライドを忘れているともいえるそういった店には、早く看板を降ろしていただくことを提案したいくらいだ。
技術的にいえば、辛くするのはじつにかんたんなことで、人数分のカレーソースを小鍋にとり、辛味増量のカイエン・ペパー(赤唐辛子粉)と塩をたっぷりぶちこめばよい。覚えておくべきはカイエン・ペパーだけ増量するより、塩を足した方が辛さは格段にアップすることだ。
ただし何度もいうが辛さも味のうちであり、異常に辛いのは味のバランスがとれていないということでもある。ふつうのインド人や良識ある日本人ならそうした料理は敬遠するのが当然だ。とても食べられない激辛を自慢しているカレー屋もあるが、そんなもので高い料金をとるのはおかしいし、それをうれしそうにたいらげる人間もまたバカである(白状すると、私にもそういうバカの時代があった)。
あまりに辛いカレーも困ったものだが、辛さに対して舌があまりに弱いというのも困る。
「インドカレーって興味はあるのだけれど辛いでしょ、辛いのって苦手なのよね」
あるいは
「私は辛いのに弱いのですが、このカレーはどのくらいの辛さですか」
などという人がいる。
辛さの基準というか、辛味のものさしは個人で皆違うはずだから、こういったことへの返答にはしばしば窮してしまう。
とりあえずいえるのは、辛いのが苦手だという方がカレーの本場インドに行ったら苦労するかもしれないが、日本にいる分には辛くないカレーを自分でつくって食べればよい。手づくりインドカレーなら、こういう人たちの舌にももってこいである。何しろ、辛さを自分の好みにセッティングできるのだから(ただし何度もいうが、辛くないとおいしくないというカレーも確実に存在する)。
少なくとも、わさびのピリッときいた寿司のおいしさに共感できる方なら、インドカレーも多少の刺激があった方がおいしいことに納得していただけるだろう。
同時に、わさびのききすぎた寿司がおいしくないように、あまりに辛すぎるカレーも困ったものだ。
人それぞれに心地のよい辛さの演出、これもまたおいしいインドカレーづくりのポイントである。