Taste of India

第1話 ヘルシーな豆カレーの多彩な魅力


 まずは、左の写真をごらんいただきたい。これはインドの代表的な大皿定食ターリのスタイルに盛り込んだ、南インド料理の菜食カレー定食ミールスである。チェンナイにある有名なレストラン、パリマールpalimarで撮影したものだ。
 
皿の中央を占めるしなびた風船のような3つの物体は、小麦全粒粉を練って薄く伸ばした生地を高温のオイルでサッと揚げたプーリ。インド全国で食べられる主食のひとつである。
 一方、右上のスプーンがささっている器はデザートのにんじんのミルク煮、ガジャール・ハルワ。その下の白いのはヨーグルト、さらに下にある小さな器は生マンゴーをオイルやスパイスに漬け込んだマンゴー・ピックル、いわば口直しの漬物のようなものである。
 
それらを除いた6つの器に入っているのは、どれも御当地式の菜食のカレーや野菜の香味炒めである。
 プーリをこれらの6つのおかずとともに食べはじめると、ウェイターがやってきて皿の中の空いたスペースにホカホカの白いごはんを盛りにやってくる。今度はカレー類をごはんにぶっかけながら、右手指で存分に味わう寸法になる。写真はちょうど料理が運ばれてきてすぐなので、まだアツアツのプーリにも手をつけていない状態だ。
  この定食でとくに注目したいのは、6つのおかずのいずれにも豆が使われていることである。
 まず、いちばん下の器に入っているのはダルまたはダールと呼ばれるカレーだ。この店では緑豆の挽き割りであるムング・ダルをギーやにんにく、青唐辛子、香菜などと風味豊かに煮込んでいる。
 ダルやダールという語には、このように挽き割り豆のカレーという料理名を指す場合のほか、挽き割り豆という食材名自体を現すこともあり、カレー初心者には少々ややこしい。素材としてのダルにはムング・ダルのほか、日本でも売っている赤レンズマメに似たマスル・ダル、ムング・ダルを白くしたようなウラド・ダル、これまた日本でも手に入るひよこ豆をひとまわり小さくしたインド製ひよこ豆の挽き割りチャナ・ダル、日本ではあまり売っていないトゥーラン・ダルという少し変わった風味のものなど多数ある。
 これらの挽き割り豆を煮込んでスパイスやハーブ、香味野菜で味つけすればカレーとしてのダルやダールのできあがりとなるが、さらにたくさんの具を入れて煮込んだり、煮込んだダルをみそのようにして使うこともある。また挽き割りではなく、あえて皮をつけて丸のまま、あるいは皮はついているが割ってはあるものなど、いろいろな豆がインドで使われる。
 余談ながら、以前私がシェフをしていた店では、インド料理以外に使用するものも含めれば15種類程度の豆を常備して調理に活用していた。
 
さて話を写真に戻そう。ダルの左にあるかなり水っぽい液体状のものはラッサムというスープ状のカレー。トマトやガーリック、タマリンドとともにトゥーラン・ダルを煮た上澄みの汁、あるいは少量のトゥーラン・ダルをみそのように使って仕上げる。辛くてほのかな酸味が特徴で、ハマると毎日でも欲しくなるカレーのひとつである。
 ラッサムの上のきれいな色をしているのはクートゥと呼ばれるクリーミーなカレー。やはり煮込んだダルとココナッツをベースに野菜を入れてつくる。ふつうはあまり辛くない。
 クートゥの上はカレーではなく、じゃがいもの香味炒め。しかしここにも豆がしっかり使われている。じゃがいもをスパイスなどで炒め煮する際、生の挽き割り豆をまず油で炒めてカリカリにし、その食感とオイルに移ったほのかな豆の風味を生かすのだ。
 じゃがいもの上ふたつは、それぞれサンバルと呼ばれるカレー。挽き割りのトゥーラン・ダルと各種野菜をタマリンドやスパイスで煮込んでつくる。色が異なるのは具になる野菜の差やタマリンドの濃度などによるもの。サンバルとラッサムが南インドを代表する菜食カレーである。
 このように、南インドの菜食カレーでは豆の登場する場面は日常茶飯、菜食カレーというより豆食カレーのオンパレードという様相である。

 一方、デリーやムンバイ、カルカッタ、あるいはアーグラーやジャイプール、バラナシといったいわゆる北インドでダルや豆を使ったカレーはどのような位置づけを占めるか。
 これらの地域では、サンバルやラッサムに相当する豆を主体に、ほかの素材をミックスして仕上げるカレーを多食しない。むしろ、豆の滋味自体を生かしたダル・カレーそのものを豊富なバリエーションで楽しんでいる。
 右は、そんな北インドの庶民的な食事を日本で再現したもの、ある日の私の昼ごはんである。黄色いトロトロはムング・ダルの煮込みカレー。たまねぎやトマトを加えず、シンプルにギーとクミン・シード主体で味をまとめてみた。右に添えたのはじゃがいもの香味炒め。北インドでサブジと呼ばれる一般的な野菜のおかずだ。汁気のあるダルとサブジのように汁気のない料理を各一品ずつ用意して、ごはん、あるいは小麦全粒粉の薄焼きパンのようなチャパティで食べるのは、北インドのカレーライフの原点でもある。

 ところで、ここまで読んだ方はインドの豆カレーというのはどれもトロトロやシャバシャバ、豆の原形がないよう煮くずすのがセオリーのように考えるかもしれない。しかし、事実は必ずしもそうではない。
 ダル・カレーはインドだけではなく、パキスタンやバングラデシュ、さらにはネパールやスリランカといった南アジア全土で、さまざまな味つけのものが食べられるが、ダルの煮方にも、国や地域に関係なく、完全に豆の原形がなくなるまでトロトロに煮込まれたものから、まだ豆粒が十二分に残っているものまでいろいろある。だからダルといっても、必ずしも煮くずれてはいないのだ。
 さらにいえば、日本のインド料理店でもメニューに載せることのあるひよこ豆のスパイス煮込みチャナ・マサラのように、意識的に原形を残す豆カレーも少なからずある。
 上はパンジャブ風に仕上げたチャナ・マサラを白いごはんに添えた、私の食事である。たまにはこの組み合わせもいいが、個人的には正統的なチャナ・マサラにはチャパティやプーリ、パラタといった小麦粉食、あるいはバケットやカンパーニュといった西洋式のパンのほうがしっくりくる。
 ひよこ豆のほかにも、現地でラジマと呼ばれるキドニービーンズや白いんげん豆、インド亜大陸にしかない黒いひよこ豆、ロビアという大豆を白く大きくしたような豆など、そのまま原形を残して調理する豆もインド中に数多い。

 前述のような私の例を引き合いに出すまでもなく、インドの家庭やレストラン、食堂では10種類ぐらいの豆を常備して、日々の調理に活用しているのはいうまでもない。
 日本でも、とりわけ女性には豆好きな方が多いことと思う。良質なたんぱく質のほか、ビタミン、ミネラル、食物繊維も豊富な豆のカレーは日本人の舌にもよく合う。ぜひ、一度は本場インドを訪れて豆カレーの奥深い魅力に接していただきたい。何しろ、シェフ時代の私がダルをデフォルトなものとして、さまざまな豆カレーを日々お客様に提供していたのに比べ、日本にある通常のインド料理店でまともな豆カレーを大々的にメニューに載せているところはたいへん少ないのだから

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