2005年11月30日 金次郎と背後霊

  • 私のパソコンには「金次郎」という名前がついている。
  • 私が自宅でパソコンに向かっている姿が二宮金次郎に似ているそうで、以前、奥さんから「金次郎さん!いつもパソコンばかりやらないで***しなさい!」とお小言を頂いたのが理由でそうなった。昔、どこの校庭にも建っていた金次郎(薪を背負って本を読みながら歩く姿の銅像)にそっくりなのだそうだ。いつもバッグを背負って歩きに出掛け、家に居るときはパソコンばかりに向っているから、そう呼ばれても仕方ないが・・・・
  • 先日、奥さんが嬉しそうに「知り合いの人が私を描いてくださった」と額縁に入った油絵を私に見せた。二科展に出品されたこともある方が描いてくださったそうで、相当な力作である。「なかなか良い絵だね」と応えたあと一寸口がすべって「本物より美しいね」。
  • 以来、その絵はいつも背後霊として私(金次郎)を見下ろしている。

2005年11月4日 「風の色」記念碑除幕式 (Blog雅爺の小部屋) 

  • ウォーキングのキャッチフレーズといえば1985年に辰濃和男さんが天声人語で書かれた「楽しみながら歩けば風の色がみえてくる」
  • この記念碑は10月まで東松山ウォーキングセンターにあったが、20周年を記念して日本スリーデーマーチの会場近くにある東松山市役所前に移築された。
  • 第28回大会第一日の5時30分、辰濃さんを始め東松山市長、JWA会長他関係者の列席のもと新記念碑の除幕式が行われた。
  • 場所は、きんさんぎんさんが記念植樹された2本の淡墨桜の前。 夜明け前の荘厳な闇の中、スポットライトを浴びて行われた除幕式。
  • 参列者の中で最初に現れた人は辰濃さん。 白布で覆われた記念碑の前でしげしげと眺めていた姿が感動的であった。
  • ペンは剣よりも強し
  • 2005年11月4日

2005年8月3日 暑中見舞い

  • 最近ますます億劫になったようだ。暑くなったから知人に暑中見舞いをメールで出したあとでふと考えた。
    「暑中見舞いはいつ頃出すものだったかな?」
  • わからない時は辞書で調べればよい。
      夏の土用の間に、訪問したり手紙を出したりして安否をたずね励ますこと。
  •   また、その手紙や贈り物。土用見舞い。暑中伺い。[季]夏。
    「土用はいつだったかな?」
      (1) 〔陰陽五行説で、春・夏・秋・冬をそれぞれ木・火・金・水に配し、土を各季節の終わりの一八日間に当てはめたことからいう〕
  •     二十四節気中の立春・立夏・立秋・立冬の前の各一八日間。
      (2) 特に、夏の土用のこと。七月二〇日頃から立秋の前日までの一年中で最も暑い時期。[季]夏。
    なるほど。「ところで今年の立秋は?」
      8月7日19時
    「あ〜よかった」
    「まてよ。メールで送った暑中見舞いは特殊なフォントを使っていたので字体が化けているはずだ」
    と言うことでPDF版の暑中見舞いです。
      暑中見舞い(PDF版)
  • 字体がどのようなフォントに化けていたかは受け取った人にしかわからない

2004年10月29日 吾輩は猫である

  • 「る会」では、マグカップと食器が必需品である。毎昼食(る会の場合は屋外食)で使用する。自然破壊を少しでも抑制する目的で箸も持参する。
    明日の東松山での「ほうとう」料理に必要なので常用のお椀を探したが見つからない。奥さんにありかを聞くと、「ああ、猫のお椀?」と食器棚から出してくれた。
    そういえば私のお椀は我が家で一番偉いお猫様の食器とそっくりである。私も猫並みになったか。
    <お椀は「る会通信(LWA-016)」の写真参照>

2004年10月14日 爺爺

  • 電話をすると2歳になったShoot君が電話を取った。初めて電話で話をしているが私を”じいじ”と呼ぶ。私であることを認識しているようだ。
    昔は電話での音声は周波数帯域を狭くしていたため、普段の声とは相当変質して誤認することが多々あったが、今は帯域が広くなったのだったか?
    このようなことを考えるのは雅路が雅爺になった証拠かな?

2004年4月6日 年よりと陽だまり <望嶽亭その後>

  • 今年もまた、この季節に由比駅を降りた。さった峠越えと、望嶽亭の奥さんに会うのが目的である。ぶらり独り旅が一回目(「望嶽亭藤屋」参照)、”また来よう”で降りたのが昨年、それが恒例となり、今年は3回目である。寺尾から西倉沢までの旧街道は、東海道では数少ない”昔”を残す家並みのひとつであり、何度来ても飽きない。
    途中、お年寄りが日向ぼっこをしている。昨年撮り忘れたので”今年こそは”とカメラを向けた。一人が”美人に撮ってね”と笑いながら云った。”撮ったからね”と応えた。望嶽亭の23代当主松永宝蔵さんの作品とそっくりの光景だ。”いつもの光景ですよ”と望嶽亭の奥さん(松永さだよさん)が教えてくださった。
    今年の旅は「笑顔」と宝蔵さんの「年よりと陽だまり」が新しい思い出となった。
    奥さんと再会を約したのはもちろんである。

    寺尾(昔の街道を見る)
    昔の家並みは海沿いにあったが、たびたび津波の被害をうけ、そのため天和二年(1682)高台に 新道を開さくし東海道とした。現在の街道は当時のままの道幅で、所々に格子戸、蔀戸(しとみど)の古い家を見ることができる。
    説明文(由比町教育委員会)より

2003年6月22日 夏は来ぬ

  • 「コール宮原」の定期演奏会で久しぶりにコーラスを聴いた。(る会通信参照) 休憩中、受付でいただいたプログラムに目を通していたら
       みんな一緒に歌いましょう・・・・「夏は来ぬ」・・・・・
    と二番まで歌詞が出ていた。作詞は佐々木信綱とある。万葉集の研究者として有名な歌人である。
    昔、東海道を歩いた時、三重県の石薬師に生家があったな・・など想いふけっていて、ふと考えた。もしかすると短歌になっていないか?・・・
    推測通りであった。

       卯の花の匂う垣根に時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて忍音(しのびね)もらす  夏は来ぬ
       さみだれのそそぐ山田に早乙女が 裳裾(もすそ)ぬらして玉苗ううる  夏は来ぬ

    最後の「夏は来ぬ」を取るとすばらしい短歌である。では、三番以降を

       橘のかおるのきばの窓近く 蛍とびかいおこたり諌むる  夏は来ぬ
       棟(あうち)ちる川べの宿の門遠く 水鶏(くいな)声して夕月すずしき  夏は来ぬ
       さつきやみ蛍とびかい水鶏なき 卯の花さきて早苗うえわたす  夏は来ぬ

    大発見(?)の感動の中、またコーラスが始まった。

    ちなみに、「夏は来ぬ」は明治29年(1896)25歳の時、新編教育唱歌集に発表され、原作では二番の「早乙女」は「賎の女(しずのめ)」、また五番の「さつきやみ」は「夏は来ぬ」だそうである。

2003年6月11日 初観戦

  • 今日、埼玉スタジアムでZico Japan(日本代表)とパラグアイ代表のサッカーの試合があった。大観衆の中、HideにゾッコンのShoot君も初めての観戦に少々興奮気味。大久保選手の幻のGoalなどがあり楽しい一日を過ごした。

2003年5月24日 凱旋門

  • 東松山ウォーキングセンター付近に交叉点がある。5叉路のため信号が複雑で歩行者泣かせである。ウォーキングセンター側(写真の左奥)から駅側(手前)に渡る時は2回、更に対向側に行く時は合計3回、道路を渡ることになる。進む方向は反時計方向、信号は時計方向に変わるため、渡りきるまでには結構時間がかかる。信号待ちの間、暇つぶしにウォーカーのuさんやSさんと話し合った。「何故、日本の道路は車優先なの?」、「この交叉点を改良するとすればどのようにすれば良いだろう?」、「人、車どちらも待ち時間を少なくするためにはロータリーにするのが良いのでは」、・・・などと話が進み、「ロータリーにすればどのような景観になる?」ということで、ロータリーが多く見られるヨーロッパを参考にイメージ図を作ってみた。日本スリーデーマーチでのパレード用に凱旋門を建ててみたが結構いける?  (凱旋門写真:http://www.taku.cc/より)

2003年5月10日 足で撮る

  • 4週間ご無沙汰しているうちに東松山にある松風公園の池の睡蓮が開花していた。アップで撮るためには池の中に5mほど裸足で入らなければならない。底には砂利が沢山あり裸足では1メートル歩くのも苦労する。私より皮の厚い(?)遠藤さんが撮ることになった。私のカメラを初めて使うので自信がないと言いながら数枚撮影した。私が去年撮ったものより出来が良い。やはり、私は腕(技術)でなく足で撮っていることが証明された。 (睡蓮の写真

2003年4月17日 畳は新しいほうが・・

  • 二十年ぶりに我が家の内装をリニューアルした。最初は居間・洋間・廊下などの壁・天井・床を、次は襖、最後に畳替えを行い、一通りの改装が終了した。イグサの香りはすばらしい。 「やはり畳は新しいほうが良いね?」と私が云うと、「あと残っているのは旦那だけね?」と返された。「ドキリ!」

2003年3月20日 三日坊主

  • 何とかの手習いでマイホームページを開設することにした。最近、考えることが億劫になったので、ボケ封じには良いかも知れぬ。三日坊主にならねば良いが・・・