弘法大師(空海)のおしえ
 



丸山寺弘法大師


真言宗とは
   真言宗は、空海の立教開宗による、仏教の心髄の教えを説く密教(みっきょう)の宗派です。
密教は弘法大師によって、平安時代の初めに中国から日本に伝えられました。
密教の根本の仏さまは、宇宙の本体で有り、絶対の真理である「大日如来(だいにちにょらい)」です。密教は仏教においての唯一の自然神崇拝の宗教と言っていいでしょう。大宇宙の生命の神である大日如来、その大日如来を中心として無限に生命が産出されます。様々な生の諸相それが曼荼羅の世界なのです。生は無限に豊かな曼荼羅となって開花します。
密教とは
 
  密教とはインドにおける仏教の最終段階をいいます。すなわち密教は初期仏教、大乗仏教において見られる基本的教義を前提として、大乗仏教思想発展の必然的な帰結として生まれてきました。そこにはインドの諸宗教の哲学や複雑な儀礼、そして世界観などが集約的に表現されております。
 大乗教典に示されている密教を「雑密」といい、さらに完成されてない密教をそのように言う場合が有ります。6世紀〜11世紀特に中.東インドを中心に栄えたパ−ラ王朝(750〜1199)は密教を信奉し保護を加えました。やがてイスラム教が侵入を繰り返し、パ−ラ王朝の滅亡と共に仏教はインドの地から姿を消します。
 密教は翻訳僧によって唐時代を中心として中国に伝えられます。それが日本の空海によって独自な体系化が進み現代の密教の体系化がなされます。一方チベットに伝えられた密教は、後期インドの密教の色彩を強め、栄えることになります。およそ6〜8世紀の密教が中国に反映し9〜11世紀の密教がチベット密教に反映するのです。同じ密教でも両者の密教はその様相を大きく変えています。
 さて密教の本格的展開、すなわち純密化は「大日経(だいにちきょう)」「金剛頂経こんごうちょうきょう)」の出現を持つてなされたと言えます。大日教の成立はは650年前後とされ、唐の長安に来たインドの僧善無畏(ぜんむい)が724年に訳したものです。金剛頂経の成立は大日経より少し遅れ680〜690年頃とされてます。インドの僧 金剛智(こんごうち)が723年訳し又弟子の不空(ふくう)が続きます。
 教典登場する大日如来、金剛薩?、竜猛、竜智、金剛智三蔵、不空三蔵、恵果和尚、弘法大師の8人を付法の八祖といい、また大日如来、金剛薩?を除いて善無畏三蔵と一行禅師を加えて伝持の八祖といい、真言宗の祖師として尊崇しています。
密教の世界観は次の通です。

 密教に対して、密教以外の仏教を「顕教(けんぎょう)」 といいます。密教は秘密の教えで、顕教は顕(あら)わになつた教えです。わかりやすく表現すると、顕教は修行をつんで仏になる教え。密教はいきなり仏になって、そのまま、仏になって生きるための教えといえます。
 密教にとって仏とは大宇宙です。一切を包みこんだ大宇宙が仏です。その大宇宙の仏に名を付けたのが「大日如来」 、 宇宙のすべてのものは、大日如来の普遍のいのちの現象で有り、さとりの世界から物質の世界まで、すべてのものが、この「いのち」を共有して、尽きることなく交流し、自由自在に融けあい通じあつています。
 大日如来は我々に細かく語りかけてこらますが、その言葉は人間の言葉ではないのです。宇宙の真理は宇宙語でなくては表現できないのです。特殊な修行によってその言葉をマスタ−せねばなりません。一方お釈迦さまが通訳となり我々人間に宇宙の真理を理解可能になるように教えてくれるのが「顕教」です。その意味で大日如来の教えは、一般大衆には秘密であり、密教が秘密仏教といわれる所以です。
  仏は宇宙仏であり、釈迦仏から出発するより、大日如来−宇宙の根源仏から出発すると言うのが密教の考えです。
 このような「いのち」の真実の相と大日如来の知恵の世界を表現しているのが「曼荼羅(まんだら)」です。
丸山寺本尊大日如来


弘法大師
曼荼羅 とは
曼荼羅 という言葉は、古代インドのマンダラの音写語です。色々意味があるようですが、集合と本質という意味が有力のようです。つまり仏の集まりを示すと共に悟りの本質を示すものなのです。マンダとラの合成されたもので、「大日経」では「曼荼とは心髄をいい羅とは円満をいう」と解釈され、「大日経疏」では「輪円具足」と説明されています。
密教のおけるマンダラとは、本来諸尊を聖なる区画、すなわち土壌を築いた聖地に招請し、諸尊にたいし所願成就を祈念するための修法を行う「壇」であり、道場でありました。それが、諸尊を壇上に描いたり、仏像を安置することになり、やがて絵画化され、更に多様化に展開し、さまざまな曼荼羅を生み出しました。又法身大日如来と諸尊との関係を客観的に、有機的に明らかにすることになります。
大日如来と諸尊は個々別々であり、諸尊は大日如来の各一部を担うという積極的仏教観を出現させます。
 大師は曼荼羅とは自己のよってたつ基本的な場であり、深い宗教体験の世界であり、三摩地(さんまじ)「心を集中させ、妄念より離れること」といわれました。
 曼荼羅というものの絵画的表現は、密教が言う真実なるものを極めて端的に表現し、伝達しうるものであると言われています。
日本の仏教世界に初めて曼荼羅を登場紹介したのは弘法大師です。曼荼羅の種類は無数にありますが、日本で多く紹介されているのは、弘法大師が師恵果から授けられた曼荼羅で、大日経、金剛頂経にもとずく胎蔵曼荼羅と金剛曼荼羅であり、これを2対1組とする両界曼荼羅「両部(りょうぶ)」と呼んでいます。
 密教では大乗仏教で多くの仏を創造しましたが、結局それらの仏も1なる仏絶対の仏である大日如来に統一することになります。
 曼荼羅は実に良く仏さまをまとめています。大日如来を中心に、多くの仏様が平和共存しています。それぞれの仏様が、場所を与えられているのです。又仏様以外の仏教に反対する神までもが仏教を守る神として場所を与えられています。
 一つ一つの仏の個性が、見事に生かされ、生かした統一の世界、曼荼羅の世界はそういう共存の原理によってたてられている世界なのです。
金剛界 両部曼荼羅 胎蔵界羅

真言宗の教えは

菩提(さとり)のこころを発し、仏の誓願を堅く信じ、すべてのものの本性が清浄なこころであることを、ありのままに知ること。

この世のすべてのものを愛する心と真実を求める心を堅く持って、行いと言葉と心のすべての働きを通じて、心理をさとり、実践する仏の智慧にきずくこと。

宇宙のすべてのものが、大日如来の「いのち」の顕れとして平等であり、互いに助け合うことに」よって、その「いのち」をいかし、すばらしい個性を発揮すること。

すべての人々が、菩提の心を因とし、慈悲の心を根本として、平和社会を目指すこと。

弘法大師について

弘法大師は、お名前が「空海」で灌頂名(かんじょうめい)を「遍照金剛(へんじょうこんごう)」とお呼びします。

 宝亀5年(774)6月15日に香川県善通寺市でご誕生になられました。幼名を真魚(まお)といい、幼いときから泥で仏像を作ったり、7歳の時には、我が身を捧げて多くの人々を救いたいと誓いをたてられていました。
 15歳の時、伯父の阿刀大足(あとのおおたり)に連れられて奈良の都に入り勉学に励み、18歳で国立大学に入学しますが、多くの矛盾にぶつかり、20歳で大学を中退して、出家得度し仏教修行に入ります。修行僧として奈良の都での修行に満足せず、真の仏教を探している中、不二の法門大日教との出会いが訪れます。御大師様23歳の時です。
 大日教には、単に理論や哲学には当てはまらない密教の深い教えが述べられていました。これを理解実践するには、良き師僧から法を伝授してもらう必要お感じ、中国長安へ留学するこおとを決意します。
 大師の情熱が多くの困難を打破して、延暦23年(804)5月12日出発の遣唐船にて、遣唐使の留学僧として唐に向かいます。その一行の中に比叡山の最澄もおられました。遣唐船は暴風雨にあい、九死に一生を得て中国にたどり着きます。日本を出て170日かけ12月23日に都長安に着きます。
 当時密教の第7祖と仰がれていた、長安 青龍寺恵果和尚(しょうりゅじ けいかわじょう)のもとに入門を許されます。大師を見るや、「われ先より、汝の来るのを知り、待つこと久しい、今日、相見るに大いに好しい、報命まさに尽きなんとするに付法に人なし。必ずすべからく速やかに香花を弁じてに灌頂壇(かんじょうだん)入るべし」と喜ばれました。それは密教の教えは灌頂授受をもって初めて体得できるもので、密教の歴史は灌頂(かんじょう)の系譜によって成立していたため、恵果和尚にとって御大師様との出会いが運命的な出会いであつたということです。恵果和尚より遍照金剛の名を頂き密教の第8祖となったわけです。
 大師は密教の教義は元より、医学、薬学、工学などの様々の近代科学を修得し、教典、法具、曼荼羅などの他に文化資料を携えて日本に帰国します。帰国した大師は時の平城天皇に御請来目録(ごしょうらいもくろく)を奉呈し、真言宗の立教開宗の勅許(ちょうきょ)を賜わります。
 34歳になった大師は真言宗開宗に関する多数の書物を著し、不二(ふに)の法門である即身成仏(そくしんじょうぶつ)の教えを布教されます。その後も全国行脚されて済世利人(さいせいりにん)の行に徹し、末徒の修行と養成に尽くされました。
 42歳の時には四国を巡られ、その遺跡後の四国八十八ケ所霊場となって現在も多くの巡拝者を迎えております。その後いろは歌を綴られたり、香川県の満濃池(まんのういけ)の修築、日本初の民間学校である綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)の創設など、日本文化の発展に大きく寄与されました。
 済世利人の情熱に従い、真言密教の根本道場の必要性から高野山の開創を決意されます。真言密教の真理は、その理想とする曼荼羅世界の様相を持つ大自然に囲まれた静寂な境地である高野山が最適地で有りました。その聖地で国の平和と繁栄を祈り、世を救い人々に利益を与えると共に、真言密教にあらわされている密厳国土を現世に作ろうと鎮護国家、済世利人の根本道場をここに置かれたのです。
 大師は自身の入定の地を高野山と定め「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きなん」(たとえこの世に、一人でも迷い悩み、悶え苦しんでいる不幸な人がいる限り、その最後の一人まで悉く救ってしまうまでは、自分の衆生済度の大誓願は終わらないのです。)とのご誓願のもと、聖地に永遠に生き続け、済世利人の行を続ける事を選ばれました。すなわち、高野山を万人の心のよりどころとし、仏と人々の霊がここに集まり帰着する霊場を築かれたのです。
未来永劫にわたって衆生を救済すると御誓願され、承和2年(835)3月21日に高野山の奥之院で御入定なされました。
 一般的に入定とは、宗教的瞑想(禅定う)に入ること、または聖者の入寂を意味するが、大師のご入定とは、入定という一代奇跡を通して、永遠にいき続け、令法久住(密教を永遠に存続せしめる)と末世の弟子、門徒たちを悉く救済しようとの切なる願いからと理解したらよいでしょう。

 弘法大師の御宝号は「南無大師遍照金剛」(なむだいしへんじょうこんごう)です。弘法大師を拝む時、この御宝号をお唱えします。



ご入定とご誓願

 「初め1百歳に及ぶまで世に住して、教法を守ろう」と思われていた大師が、なぜ急いでご入定を求められたのでしょう。
 「御遺告(ごゆいごう)」に「吾閉眼の後には、必ず兜率他天(とそつたてん)に往生して、弥勒慈尊の御前に侍すべし。56億余の後、必ず慈尊と共に下生して吾が先跡を問うべし、亦且つ未だ下らざる間は微雲管(みうんかん)「浄土の雲間」より見て(行者の)信否を察すべし。このときに勤め有らば祐を得ん。不信のものは不幸ならん。努力努力(ゆめゆめ)後疎かにすることなかれ」と弟子たちを誡められるとともに、絶えず後の世の人々を見守り、護念することを誓われている。それと注目すべくは、大師が目指されたのは兜率他天(とそつたてん)つまり弥勒の浄土であるということです。弥勒は慈氏と訳され、慈から生まれたという意味で、慈を本質としている菩薩です。この弥勒の世界に入られることは、永遠に衆生救済という大慈悲行に生きようとする大師のご誓願を表しているといえます。弥勒の世界は慈悲に満たされ、すべての人が救われ、平和に豊かに楽しむ事の浄土です。
 大師はかかる浄土の実現を望まれたのでしょう。大師の残された「高野山万灯会願文」{虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きなん」(たとえこの世に、一人でも迷い悩み、悶え苦しんでいる不幸な人がいる限り、その最後の一人まで悉く救ってしまうまでは、自分の衆生済度の大誓願は終わらないのです。}により一層具体的にはっきりと知ることが出来ます。その永遠の救済は、宇宙がなくなり、生きとし生けるすべてのものが滅び去り、悟らなければならぬすべてのものが1人もいなくなってしまうまで、限りなく続くのです。 
大師は、令法久住(密教を永久に存続せしめる)と末世の弟子、門徒たちを悉く救済しょうとの願いを行ずる為には、入定留身という奇跡をげんずる他に方法がなかったのだと思います。

持戒と報恩

 大師は御遺誡に諸戒の根本を十善戒として、更にそれらを統括する密教独特の戒として、三摩耶戒(さんまやかい)をとかれた。
 その内容は1、正法を捨てず、邪行を行わない。2、菩提心を捨てない。3、一切の法を相手の器に応じて惜しみなく施し与える。4、すべての人のためにならぬ行為をしない。(衆生の利益、救済に努める)ということで、一口に言えば、上は菩提を求め、下は衆生を化す、自利利他の菩提行を完成する心です。
 三摩耶戒は又大菩提心戒とも言われ、この戒の具体的実践が十善戒となります。戒を守ることは成仏を目指す道では有りますが、同時にそれが四恩に報いる報恩の行となります。
 大師は「一切衆生をみるに己身及び四恩の如し」と言われました。四恩とは一般には父母、国王、三寶、衆生の4つ恩を指しますが、知ると知らざるとに拘わらず「自分が恩恵をいただいている、生きとし、生けるすべてのもの」の意に広く判断した方がいいでしょう。すなわちこの世に存在する有りとあやゆるものは、悉く宇宙の大生命そのものである大日如来の「大いなる命」の中から、現れ生まれているものであるから、一切のものはすべて我が身と生命(いのち)の連なったものばかりです。本質的には全く同一で、少しも自他の差別、隔たりが有りません。自分と一切の人々との関係はお互い深い繋がりによって結ばれ、限りなく恩恵を施し合ってきたものばかりです。したがつてすべては自分の四恩で無いものは無いのです。このように考えると、不殺生に始まる十善の戒を守るのは人間として当然のことで、持戒を単に仏教道徳として、かつ悟りを得る為の条件と言うだけではなく、4恩に対する報恩の行と見るところに大師の優れた考え方があります。

成仏への道

 仏教とは仏に説かれた教えと、同時に仏になる教えです。私たちが仏教の教えに従い実践修行するならば、誰しも成仏出来るものではならない。しかし私たち凡夫は、3大無数却という無限の時間を経て、修行を積まなければ、仏になることができないとされてます。
 これに対して大師は「即身成仏」を説きます。本来私たちと仏とは不二平等であり本質的に何も変わりません。我即大日で、理論上はすでに成仏しておる(理具の成仏)のです。しかし磨かれたダイヤモンドと、その原鉱とはまったく同一とはいえません。原鉱を磨き上げる作業が必要です。この作業が三密の修行といわれるものです。
 私たちが真言の行法によって、自己の三業(身と口と意(こころ)のはたらき)を仏の三密と一致させようと励み修する時、仏の大きな加持を得て、仏と我とが互いにこん渉入して、溶け合って一体不二(加持の成仏)となるのです。私たちが仏と本質において同じであることを絶対に信じ、その上で修行できることにより、私たちの救いがあり、又成仏できる道が開かれるのです。
 三密の修行こそ、密教実践の根幹であり、十善戒を守るのも又三密行です。しかし三密のどれを取っても、他の二つは自らの中に含まれます。私たちが「南無大師遍照金剛」と唱える口密の中に身密も意密も悉く含まれるのです。三密の実践としての御宝号を誦する時、私たちは大師と一体不二の覚りに導かれ、同行二人の喜びに生き、無畏、安楽の境地に至るのです。更に大師の摂取不捨の誓願に抱かれ、その永遠の救い、不滅のいのちに生かされ、加持されている有難さを思うとき、御宝号念誦は大師に対する限りない報恩謝徳の行となるのです。

真言密教の布教実践

 
布教の必要性について

宗教とは人間の成仏や安心立命を目的とするもので、その目的は布教によって広められていく。人間の苦は仏教的には不安心、不立命の精神状態であるから、教理を通して解説させねばならない。
例 
釈尊は苦を除くため、四諦を説いて教の根底としている。
苦諦−人間の苦という感情。 集諦−苦の発生する原因 滅諦−苦を解消したい状態 道諦−苦を解決し得る方法
苦の滅に至道の真理とは 正見 正思 正語 正業 正命 正精進 正念 正定 これを苦の滅に至る道の真理となす。

布教の意義

宗門教理、救いの大衆伝道にある
「道自ら広まらず。広まることは必ず人による。」(付法伝中)
「教は演ぶることなき時には廃る。」(性霊集)
「ものの興廃は必ず人による。」(性霊集)
「法は本より言なけれども、言に非らざれば現れず。」(御請来目録)

真言宗の布教

真言宗の教えは釈尊の説法にあらず、法身大日如来が真言法界宮殿にて従身流出の自眷属と共に自受法楽の為に三世常恒に説法した。
1→法身説法が人間世界に持ち出されたのは、龍猛菩薩が南天の鉄塔を開かれた時に始まり、各大師を経て弘法大師に伝えられる。
2→真言の教義は三密の妙法を修して(教相 実相の二相の実践) 一生(今世)に成仏(即身成仏)するおもって正意とする。(安心教示章)
3→真言行者は即身成仏するため三密行をすすめ布教するが、我々凡夫の身口意の三業が、如来秘密の加持力よって妙有をあらわし密と名づけられて三密となる。
信仰生活合掌等は身密 説教は口密 心で祈り念ずること意密
このように真言布教は三密具足でなければならない。

三密には有相の三密、無相の三密がある。
☆有相の三密―行者が壇にのぼり手に印を結び、口に真言を誦し、心は三摩地に住する修法。
☆無相の三密―我々が日常に行う、言うこと、思うこと、行うことの三業が仏作業になること。
そうであれば説教講演することが三密行でないはずがない。布教上の所作は身密、語ることは語密、話している思想が意密であり、この三密が具足しなければ布教にならないのである。但し布教だけ行えば良いというわけではなく、無相は有相から流れ出るものであるから、無相三密行の成就は有相三密の練達によって成功するものである。
「一密怠ることなくば増長縁の力にて三密具足の時いたりついには仏果を証すべし。」(安心和讃)
布教師は信念が第一条件で、深い信仰体験が聴衆を動かし信仰に導き入れ、三密具足の布教をすれば布教師が即身成仏できる。又大衆の抜苦与楽の仏心(慈悲力)で布教せよ。

布教は信仰心の喚起
布教の目的は聴衆に信仰心を起こさせることであり、仏と人間とが結びつくことであり、仏から出発したひとが仏に帰着することである。信仰とは絶対帰依の感情であり、仏の懐に飛び込んで、仏に任せきり、仏によって生かされている自己を見出させねばならない。真言密教では入我我入の境地、我仏に入り、仏我に入り、仏と我が一体不二の三昧となる。大師信仰では同行二人の境地になる。
「あな嬉し 行くも、帰るも、とどまるも我は大師と二人連れなり」

三密行による布教
1-礼拝の実践(身密)人は誰でも有り難いという感動にうたれたら、必ず手を合わせて頭を下げる。仏を信じるものは必ずそれを拝む。(この礼拝が宗教の基本的共通の動作であり、本質的宗教行為である。 これを複雑化したのが法要儀式や塔堂伽藍であり、内陣荘厳である。
2-真言宗では三密行の実践を取り入れての布教法が布教作法による布教システムで、仏との交渉を深めることの機縁を与え、拝まない者を拝ませ、低い拝み方を高めていくことが大切です。信ずる者は必ず拝み、拝むことによって信仰を深めていく。信じないものでも拝んでいれば信仰に導かれる。
3-真言宗では布教は皆大歓喜信受奉行へと導き行者の上に現れるように進めねばならない。即身成仏に至らしめる時
先ず 凡聖不二−三密修行−即身成仏 仏に帰入出来ることを覚らせ−三業より三密行へ−すがったところの安心(安心は心を据えること)
信仰は三密行を内容とした自らの信仰体験によって心に感得するもので、この信仰心が外での信者に表れたのが拝礼である。
4-宗教は人生の完全円満に役立つものでなければならない。不幸に沈むときも、不幸に恵まれているときも感謝できるように導かなくてはならない。

布教(口説)の組織法
三段法
講演(法話) 序論イ 本論ロ 結論ハ 
イ 序論は簡単がよい。細かく言うと本論と重複する。
ロ 本論は布教の根幹であるから、充分に力を入れて初重音で話、聴衆を沈静させる。
〇教理の説明を徹底的にする。〇四恩十善等については区分する。〇本論で述べることは真理であるから、それを例話を持って大衆に解らしめる。例話は自由に増加してもよろしい。
ハ 結論は聴衆に感動を与えねばならない。広げた風呂敷の結びをつける。今までより声に力を入れ、少し早めな調子で熱演し信仰、善行 実行を訴える。

大日如来 即 諸仏諸菩薩 即 弘法大師
1−高野山真言宗は祖廟中心で主柱をなす。
1−大師信仰は真言密教の教理に叶ったものである。
1−曼荼羅世界即現実社会の真実である。
1−真言密教は他の大乗仏教(顕教)も包含し大乗仏教の究極である。

布教準備について
布教目的は聴衆の心を動かして信仰生活に向かわせることであるから、布教師は情熱を持って大衆を教育するというより感じさせる。仏の慈悲を教えるより感じさせねばならない。情熱のない話は迫力が無く、したがって人を感動に導くことが出来ない。

間接的準備
☆修道体験を積む  ☆人格の修養に努める  ☆豊かな教養を身につける ☆常に音声の錬磨を心がける  ☆健康保持に留意する。

直接的準備
布教内容は教理 信仰 安心であるが現代人を納得させるには広い範囲の教材を求めねばならない。
☆教材の募集 人から聞いた話 旅行中の見聞 標語 統計等をメモ又は集めておく。書籍 新聞等は書名、月日等も記しておく。
☆教材の整理 教えの教材にもとづいて別けておく。
☆布教内容の整理 これは思想の整理で演題や話題の求めに応じて興味のあるテ−マを選び聞き手の興味を引くことを考える。
☆話題の配置 テ−マが決まったら、集めてある教材の中から最適を選ぶ。 
原稿の作製か 布教内容のメモ作製 主題にもとづき原稿を書くのが最も望ましいが、主題にもとづき重要な点をメモすることも大切です。 

◎布教実演は高野山真言宗では「布教作法」にもとづいてなされている。「布教作法」を早く身につけることも大切である。

参考資料 現代布教の理論と実際 (寺河俊海著)