法話
 

尊い命

         
   二十世紀は殺戮(さつりく)の世紀であって、世界で何度も大きな戦争が有り、日本を含め多くの国で尊い命が数えきれないほど失われました。  

 その反省を含め、二十一世紀は争いのない、 平和な世紀へと願いを込めて世界中の人々が二十一世紀を迎えたはずでしたが、二十一世紀早々に世界を震撼させるアメリカテロ事件を発端に、それ以後アフガニスタン, イラン戦争と世界を巻き込む争いが続いてをります。   又これらの戦争により多くの尊い命が失われています。  

 ある面で言えば、このテロ事件を含め、争いはイスラム教を中心とした宗教的様相をていした争いでも有り、人間の幸福を追求する宗教のあり方を私達に提示されました。  

 私達が唱える、「仏前勤行次第」の十善戒(じゅうぜんかい)の始まりは不殺生(ふせっしょう)とあります。これは仏教ばかりでなく、世界の真の宗教であれば戒律の主はやはり不殺生だと思います。  

 まず私達が人間として尊い命を受けたそのご縁の中で、一番守らなくてはいけないこと、それは命の尊厳を自覚し互いに命を守ることだと思います。  

 お大師様のみ教えでは「凡聖不二(ぼんしようふに)」とも「我即仏(われそくほとけ)」とも申します。これは我々と仏様とはまったく違つたものではなく、同じ尊い命だということです。  
 又、お大師さまは、「雨足多しといえども、皆これ一水なり、灯光一に有らざれど、冥然として同体なり」とおおせられ、降り続く雨足の一つ一つは小さな水滴であるが、全体としてみると大きな流れになる。灯の光も色々違つた光を発しているが、一つの光に見える。 と申され、小さな命も、大きな命も皆同じで有るといわれています。  

 お大師様の教えでいえば、キリスト教もイスラム教も、ユダや教も仏教の人々も、皆同じ尊い命を持つた同じ人間だということになります。  

 まず私達が、幸せとか平和という感情になるためには、自分と他人も皆尊い命であることを自覚することを、もう一度再認識することが大切だとお大師様は申されると思います。